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ベンチャーCEOの想い溢れる初恋婚 溺れるほどの一途なキスを君に  作者: 犬上義彦


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(1-2)


   ◇


 小学校に上がったばかりの頃だった。


 休日の昼間に都会のホテルで開かれた大人ばかりのパーティーに連れてこられていた私は、食べたことのない豪華な料理や甘い匂いのするケーキに目を奪われて、気づいたら迷子になっていた。


「君は一人なの?」


 声をかけてくれたのは男の子だった。


 まわりの大人たちに比べたらもちろんそれほどでもなかったんだろうけど、相手も子どもとはいえ低学年の私に比べればかなり背が高いような気がした。


 ――中学生くらいのお兄さんかな。


 と、その時の私は思ったんだけど、後から三つしか違わないと知ってびっくりしたのよね。


 ただ、格好がやっぱり小学生だなって思ったのも覚えている。


 だって、半ズボンにサスペンダー、それにすらりと細い足に白いハイソックスだったんだもん。


 なんだか外国の少年合唱団の人みたいでしょ。


 実際、しゃべっているのは日本語だったけど、髪の毛の先がふんわりとカールして色は明るめで、瞳も茶色にちょっと緑が混じった不思議な色だったから、本当に外国から来た人なのかと思ったのよね。


「親と来たんだろ。お母さんと一緒?」


「ううん。お父さん」


 母は膵臓というところが急に悪くなって、私が三歳の時に亡くなっていた。


 父は大学で教える先生で、こういった大人の集まりに出席しなくてはならないときは、以前から何度も私を連れてきていたのだ。


 もちろん、私はお仕事には何の興味もなかったけど、おいしいものを食べておとなしく椅子に座っていれば良かったし、変わったおじさんがいるなとか、すごいドレス着たお姉さんがいるなとか、いろんな人を眺めているのも嫌じゃなかったのね。


 それに、いい子にしていたら、帰りに本屋さんに寄って好きな本をなんでも買ってもらえたし(お父さんは、自分が読みたい本を私よりたくさん買っていたけど)。


 だから、その日も、迷子になったからといってそんなに不安ではなかったし、いつもどおり壁際にある椅子に座っておとなしく待っていれば、父の方から探しに来てくれるだろうと思っていたってわけ。


 なのに、その男の子は私のことを心配したのか、親切にも手を引いて、大人の人に教えに行ってくれたのだ。


 連れていってくれたのは、大勢の人に囲まれていそがしそうなおじいさんのところだった。


 だけど、その男の子は私の手を引いたまま遠慮なく輪の中へ入っていった。


「幸之助おじいさま、ちょっとよろしいでしょうか」


「ん、蒼也か。どうした?」


「この子が迷子になったそうで、連れてきました」


「おう、そうか、そうか。それは良いことをしたな」と、そのおじいさんは男の子の頭を撫でながら、よっこらしょと膝を曲げて私の目をじっとのぞきこんできた。


「お嬢ちゃん。お名前は?」


「咲山翠です」


 思い返してみれば、その時の私は学芸会で発表する幼稚園児みたいに、両手をぴったり体にくっつけて気をつけの姿勢で「さーきーやーまーみーどーりーでっす」と言ったんだと思う。


「むほほ、これは元気のいいお嬢さんだな。もしかして、咲山先生の娘さんかな」


 ――あれ、おじいさん、うちのお父さんのこと、知ってるの?


 男の子が横からおじいさんに言ってくれた。


「父親がこの会場にいるようなので探してあげたいのですが」


「うむ。それは良いことじゃが、心配はいらんようだぞ」


 よっこいせと膝に手を当てながら立ち上がったおじいさんが、私の両肩に優しく手を置いて、くるりと回す。


 真っ正面には、慌てた表情で駆けてくる私の父がいた。


「これはどうも、すみません。ちょっとあいさつをしていた隙に迷子にしてしまったようで」


「やはり咲山先生のお嬢さんでしたか。元気のいい娘さんですな」


「おかげで、会場の向こうから聞こえましたよ。いやあ、お恥ずかしい」


 ――もう、何よ、私のせいにして。


 大人の人と話してて私のことなんか忘れちゃったお父さんがいけないんでしょ。


 よほど私が口をとがらせていたんだろう。


 男の子が私を見て微笑んでいた。


「墨を吐いてるタコみたいだよ」


「あ、タコって言った」


 ぷんすかとそっぽを向いた私を見ておじいさんが御機嫌に笑う。


「二人とも仲がいいな」


 ――良くないもん!


