新役員と会長と、副会長
窓を叩く雨粒がばらばらと音を立てる。生徒会室の鳶色のテーブルには、四つにわけられた書類が纏められていた。椅子に座った七々瀬の手がホッチキスを持ち上げ、書類の端を留める。ばちん、と響く音は雨の叩く音とともに生徒会室へ広がった。
窓を背に執務机の椅子に座っていた芳賀山は、引き出しから印鑑とスタンプ台を取り出す。整った爪が室内灯の光を弾き、書類へ印鑑を打った。木箱からティッシュを一枚、取り出し赤く染まった印面を拭う。そうして引き出しへしまい込むと、椅子から立ち上がった。
「七々瀬」
声をかけた芳賀山に、冊子を作り終えた七々瀬が顔を上げる。
「そろそろ、委員長の挨拶の時間だけど高城川くんと花山さん、遅いね」
「わかっていると思うよ」
「心配だね」
芳賀山は執務机へ椅子を寄せ、机の上にある書類を手に取る。七々瀬の座っている席を通り過ぎ、テーブルの端に書類を置く。
眉にかかった前髪が揺れ、芳賀山の伏せた瞼に影を作った。白い指先が置いた書類の上を滑り鳶色の机を撫でてゆっくりと離れ、芳賀山はテーブルの端に座っている七々瀬へと近づいていく。
横に立つ芳賀山に、七々瀬は冊子をひとつ差し出した。それを受け取った芳賀山はテーブルに冊子を置き、七々瀬の横に座る。
「ありがとう、七々瀬」
冊子の上を芳賀山の手が覆う。
「君が持つとホッチキスが小さい」
七々瀬の前にある青いホッチキス。七々瀬は目を伏せ、ホッチキスと替針の入った緑色の箱を手の中に包む。
「君が持っても同じだろう。同じ百八十一だから」
椅子を引き、七々瀬が席を立つ。
「あまりぼくと同じくらいのひとを見たことないからかな。七々瀬はかっこよく見えるよ」
生徒会室の扉に近い位置の書棚へ、七々瀬は膝を折ってしゃがむ。顔を僅かに伏せているが背は伸びたままだ。芳賀山の目が七々瀬の横顔をじっと、見つめている。
「芳賀山、そろそろ、向こうに」
引き出しを開いてホッチキスと替針の小箱を中へ入れると、七々瀬がそう言った。芳賀山は席を立ち、冊子を手に執務机の前へと回り込む。
生徒会室の扉がノックされ、間を置かずに開いた。高城川と花山が扉の隙間からするりと部屋へ入ってくる。芳賀山は、彼らへと視線を落とした。
七々瀬が立ち上がり、振り向く。
「ここは、教室ではないよ。高城川くん、花山さん」
平坦な七々瀬の声音に、高城川と花山は謝罪を口にした。
生徒会は各役員が各委員をまとめるという立場をそれぞれ持っている。一年生から三年生、全ての学年が所属する委員会は、生徒会の指示と方針の元に動くのだ。
生徒会室の扉が大きく開き、各委員会の委員長の訪問を待っている。
高城川が緊張して何度も唇を舐めていた。花山もまた、手を前へ後ろへと動かして落ち着かない。それを見た芳賀山が目を細めた。
「高城川くん、花山さん。不安ならぼくのところにおいで」
そう言った芳賀山に壁面書棚の前に立っていた七々瀬が、顔を向ける。
「会長、黙って」
すると、芳賀山がテーブルの角を手のひらで指し示す。
「君はこっちにおいで」
芳賀山から顔をそらした七々瀬だったが、芳賀山の手がテーブルの角へと落ちる。
「君はぼくの横に」
花山の手がスカートを握りしめ、彼女は咳払いをした。高城川は花山を見て、大丈夫か、と声をかけると花山は首を振る。
動かない七々瀬へ、芳賀山は柔らかい口調を崩さず続ける。
「七々瀬、君がそこにいると怖い」
芳賀山の横へと、七々瀬は黙って歩み寄った。肩を並べ、立つ二人は目を合わせることなく扉を見下ろす。
