寮長への報告内容と
銀色の硬貨が三枚と、銅色の硬貨が六枚。細かい傷が入ったキャッシュトレイに、硬貨が乗る。食堂のカウンターに、二本のペットボトルが並ぶ。
「緑茶と、水ね」
ポロシャツを着た、目尻に皺のある中年の男がそう言ってトレイから硬貨を取る。
「ありがとうございます」
芳賀山は礼を口にして、緑茶と水のペットボトルを両手でカウンターから取った。
中年の男が緑茶に視線を落として、笑う。
「副会長の分?出かけたんじゃなかったっけ」
その言葉に芳賀山は頷く。
水のペットボトルを握る白い手が、緑茶を纏めて持つ。二本の容器を包む手に浮き上がった骨が影を作る。
「赤いチェックのシャツを着た生徒が帰寮したので、そろそろ戻ります」
「ああ、一緒に出かけてた子」
口を尖らせて頷いた中年の男は、手に持っていた硬貨をエプロンのポケットへ入れ込む。
「はい。彼は、今日の夕方に帰省すると寮長の曽祢から聞いています」
中年の男の顎が上がり、カウンターの奥にかかっている時計を振り返る。
「ああ、もう十五時か。そういえば外出許可証が出てたね、橋野くん……しかし、会長となると橋野くんみたいな子の予定まで把握してるのか」
はは、と声を上げて苦笑いした中年の男は、カウンターに手をついて、体を少し奥に引いた。
「そんなことはないですよ」
「残ってるのは、四十人ないくらいか。明日は三十人くらいになるし、今年のゴールデンウィークは残る生徒が少ないね」
芳賀山は、持っていたペットボトルを腰まで下ろす。
「夕飯は、十九時半まででしたね」
「今日はロールキャベツらしいぞ、クリーム煮」
「楽しみにしていますと、お伝え下さい」
中年の男の丸い手が上がって、左右に揺れる。
「ああ、それじゃあ。ゴールデンウィーク中も昼ごはんはないから」
「再度、周知しておきます」
芳賀山は頭を下げ、室内灯の消えている食堂から出ていく。薄いカーテンがかかった窓から入る陽光の中、食堂の開き戸をぱたん、と音を立てて閉じる。
食堂を出てすぐの男子寮の玄関に、洗いざらしのシャツを着た七々瀬が、室内用のスリッポンシューズに足を差し入れていた。俯いた七々瀬の短い前髪の合間から、伏せた睫毛が揺れている。
「七々瀬、おかえり」
芳賀山がそう声をかけると、七々瀬の顔が上がった。
「芳賀山」
「街はどうだった?」
片手に纏めていたペットボトルのひとつを七々瀬に差し出した芳賀山に、七々瀬は背筋を伸ばす。
白く長い指が、緑茶のペットボトルの蓋を摘んで芳賀山から受け取った。
「警備員の配置についてと、組合からのチケットの問い合わせがあったよ」
「一昨日、説明したはずだけど、なかなか難しいね」
「明日、役所へ行く前に寄ろうか」
七々瀬はそう言うとペットボトルを持った手を太腿の横へと下ろす。芳賀山の手が上がり、差し出された手のひらがゆっくりと上へ向く。食堂の前から奥へ続く廊下にある階段に向かってその手のひらが、すい、と動いた。
水のペットボトルを持っている芳賀山の手が七々瀬の背に触れる。
「上で話そうか、七々瀬」
七々瀬は階段へと足を進める。階段を上がりきると、ダイニングテーブルがふたつ、その奥にソファとテレビがある四階の居間が広がる。そこに、数人の生徒が寛いでいた。その一人が、七々瀬と芳賀山に気づいてソファから立ち上がる。
「会長、副会長」
声が響くと同時に、視線が階段をのぼりおえた二人に向いた。
「おかえりなさい」
立ち上がった生徒がそう言うと、七々瀬は顔を向けた。
「ただいま。そうだったね、ゴールデンウィークから君たちは、四階か」
「よろしくお願いします」
頭を下げた生徒に芳賀山が口を開く。
「長者原くん、中郷くん、曽祢先輩には会った?」
長者原と呼ばれたのは七々瀬に挨拶をした生徒だ。その横にいた、坊主頭の中郷が立ち上がる。
「はい!?」
「保健委員長、美化委員長。君たちの部屋はどう?」
