(5-2)
◇
パーティー当日、翠はモーヴの花柄レースをあしらったショート丈ボレロとキャミソールワンピースを着て蒼也と二人で会場に入った。
最上階のラウンジを借り切った会場は、そそり立つ高層ビル群の明かりが散らばる夜景に囲まれ、宇宙空間に浮かんでいるような錯覚にとらわれる。
二人を見つけて悠輝が手を振っている。
「やあ、来てくれてありがとう。なにしろさ、創薬ベンチャーのCEOを友人だって紹介できれば箔がつくからね」
「おまえの都合で俺を利用したのかよ」
蒼也の抗議を受け流しながら悠輝が翠に顔を向けた。
「素敵なドレスだね。清楚な雰囲気がすごく似合うよ」
「蒼也さんに選んでもらったんですよ」
「へえ、そうなの、蒼ちゃんにしてはいいチョイスだね」
「翠なら、何を着ても似合うだろ」と、蒼也が口を挟む。
「はいはい、ごちそうさま」
おどける悠輝のおかげで翠も笑顔を浮かべていられるが、実際のところはミサラギホテルのブティックでお勧めされるままに試着して決めただけだ。
どう見ても、衣装に負けている。
七五三でかしこまって写真に収まる子どもと変わらない。
さらに本心を言えば、翠はパーティーそのものに乗り気ではなかった。
幼い頃に父に連れてこられたパーティーで、壁際に座って終わるのを待っていたあの退屈な時間をどうしても思い出してしまう。
あの時も大人からは場違いな子どもだと迷惑がられていたんだろう。
それがきっかけで蒼也と出会ったわけだが、決してパーティーそのものを楽しんだことはなく、ああいう場所に自分の居場所はなかったのだ。
『翠ちゃんがOKなら、蒼也も来るっていうからさ。頼むよ』
悠輝にそんな言い方をされて断れなかったことを、会場に到着してもなお後悔していた。
照明を抑えた会場には、協賛企業のロゴを立体化した派手な色のオブジェがあちこちに置かれ、映えを狙う配信者たちが写真を撮り合っている。
「わあ、悠輝さん! 写真いいですか?」
フォロワー百万人超えの配信者だけあって、悠輝の周囲には早速人の輪が何重にもできる。
「ふだん、あんまり意識しないですけど、悠輝さんって有名人なんですよね」
「そうなんだろうな」
蒼也は興味なさそうに会場を見回している。
旅行系やグルメ系など、翠も見たことがある配信者もいるが、ゲームキャラクターTシャツのグループや、コスプレの人々のことはよく分からない。
「パーティーって、どう振る舞えばいいのか分かりませんね」
「べつに無理に話をしなくていい」
――え?
「好きな料理でも食べていればいいさ」
なんでそんな突き放すような言い方するの?