生徒会室の開いた扉から足音が響いてくる。
「クラス委員会、委員長の二年、山羊中。会長に挨拶に来ました」
声とともに姿を現したのは、女子生徒だ。彼女は頭を下げると、生徒会室へ入る。
「ありがとう、会長の芳賀山です。山羊中さん、一年間よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
山羊中はそう言うと、テーブルの上にある芳賀山の置いた書類に持参しているペンで名前を書いた。
「では報告をお願いします」
見下ろす芳賀山の視線に、女子生徒が背筋を伸ばす。彼女の小麦色の頬が僅かに引きつっていた。
クラス委員会、委員長の挨拶を終えると次々に生徒会室へと新しい委員長が訪れていく。
「書記の高城川です。よろしくお願いします……名前を……あ、書いたら報告してもらっていいですか」
はじめこそ、何度も頭を下げていた高城川だったが花山の芳賀山に倣った対応を見て、落ち着いていった。
窓を打つ雨足も緩み、流れる水が幾つもの川を作って下へ落ちていく。芳賀山は、執務机の前で姿勢を崩すことなく高城川と花山の背を見守る。
十八時半を過ぎて、委員長の挨拶もあらかた終了する。花山が振り向いて、芳賀山に口を開く。
「会長、まだ美化委員と図書委員が来ていません」
「そうだね」
短く答えた芳賀山に、花山の目が揺れ冊子とペンを持つ彼女の手に力が入る。高城川が踵を上げ、くるりと回った。
「お、僕、見てきますよ」
手を胸まで上げ、高城川が提案するも芳賀山は見下ろす視線を動かすことはない。静かに、高城川は上げた手を下ろし、七々瀬の顔、そして芳賀山の顔を見比べる。
「遅くなりました。図書委員会、委員長の岡蔵です。書記の方はいますか」
芳賀山の目が、岡蔵と名乗った女子生徒の立つ開かれた生徒会室の扉の奥へと移る。白い頬が上がり、口角が薄く横へ広がった。
「高城川くん」
芳賀山が呼ぶと、高城川は頭を下げて岡蔵へと振り向く。話をしている間に、美化委員長が花山の元にやってきた。
テーブルの上にある生徒会の赤い印影が打たれた書類は委員長の名前で埋まる。黒いボールペンで書かれた名前の下に、芳賀山皇大郎という角張った文字が黒々と走っていた。
「じゃあ、花壇について風紀委員とも話し合うけど。直すのは明日からやるね、高城川くん」
岡蔵がそう言うと、高城川は頷く。
「はい、お願いします」
「花壇の予算は使っていい?」
「予算」
「予算。ほら、足りないお花とか、土とか肥料とか」
高城川の目が揺れる。生徒会室から出ていく美化委員長を見送る花山に、高城川が顔を向ける。気づいた花山が手に持っていたボールペンをクリアファイルにクリップで挟む。
「予算は各委員会に割り当てられてると書いてあったから、問題ないなら書記の権限内でしょ?」
花山はそう言うと、七々瀬に体を向き直す。息を吸って、クリアファイルを持つ手に力を入れた花山が七々瀬を呼ぶ。テーブルを回り込み、七々瀬の元に歩いていく姿を高城川は見送る。そうして、高城川が芳賀山へ視線を向けると、見下ろす芳賀山がいる。
僅かに伏せた瞼の合間から見える芳賀山の目に、高城川が身を固くする。
芳賀山が顎を上げる。
「ぼくにどうして欲しいか、言ってみて」
柔和な、芳賀山の言葉。高城川は、思わず頭を下げる。
「難しいよね、予算のことなんて初めてだとわからないから。大丈夫だよ」
「すみません」
