第四話
それから三日間、アリアはほとんど眠らなかった。
――だが、それは、エリーゼの蛮行への対処のためだけではない。
あの日、御前会議の直前にマリエルから言われた夜の作業音――とは言っても深夜というわけではない。そもそも管制室には防音の魔道具が設置されているので、外に音が漏れるとしても、せいぜい扉の前が関の山だ——の原因は、アリアが魔石の変わりの装置を開発していたのだ。
アリアが魔導結晶と名付けたそれは、魔石より遥かに魔力効率がよく、制御核に使えば自動的に魔力の均一化を行なってくれるという物だった。
ヴェロニカから魔導結界の制御について学んでいる時から、アリアはこの非効率的な仕組みに、いつかは限界がくるであろうと考えていた。
だから、空いた時間を使って、魔導結晶による新しい制御装置を、裏で構築していたのだった。
それが、ようやく完成の目処がたった時に、エリーゼが王宮へとやってきてしまった。ルーシェル侯爵の暗躍によって、水を差されることを恐れたアリアはオズワルドに相談して、この計画を一旦凍結したのだ。
本来なら、もう少し時間をかけて完成させるつもりだったが、こうなってしまえば、もはや一刻の猶予もなかった。
「……前倒しになりましたね」
独り言を呟いてたアリアは、作業机の上に完成間近の魔導結晶を取り出して、作業を開始した。
翌日の夕方、管制室に珍しく訪問者が訪れた。
――ノックの音が、いつもと違う。
この部屋を訪れる者は少なく、だいたいはその音で誰が来たのかわかるアリアだったが、今回はその誰とも違った。耳慣れないリズムだが、どこか心地よい、不思議な感じだった。
「どうぞ」
「……失礼するよ」
入ってきたのは、第二王子——フェリクス・フォン・アルセニアだった。
第一王子イライアスの弟で歳は一つ下の十九歳。王宮の中では、とにかく目立ちたがる兄の陰に隠れてで存在感が薄い。アリアとはほとんど話したことがないはずの彼が、何故ここにとアリアは疑問に思う。それに――
「第二王子殿下、確か帝国に留学に出ていたのではありませんでしたか?」
「そうだね。でも、昨日父上から連絡を受けて、転移石を使って戻ってきたんだよ」
「そうだったのですか…」
転移石とは、王宮の転移室にどこからでも戻ってこれるという魔道具なのだが、それ一つで半年分の予算が飛ぶくらいとても高価なものだ。
つまり、それだけオズワルド陛下が、今回の事態を重く見ている証拠だった。
「結界の件ですか」
「そうです。そのために私は帝国で学んできたのですから……」
フェリクスは、イライアスに変わって王位を狙うつもりは無かったので、下手に派閥ができて担ぎ上げられる前に、帝国へ留学に出ていたのだ。
そして、イライアスが正式に王位を継いだら戻って来て、兄を支えるつもりでいたのである。
だが、そんな兄は、"聖女"という偽りの光にすっかりやられてしまったようで、本当に大切なものを見失ってしまったようだ。
アリアはフェリクスの言葉を聞いて、すぐに魔導結晶の設計図を作業机に広げた。自分の理論が、技術が、大陸一と言われる帝国の技術に、どれだけ通用するのか内心不安に思いながら。
「これを見て、殿下はどう思われますか?」
「そうだね。魔力の供給回路の構築と、その増幅の効率化。ほとんど帝国の理論に近いから、とてもわかりやすいよ。逆に制御陣本体はセルヴィアス公爵令嬢に任せたほうが早そうだ」
「わかりました。それと私のことは名前で呼んでいただいて構いません」
「なら私も名前で構わないよ」
「かしこまりました。フェリクス殿下」
「わかった。アリア、さっそく作業にかかるかい?」
「ええ」
フェリクスのまっすぐな言葉、そしてまっすぐな視線に、アリアは心の中が何故かざわついたような気がした。
だが、すぐに時間がないことへの焦りからなのだろうと思い直し、設計図を見ながら必要な素材を取り出していく。
それをフェリクスはまるでずっと一緒に作業していたのように、仕分けをしていった。
「では私は制御陣本体の改良に取り掛かります。何か不明な点があれば、構いませんので聞いてください」
「わかったよ。だが貴女の設計図は、とても美しいから大丈夫だと思う」
アリアの胸に一緒、何かが刺さった――
――それに気づかないふりをしながら、二人はお互いの作業に没頭したのであった。
そうして、三日後の夕方。
「行きます」
フェリクスから受け取った魔導結晶を、エリーゼが核を抜き取ったままの結界制御陣の中心に埋めた。
フェリクスの提案により、楕円形の蒼い結晶には、うっすらと魔導回路が焼き付けられていて、その不規則な紋様がまた美しい。
ぶん、と低い音がして、制御陣の魔石が次々と淡い光が灯っていく。それはやがて八十八すべての魔石に広がっていった。
「…成功です」
「さすがだね、アリア」
「いえ、フェリクス殿下こそ」
すべての魔石に明かりが灯り、その輝きが同じくらいになった時、制御陣がカッと強い光を放った。それはまるで、夜明けを告げる朝日のように、アリアには感じられたのだ。
「魔導結界の再起動を確認しました」
「お疲れ様、アリア」
そんなアリアを労うフェリクスの声は、朝の青空のように澄んでいた。
---
その頃、聖女のいる部屋では。
「……なんで、あいつは謝りにこないの!?」
エリーゼは、部屋にあった花瓶を壁に向かって投げつけると、マリエルはヒッと悲鳴を飲み込んだ。
結界を壊せばアリアが飛んでくると思っていた。イライアス殿下も、エリーゼの主張を認めてくれて、結界をやむを得ず"一時的に止める"ことに同意してくれた。
だからこそ、マリエルがアリアの元にいけば、すぐにアリアは困り果てて謝りにくるはずだったのだ。
だが、マリエルがアリアから言われたのは「下がっていい」という強がりだけだったという。
三日経っても、アリアからの使いも何も無い。
アリアの居る部屋からは、作業音だけ聞こえてくるが、他には何も情報は入ってこなかった。
"核"が無ければ、魔導結界は消えてしまう。あのアリアがそれを許すはずがないと、イライアスも言っていた。
だから、すぐにアリアは謝ってくるだろうと思っていたのだが、あれ以来イライアスと会うことすらできていないかった。
再度、マリエルがアリアの元を訪れようとすると、扉前には近衛騎士が立っていたので、何もできずに戻ってきたという報告を聞いてから、エリーゼは少し——ほんの少しだけ、嫌な予感がした。
「……大丈夫よ。だってイライアス様がそう言ったんだもの」
そう口にすることで、エリーゼは自分を落ち着かせようとした。
この国の王太子である第一王子イライアス。彼は必ずアリアを断罪してくれる。自分の味方だから。自分が泣けば、いつだって助けてくれたから。
だから大丈夫。
そう——そのはずだったのだ。




