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奪われた王女は皇帝と神官に愛される〜運命の選択~  作者: 星谷 明里
◇終幕 寄り添う光 ―神官編―
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◇第五十八話 聖なる花嫁

 私が白い光に包まれたあの日から、ひと月が経った――


 グラナード帝国より北に位置するスフェール神聖国の大聖堂。その美しく荘厳な佇まいは、まるで白亜の城のようだった。


 その控えの間に、私は立っていた。

 窓辺からは朝の澄んだ陽射しが差し込み、部屋を柔らかく照らしていた。


 壁に掛けられた白銀の縁取りの美しい鏡には、純白のドレスを纏った私の姿が映っている。

 首元まで繊細なレースで覆われ、袖が広がった神秘的なドレスは、初めて見るものだった。


 結い上げられた髪には、白金の冠が輝いている。ナタニエル様の母である王妃から、「王太子妃に」と譲り受けたものだ――


「アダルジーザ様、本当にお美しいです……!」


 私の傍らで涙ぐんでいるのは、グラナード城から一緒に来てくれたアニタだった。

 陛下の計らいで、彼女は引き続き私の侍女として仕えてくれることになったのだ。

 けれど、彼のことを思い出すと、胸の奥がチクリと痛んだ――


「アダルジーザ様……?」


「何でもないわ……アニタ、傍にいてくれてありがとう」


 笑顔になったアニタに、私も微笑んだ。

 慣れない環境でもこうして安らげるのは、彼女のおかげだと感じていた。


「アダルジーザ妃殿下は、それは素晴らしい神聖力をお持ちなのだとか……」


「これで、王家の跡継ぎは安泰ね」


(跡継ぎ……)


 部屋の隅に控える侍女たちの楽しげな囁きが聞こえ、急に気恥ずかしくなる。


「神聖力がないと、スフェール王家の……」


 小声で囁き合う彼女たちの声は、もう聞こえなかった。

 何故かざわめきだした胸を落ち着かせるように、私は静かに深呼吸をして背筋を伸ばした。


 そのとき、控えめなノックの音が響いて、私は顔を向けた。


「イーザ……本当に、美しいです……」


「ナタニエル様……」


 そこには、彼が立っていた。

 深い赤紫色の瞳が、眩しそうに私を見つめている。

 白い正礼装に白金のサッシュを着けた彼の姿の方が、私にとっては余程眩しく感じた。彼の頭には、私と同じように白金の冠が輝いている。


「貴女をこうして迎えることができるなんて、本当に夢のようです」


 ナタニエル様は、幸せそうに微笑んだ。

 その微笑みに、胸の奥がじわりと暖かくなる。


 あの日、グラナードの大聖堂で膨大な神聖力が発現したとされ、私は彼の花嫁としてスフェール王家に迎えられることとなったのだ。

 私の力は、今まで淡い光しか灯せなかった。

 この強い神聖力が発現したのは、女神エルシリアのおかげなのかもしれない――私はそう感じていた。


 神官の身分を剥奪されたバルバラは、神聖国の牢獄である裁きの塔に入れられたそうだ。カリーヌの命を奪い、ナタニエル様を手に掛けようとした罪で生涯を牢獄で過ごすことになったのだ。けれど、ひどく衰弱していて、余命間近といわれているらしい。

 女神に仕える神官でありながら邪術に手を染めたことで、彼女は魔に魅入られていたのだという――


 そして、ナタニエル様は教皇の座を辞退するとスフェール国王に表明していたが、私の強い神聖力が公になったことで状況は一変した。


 私を『次期教皇の妃とする』と宣言したスフェール国王に、彼は即座に決意表明を取り消したのだ。あの時に、大声で笑ったスフェール国王と頬を染めた彼、二人の姿が忘れられない。


 思い出して、思わず小さく笑ってしまった私を、彼は微笑んで見つめていた。


「ナタニエル王太子殿下、アダルジーザ王子妃殿下。そろそろお時間でございます」


 侍従の声に、私たちは微笑んで見つめ合った。

 私はドレスの裾を抱えると、差し出された彼の腕を取って白い廊下を歩き出した。


 ◇


 澄んだ光に包まれた大聖堂――


 祭壇にはスフェール国王。参列者で溢れている聖堂の最前列にはスフェール王妃が立っている。

 二人とも、柔らかな微笑みを浮かべていた。


 難色を示されるのではないかと懸念していたが、ナタニエル様の両親である国王も王妃も、暖かな笑顔で私を迎えてくれた。

 そして、二人から「どうか、末永くナタニエルを支えてやってください」と手を強く握られたのだ――あの時の涙ぐんだ二人の顔を思い出すと、胸が締め付けられた。


(クレメンテ卿……)


 聖堂の端に、見習い神官の聖衣を纏った彼が静かに佇んでいるのに気が付いた。

 彼は、邪術の解呪後、騎士職を辞してスフェールで神官を志すことになったと聞いていた。まさか、また会えるなんて――目が合うと、彼は微かに微笑んで深く頭を垂れた。

 その微笑みに、彼が何を思っているのかはわからない。けれど、彼を案じていた私の心は救われた――


 傍らに立つナタニエル様が、私を見て淡く微笑んだ。これは、彼の計らいだろうか――私は胸の奥が暖かくなった。


(ナタニエル様……)