ぼつり、と呟いた高城川の言葉に、芳賀山は執務机とテーブルの合間から長い足を踏み出す。床にこつ、とローファーの踵が音を鳴らした。
高城川の横に立った芳賀山は岡蔵を見下ろし、微笑む。
「使用する金額の提示と、必要物品の一覧、過去の資料、美化委員長への相談の有無はどうなっているのか教えてくれますか」
目を見開き、頬をひきつらせた岡蔵はスカートを両手で叩き、その手を太腿の前で組んだ。
「高城川くん」
「はい」
「確認してみてね」
芳賀山は、そう言うと高城川の背へ手を当てる。白く大きな骨ばった手に押され、背筋が伸び、高城川の顔が上がる。
「岡蔵先輩……あの、会長の言ったものはどうなってるか教えてください。適切かどうか、判断します」
掠れていたが言い切った高城川の背から芳賀山の手が離れる。
「わかりました。すみません、明日までに持ってきます。ただ、美化委員には既に道具の貸し借りについては話を通してあるので花壇の整理ははじめます」
「お願いします」
高城川が頷くと、岡蔵は頭を下げた。それを見た芳賀山が岡蔵の腕に手を伸ばす。するり、と彼女の腕から背中へ触れぬように芳賀山は手を回す。そして、一歩踏み込み、彼女の横へ立つ。目をまたたかせた高城川が芳賀山を見上げる。
「岡蔵さんを送ってくるよ」
「え?」
思わず口から声が漏れた高城川の背後から七々瀬の声が響く。
「後は僕がしておくから、大丈夫」
七々瀬の口元にある黒子が、白い肌の上で揺れる。
「ありがとう、七々瀬」
「気にしないで」
「夕食までには戻るよ」
そう言うと、芳賀山は岡蔵へ顔を向け彼女の手をとった。岡蔵の眉が寄り、見上げる目が歪む。
「芳賀山くん、私は大丈夫だから、生徒会のお仕事を優先して」
「ぼくには七々瀬がいるから、大丈夫。君を一人で戻すことはできないよ」
「芳賀山くん」
「岡蔵さんはぼくの彼女だよ」
見下ろす芳賀山に、岡蔵は顔を伏せる。日が落ち、窓から入る光は無くなった。白い蛍光灯が生徒会室の前にある廊下を薄暗く照らす。
花山と高城川は出ていく二人を確認すると同時に、生徒会室の扉を閉める。降っていた雨は止み、窓には水滴が留まるだけであった。
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こおころろ、と木々の合間から動物の声が山の空気を割く。冷えた風がポールライトに照らされた地面を撫でる。
女子寮から続く道は、雨で湿って温度が下がっている。
ストレートチップの靴先が濡れた土を踏み進む。鉄紺色と藍鉄色のチェックのズボンはポールライトの僅かな光に照らされ、風合いを変えていた。スクールバッグをかけた肩に芳賀山が手をやると、校舎から歩いてくる高城川の姿が目に入る。
彼は、芳賀山に気づくと足を止めて頭を下げた。男子寮はすぐそこだ。高城川は寮の前まで走りかけたが、歩いて寮のポーチライトの光が届くところへと進む。
目を細め、芳賀山は高城川の元に近づき彼を見下ろした。
「終わったの、高城川くん」
「はい、七々瀬先輩はもうすぐ帰ってくると思います」
声を抑え、高城川は静かに喉を上下させる。彼の背後にグランドライトが暗がりの道を示していた。
「七々瀬はまだ生徒会室?」
「確か……芳賀山先輩に、渡す用意があると言ってました」
「そう、じゃあ、食事の準備をしている間に迎えに行ってこよう」
横を通り過ぎようとした芳賀山に、高城川の口が動く。しかし何の音も、ない。
高城川は芳賀山の背中へ頭を下げ、醤油と豚の匂いが混じる甘い香りの暖かな寮内へ入る。




