◇第五十九話 愛と祈り
婚礼の儀を終えてから、一週間が経った――
「イーザ、手を……」
差し出された彼の手を握り、私は故国の地に降り立った。
少し離れた場所では、聖騎士たちが辺りを警戒している。
グラナード帝国との協議で、ペルラはスフェールの管理下に置かれることとなり、スフェール神聖国のペルラ領として復興が始められることとなった。
何の見返りもなしにこの地の権利を譲渡してくれた陛下には、心からの感謝の念を抱いていた。
(お父様、アダルジーザが戻りましたわ)
心の中で亡き父に呼び掛ける。
薄曇りにどこか寂しく感じられる風が吹いて、ナタニエル様が抱いた白桔梗の花束が微かに揺れた。
「イーザ、無理はしないでください」
「平気ですわ……ナタニエル様が、傍にいてくださるから」
そう返すと、彼は瞳だけで微笑んだ。
静かな風が、私たちの髪を揺らした。
私たちは、以前と変わらぬ姿で佇むペルラ城を見上げた。
滅ぼされたあの日、プラータの計略によって守備が手薄だったこの城は容易く陥落させられた。
そのため、城下町は破壊され荒れ果てているというのに、城だけが皮肉のように美しく残されているのだ。
「イーザ、少し待ってください」
彼の手から淡い光が放たれ、私たちの周りを何かが覆った気配がした。
「結界を張りました。気を付けて行きましょう」
私を安心させるように微笑んだ彼に、私は静かに頷いた。
荒らされた城内を通り、中庭に向かうと、そこには白桔梗の花に囲まれた真新しい墓石があった。
そこには、父や兄弟たちの名が刻まれていた。
私は、胸の内で、父たちを弔ってくれたプラータの王太子に礼を告げた。
「イーザ、これを」
ナタニエル様が、持っていた白桔梗の花束を差し出してくれた。
「ナタニエル様、ありがとうございます」
私と彼は一緒に跪くと、白桔梗の花束を墓前にそっと捧げた。
(お父様、アメデオ、お兄様たち……どうか、安らかに……)
私は指を組んで祈りを捧げた。
そして、父には強い神聖力が発現したことと、スフェールに嫁いだことを報告した。
あたりに咲いている白桔梗の花が、中庭を吹き抜ける風に静かに揺れている。まるで、父や弟が優しく見守ってくれているように感じられた。
(お母様の、お部屋は……)
私は立ち上がると、城の三階を見上げる。
「イーザ、どうしましたか」
「お母様のことを、少しでも知りたくて……」
そう返した私に、ナタニエル様は微かに微笑んで頷いた。
その憂いに満ちた眼差しに見つめられるだけで、目の奥がじわりと熱くなった。
私たちは城内に戻ると、静かに階段を上っていく。
亡き母の部屋の前。
私は、扉に伸ばした手を止めた。
ナタニエル様は、静かに見守ってくれている。
息を深く吐くと、私はそっと扉を開いた。
(ここが、お母様の使われていた……)
荒らされた殺風景な部屋には、寝台と小さな文机だけが残されていた。
母は、私を産んで間もなく亡くなったと父から聞かされていた。私が知っていたのは、それだけだ。
私は、ナタニエル様の伴侶となるまで知らなかったのだ。
神聖力を持つ私を産んだために、神聖力や魔力を持たなかった母が命を大きく削ったことを――
(お母様は、わたくしのことを恨んでいなかったのかしら……)
女神エルシリアの血を受け継ぐ女性の宿命を知ってから、そんな気持ちばかりが頭の中で渦巻いていた。
「これは、お母様の……?」
寝台の下に、古びた小さな木箱が一つだけ転がっているのに気が付いた。
埃を払って箱を開くと、白い産着に包まれて、小さな絵が一枚入っていた。
描かれているのは、私とよく似た黒髪の若い女性がまだ小さな赤子を抱いて微笑んでいる姿だった――
(お母様……?)
絵を裏返すと、そこにはメッセージが刻まれていた。
『愛しいイーザ。私の可愛い宝物。この子が、誰よりも幸せになりますように』
「お母様……」
私は思わず口元を押さえた。
涙が溢れ、崩れ落ちそうになった体をナタニエル様が受け止めてくれた。
涙を滲ませた彼の表情を見た瞬間、私は堪えきれず泣き崩れた。
「イーザ……」
私は彼の胸に顔を埋め、肩を震わせて泣いた。
彼は何も言わず、私が泣き止むまでただ抱き締めてくれた。
絵の中の母は、優しい眼差しで微笑んでいた――
◇
私が落ち着いてから、ナタニエル様と一緒に城の裏手にある王家の墓所へと向かった。
母の眠る場所を見つけると、私は跪いて白桔梗の花冠を捧げた。
(お母様……わたくし、スフェールのナタニエル様と結婚したのです)
私は心の中でそう語りかけた。
「お母様……わたくしは、とても幸せです。この絵は、わたくしが持っていきますね」
小さな箱を抱いてそう口にすると、どこからか柔らかな風が吹いた。捧げた花冠の白い花びらが、微かに揺れている。
まるで、天にいるであろう母が優しく見守ってくれているように思えた――
「イーザ。貴女のことは、私が大切に守ります。この生涯を懸けて……」
彼の言葉は、まるで誓いのように静かに――そして、暖かく響いた。
頬を伝った涙を、彼の指がそっと拭ってくれた。
そのとき、雲が流れ、柔らかな光が辺り一面に差した。
薄曇りでひんやりとしていた空気が、陽射しとともにふわりと暖かくなる。
(お母様……)
私たちは静かに微笑み合うと、母の墓前に一礼した。
彼の腕に支えられ、寄り添って歩き出す。
母の愛と祈りを胸に、これからの、私たちの未来に進むために――




