イモリ 召喚
教室内は大パニックになっていた。
思わず身構えたが、体長は十二センチから十七センチ。緑色の体に、黒のまだら模様をしたイモリ──マダライモリだ。危険な魔物というわけではない。
十匹近いイモリがわさわさと壁や床を歩いている。
よく見ると俺の席の二つ隣にある机が光を放っていて、イモリが飛び出してきていた。
「やだぁ! こわぁい」
女子生徒たちが悲鳴をあげている。男子生徒の一部も、顔を引きつらせているようだ。
まあ、この学院の生徒のほとんどは貴族の子息子女。水辺に生息する両生類であるイモリを見ることはまずないだろう。ヤモリなら、まだあるかもだけど。
召喚スピードは二十秒といったところか。
特に何か目的をもって描かれた魔法陣というよりは、単にイモリを召喚しているだけのようだ。ただし連続で召喚し続けるようになっており、陣はずっと光り続けている。
術そのものは至極単純だが、魔力は複雑なにおいがした。
「あーん、怖い!」
なぜか入り口に立っていた俺に抱きつこうと走ってきた女生徒アリア・ブーリコをひらりとかわす。
彼女は平民として育てられた伯爵家の婚外子で、最近、伯爵家に引き取られたらしい。人との距離感がちょっとおかしい子で、やたら人の体を触ってくる。
ふわふわなくせっ毛の桃色の髪で、大きくて少したれ目なアメジスト色の瞳はいつもうるんでいる。背が低く舌足らずな口調で、幼くておバカな印象だがそれが庇護欲を誘うらしくて夢中になっている男子生徒も多い。
ただ、天真爛漫を装ってはいるが、『どうしたら自分が可愛く見えるか』を常に計算しているのが透けて見え、あざとくて俺は好きじゃない。
あるはずの俺の体がなくなったことで体勢を崩し、壁際によろめいた彼女の頭にイモリがピョンと飛び乗った。
「嫌ぁぁぁ!」
絶叫するアリア。まあ、気持ちはわからんでもないが、所詮、イモリだ。死にはしない。
「あの、今すぐ召喚陣を返還しますか? それともこのまま放置して教師の指示を仰ぐべきですか?。私としてはこれ以上イモリが出てくるのはどうかと思うので返還したいのですが、どういたします、ブーリコさん?」
非常に冷静な女性の声がした。
咄嗟に誰かわからなかったけれど、アリアの前の席に座っている女生徒だ。名前は……確か、レイラ・モブー。伯爵家の令嬢だったかな? ダークブラウンの髪に同じ色の瞳。顔立ちだって整っている。美人といってもいいのになぜか記憶に残らない、不思議な令嬢である。
「嫌ぁ! 誰かとってぇ!」
レイラは一番の被害者? であるアリアに対応を問いかけたようだが、当のアリアは大パニックになっていて、それどころではないようだ。
「返還しちゃっていいんじゃない? 術者追跡とかするとしばらくこのままってことになるかもだし、教師呼んできたとしても対応は同じだと思うから」
俺は肩をすくめた。
「それに、あとから術解析ができないわけでもないしねえ」
「殿下がそうおっしゃるのであれば」
レイラはひょいひょいっと魔法陣を描き替えた。
急速に光が収束していき、イモリが陣へととび込んで消えていく。
「へぇ、すごいな」
もともとが単純な陣だったこともあるけれど、他人の描いた召喚陣を返還するのは召喚するよりもよほど難しい。まず、魔力で術者を圧倒しなければいけない。
そういえば、このレイラ・モブーという令嬢、魔力は一年生の中では、俺に次いで二番目。成績も次席。剣術も女子の中では十番目以内に入るという文武両道の才女だ。それなのに、印象が薄いのはどうしてなのだろう。
「あーん、怖かったですぅ」
「大丈夫、僕がついているよ」