「大人ばかりで楽しくないだろうから、子ども同士、別の部屋でゆっくりご飯とおやつでも食べているといい」


 おじいさんはそう言うと、近くにいた係の人を呼んだ。


 恐縮しながら父は頭を下げていた。


「うちの都合で勝手に連れて来たのに、そんなことをしていただいては申し訳ありません」


「なあに、遠慮はいりませんて。今日は先生のためのパーティーですからな」


 そして、男の子の肩をがっちりとつかんで言った。


「なあ、蒼也。翠さんの相手をしてやってくれるな」


「はい、わかりました」と、男の子はハキハキと答えた。


「じゃあ、頼んだぞ」


 私たちは係の人に誘導されて、静かなお部屋に案内された。


 そこは壁一面が大きな窓になっていて、ソファセットが置かれた応接間のような所だった。


 窓からは青空の下に広がる緑豊かな庭園が眺められる。


 それを見た時、大人ばかりの閉めきられた空間から抜け出せてホッとしたのを覚えている。


 テーブルにお子様ランチみたいな食事が二人分並べられた。


「さあ、食べよう」


 並んで座った蒼也くんにうながされて私は手を合わせた。


「いただきます」


「どうぞ召し上がれ」


 いざ食べ始めてみると、ワンプレートのお子様ランチかと思った食事は、パーティー会場にあった大人向けのものをそれっぽく盛りつけたもので、ハンバーグの代わりにローストビーフ、ケチャップライスの代わりがトマト風味のチーズリゾットだった。


 それでも一口ゼリーとナポリタンが添えられていて、リゾットの小山にはなんかおしゃれなマークのついた旗が立っていたから、立派なお子様ランチだ。


「翠ちゃん」


 へ?


 急に名前を呼ばれて顔を向けたら、隣に座っていた蒼也くんがペーパーナプキンを持っていた。


「ケチャップついてる」と、ほっぺをそっと拭ってくれた。


 ナポリタンのケチャップだ。


 私は今でもスパゲティの食べ方が下手だ。


 幼稚園教諭をやっているけど、生徒から『センセー、ケチャップついてるぅ。スパゲッティ食べたでしょー』と名探偵みたいに指をさされてしまう。


 その時も私と同じ小学生なのに、器用に食べる彼はとても大人っぽく見えた。


「ツルツルって勢いよく吸い込むとタコの足みたいにスパゲッティが暴れちゃうよ」


「えー、できないよぉ」


 そう言って口をとがらせる私に微笑みながら、蒼也くんが思いがけないことをつぶやいた。


「でも、タコさんみたいな顔、かわいいよ」


 今だったらさすがにからかわれているって分かるけど、あの頃は私も純真で、『かわいいよ』のところしか頭になくて(都合良すぎ)、そんなふうに言われたことがなかったから、物語に出てくる王子様の告白みたいに思えて、なんか急にドキドキしちゃったのよね。


「どうかした?」


 顔をのぞき込まれると、頭の中がぐるぐるしてますますなんて言ったらいいか分からなくなっちゃった。


「えっと……」


「僕は蒼也だよ」


「トム・ソーヤ?」


 アハハと屈託のない笑顔が返ってくる。


「それ、冒険する男の子だっけ。僕は御更木蒼也だよ」


「ミサラギ?」


「うん」


 小さかった私は、それが戦前から続くミサラギグループのことだとは知らなくて、ちょっと言いにくい名前だなとしか思わなくて、頭の中で何度もミサラギミサラギと呪文みたいに唱えていた。


