(4-5)
◇
幸之助の葬儀が終わって一段落ついたころ、悠輝は蒼也の部屋を訪れた。
「思ったより元気そうだね」
「やるべきことがありすぎて、悲しんでいる暇がなかったよ」
「お疲れ様。今日は撮影抜きで、ビールを飲みに来たよ」
「自分の家で飲めよ」
「毎日暑くて家にいるとエアコン代がかかるだろ」
「ネット配信案件でさんざん稼いでるくせに」
「CEO様ほどじゃないよ」
そんな軽口を言いあいながら、冷蔵庫から缶ビールを出し、グラスに注ぐ。
「俺の様子を見に来てくれたんだろ」と、蒼也はグラスを掲げた。「ありがとうな」
悠輝が室内を見回す。
「ねえ、翠ちゃんは実家?」
「まあな」
「休みはいつまでだって?」
「もう帰ってこないぞ」
グラスから口を離し、悠輝は泡をなめた。
「どういうこと?」
蒼也はこれまでの経緯を話した。
心理的ハードルを下げるために申し込んだ偽装結婚だったこと。
それが原因で誤解を与えてしまったこと。
悠輝は呆れた表情で二杯目のビールをグラスに注いだ。
「蒼也って有能なくせに、ホント、不器用だよね。今時珍しい一途な男ってところは認めるけどさ」
はぐらかすように蒼也がグラスに口をつける。
「脇目も振らず翠ちゃんにまっすぐ一直線。だけどさ、偽装結婚なんて、肝心なところでなんでそんなこと言っちゃったんだよ。心理的ハードルを下げるつもりとか言ってるけどさ、かえって棒高跳びみたいになっちゃったじゃん」
「あの時は本当にそうだったんだよ。じいさんのためだったんだから」
「そう言ってごまかしてるだけだろ。最初から本気だったくせに」と、ビールの泡をなめる。「ずっと昔からだったじゃん」
焦点の合わない目で蒼也は黙り込んでいた。
――ホント、分かりやすいよね。
図星をつかれると防御力ゼロ。
裏表のない男だからな、蒼ちゃんは。
「ほんと、女心が分からないよね、蒼也は」
「おまえは分かってるふうに言うなよ。俺はただ、昔の約束で翠を縛りつけたくなかっただけだ」
「女の子はね、好きな男には、少しくらい束縛されたいものだよ。なんだったら、ロープでも買ってきたら」
「あのな、泥棒みたいに言うなよ」
――これだもんなあ。
あのさ、蒼ちゃん、そこは『何のプレイだよ』って、僕の頭をどつくところだろ。
そういうところだよ。
ほんと、何も分かってないんだからさ。
悠輝はそんな友人の目をのぞき込みながら言った。
「ちゃんと謝って話すしかないんじゃないの」
「でも、返事が来ないんだぜ」と、蒼也がグラスの縁を指で弾く。
「女の人ってさ、一度気持ちが切れると、あっという間に離れちゃうからね。早くしたほうがいいよ」
「もう手遅れなんじゃないのか」
「ホント、馬鹿だなあ。向こうだって引っ込みがつかなくなって、待ってるんだよ、迎えに来るのを」
「もし、そうでなかったら?」
「ジ・エンド、この世の終わりだね」
いつの間にか外は暗くなっていて、都会の夜景の向こうに、かすかに残った夕焼けがファスナーを閉じるみたいに消えかかっていた。
「蒼ちゃんはさ、翠ちゃんのことを、話も聞かずに切り捨てるような人だと思うの?」
「そうじゃないから、ずっと大事にしてきた」
「分かってるんじゃん」
「俺が翠を好きな気持ちは説明ができないけど」と、蒼也は自分の胸を親指で指した。「好きだって言う気持ちは間違いなくここにある。初めて会ったその日からずっと変わってないよ」
「それをさ、僕に熱弁してないで、本人に言えばいいんだよ。僕が言われたいくらい熱い気持ちなんだからさ。翠ちゃんだって聞いたら喜ぶと思うよ。蒼也の気持ちが本物なのは僕が一番分かってるからさ」
「今さら照れくさいんだよ」
そんな嘆きにニヤける悠輝を蒼也がにらみつける。
「言わせて満足か」
「ごめんよ。素直な蒼ちゃんなんて、珍しいからさ」
悠輝は顔を突き出して蒼也の赤い顔をのぞきこんだ。
「そんな素直な蒼ちゃんに聞くけどさ、翠ちゃんとはキスしただけ?」
「そうだよ」と、目をそらしながら蒼也はソファに体を預ける。「悪いか」