泣きじゃくるアリアの肩をいつのまにか抱いて慰めているのは、トーマス・ノーキン。騎士団長のノーキン侯爵の令息で将来を有望視されている剣士だ。鍛えているだけあって、体は他の学生より一回り大きい。いかつい顔をした男だが、アリアに抱きつかれて鼻の下をだらしなく伸ばしている。彼はアリアに夢中な彼女の取り巻きの一人だ。確か婚約者が別にいるのだが、すっかり彼女の虜である。
すっかりお姫さまを守る騎士気取りなのはいいが、実際に助けたのはトーマスではなくて、レイラだ。
魔法陣が消えてもしばらく教室は騒然となっていた。
「えーん。アリア、何も悪くないのにぃ。もうこの机、嫌だぁ」
「まったく一体誰がこんないたずらを!」
トーマスが憤っている。
俺は机に残った痕跡を観察した。机に直接描いたものではなさそうだ。
「酷いよぉ。どーしてぇ」
ぐすぐすとアリアが涙を流す。
術そのものは初級も初級。この国立魔術学院に通う人間なら、誰でも描けるレベルのものだった。しかも召喚スピードなどからみてもそれほどの実力者とは思えない。
「お前! 随分と手際が良かったな! 実はお前がやったんだろう!」
アリアの肩を抱きながら、レイラの方を見るトーマス。
「はい? 正気ですか?」
レイラは怪訝そうに首を傾げた。
彼女の気持ちは痛いほどよくわかる。彼女は善意で召喚の陣を返還したのだ。なぜ、責められねばならないのか。
「他人の召喚陣を返還したわりには、あまりにも簡単にやってのけたじゃないか!」
「……それは、彼女が優秀だからだよ」
俺は思わず割って入る。
どうやらトーマス・ノーキンという男は、俺が思っていたよりずっと阿呆だったようだ。
「で、殿下!」
トーマスは不服そうに俺を見た。
「仮に彼女が召喚陣を描いたなら、今頃、教室中がマダライモリだらけになっている」
「それはどういう意味でしょうか?」
「彼女の魔力は俺と遜色はない」
俺の言葉に、周囲がどよめく。おおかたそんな馬鹿なと思いかけ、彼女が学年で次席であることを急に思いだしたのだろう
「召喚速度から見て、魔力量としては平均くらいの人物だろうな」
魔力量だけで容疑者を特定するのは不可能だ。それこそクラスの半数が該当者になってしまう。
「ぼ、ぼく、昨日の放課後、コーマー令嬢が、うちの教室にいるのを見ました」
おずおずと手を挙げたのは、昨日の日直だったニック・ゲキシャーだ。
「コーマー嬢が?」
周囲がざわつく。
「ま、まさか嫌がらせ?」
女生徒の誰かが呟く。
「そういえば最近、ブーリコ嬢が皇太子さまと仲がいいと聞いたわ」
「では、嫉妬なさって、とか?」
ざわざわと生徒たちが騒ぐ。
「あほらし」
俺は呆れた。アリアが兄に付きまとっていたのが事実だとしても、兄がローズ以外の女性に目を向けるはずもない。ローズだって、それくらいのことはわかっている。
「ありえる。彼女は魔力はそんなには高くないし、アリア嬢を嫌っている」
ふむ、と、トーマスが同調する。
どうしてそうなるのか。
アリアは女生徒の多くから嫌われているから、そこで容疑者がローズ一人になるのはおかしい。それに仮にローズがアリアに対して思うことがあるなら、ストレートに本人に言うだろうし、なんなら直接決闘を申し込むくらいのことをする。彼女は非常に直情的で、良くも悪くも『真っすぐ』な人間なのだ。
「コーマーさまではないと思います。迂闊なことをおっしゃらない方がよろしいかと」
コホンと咳払いをして、続けたのは先程のレイラだ。
「俺もそう思う。ちなみに、君がローズ・コーマー嬢ではないと確信する理由はある?」
ローズが犯人のはずはないと俺も確信しているが、レイラが断言する根拠に興味を持った。
レイラはふうっとため息をつく。
「コーマーさまならもっと美しい陣を描かれるでしょう。魔力はともかく、座学は優秀な方ですから」
淡々とレイラは答える。
なるほど。陣の形か。
召喚の陣の形がよければ、術効率が上がる。先程の陣はそこまで効率の良いものではなかった。