「どうした?」
蒼也にのぞき込まれて翠は顔を背けた。
「なんでもありません」
と、そこへ細身の男が近づいてきた。
スーツ姿だがネクタイはしていない。
「失礼ですが、ミサラギメディカルの方ですか」
「はい、御更木蒼也です」
「ああ、やっぱり」と、手を差し出す。「初めまして。株式投資を配信している須垣陸と申します。ビジネス雑誌の配信記事を拝見していたもので」
「それはどうも」
握手を交わして二人が話を始めると、配信仲間らしい人たちが集まってきて翠はいつのまにか一人だけ弾き出されていた。
――やっぱり、私の居場所なんてないじゃない。
しかたなくビュッフェコーナーに行ってみたものの、豪華な料理を前にしても食欲がわかない。
「はあい、翠ちゃん」と、背後から悠輝が首を突き出してきた。「何か食べてる?」
「いえ、まだ」
「どうしたの。元気ないね」
敏感に人の感情を読み取る悠輝と比べてしまうと、よけいに蒼也の態度が素っ気なく思えてしまう。
不満をこらえきれず正直に話すと、悠輝が口を押さえて笑い出す。
「悠輝さんまで、何がおかしいんですか」
「ごめんごめん。でもさ、それって……」と、悠輝が手で口を隠しながら耳打ちする。「翠ちゃんに他の男が話しかけないか警戒しているんだよ」
「はあ?」
「翠ちゃんがかわいいからさ、独り占めしておきたいのさ」
「だったら、こんなパーティーに連れて来なければいいじゃないですか」
「いやまあ、今日は僕が誘ったわけだからさ」
それにしたって……。
通訳が必要な夫婦なんておかしいよね。
夫婦になってからの方が、かえってぎこちなくなっちゃった気がする。
出会ったときのあの優しい蒼也はどこへ行ってしまったのだろうか。
と、ため息をついた時だった。
カツカツと靴音を鳴らしながら大柄な女性が近づいてきた。
「ハーイ、悠輝よね」
「あっ」と、声をかけられた悠輝が絶句している。
「なによ、グリズリーに出くわしたみたいな顔して」
両手をあげて襲いかかるような仕草でおどける女性の顔は日本人だが、どうもアクセントが英語っぽい。
「だって、まさか、こんなところで会うとは思わなかったからさ」
「おととい日本に来たばかりなのよ。ボスのアテンドでね」
二人のやりとりを眺めていた翠に悠輝が紹介してくれる。
「こちらはね、落窪レイナさん。蒼也がアメリカに留学してたときの同期なんだ。僕もあの時短期留学してただろ。それで世話になってね」
「ハァイ、レイナです」と、いきなり翠の手をつかむ。「で、あなたが蒼也のワイフ?」
――え?
「あ、はい、ご存じでしたか?」
「うん、だって、しょっちゅうメールのやりとりしてるから」
「そうだったんですか」
そんな話は聞いたことがなかった翠は戸惑いを隠せなかった。
「会いたかったのよ」と、レイナはつかんだ手を引いて翠の肩を抱く。「なんと言っても、あの蒼也のワイフだもんね」
悠輝がまた声をかけてきた配信者たちの相手をし始めたので、レイナが適当に料理を見繕いながら翠を窓際に招き寄せた。
「私ね、アメリカ生まれのアメリカ育ちで、肉とアイスクリームでできてる大女だけど、両親は日本人なのよ」
曖昧に笑みを浮かべる翠にレイナがまくしたてる。
「うふふ、日本語なのに、やっぱり話し方はアメリカ人でしょ。日本的な気づかいとか苦手でごめんなさいね」
フルーツの盛り合わせにフォークを刺して次々に口へ運びながらレイナは窓に顔を近づける。
「ゴージャスな夜景よね。アメリカのクリスマスパーティーで蒼也と二人で見た花火を思い出すわね」
「えっ」
思わず声が出てしまう。
「ああ、変な意味じゃないのよ」と、フォークに差したメロンを振る。「ただの過去の事実ね。彼とはビジネスのパートナーで、戦友なのよ」
メロンを口に押し込み、レイナはウィンクをしてみせた。
「MBAって、毎週五百ページ近くの資料を読んでレポートを提出しなくちゃならないのよ。もちろん英語よ。私たちネイティブですら脱落するのに、蒼也は必死に食らいついてたわよ。あのクリスマスの晩も、教授に再提出を命じられてね。私たちの方が花火みたいに儚く消え去りそうだったって最悪の思い出なの。私たちはそういう地獄を生き残って今があるの」
