12.旧世界から続く記録
テツジさんの部屋は、廃ビルの三階にあるらしい。「部屋まで案内してやる」と言うので、俺とハルカはついて行った。
廊下を歩くと、壁際に棚が並んでいた。
棚の上には、ノートが積み上げられている。同じサイズのノートが、何十冊、何百冊と。
全部、手書きで番号が振ってあった。
「テツジさん。このノートは、一体何ですか?」
俺はその不思議なノートが気になり、真っ先に聞いた。
「記録じゃ。このビルの状態を、毎日記録しておる。
どこにヒビが入ったか、どの柱が傾いたか、どの階の床が抜けたか。百年以上の記録がここにある」
「百年以上……?」
「ここのビルの管理人だった祖母から受け継いだ。
こんな世界になっちまって、もう書き続ける必要はないんじゃが、癖が抜けなくての」
「なんか、その気持ちわかる気がします。
テツジさんって、隕石が落ちた時は——」
ここまで聞いて、ふと思った。トビオ爺のように、テツジさんも隕石の話をしたがらなかったらどうしようと。
「若いの、変に気を遣わんでよい。知らないことを知りたいと思う気持ちは、大事にせえ」
俺は頭を掻いた。年の功には敵わないなと思った。
「隕石が落ちた時、わしは四十歳じゃった」
「昔の東京って、どんな感じだったんですか? 一千万人が住んでた頃の」
テツジさんは目を閉じて、当時を懐かしむように語った。
「毎朝、人でごった返した電車に乗っておったな。
道を歩けば肩がぶつかる。飯屋に入れば行列ができておる。
うるさくて、にぎやかで——」
テツジさんは、少し間を置いた。
「今となっては、夢のような話じゃな。ほっほ」
「はは、信じられないですよ。そんな話」
「今の若者には、そうじゃろう。生まれた時からこの静けさの中にいるんじゃから」
部屋のドアを開けると、広い空間が現れた。
かつてのオフィスだったらしく、広い部屋だ。
窓ガラスは割れているが、板で塞いであった。
その板の隙間から、外の光が差し込んでいる。
「あれがお前たちの飛行機か?」
テツジさんが板の隙間から外を見た。遠くに、スカイフィッシュ号の翼が見えた。
「はい。そうです」
「継ぎ接ぎだらけじゃな」
「直しながら飛んでいたので……。みっともない姿になっちゃいました」
「いんや、いい機体だ。
継ぎ接ぎが多いほど、長く飛んできた証拠じゃ」
テツジさんは静かに言った。
「ありがとうございます。
そういえば、テツジさんはもう晩飯食べましたか?
俺、ちょっとお腹空いてきました」
「そういや、今日は起きてからずっと食べてないの」
「ええ!? 大丈夫なんですか!?
三食きちんと食べないとダメだって、うちの爺ちゃんがいつも言ってますよ」
「いや、わしは子供の頃から不摂生で、毎日カップ麺ばっかり食べとった」
「カップ麺って、なんです?」
「そうか、知らんのか。
簡単に言うと、お湯をかけるとあっという間に完成する麺料理じゃ」
「そんな便利なものが……」
「わしはとにかく、食べることには手間をかけたくない主義なんじゃ。
だからこの世界でも、腹が減ったと思った時に、テキトーに野草をちぎって食べておる」
「よくそれで九十歳まで生きてますね……」
「まあ、それは運がいいんじゃな。ほっほ」
テツジさんは声を出して笑った。
その間に、ハルカは持ってきていた荷物から調理道具を取り出していた。
「テツジさんは普段、何の野草を食べてるの?」
ハルカが聞いた。
「このビルのすぐ隣にセリが群生しておるんじゃよ。
子供の頃はオカンがそれで鍋を作ってくれたんじゃが、わしは作る気が起きない。
面倒なのは嫌いじゃからな」
「じゃあ今夜は、私が作る。鍋はできないけど」
「そりゃ楽しみじゃわい。
ああ、それと一応ドクダミも生えておるぞ。
けど、あれは独特の匂いがあって食べる気になれん」
「ドクダミ、使える」
「本当か? わし、あの匂い苦手なんじゃが……」
「匂いは塩と一緒に炒めると、飛ぶ。きっと食べやすい」
「本当か?」
テツジさんは少し驚いた顔をした。
「あと、セリは根っこの部分は特に栄養がある」
「栄養か……。オカンもそんなこと言っとったのぉ」
「それに、葉と根を分けて使うと、二通りの料理ができる」
「二通りか。同じ植物でも、部位によって使い分けをするんじゃな」
「きっとお母さんもやってくれていたと思う」
「そうだったんかのぉ。
とりあえず、みんなで外に採りに行こう。
薄暗くなってきたから、気をつけろよ」
◇
三人でビルの外に出た。
「すっげぇ……、これ全部セリですか? テツジさん」
「ああ、そうじゃと思う」
「手入れとかはしてるんですか?」
「わしがすると思うか?」
ハルカがテツジさんを見た。
「……しなさそう」
「この娘は、はっきりとモノを言うんじゃの」
「はは、すみません。こういう奴なんです」
俺は代わりに謝った。
ビルの壁際を見ると、セリとドクダミが群生していた。
ハルカは量を確認しながら、根っこを丁寧に掘り出した。
俺とテツジさんは、横で見ていた。
「お嬢さんは、どこでそんな知識を得たんじゃ?」
「旅をしながら覚えた。立ち寄った集落の人に教わったり、自分で試したり。
食材が少ない世界だから、一つの植物をいろんな食べ方で使えるようにしたくて」
「なるほどな。わしは九十年生きとるが、植物の正しい食べ方はほとんど知らん。
興味を持つというのは、大事なことじゃの」
「もう十分採れた。川で水を汲んでから、戻る」
俺は、川で水を汲むハルカの後ろ姿を見ていた。
その時、ふと綺麗な髪だなと思った。