中郷が、頭を掻いてもごもごと口を蠢かせる。
「いや、さっき……曽祢先輩にお願いしてきました」
「それは良かったよ。前会長の曽祢先輩に迷惑をかけてしまうと、心苦しいからね。ありがとう、中郷くん」
頷く芳賀山に、七々瀬は彼の背に手を当てて声をかけた。
「書類も作っておきたいから、夕食の時でも迎えに来て」
「いいよ、迎えに行こう」
返事をした芳賀山に頷き、居間の横にある廊下へと七々瀬は歩いていく。その背中を見送って、芳賀山は居間に視線を戻す。
長者原と中郷が、顔を逸らしてソファに座った。芳賀山はダイニングテーブルの椅子を引いて、座る。
「君たち、四階での生活ははじめてだね。これから一年、よろしく頼むよ」
ペットボトルが、テーブルの上に音もなく置かれた。芳賀山の口元に浮かぶ笑みと、透き通った常温の水がそこにある。
居間で寛いでいた生徒たちがゆっくりと、立ち上がる。そこからほど近くにある部屋に、入っていく。
床を椅子の足が擦って、芳賀山が席を立つ。ペットボトルを手に取り、彼は部屋へと戻った。
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湯気の立つ白いスープに浮かぶロールキャベツが分厚い木のボウルに三つ、並んでいる。ピンク色のハムとオレンジ色の人参が混ざる青々としたサラダと、スライスされたバケットが、トレイの上で香りたつ。
曽祢の手が箸を持つと、サラダを摘む。七々瀬の白い指が麦茶のペットボトルのキャップを緩めて、曽祢のグラスに注ぐ。
「七々瀬」
曽祢は箸を止めて、七々瀬に顔を向けた。
「はい」
「やめろ、副会長が寮長にするな」
そう言った曽祢に七々瀬が麦茶の容器をテーブルの上に置いて、目を伏せる。
「すみません、曽祢先輩」
曽祢が口を開こうとすると、芳賀山が口を挟んだ。
「七々瀬は曽祢先輩を尊敬してますから」
「芳賀山」
低い声が七々瀬の口から小さく発せられた。芳賀山は七々瀬の顔を見ると、箸を手に取った。
食堂の中央に位置するテーブルに並んで座る芳賀山と七々瀬を交互に見比べた曽祢は、摘んだサラダを口に入れる。
「明日から、招待客の挨拶回りか」
「はい、それで、書記が帰省してますので資料が不足していますが追加で文書を街の組合に渡していいか、見てもらえませんか」
七々瀬がテーブルの上に一枚の書類をおいた。
「芳賀山は見たのか」
「はい、確認しています」
「会長の責任において、確認したのなら問題はない」
芳賀山は困ったように眉を下げる。そうして、持った箸をトレイに戻すと伸びた背筋をそのままに、曽祢を見下ろした。
「曽祢先輩、ぼくは街の方にご迷惑をかけてはいけないと考えています。ゴールデンウィーク中、顧問とは連絡が取りにくい」
芳賀山の白い指先が、七々瀬の置いた書類を拾い上げる。テーブルから離れた書類が、ぱし、と音を立てて芯が入ったように芳賀山の手先に広がった。
「ぼくのお願いを聞いていただけませんか。曽祢先輩」
「言うようになった」
曽祢は眼鏡のブリッジを指で上げた。曽祢の手が箸をトレイに置くと、七々瀬は伏せた目を上げる。
「警備と駐車場の対応、チケット販売についての簡易的な案内となっています。資料を渡し、説明は行いましたが一枚にまとめたものです」
「この為の、麦茶か」
「とんでもありません。僕の尊敬する先輩のためです」
受け取った書面に目を通した曽祢が、テーブルに紙を置く。鼻で息を吸って、口を開くと静かに息を吐いた。曽祢は七々瀬に顔を向ける。
「七番目、変更してもう一度持ってこい。そこだけでいい」
「ありがとうございます」
七々瀬は頷くと、頭を下げた。芳賀山が曽祢に微笑む。
「ありがとうございます」
テーブルの上から書類を取った七々瀬は二つ折りにして端へと避ける。曽祢が七々瀬の手元へ視線を向ける。
