生徒会新役員就任式
ストレートチップのつま先が、地面を踏んだ。曇りひとつない磨き上げられた黒の革靴は朝日に光る。朝露に湿った地面に、ソールが砂を盛り上げる。
澄んだ冷えた空気を吸い込んで、芳賀山は男子寮の前に立つ女子生徒へ顔を向けた。
散り始めた桜と鮮やかな緑の葉、太い茶色の幹を背に立つ彼女は腰を折って、ぴんと張った背と共に頭を下げる。
「おはようございます、芳賀山先輩、七々瀬先輩。高城川くん」
す、と頭を上げた彼女は、綺麗に揃った前髪を揺らして芳賀山を見上げる。
「おはよう。花山さんだね」
ブレザーを着た芳賀山が口を開く。手には、スクールバッグと共に正服と正帽がある。
「はい、昨日は顔合わせができず、残念でした」
「うん、そうだね。時間を取れず、今日まできてしまった。不安なことがあるなら言ってね」
花山は頷いて、芳賀山の目を悠々と見返す。
「ありがとうございます。高城川くんとがんばります」
背後で黙っていた七々瀬が、正服を持つ手を軽く上げて校舎のある方へ顔を向ける。長い足が砂埃を立てず動き出す。高城川の目が芳賀山と七々瀬を見比べ、同じように正服を持っていた手が揺れる。
芳賀山の顔が、花山から七々瀬の背中に向いた。すると、歩いていた七々瀬が立ち止まり、木々から漏れ出る澄んだ朝日の中、身を翻す。
「話は生徒会室でしよう。花山さん、自己紹介はそこでさせてね」
柔らかい声が花山に向かって伸びる。麗しい目元が細められ、口元が緩む。短い黒髪がふんわりと後ろに流れ、微笑む七々瀬に花山は目を伏せる。
「はい」
顎を引き、俯いた彼女は小さくそう言った。それを見た芳賀山は目尻を僅かに下げ、息を吸った。
「そうだね、じゃあ、行こう。高城川くん、花山さん、ぼくたちについてきて」
芳賀山はそう言うと、歩き出した。七々瀬の横に並んだ芳賀山に合わせ七々瀬は校舎に向かう。
並ぶ彼らの後ろを高城川と花山はついていく。
風が吹いて、騒めく木々の合間から四人を照らす日差しはまだ、柔らかな朝を纏っている。
♔ ──────── ♚
焦げ茶色の扉の上に、生徒会室、と書いてある白いプラスチックのプレートが打ち付けてある。その前に芳賀山、七々瀬、高城川が揃って扉へ背を向け立っていた。生徒会室内では、花山が着替えを先にすませようとしている。
天井にある蛍光灯と、鬱蒼と繁る木々の隙間を縫って入る窓からの光に生徒会役員のみが着用する正装用制服が照らされている。黙って窓の外を見ていた芳賀山の顔が横に立つ七々瀬へ向く。
「去年、役員に女子がいなかったから考えていなかったね」
七々瀬は窓へ向けた視線を芳賀山に向けることなく、ただ僅かに瞼を下げた。
「横の資料室はどうかな」
「あそこは窓が小さくて埃っぽい。それに鍵がかからない」
「……準備室のほう、となるとカーテン新調しないとならないね」
芳賀山が頷き、七々瀬から高城川へと視線を移動させる。
「君、書記だね」
「そうです、芳賀山先輩」
こく、と高城川は頷き、芳賀山を見上げる。すると、芳賀山が高城川を見下ろし、頬を緩ませる。
「花山さんと手配をお願いするよ」
「了解です!」
「元気がいいね、一年生らしい。頼んだよ」
「はい!」
胸を張って、そう言った高城川に七々瀬が呟く。
「高城川くん。ここは部活動ではないから気をつけて」
静かな声に、高城川の顔が強ばる。芳賀山が七々瀬を振り返る。
「古高辿は百年を超える学園で、その自治を担う生徒会役員だよ、君は」
七々瀬がそう言うと、芳賀山は七々瀬の背中へ手をそっと当てる。
「高城川くん」
芳賀山の呼ぶ声に、高城川の背が伸びる。彼の目に映る七々瀬へ手を当てた芳賀山の背中は、深い濃紺のブレザーに埃一つない。
「がんばろうね」
「……はい」
大きく口を開けかけた高城川は、声を押し殺して答える。芳賀山は、高城川へようやく体を向ける。
「うん、何かあればなんでも聞いてね、七々瀬とぼくに」
高城川が返事をする前に、生徒会室の扉ががちゃ、と音を立てた。すう、と開いた扉から花山が顔を出す。