アメリカ風のジョークなんだろうけど、笑いのツボがまるで分からない。
「蒼也がベンチャービジネスを立ち上げるときに出資者のオコンネル氏を紹介したのは私。私が好きなのは、お金をもたらしてくれる男。そういう意味では、蒼也のことは大好きよ。動物園のコアラよりは興味あるかも」
相手のペースに押されるばかりで、言葉を差し挟む余裕すらない。
通りかかった係員に皿を預け、シャンパンを受け取ったレイナが翠に頬を寄せてきた。
「で、どうなの、蒼也との相性は?」
「どうって言われても」と、困惑しつつ翠は質問で返した。「どう見えますか?」
噴き出しながらレイナが翠を肘でつつく。
「見えるって、私、ピーピングなんかしないわよ」
「ピーピング?」
「ええと……穴からこっそり見ること?」
「え、のぞき!?」
レイナが唇に人差し指を立てる。
「声が大きいわよ」
「すみません。でも、それなら……」
「相性って言ったら体の相性に決まってるでしょ。ティーンエイジャーじゃないんだから。ま、私はハイスクールで経験済みだったけど」
「体の……相性」
一気に顔が燃え上がる。
汗が噴き出す翠をのぞき込みながらレイナが目を細める。
「もしかして、あなたたち、まだなの?」
「えっと、それがその……いろいろありまして」
「嘘でしょ。あいつ修道院にでも入ってたの?」と、レイナが笑いをこらえながらシャンパングラスを傾ける。「そういうプレイをしてるとか?」
「え、プレイ?」
「ああ、ごめんなさい。ジョークの加減が難しいわね。私は楽しいけど」
ウィンクをしながら顔を突き出してくるレイナの視線から逃れるように翠はシャンパンを一息に飲み干した。
そんな様子を笑みを浮かべながら眺めると、レイナは容赦なく核心を突いてきた。
「あなたバージン?」
うなずく前に耳が熱くなる。
「正直ねぇ」と、レイナが優しく肩をたたく。「ええと、日本語でなんて言うんだっけ……『こじらせ』?」
「あ、あの……」と、ためらいながらも翠は思いきってたずねた。「する時って、男の人の……ああいうのが、入ってくるんですよね」
子どもにスクールバスの乗り方をレクチャーしているみたいに、なんてことないという表情でレイナが肩をすくめる。
「そうね。だから、相性って大事なのよ。快感の場合はハッピーだけど、ただの苦痛って時もあるでしょ。そんなときは感じてる演技して、一回だけでサヨナラね。クズだけど体の相性だけは合う男とか、最悪なんだけど別れられなくなっちゃうのも困るけど」
「はあ……」
「そういう質問するってことは、蒼也のを見せられたってこと?」
「見てはいないですけど、一緒に眠っているときに……」
「触っちゃったわけね」と、食い気味に相槌を打つ。「それでびっくりしたと。かわいらしい子どものとは全然違うから」
なんでもお見通しらしい。
「でも、それって、蒼也が無意識にあなたのことを求めてるってことでしょ」
――あ……。
「男が本能で女を求める。愛の形としては一番プリミティブだけど、一番大事なんじゃないの。愛されてる証拠ね」
そうだ。
だけど、私はそれに応えられていないんだ。
なんでだろう。
体が拒んでいると思っていたけど、さっきのすれ違いを思えば心の隙間のせいなのかとも思う。
「それにしてもよくあの蒼也が耐えてるわね。あなたドS?」
「違いますよ」
「意味は分かるのね。ウブなくせに」
すみませんと、思わず翠は頭を下げた。
「そういえば、こういうの、『おあずけ』って言うのよね。日本語ってぴったりのいいワードを作り出すのがうまいのよね」
いったん言葉を区切ったレイナが耳打ちする。
「カタブツをとろけさせるのって、想像するだけでわくわくしない?」
――はあ。
「あなたの魅力であいつを虜にしちゃえばいいのよ」
と、簡易ステージにスポットライトが当たり、女性歌手が映像を駆使した演奏を始めて会場が一気に湧き上がる。
配信ナンバーワン歌手のマキミヤだ。
「じゃあね、グッドラック」
なんか疲れちゃったな。
リズムに乗って腰を揺すりながらステージに向かうレイナの後ろ姿を見送ると、翠はすぼめた口にブドウの粒を放り込んだ。