 スフェール国王の声で婚礼の儀が進められ、私とナタニエル様は向かい合った。

 何故か急に恥ずかしくなって僅かに視線を落とした私に、彼は穏やかに微笑んだ。


「誓いの口づけを」


 スフェール国王の声が響き、彼が私の両肩にそっと触れた。屈んだ彼の姿に瞼を閉じると、唇がそっと重ねられる。

 離れた温もりに瞼を開くと、少しだけ気恥ずかしそうな彼と視線が合い、私たちはお互いに瞼を伏せた。


「祝福の聖杯を」


 その言葉に、私は息を呑んだ。


 スフェール国王から渡された聖杯を手にした彼が、微かに笑むと聖杯を口にした。

 思わず、体が強張る。

 微笑を浮かべた彼が、私に聖杯を差し出した。


(大丈夫……もし、これが毒だとしても、私の力で彼も私も癒すことができるから――)


 私は彼に微笑み返すと、受け取った聖杯を静かに口にする。

 鼻を抜けるほのかに甘く豊潤なその香りに、私は胸を撫で下ろした。


 拍手が鳴り響く中、傍らに立つ彼が幸せそうな笑みを浮かべている。暖かな祝福に包まれ、私たちは手を取り微笑みあった。

 聖堂の奥に佇む白い女神像は、慈愛に満ちた微笑を湛えている。その微笑みは、まるで私たちを暖かく見守ってくれているように思えた。


 ◇


 婚礼の式典の後には、国民たちへのお披露目が待っていた。

 お披露目は、女神エルシリアの祭典と合わせて行われた。婚礼の儀の前に、“女神エルシリアの乙女”として白桔梗を女神像に捧げていた私が、集まった民に向けて白い花びらを撒いた。


 そうして祝福に満ちた一日を過ごし、夕陽が沈んだ。


 私は侍女に案内され、彼の待つ部屋へと進んでいた。早朝から動き続けて疲れ果てているはずなのに、何故か目は冴えていた。


(緊張するわ……)


 ――『これで、王家の跡継ぎは安泰ね』


 今朝耳にした侍女の言葉を思い出し、私は熱くなった頬を押さえた。


 湯浴みの後に侍女たちから磨き上げられた肌や髪からは、花の甘やかな香りが漂っている。

 薄い絹地のゆったりとしたロングドレスの腰には、細いリボンが幾重にも巻き付けられ結ばれている。これは、一体どうするのだろうか――浮かんでしまいかけた想像をかき消すように、私はショールの胸元を手繰り寄せた。


「王太子殿下、妃殿下をお連れいたしました」


 ナタニエル様の返事が聞こえ、扉の前で立つ侍女が下がる。

 早鐘を打ち始めた胸に、私はショールの胸元を強く握った。

 侍女の手で開かれた扉の中に入ると、そこには月明かりに照らされた彼が佇んでいた。


 少し濡れた白金の髪に、揺らめく赤紫の瞳。彼は普段の白い礼装に着替えていた。

 少しだけ着崩された襟元に、私は小さく息を呑むと静かに足を進めた。


(ナタニエル様のことだもの。今日は、疲れているからとゆっくり休むだけかもしれないわ……)


 そう心の中で自分に言い聞かせながら、私は彼へと近付いた。


「ナタニエル様……」


 そう名を呼ぶと、彼の腕に引き寄せられた。

 見上げた彼の瞳は、熱を帯びている。 


「愛しいイーザ……」


 その甘い囁きに、私は思わず視線を逸らした。


「イーザ、どうしましたか」


「その……恥ずかしくて……」


 瞼を伏せたまま、そう答える。

 このままでは、心臓がおかしくなりそうだ。


 彼の手が頬に触れ、思わず重なった視線。

 僅かな躊躇いを滲ませる瞳には、私が映っている――


「可愛いイーザ……」


 彼の指先が、唇をそっと撫でる。

 声も出せないまま見つめ返すと、彼の顔が近付いてきた。


「ん……っ」


 そっと、触れた唇に甘い香りが漂った。

 無意識に彼の胸元を掴んだ指。

 間近で交わる視線に、それは幾度も重ねられた。


「イーザ……やっと、貴女に触れられる……」


 甘く、熱の籠もった囁きが落ちた。

 抱き締められながら深く口づけられ、胸の奥が甘く締め付けられる。


(ナタニエル様……)

 

 彼以外、もう何も考えられなかった。

 彼になら、すべてを委ねられる――そう思えた。


 ショールが滑り落ち、力が入らなくなった体をふわりと抱き上げられる。

 彼は私を抱いたまま近くにあったソファへと腰掛けた。


「こんな……ナタニエル様……」


 膝の上に座らせた私を抱き締めると、彼は再び口づけた。

 揺らめく紫玉のような瞳から、目が逸らせない――


(この感覚、どこかで……)


 私は、思い出してしまった。

 あの日、薄暗い小部屋で彼に縋り付いたときのことを――


「ナタニエル様、わたくし……」


 その言葉は、唇に塞がれた。

 彼の後ろの窓からは、白く輝く満月が覗いている。


「愛しいイーザ……私には、貴女だけだ……」


 低く囁いた彼は、私の左手に口付けた。そこには、彼の瞳と同じ色の宝石が煌めいている。

 絡められた指が、ひどく熱く感じる。

 熱に浮かされたように、私は彼を見つめた。


 静かな月明かりが、私たちを照らしていた――

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