11.都心飛行
東京の空を飛んで、二時間近く経った。
スカイフィッシュ号は、のんびりと飛行を続けている。
建物の密度が増すにつれ、気流が変わっていくのがわかった。
ビルとビルの間を風が通り抜け、場所によって強くなったり弱くなったりする。
ハルカは肌でそれを感じ取り、俺に伝えてくれる。
「次の交差点、左側から空気が流れてる」
「了解!」
「右のビル、翼端まで十メートル切ってる。寄りすぎないで」
「大丈夫だ。見えてる」
かつての首都高速道路の上を飛ぶ。道路の幅がそのまま、飛行ルートになる。左右にビルが並ぶ中を、スカイフィッシュ号がゆっくりと進んでいく。
「なあ、ハルカ。看板の文字、まだ読めるやつがあるな」
「うん。消えかけてるけど」
「日本語で書かれてるのは読めないけど、英語でレストランとか、ショッピングとか書いてあるな。
ここで、一千万人が毎日飯食ったり買い物したりしてたんだな……」
「うん。五十年前まで」
「なんか、信じられないな。この静けさ。でも——」
「でも?」
「静かになったから、こうやって自由に飛べてるんだよな。
ここに一千万人もいたら、俺ら怒られちまうよ」
「そういう考え方、ソラヒトらしい」
「そうかな? ……でも、変じゃないだろ?」
「ううん、変」
「思いついたらすぐに口が動いちまうんだから、仕方ないだろ」
ハルカが小さく笑った。
しばらく飛んでいると、廃ビル群の中に一棟だけ、様子の違う建物が見えてきた。
一階部分の窓に板が打ち付けてある。補修された跡だ。
屋上には、細い煙が上がっていた。
「あそこ、煙が出てるぞ」
「きっと、人がいる」
俺は周囲を見回した。
「降りたいけど……、降りられる場所がないな。
周りはビルだらけだし」
「さっき、大きな公園の跡が見えた。たぶん、代々木公園だと思う。木が多かったけど、開けた場所もあった」
「こんな街の中に公園か……。よし、行ってみるか」
来た空路を戻ると、ハルカの言った通り、開けた場所があった。
かつての公園だろうか、ビルがなく空が広く見える。しかし木が多く、降りられる場所は限られている。
「端の方、木の間に少し草地がある」
ハルカが指を差した。
「なるほどな。けど、思ったより狭いな」
「ソラヒトの技術があれば大丈夫。真ん中に着陸すれば、両端に三メートルずつくらい余裕ができる」
「簡単に言うなよなぁ……」
低空で木の上を横切り、草地の状態を確認した。
幅は狭く、木が両側から迫っている。まるで針に糸を通すような、繊細な操縦が要求される。
「じゃあ、アプローチに入るぞ」
「頑張って」
「左右からの風の流れだけ、教えてくれ」
「わかった」
「このまま真っ直ぐ降りるぞ」
「ソラヒト、三秒後に右から風」
「オーケー、調整する」
そして、主脚が草地に触れた。柔らかい土だった。
どんどん速度が落ちていく。左翼の端が木の枝をかすめ、パサッという音がした。
「大丈夫。かすっただけだ」
スカイフィッシュ号が止まった。木と木の間の、狭い草地に。
俺が先に降り、ハルカに手を差し出した。
「足元、草と木の根が混ざってるから気をつけろよ」
「わかった。ねえ、ソラヒト。そろそろ日も暮れるし、調理道具も持って行った方がいいかな?」
「そうだな。人がいたら、また料理を作ってやろうぜ」
「持ってくれてありがとう」
「いや、まだ持ってねぇんだけど……」
「ソラヒトはいつも持ってくれるでしょ?」
「消去法で俺が持つしかないからな」
「ふふ。からかってごめん。でも、本当に感謝してる」
「おう」
二人はさっき見つけた廃ビルに向かって歩いた。
ハルカの手を引きながら、ゆっくりと進む。
地面は草と石とコンクリートの破片が混ざっていて、非常に歩きにくい。
所々に水が溜まっていて、ハルカはそこを避けながら歩く。
「大丈夫か?」
「大丈夫。ゆっくりなら歩ける」
「無理するな」
話していると、煙の出ていたビルに近づいてきた。
やはり他のビルと違い、一階部分の窓に板が打ち付けてある。入口のドアは、新しい蝶番がついていた。誰かが修理した跡だ。
「ドアの蝶番、錆びてない」
とハルカが言った。
「ああ、最近直したんかな?
人がちゃんと住んでる証拠だな」
俺はドアをノックした。
「すみませ〜ん!」
しばらく間があった。
そしてドアが開くと、老人が立っていた。九十歳くらいだろうか。背が高く、かなり痩せている。骨ばった手には、分厚いノートを持っていた。
「なんの用じゃ?」
「俺たち、空を冒険してるんですけど、通りかかったら人の気配があったので」
「やはりさっきの飛行機はお主らのものか」
「見てたんですか?」
「屋上から見ておった。
小さい飛行機でビルの間を飛んでいたようじゃな。腕がいい」
老人は、俺とハルカを交互に見た。
「若いな。いくつじゃ?」
「二人とも十八歳です」
「十八で、このビルの間を飛ぶのか。うまいもんじゃ」
「ありがとうございます。こっちの子が、気流を読んでくれるので、安心して飛べるんです」
「ほう、いい感覚を持っておるのじゃな」
老人はハルカを見た。
「私は大気の変化を、肌で感じ取れる。それを、操縦士に伝えるだけ」
ハルカが言った。
「第六感の覚醒、か」
「……そんな大したものじゃない」
「わしはテツジという。ここに住んで、九十年になるな」
と老人が名乗った。
「九十年……。隕石が落ちる前から、東京に住んでいたんですか?」
また、隕石の日を知っている人と出会った。
「ああ、そうじゃ。立ち話もなんじゃ、中へ入りなさい」
テツジさんは少し後ろに下がり、手招きをした。