 デザートのゼリーまで食べ終えてすることがなくなってしまったけど、パーティーはまだまだ終わりそうになかった。


 蒼也くんはいろんな話をしてくれた。


 私立の小学校に通っていること、仲のいいお友達のこと、さっきのおじいさんが厳しい人だけど、大好きだってこと。


 半ズボンにサスペンダーは私立小学校の制服だったのだ。


 お話を聞いているのは楽しかったけど、緊張しちゃって私の方からはあまり話せなかった。


「退屈?」


 私はぶるんぶるんと首を振った。


「大人の人はお仕事で大変だよね。知らない人と挨拶しなくちゃならないし」


 父も、大学で研究しているのは楽しいみたいだけど、パーティーはあまり気が進まないと同じことを言っていた。


「君のお父さんは立派な研究をしている偉い先生なんだってよ。今日はすごい賞を取ったお祝いのパーティーなんだってさ」


「ふうん、そうなの?」


 そう言われても、私には分からなかった。


 だって小学生の私にはお仕事のことは難しかったし、うちではただの優しいお父さんだから。


「お仕事は仕方ないもん」と、私は思ったことをそのままつぶやいた。


「そうだよね。だから、僕が代わりに遊んであげるから」


 蒼也くんは私の手を取って立ち上がると、正面の窓に歩み寄った。


「ここの庭に滝があるんだよ」


「滝って、川から水が落ちてるの?」


「そうだよ」


「えー、ホントに?」と、私はちょっと疑っていた。


 だって、ビルの間にちょこんと東京タワーだって見える都会のど真ん中だったんだもん。


「じゃあ、見に行ってみようよ」


「でも、勝手に出たら怒られちゃうよ」


「大丈夫だよ。僕が話をしておくから」


 半ズボンにサスペンダーの彼は堂々と係の人を呼んで、庭に散歩に行くと断っておいてくれた。


「行ってらっしゃいませ」と、係の人に送り出されて、私たちは大きな池のある日本庭園に遊びに行った。


 南向きで日当たりのいい庭は木々がみなきれいに刈り込まれて、丁寧にならされた砂やごつごつとした岩の配置が見事で、子ども心にも日本情緒が伝わってくる名園だった。


 私たちの足音を聞きつけたのか、通路脇の池で泳いでいた鮮やかな鯉が寄ってくる。


「これをあげるといいよ」


 半ズボンのポケットから蒼也くんが取り出したのは、ペーパーナプキンにくるまれたパンの切れ端だった。


 パーティー会場からこっそり持ち出してきていたらしい。


 小さくちぎって放ると、大きな口を開けた鯉が太い体をくねらせながらバチャバチャと水面を叩いてぶつかり合う。


 あまりの勢いに怖くなって私は思わず飛び退いた。


「大丈夫だよ」と、蒼也くんが背中を支えてくれる。「ちゃんと僕がついてるから」


「う、うん」


 私はなるべく遠くの方に残りのパンを投げた。


 鯉がすいすいと向きを変えて群がっていく。


 よっぽどおびえた表情をしていたのか、蒼也くんが私の肩に手を置いてささやいた。


「びっくりしちゃったね。次は滝を見に行こうよ」


 うなずくのが精一杯だったけど、安心させようとしてくれるその優しさがうれしかった。


「こっちだよ」


 私の手をギュッと握ると、龍のようにうねる松の木をくぐり、ポンポンみたいなツツジの植え込みの間をすり抜けて蒼也くんはどんどん奥へと進んでいく。


 トム・ソーヤの冒険みたいだなって思いながら私はついていった。


「ほら、水の音がするでしょ」


 言われて耳を澄ますと確かにドドドと力強い音が聞こえてきた。


 石畳の階段をスキップしながら上がっていくと、木立の奥に岩の壁が現れた。


 家の屋根を見上げるくらいの高さがある崖の端から端まで押し出されるように水があふれ出している。


 都会の真ん中で滝というと細く水が落ちてくる程度なのかなと思っていた私は、息をのむような水量と話し声が聞こえなくなるほどの音の迫力に圧倒されて、しばらくポカンと口を開けて立ちすくんでいた。


