(6-5)
◇
レイナは都心にある外資系ホテル一階のラウンジで待っていた。
翠はスマホを突き出した。
「時間がないんで、前置きは抜きで、この写真を見てくれますか?」
見せられた瞬間、レイナが鼻で笑う。
「何これ、どうしたの?」
「須垣陸っていう株式配信者から送られてきたんです」
「ああ、この前のパーティーで私も会った人ね」
「レイナさんは蒼也さんとつきあっていたことがあるんですか?」
問い詰める翠にレイナは唇をゆがめながら肩をすくめた。
「この写真で疑ってるのね。残念ながらノーね」
唇をとがらせ翠が黙り込むと、レイナは写真を拡大させた。
「この写真の私たちを見てよ。服装はどう?」
「二人ともコートを着てますね」
「こんな真夏に?」
あっ!
「私、春にも日本に来てたのよ。ボスのオコンネルが日本の桜を見たいからって。ほら、私たちの後ろに写ってるこの白髪のおじいさん。兆の資産を持つ投資会社を率いる世界的有名人だから、おそらく、経済誌の記者とかが張り込みしてたんじゃないかしらね。だって、彼の一言で株価が動くんだもの。この時も、日本の商社株を買い集めたってニュースになってたんだから」
そして、笑みを浮かべながら付け加えた。
「兆って、ドルよ」
思わずしゃっくりが出てしまう。
「じゃあ、須垣さんが知り合いの記者から手に入れた無関係の場面ってことですか」
「雨が降ってたのは、銀座でお寿司食べた時かな。蒼也はジェントルマンだから、傘を差してくれたのよ。この後、このタクシーにオコンネルさんが乗って、ここのホテルに帰ってきたってわけね。私もいつもここに泊まってるの。グローバルエリート会員だから、自動的にアップグレードしてもらえるからね。蒼也はいつもの運転手さんの車で自宅に帰ったと思うけど」
それなら、運転手さんの勤務記録に残っているはずだ。
そこまで裏付けをとらなくても、写真の真相はこれで間違いないのだろう。
翠はホテルカードのメッセージも表示して見せた。
その途端、レイナは手をたたいて笑い出したが、周囲の注目を集めてしまい、自分の口に人差し指を立ててウィンクした。
「これは無理よ」
「どうしてですか?」
「だって私、日本語書けないもん」
――え?
「私って、アメリカ生まれだけど、両親が日本人だから家では日本語でしゃべってたのね。だから、会話は全然問題ないの。だけど、漢字の練習なんて、あんなメンドクサイのやったことないから、ひらがなを書くのもやっとかな。しゃべれるけど、読み書きは全然別の能力よ」
そういえば、大学にいた帰国子女の子も、漢字の知識は小学生レベルで、実習のレポートとか書くのに困ってたっけ。
「それに、この筆記体もありえない。私こんなの書けないわよ。いちおう読めるけどね」
「え、そうなんですか」
「今時こんな古くさいの誰も使わないじゃない。日本でも全員が筆で文字を書いてるわけじゃないでしょ。アメリカじゃあ、学校でも使わないもん。紙に文字書かないから」
それに、とレイナは写真の署名を拡大した。
「あなたは日本人だから多分気づいてないと思うんだけど、そもそも、私は《Leina》。RじゃなくてLなの」
「え、そうなんですか」
両方発音されても、全然違いが分からない。
「ということはつまり、私と蒼也の関係を知っていて、だけどそれほど詳しくない立場の人間、スガキって男が偽造して全部仕組んだことでしょ」
「でたらめなんですね」
「おそらく、あらゆる手段であなたたち夫婦を揺さぶって利益をむさぼろうとしたんでしょ」
「でも、よかった」と、風船の空気が抜けるように安堵のため息が漏れる。「私、小さい頃に蒼也さんと初めて会って手を引かれたときに、『この人だ』って分かったんです。なんか理由とかそういうのは分からないんだけど、絶対にこの人だっていう確信はあったんです。なのに、疑っちゃったのがなんか悔しくて。信じたかったのに。自信をなくしちゃって……」
「えっと、そういうの、日本語では『のろけ』って言うんだっけ?」と、レイナが話に割って入る。「大丈夫、心配いらないわよ。あいつ、他の女の子なんて、《へのへのもへじ》にしか見えてないんだから」
「へのへの……?」
「ああ、ごめんね」と、ウィンクしながら両手を合わせる。「私、親との会話で日本語覚えたでしょ。だからボキャブラリーが昭和なのよ」
張り詰めた緊張の糸が切れて翠の目から涙がこぼれ落ちた。
「ねえ、ミドリ」と、レイナが抱き寄せる。「私、あなたが好きよ。とてもピュアでかわいいもの。こんな素敵なミドリを泣かせる最低野郎にはオシオキしなくちゃね」
「蒼也さんは悪くないです」
「違うわよ」と、レイナが額をくっつける。「スガキ!」
ああ、そっち……ですよね。
「まあ、不安にさせたことは蒼也にも反省させないとね」と、腕を伸ばして翠を見つめる。「冗談はおいといて、で、どうするの? 反撃するの?」
「はい」と、翠はしっかりとうなずいた。「私、許しませんから」
「なら、徹底的にやるわよ。いい作戦があるの」
レイナが悪い笑顔を浮かべながら立ち上がる。
翠も涙をぬぐって拳を握りしめた。
――蒼也さん。
ちょっと内緒で冒険してきますね。