「お待たせしました」
頭を下げた花山が、廊下へと正帽を手に出てきた。高城川が手を出そうとする前に七々瀬の腕が伸び、閉じかけた扉を静かに押さえる。芳賀山の前へ立つ花山が会長である彼を見上げる。
「ぼくたちの着替えが終わったら、声をかけるね」
芳賀山がそう言うと、花山は緊張した面持ちで窓の前へと立った。七々瀬の押さえた扉の前を通り過ぎて部屋に入る芳賀山の後をおいかけようとした高城川はちら、と七々瀬を見上げる。
「大丈夫。入って」
柔らかい七々瀬の口調に高城川は目を伏せ、中へ入っていく。七々瀬は生徒会室に入る前、花山に声をかけた。
「花山さん、着替えたら改めて挨拶させて」
びく、と花山は肩を震わせ、振り向いて頭を下げる。
「はい」
「二人とも緊張しすぎだよ。可愛いけど、僕たち、怖くないからね」
「……はいっ」
顔を伏せ、きゅっと黒いズボンの前で手を結ぶ小さな花山の手を見て、七々瀬は眉を下げる。そうして、音もなく生徒会室の扉は閉まった。
着替えを済ませるまで、そう長くはかからない。
詰襟をきっちりと首元まで閉めれば、金と白糸の刺繍が真黒のギャバジン生地に映える。袖と胸にある金の飾りボタンが室内灯に輝いていた。
鳶色の分厚いテーブルの横にある壁面書棚の前にいた七々瀬が、テーブルの上の正帽に手を伸ばす。七々瀬から席をふたつあけて立っていた高城川が外で待つ花山を呼びに扉へ向かっていく。七々瀬は彼の背を一瞥すると正帽に視線を下げる。
テーブルの奥の執務机にいた芳賀山が、金のボタンのついた黒い袖を上げる。
七々瀬が顔を向けると、芳賀山の手には櫛が握られていた。
「座って、七々瀬」
「……僕は自分できちんと、セットをしてきた」
正帽を取ろうとした手で、七々瀬は頭を撫でた。が、芳賀山は櫛を持って、執務机を回り込み、七々瀬の横に立つ。
「副会長」
芳賀山が、そう言うと七々瀬は黙って椅子を引いて座る。芳賀山の手が彼の肩へかかり、背もたれに背をつけさせた。
「……えっ」
生徒会室へ戻ってきた花山が口元を手で覆い、声を上げる。扉を閉じ、顔を上げた高城川もまた花山の声に芳賀山と七々瀬へ視線を向ける。
七々瀬は静かに目を閉じた。
「あまり七々瀬は得意じゃないからぼくが仕上げを少しするだけ。驚かせた?」
そう言いながら芳賀山の白い指が七々瀬の髪に滑り込んで、櫛が整髪料を既に纏った短い黒髪を梳く。芳賀山は視線を下げ、伸びた背筋を曲げることなく七々瀬の髪を綺麗に撫でつける。
花山は息を飲んで見ていたが、背後にいた高城川へと振り向く。
「高城川くん、私も見てくれない?問題ない?」
少し高い花山の声が響き、七々瀬はうっすら、目を開く。その瞼の上に芳賀山の指が影を作って、額に触れ、眉間へ流れた。
「七々瀬、花山さんしっかりしてる子だね」
そっと囁く、低い声に七々瀬は目を閉じた。芳賀山は綺麗に整えられ、髪一本すら落ちていない七々瀬の頭から手を離す。
「……僕は恥ずかしい」
そう返した七々瀬に、芳賀山の目が大きく開き、ふ、と息が漏れた。
高城川は、花山を上から下まで確認した後に言い放つ。
「大丈夫、かっこいいよ」
「かっこいいかじゃなくて、問題がないかの話だよ、高城川くん」
「え?」
「しっかりして……」
時計の針は、部活動紹介の開始の三十分前を示している。芳賀山は、スクールバッグから取り出したウェットティッシュで手を拭うと、後輩の二人に声をかける。
「おいで、見ようか。高城川くん、花山さん」
それを聞いた七々瀬も椅子から腰を上げ、正服を正す。高城川と花山は、振り向くと太腿の横に指先を貼り付けた。
♔ ──────── ♚
「寒い」
そう呟くのは一年の生徒の一人だけではない。声が、講堂に広がっていく。丸く湾曲した高い天井と、並ぶ黄茶色の固定席。深い濃紺のブレザーと黒髪が、青磁色のシャツと薄黄色の肌を、明かりの消えた薄暗い座席に浮き立たせている。