「どう、すごいだろ」と、私に顔を寄せて蒼也くんが声を張り上げた。


 私も背伸びをして耳に向かって叫んだ。


「うん、ホントだったね」


「だろ」と、蒼也くんはうれしそうだ。


 流れ落ちた水は一つにまとまり、かなりの勢いで木々の間を縫うように池に向かって下っていく。


「この先にね、洞窟があるんだよ」


「わあ、見たい」


 私はもう疑ったりしていなかった。


 実際、いったん石段を降りて葉の茂った木々に覆われた緩い坂を登っていくと、地面に溝が掘られたようなところがあって、その奥が洞窟になっていた。


 子どもでも狭そうだし、木陰で暗くて中はよく見えなかった。


 後から知ったけど、どうやらそれは戦争中の防空壕だったらしい。


 蒼也くんがしゃがんで奥の方を指さす。


「ほら、柵で塞がってるから、中には入れないんだよ」


「ふうん、そうなんだ」と、私もスカートをおさえながらしゃがんだ。


 たとえ入れると言われても暗くて怖そうだったから、正直ホッとしていた。


「やっぱり怖い?」と、蒼也くんが私の顔をのぞき込んでいる。


「だって、お昼なのに暗いんだもん」と、あのときの私はまた口をとがらせていたと思う。


「おじいさまにはね、あんまりここには来てはいけないって言われてるんだ」


「危ないから?」


「幽霊が出るんだって」


「ひゃっ」


 幽霊という言葉に、思わず私は尻餅をついてしまった。


「大丈夫?」


 蒼也くんはすぐに起こしてくれたけど、チクチクする松の枯れ葉なんかでスカートが汚れてしまった。


「おどかしちゃってごめんね」


「ううん、大丈夫」と、私は大げさにお尻を叩いて汚れを落とした。「だけど、幽霊出ないよね」


「昼間だから大丈夫じゃないかな」


 それから私たちは古いお堂や何が書いてあるのか分からない石碑なんかをたどりながら、池のまわりをぐるりと一周して帰ってきた。


 パーティー会場脇の控え室に戻るときに、蒼也くんが大きな白い扉の前で私を手招きした。


「ここ、なんだか分かる?」


「ひみつきち?」


「ちがうよ」と、クスクス笑いながら蒼也くんが扉を開けて中に入れてくれた。


 そこはステンドグラスで飾られたチャペルだった。


「きょーかい?」


「うん、ここで結婚式をするんだって」


 お姫様に憧れる年頃だった私は、色とりどりの光が散りばめられた白い壁に圧倒されて、ぽうっと浮かんでいるような気分で中を見上げていた。


「いろんなところを見て、おもしろかったね」


「うん」


「やっぱりここは僕たちの秘密基地ってことにしよう」


 大人たちの知らない秘密を共有し合った私たちはすっかり仲良くなっていた。


「おーい、蒼也、そこにいたか」


 ちょうどパーティー会場から出てきたおじいさんがチャペルの扉を閉めた私たちを呼んでいた。


 その隣でうちのお父さんも手招きしていた。


 駆け寄って父に抱きつくと、「退屈だったか?」と、頭を撫でてくれた。


「ううん。すっごく楽しかった」


「それは良かったな。じゃあ、帰ろうか」


「やだ。もっとここで蒼也くんと遊びたい」と、私はだだをこねた。


 おじいさんの横で蒼也くんが申し訳なさそうに手を揉み合わせていた。


「ごめんね、翠ちゃん。また今度だね」


「いつなの? ねえ、いつ?」


 蒼也くんを困らせる私を見ておじいさんが笑い出す。


「じゃあ、うちに来なさい」


「わあ、やったあ!」


 と、その時の私は大喜びだった。


 単純に、蒼也くんともっと遊べると思ったからだ。


 なのに、おじいさんが言ってるのは違う意味だったらしい。


「蒼也のお嫁さんとしてな。ここで式を挙げるといい」


 後で知ったんだけど、その会場のホテルはミサラギグループが経営してて、その当時はおじいさまの幸之助さんが社長だったのね。


 だから、知らなかったとはいえ、私の方から許嫁に立候補しちゃったことになっちゃったのよ。


 お子様ランチに立ってたおしゃれな旗はミサラギホテルのシンボルマークだったと後で知ったんだけど、あーあ、もう、振り返るだけでも恥ずかしい記憶なのに、日常のいろいろな場面であのマークを見るたびに思い出しちゃうのよね。


 フタして埋めておきたい私の黒歴史。


 だけど、ずっと大事にしてきた蒼也さんとの思い出。


 どうせ、向こうは覚えてなんかいないんだろうし。


 許嫁なんて名ばかりだとずっと思って生きてきた。


 私の方は……忘れたわけじゃないんだけどね。



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