「そんなの根拠になるわけないだろう? あんたがコーマー嬢をかばっているだけじゃないのか?」
トーマスは不服そうだ。
「ご存じないのかもしれませんが、この教室には、第二皇子であられるレグルス殿下がいらっしゃいますから、毎朝校舎に生徒が入る前に必ずチェックが行われております。ですから、たとえコーマーさまが放課後に何かなさったとしても、生徒が登校する前に対応されていると考えるのが自然です。コーマーさまは本日登校されてから、この教室には入ってきてはおられません。つまり陣を描くのは不可能ということになります」
レイラは淡々と説明する。
「本当ですか、殿下?」
トーマスは俺に確認する。
「ああ。もちろん他の教室もチェックするけれどな。このクラスと、兄上のいるクラスの授業で使用する教室は必ず警護のものが念入りにチェックする決まりになっている」
そのことを知っている生徒は少ないけれど、秘密でもないので、レイラが知っていたとしても不思議なことではない。
「では一体誰がやったというんだ!」
トーマスが叫ぶ。
「ええと。ただいま解析しております」
「え? 本当に?」
俺は驚いた。
術解析には時間がかかる。しかもそれは上級魔術師の技術だ。
超優秀……。いや、優秀なのは成績を見れば明らかなのだけれど、なぜ今まで俺は彼女に全く注目していなかったのだろう。
「失礼ですが、ブーリコさん。机の中のものを全部出していただけますか?」
「えぇえ、嫌だあ、怖いもん」
アリアが涙目で頬を膨らます。
「では私が触ってもよろしいですか?」
「……うん」
アリアが頷くのを待って、レイラは自分のかばんから手袋を取り出した。
魔工手袋だ。魔力が影響を与えないようにするための道具である。
術解析には必須だが、あまり一般生徒が持っているものではない。
レイラはアリアの机の引き出しの中から、ひとつずつ丁寧にものを机の上に並べ始めた。教科書、ノート、ペンケース、化粧品、アクセサリー……学習に関係ないものもかなりある。
「なるほど、これとこれが原因です」
レイラが取り出したのは、杖と一枚の魔術用のカードだった。
杖は魔術を使うための補助具。カードは魔術陣をあらかじめ描いていく魔道具だ。ただの紙ではなく、魔力を吸収し陣を固定できる。ちなみに、普通の紙に魔術陣を描いても、数分で術を発動させない限り、それはただの『形』にすぎなくなってしまうのだ。
「こちらの杖、魔力を充填できるタイプですね。自分の魔力を節約できる便利なものですが、魔道具を誤作動させることがあります」
「ああ、なるほど」
魔術は補助具なくても使えるが、学院では事故を防ぐ意味で杖を使うことになっている。杖の中には保有者の魔力をある程度溜めておけるタイプがあって、自分の実力より少し上の術が使えると人気だ。
「こちらの召喚用のカードが反応してしまったようですね」
「あ、宿題のか」
ポンと俺は手を打った。
召喚術の授業で、初期召喚用のカードを作ってくるという課題が出ている。
「ということは、つまり──」
「はい。この召喚カードにブーリコさんの杖が反応して起こった事故です。このタイプの杖は術者の描いたものに対して『起動』の呪文がなければ動かないように安全装置が設計されているのですけれど」
「なっ! そんな……酷いわ。私が婚外子だからって、安物の杖を持っているとバカにするのね……」
アリアはぼろぼろと泣き始めた。明らかにウソ泣きだ。
「ええと、そうではなくて──」
「なーんだ。そういうことか」
「要するに不良品ってことね。人騒がせな話だわ」
戸惑うレイラをよそに、人だかりがすうっと離れていく。
「モブー嬢、それ以上はやめたほうがいい。君の言いたいことは分かった。ただ余計に話がややこしくなりそうだから」
「──承知いたしました」
レイラは俺の顔をみて、静かに頭を下げた。