十九時を過ぎた食堂は生徒がぽつぽつと座るのみで、ほとんどの寮生が食事を終えているせいか、三人の周りに生徒がいない。食堂のカウンターにまた一人、食事を終えた生徒がトレイを置いた。
「ご馳走様でした!」
「はーい、どうもー」
生徒の声に応えるよう、食堂の奥から女性と男性の声が揃って響く。
「七々瀬」
曽祢が米の入った茶碗を左手に持ち上げると、短く名を呼ぶ。
「橋野とトラブルか」
ロールキャベツをふたつに割った七々瀬の手がぴたり、と止まる。七々瀬の白い顔が上がる。
「ありません」
曽祢の茶碗を持つ手が、とん、とテーブルの上に音を立てた。
「報告すべきことはないか」
「僕にはありません。特に喧嘩や口論は、していません」
茶碗の中のつやつやとした米が、曽祢の箸を受け止める。口に入った米を咀嚼する曽祢は食事に集中しはじめた。沈黙の落ちたテーブルの横を、食事を終えた生徒が足早に通り過ぎていく。芳賀山は生徒の背中を一瞥し、七々瀬と曽祢と共に黙って食事を再開する。
食事を終えると、七々瀬はすぐに部屋で書類の修正に手をつける。
その夜には書類はできあがった。
翌日の三日には、正服を身に纏った芳賀山と七々瀬は早朝から寮を出る。正帽は被らず、手には揃って黒い四角のバッグを持っていた。
街に降り、肩を並べて歩く二人に声をかける者は少ない。黒いギャバジン生地の詰襟は刺繍が輝き、長身の二人を際立たせている。
書類を持った芳賀山が、組合長を訪ねた。
「こんにちは。古高辿学園生徒会です。お時間よろしいでしょうか」
「先日はありがとうございました」
七々瀬と芳賀山は揃って、口元を緩める。組合長は、書類を受け取るといくつかの話をして頷いた。
それから役所を訪れ、約束を済ませる。
混み合うカフェに食事のために立ち寄る。観光客も多いゴールデンウィークである。黒い制服姿の二人に視線が集まる。
「あの……」
女性の登山客の一人が声をかけた。
「はい、どうしましたか」
七々瀬は、椅子を引いて立ち上がる。彼女を見下ろし、柔らかい声音で答える。
「お、大きいですね……」
「よく言われます。僕に何か」
目を細め、微笑んだ七々瀬に女性がスマートフォンを差し出した。
「何かのイベントですか?かっこいいですね。写真とかって撮れますか」
「ふふ」
七々瀬と共に座っていた芳賀山が笑って立ち上がる。女性の顔が、芳賀山へと向いた。
「芳賀山」
「失礼、ここの山間にある古高辿学園の生徒です」
目が大きく開き、彼女は二人を見比べる。押し黙った女性の背後から友人らしき数人が彼女の肩を掴んだ。
「ごめんね!学生さんだったんだよね!かっこよかったから写真ほしかったみたい!」
七々瀬が腰を僅かに折り、頭を下げた。
「すみません、お断りさせてください」
「ぼくたちより、良い風景があります。登山道に絶景のフォトスポットがあります。良かったらパンフレットを確認してみてください」
芳賀山はそう言うと、彼女に微笑む。スマートフォンを握りしめていた黙り込んだ女性を、友人たちの一人が少し離れたテーブルへと連れていく。
「わー!ありがとう!じゃあ!あの!ありがとうね!」
手を振って二人から離れた女性客たちを確認すると、芳賀山が七々瀬の背を叩く。
「君、大きくて怖いんじゃない」
「芳賀山に言われたくはない」
「ぼくは意外と近くで見ると大きいとは言われるけど、あんなふうに絶句されたことはないよ」
七々瀬は椅子を引いて、腰掛けた。
「岡蔵さんとの約束があると言っていたね」
芳賀山もまた、椅子へ座った。
「そうだよ、夕方に少し」
「急いで食べよう。次はバスで一時間かかる」
「怖がられた七々瀬か」
ぽそ、と呟く芳賀山に七々瀬はフォークを持って眉を顰める。
「芳賀山」
芳賀山がそれを見て、歯を見せた。
「岡蔵さんを待たせるわけにはいかないからね」
そう言った芳賀山はソテーされた肉が乗るプレートへと視線を落とす。七々瀬は何も答えずに静かに息を漏らした。




