第5章 偽装の仮面を脱ぎ捨てて(5-1)
蒼也はミサラギメディカルのCEOだが、自宅でのリモート執務が可能なことから、出社するのは週の半分程度だった。
ただ、今日はお盆休み明けということもあって決裁事項を片づける必要があり、翠を仕事に送り出した後、蒼也はベイサイドを見下ろす高層ビルのオフィスに来ていた。
インドから来日した研究者との面談が終わって、迷路のような首都高速を流れていく車の列を眺めていると、悠輝からビデオ通話の着信があった。
「休憩中みたいでちょうど良かったよ」と、悠輝が指をさしながら笑いかける。「その様子だと、翠ちゃんともうまくいったみたいだね」
「ああ、まあな」
「頑張ったじゃん」
「とりあえず、礼を言っておくよ」
「素直な蒼ちゃんなんて、珍しいね」
「おまえのアドバイスのおかげだからな。持つべきものは友だ」
「なんか、むずかゆいよ。どうしたの、変だよ」
皮肉のつもりが通じなかったらしく、蒼也があくびを噛み殺している。
「ん、まあ、寝不足なもんでな」
悠輝は顔の前で羽虫を払いのけるように手を振った。
「生々しいからやめてよ。ホント、蒼也って天然だよね。そんなに激しかったの?」
「ん?」と、蒼也が首をかしげる。「いびきはかいてなかったぞ」
顔に疑問符を浮かべている悠輝に向かって蒼也は話を続けた。
「寝付きは良かったんだが、下手に触って起こしたら悪いから、寝返り打つのも気をつかうだろ。夜中に何度も位置を変えたりしててさ。幸いベッドは広いから窮屈ってことはなかったけどな」
「何言ってんの?」と、悠輝が眉間にしわを寄せる。「ちょっと待ってよ。触らないってどういうこと?」
「熟睡してるのに邪魔されたら誰だって機嫌悪くなるだろ。翠も今日から出勤なんだしさ」
「ねえ、蒼也」と、画面の向こうの悠輝が真顔で首を突き出してくる。「僕が言ってるのは、ほら、男女のさ、夫婦のアレの話だよ」
「アレって何だ?」
「おいおい、言わせないでよ。聞いた僕も悪いけどさ、聞かざるを得ないようにしたのは蒼ちゃんだよ。で、そっちはうまくいったの?」
「悪いが俺は忙しいんだ。連休明けでこの後もアポが分刻みでつながってる。ほのめかしとか、はぐらかしだったら、切るぞ」
画面の向こうで悠輝が口に手を当ててささやく。
「夫婦の愛の営みだよ」
「まあ、そりゃあ、おまえのアドバイス通り、ちゃんと抱きしめて、伝わる相手の感情に配慮してだな……」
「ああ、もう、そういう手前のことじゃなくて、子どもを作る行為のことだよ」
「ああ、なんだ、セッ……」
「言うな!」と、悠輝が画面に向かって手を突き出し顔が隠れる。「ズバリそれだけどさ。で、どうだったの?」
「断られたよ」
「え、ちょ、ど、どういうこと?」
「毎月の女性特有の事情があるだろ」
「ああ、生理だったの」
「ぼかした意味がないだろ」
「なんでそっちはぼかすんだよ。いきなりレスかと思っちゃったよ」と、悠輝が笑う。「だけど蒼也もついてないね。運命がねじれちゃってるんじゃないの?」
「翠の準備ができるまで待てばいいだろ。べつに無理強いすることじゃない。それこそ、いつも一緒にいるんだからな」
「いや、まあ、そうだけど、蒼ちゃんの気持ちだって、さらけ出したっていいんじゃないの。本当の夫婦なんだったらさ」
蒼也が時計に目をやる。
「悪いが時間だ。またこちらからかけ直すよ」
「あとちょっとだけ。肝心の用件を言ってなかった」
「早く言え」
「今度の日曜日にさ、SNS界隈のリアルイベントがあるんだよ。翠ちゃんと二人で来てくれないかな」
「俺もか?」
「そりゃ、夫婦だもん」と、苦笑しながら悠輝が鼻の頭をかく。「MV再生数世界一を記録した歌手のマキミヤとか、イリュージョニストのTAKAも来るからさ」
「知らない連中だな」
「蒼也は興味ないかも知れないけど、翠ちゃんは知ってるんじゃない?」
「分かった。じゃあ、直接翠に連絡してみてくれよ。翠が行くなら、俺も行くよ」
「オッケー。じゃ、また」
通話を終えると、ドアがノックされ秘書が入ってきた。
「MRジャーナルの取材ですが、機材の準備ができたそうです」
「了解。今行く」
蒼也はドア横に設置された鏡の前でネクタイの結び目を直すと、口角を上げて応接室に向かった。