壇上の左端から、二年生の放送委員が静かに座席に座る一年生の騒めきを見下ろす。マイクの前に立つ彼女は手に持つ冊子へ視線を落とし、口を開く。
『それでは、部活動の紹介へ移る前に我が学園の生徒会、新役員の就任式と、会長による挨拶です』
落ち着いた硬い声が講堂のスピーカーから、騒めく一年生たちへと届く。
「……まだ続くんだ……」
薄暗い座席から壇上へと漏れ聞こえるのは不満気な声だった。
「学園長とか、風紀委員からのお知らせとかもういいよ」
「生徒会ってあれよね、イケメン二人の……」
スポットライトが照らす、放送委員の冊子を持つ手が静かに、台形スカートの横へおろされる。息をすっと吸い込み、彼女は大きく声を発した。
『お静かに願います』
ぴり、と空気が一瞬だが張り詰め、講堂は静かになりかけたものの、密やかな騒めきは収まらない。彼女を照らすスポットライトが消え、明るく浮かび上がる薄茶の壇上に、ストレートチップの革靴が音を鳴らす。
磨かれた木板が打ち付けられた床を、革靴の踵の高い音とともに黒い姿が移動する。詰襟の金と白糸で刺繍された校章と、黒いギャバジン生地に浮かぶ金ボタンが一年生たちの目を奪う。
深く被った正帽の庇が影を作り、顔は隠れてしまっている。彼が中央に立ち、一歩下がると緞帳の影から、かつ、と小さな革靴の音が鳴る。
『一同、会長に礼』
静かで、低く、平坦な声。小さなマイクが壇上の右端に立つ七々瀬の胸にある。
整えられた眉と麗しい目元、白い肌が真っ黒な生地と刺繍に映え、見下ろす視線に一年生は息をのみ、座っていたが居住まいを正し頭を下げる。
七々瀬は息を吸い込み、号令をかけた。
『一同、なおれ』
そうして口を閉じると、音もなく七々瀬は中央へと体を向ける。
ステージ中央に立つ男が、目深に被っていた正帽を白く長い指で脱いだ。真っ直ぐに前を向く、美しい目元が明るい壇上に現れる。
『一年生の皆さん、ご入学、おめでとう。生徒会、会長の芳賀山です』
柔和で優しい声音が講堂に広がった。
『私たち生徒会は、この学園の規律、自立、節度の校訓を体現し、君たちを見守っています』
芳賀山は口元に微笑みを浮かべる。
『皆さんの学園生活が、規律、自立、節度を守り、豊かなものとなるようお手伝いします。会長として、いかなるときも公平であるとお約束します』
騒めき、声を立てていた一年生は、いつの間にか身動ぎひとつせずに壇上を見つめていた。
『では、副会長、二年、七々瀬』
芳賀山の顔が、端に立つ七々瀬へ向いた。七々瀬の長い足が、床の上をこつこつ、と小さな音を立てて動き、芳賀山の横に立つ。
『一年生の皆さん、副会長の七々瀬です。初めましてのひとも、挨拶をしてくれた一年生も、私はこれから先、君たちのよりよい学園生活を楽しみにしています』
見下ろす七々瀬は、瞼を上げ講堂の奥にある音響室へ視線をやった。
『規律、自立、節度。生徒会、副会長として公平に君たちを見ることを約束します』
七々瀬は続ける。
『一年、新役員、書記、高城川。並びに一年、新役員、会計、花山。会長の前へ』
その声とともに、高城川と花山が壇上へと姿を現す。膝が震え、花山のズボンが僅かに揺れていた。高城川の顔が下がりかけたものの、花山と揃って前を向く。
「一年一組、高城川純。書記をします。よろしくお願いします」
マイクを通さない高城川の声が講堂へ広がり、花山の瞼が一度閉じて開く。
「一年二組、花山佳苗。会計をします。よろしくお願いします」
少し震えた声音だが、花山はそう言い放つと口を引き結ぶ。
就任式と挨拶を終えて壇上からおり、芳賀山は胸を撫で下ろす高城川と花山に声をかける。
「君たち、役員として部活動紹介を見てくるんだよ」
そう言った芳賀山の背に七々瀬が手を当てた。
「それくらいは二人もわかってる。芳賀山、授業に戻ろう」
七々瀬の目は、芳賀山の背に手を当てているというのに、高城川と花山を見下ろしている。
二人は丸くなりかけた背を伸ばし、短い返事を返す。