「そこから先へは進みたいとは思わなかったの?」
「偽装結婚なんて言ったんだ。行けるわけないだろ」
「あのさ、財産とか、家柄とか、いろんなしがらみがあるのも分かるけどさ、べつに結婚と恋愛はイコールじゃないんだから、翠ちゃんが受け入れてるなら、べつにOKだったんじゃないの?」
「受け入れてなかったら?」
はばかることなく悠輝が吹き出す。
「あのさ、抱きしめれば、相手の気持ちくらい伝わるでしょ。嫌な相手なら拒絶されるだろうし」
「そ、そういうものか……」
うつむいて唇を噛みしめる蒼也に悠輝はたたみかけた。
「抱きしめた後はどうすればいいか分かる?」
「何のテストだよ。漢字ドリルでもやってろ」
「懐かしいね」と、悠輝が天井を見上げる。「二人で宿題やってたら、幸之助さんがどら焼きくれたよね」
「萬英堂のだろ。ああ、そう言えば……」と、蒼也は立ち上がってキッチンから箱を持ってきた。「生前にじいさんがさ、悠輝にって手配してくれてたんだってよ」
ミサラギホテルのマークがついた熨斗紙が巻かれた懐かしい菓子折だ。
「やっぱり覚えていてくださったんだ」と、悠輝はしみじみと受け取った。「ありがたくいただくよ」
「ビールには合わないけどな」
「せっかくだからアイスティーでも作ろうか」
氷やグラスを出したり、積極的に手伝う蒼也を横目で眺めながら悠輝は濃いめにアイスティーをいれた。
ラグの上に座り直し、どら焼きを頬張る。
「相変わらずおいしいねえ」
思い出の味をゆっくりと味わってから悠輝は話を戻した。
「で、うまくかわしたつもりかもしれないけど、さっきの答えは?」
「抱きしめたら、そりゃまあ、アレだろ」
「アレって何?」
「アレだよ」
「そうやってはぐらかすからこじれてるんじゃないの?」
グラスの中で氷が崩れ、音を鳴らす。
「キスくらいならするだろ」
「いや、だからさ、その後だよ。まさか、いきなり押し倒すとか思ってないよね」
「犯罪だろ」
「少しはまともな感性があって良かったよ」と、悠輝はアイスティーで喉を潤した。「たとえばさ、翠ちゃんを抱きしめたと想像するだろ」
「おまえが想像するなよ」
「だから、蒼也が思い浮かべてよ。で、キスしてさ、髪とか背中とかを優しく撫でたりするだろ」
「ま、まあ、そうだな……」
「でさ、そうしているうちに、相手が身を委ねてくる感覚って分かる?」
蒼也がネジが切れたおもちゃのように固まっている。
吹き出すのをこらえながら悠輝が自分を指さす。
「僕で試してみる?」
「冗談でもやめろ」
「じゃあ、ぬいぐるみとかは……ここにはないか。枕は?」
「おまえの前で、そんな練習できるかよ」
「ははん、じゃあ、一人ならするんだね」
「だから、しないって。どうしても言わせたいんだろ」
「僕はさ、翠ちゃんを心配してるんだよ。こんな男に惚れられちゃったのが運の尽きだなってね」
テーブルの上のグラスをシンクに運びながら、悠輝が聞こえよがしにつぶやく。
「蒼也の代わりに僕がやっちゃおうかな」
「あのなあ」と、すかさず蒼也が詰め寄る。「いくらおまえだからって、言っていいことと悪いことがあるぞ」
「それだよ。そこまで本気なんだったら、どうしてそれを翠ちゃんに言ってあげないんだよ。僕が女の子だったら、そんなあやふやな蒼也なんか絶対に許さないし、好きになんかならないよ」
そして悠輝はまっすぐに親友を見つめた。
「本当によその男に奪われちゃってから後悔しても知らないよ」
窒息したような表情で蒼也が胸を押さえる。
悠輝は横目でその様子を眺めながらグラスを洗った。
「こわいんだよ」と、蒼也はうつむいて拳を握りしめていた。「二十年夢見てきたことが煙みたいに消えてしまったらどうしようって……さ」
「確実に言えるのは、何もしなければ本当に消えちゃうってことだね」
カウンターに両手をついて、鍵盤のようにせわしなく指を動かしながら、しばらく蒼也は黙り込んでいた。
すべての洗い物が終わったころ、ようやく指が止まった。
「分かったよ。ちゃんと話しに行くよ」




