◇最終話 祝福のその先へ
ペルラから南へ向かう道中。聖騎士たちの話を耳にして、エメルリンダが王籍を失い塔に幽閉されたことを知った。
私とナタニエル様の婚礼の日、ザッフィロ王国でも女神の祭典が行われ、“女神エルシリアの乙女”として白桔梗の花を捧げた彼女の額に黒い刻印が浮かび上がったのだという。
クレメンテ卿に邪術を掛けたのは、彼女だった。審問に掛けられた際に、彼女がそう口にしたそうだ。
この件でグラナード帝国とザッフィロ王国は国交断絶となった。スフェール神聖国もザッフィロとは距離を置くことになりそうだ。
そうして、私たちがペルラを発って、十日が過ぎた――
大陸南方にある、美しい古城が佇む海辺。
初夏を迎えたその地には、美しい夕焼け空と澄んだ海がどこまでも広がっていた。
この暖かな地で、私たちは過ごしていた。
神聖国の王太子妃としての教育が待っている私と、次期教皇になるために前倒しでスフェールで過ごすことが決まったナタニエル様にとって、身分や責務から解放された貴重で穏やかなひと時だった。
(綺麗……)
空は薄紅色のグラデーションに染まり、淡く輝く白い砂浜には、澄んだ波が静かに打ち寄せている。
白いサマードレスが潮風に揺れ、裾に重なるレースがふわりと広がった。
「不思議な感覚ですね」
私たちは、手を繋いで波打ち際を歩いていた。
砂の上を歩きながら目を細めて笑うナタニエル様に、私も微笑みかける。
美しい砂浜を見下ろし、私はサンダルを脱いで裸足になった。左の足首には、彼からもらったアミュレットが煌めいている。
「ナタニエル様、砂が気持ち良いですわ」
「イーザ、いけません!」
慌てて私の腰を抱き上げた彼。その肩に両手を置いて、私は彼を見下ろした。
「もし怪我をしたら……――わっ!」
ふいに大きく打ち寄せた波。砂に足を取られた彼が、私を抱いたまま仰向けに倒れた。
静かな波がひとつ打ち寄せて、引いていく。
「イーザ、大丈夫ですか」
彼の胸板の上で身を起こすと、視線が交わった。
思わず声を立てて笑うと、彼は「海は、初めてで……」と照れたようにはにかんだ。
少しだけ着崩したシャツの襟元と白金の髪が、潮風に微かに揺れている。
夕陽に照らされた彼の美しい顔に見惚れていると、淡く笑んだ彼が私の頬に触れた。
間近にある、赤みを帯びた紫玉のような瞳――
少し恥ずかしくなった私は、彼の胸に寄り添うように横になった。
ひんやりとした砂の感触に、彼の温もりが心地良い。
彼の腕に抱き寄せられ、波の音を聞きながら夕陽を眺める。さらりとした白い布地に頬を寄せると、甘く落ち着いた彼の香りがふわりと漂った。
「綺麗ですね……全てを忘れてしまいそうだ」
「貴女のこと以外は……」と囁いた彼が、頬に唇を寄せる。私を見つめるその瞳に捉えられたかのように、目が逸らせなかった。
「……貴女がプラータに囚われたと知ったとき、本当は攫ってしまおうと思っていたんです」
そう呟くように言った彼の手が、私の頬に触れた。思わず目を見開くと、彼が小さく笑う。
「テオバルドに、先を越されてしまいましたが」
冗談交じりの穏やかな声音に、私も笑い返した。彼の綺麗な笑顔は、懐かしい少年の頃を思い出させた。
静かな波音が続いている。
彼が、私の左手を取って指を絡めた。
彼の瞳の色の宝石が、そこには輝いている――
「愛しい、私だけのイーザ……」
「ナタニエル様……」
「愛しています……これからも、ずっと」
甘く、少しだけ掠れた囁きに、胸が締め付けられる。
「わたくしも、ナタニエル様を愛していますわ」
そう返すと、彼は幸せそうに目を細めた。
いつの間にか、空には白銀の星が瞬き始めていた。
少しひんやりとしてきた風が、彼の髪を揺らしている。
「イーザ、寒くはありませんか」
「暖かいですわ」
「ナタニエル様がいてくださるから」と微笑むと、彼の耳が淡く染まった。
私たちは微笑み合うと、再び夜空を見上げた。
指を絡ませるように繋がれた彼の手が、とても温かい。
これからも、私たちはずっと一緒だ。
そう思うと、私の心も暖かさに満たされた。
(とても、幸せだわ……)
私は、彼の温かな胸に頬を寄せた。
髪を撫でる優しい手とその温もりに、私は瞼を閉じる。
これから先、私たちには様々なことが待ち受けているのかもしれない。それでも、彼が傍にいてくれるなら何も怖くはない。――心からそう思えた。
瞼を開くと、彼が私を見つめていた。
その柔らかな眼差しが、どうしようもなく愛おしかった。
私はそっと、彼の頬に口づけた。
彼は僅かに目を見開いて、恥ずかしそうに瞳を揺らした。
「イーザ……」
甘く名を呼ばれ、波音がひとつ響いた。
そっと、重ねられた唇。
私たちは、星空の下で見つめ合った。
静かな波音が響き、美しい夜空が私と彼を見下ろしている。
夜明けを待つあの星たちのように、私たちの未来も静かに輝いている。
――この祈りのような愛を、私は生涯手放さない。
― Fin ―
ナタニエルとの結末を読んでいただき、本当にありがとうございました。
テオバルドもナタニエルも、どちらも私にとって大切な“正ヒーロー”です。
そのため本作は、分岐という形で物語を描きました。
ここまでアダルジーザたちの物語を見届けていただけたこと、心より嬉しく思います。
少しでも心に残るものがあれば幸いです。
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最後までお読みくださった方に、心から感謝いたします。
星谷明里




