王子様は美しく乱れる
足元に流れる湯を足先が弾いて、白いタイルを踏む。銀色の排水口に流れていく湯がこぽ、と音を立てている。シャワーの細かい湯が飛沫を上げて角張った肩の上を流れていく。
腕が上がり、顔の上に落ちた髪を白く長い指がかき上げる。
一重の美しい目元に、ほんのりと赤みがさしている。シャワーのコックを押し下げて、湯を止めた芳賀山は浴室の扉に掛けておいたバスタオルを手に取る。体を拭って腰に巻き付け、白いスプレーボトルを持ち上げる。化粧水を吹きかけるとボディミルクを体に塗る。
芳賀山は濡れた髪をドライヤーで乾かし、着替えを済ませると黒いスプレーボトルに手をかける。
細かな粒子となったミストが、芳賀山に吹きかかる。
ヘアオイルを髪に塗り込み、櫛を通し終えると芳賀山は鏡へ目を向ける。レモンとオレンジの香りが漂う。
白いシャツを引いて腰周りを整える。
芳賀山は浴室から部屋へと行き、机の引き出しから財布を取り出す。ベッドフレームに掛けておいた藍鼠色のジャケットを手に取った時だった。部屋の扉が叩かれたのだ。
芳賀山はジャケットを羽織り、財布を胸ポケットへ入れ込む。そうして足早にその扉を開く。
「どうしたの」
そこに立っていたのは、七々瀬であった。
「君、食事はどうする予定?」
七々瀬は、僅かに顎を上げて顔を逸らしている。牡蠣色のポロシャツの襟から伸びる首に筋がくっきりと浮く。
しかし、視線は芳賀山の顔を捉えている。
「日曜日も、君と食べるつもりだったよ。七々瀬。今日は君が迎えに来てくれたんだね、嬉しいよ」
芳賀山がそう言うと、七々瀬は喉仏を上下に揺らす。扉を押さえていた芳賀山の指先が、木の上を滑る。
「どうせなら、君に服を合わせようかな」
七々瀬の顔が、芳賀山に向く。
「君は、今日可愛いから」
微笑んだ芳賀山がそう言うと、七々瀬の眉間に皺が寄る。小さく、七々瀬の口から溜め息が漏れる。黙ったまま、七々瀬は背を向けて居間へと歩き出した。
芳賀山は扉を閉じると、ジャケットを脱ぐ。箪笥から取り出した裏葉色のシャツは、柔らかい素材でできたものだ。
着替えを済ませると、七々瀬と街へ食事に向かう。校門を出て芳賀山は七々瀬の腕に触れる。白い皮膚の上を芳賀山の手が滑り落ち、七々瀬の手のひらを包む。
梅雨の晴れ間に輝く太陽の光が、木々を照らす。青々とした空気が湿気を孕んでいる。歩く二人の足音と共に鳥の声がどこからか響く。
七々瀬の手が芳賀山の指からすり抜けようとしたが、止まる。
「……明日は、試験の初日だね」
低く掠れた声が七々瀬の口から落ちる。芳賀山は握る手に力を入れる。
「そうだね、あまり補習の生徒が出ないといい」
七々瀬の手が、芳賀山の手を柔らかく握り返す。
「去年より、少ないといいけど」
一週間の、試験勉強の期間が終わる。
日曜日が明ければ、期末試験が始まるのである。
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問題の冊子を閉じる紙の音と共に、授業の終了を告げる鐘が教室へ響く。解答用紙が、集められて教卓にいる教師の手元に束となる。紙の束が、教卓を二度叩く。
学級委員の号令とともに教師は教室を出ていった。
日曜日から一転して大雨が窓を灰色に染めている。校舎を叩く雨音は校内の空気を湿らせる。雲に覆われた空は暗く、山を覆い隠して沈む。
一階の食堂には、白い弁当箱が積み上がる。午前中に試験を終えた生徒たちのものだ。群れなす生徒たちの黒い髪と青磁色のシャツが食堂に渦を作っている。
「……これ、時間かかるなあ」
そう呟いた花山は、肩にかけていたスクールバッグを手に持つとスカートの前で吊るす。食堂の入口から少し離れた壁際に女子生徒と揃って立っていた花山は息を漏らす。
「どうする、花山さん」
女子生徒がそう言うと、花山は頭を横へ傾ける。
「困ったよ、生徒会室行かなきゃなのに」
「だよね、私……が行っても同じなんだよねえ」
「私が行っても同じだよ」
「ねえ……」
語尾が消え入るように、女子生徒の言葉が空に消える。花山が仕方なく並ぼうとスクールバッグを肩にかける。
その時、黒と青磁色の渦から一人の女子生徒が小走りに花山のところへ近づいてきたのだ。
「花山さん!」
青磁色のシャツには、二年の文字と共に名前が入っている。花山は背筋を伸ばし、顎を引いた。
彼女の手には白い弁当箱がふたつ、ある。
「はい、花山です」
そう答えた花山に、二年の女子生徒は持っていた弁当箱をひとつ、差し出す。
「えっ」
「これ、私たちからです」
「私たち?なんですか」
花山が聞くと、彼女は笑顔を見せる。
「るこてん祭、ありがとうございました。かっこよかったから応援することに決めました」
「……あの……え?」
横にいる女子生徒へと、花山は顔を向けて、もう一度、二年の女子生徒に目を向ける。
彼女は花山の胸に弁当箱を寄せる。
「あっ」
短い声とともに花山の手が弁当箱を受け取ってしまう。
「お食事、夕食も任せてね」
「あの、すみません、受け取れません」
二年の女子生徒は頭を下げる。釣られて、花山は断ったというのに会釈を返す。手を小さく振って彼女は立ち去っていった。
横に立つ女子生徒が、何も言わずに花山の腕を叩く。花山は手の中にある弁当箱へ視線を落とす。
「……よ、かったね」
ぼそ、と女子生徒はそう言うと、花山を置いて食堂へと向かう。
返す先のない白い弁当箱を持って、花山は生徒会室へ歩き出す。雨を避けて軒下を通ったが、スカートには雨粒の染みができて脹脛が濡れる。二号棟へ入り、階段を静かにのぼる。
手元の重みは消えず、花山は眉を下げた。階段をのぼりきり、もう一度白い弁当箱へ視線を落とす。
「……これ、ファンクラブだったらどうしよう」
そう呟いた時だった。
「芳賀山」
七々瀬の声が廊下の奥から耳に入る。花山は顔を上げ、階段の前から一歩踏み出す。濃い焦茶色の壁から、生徒会室のある廊下の奥へ視線を向ける。
生徒会室の前に、長身の男子生徒が立っていた。芳賀山と七々瀬である。
七々瀬の白い腕が、芳賀山の腕と重なっている。
花山の手にある白い弁当箱がぎゅ、と音を立てて形を変える。踏み出した足を引いて、花山は壁に身を隠す。
「どうしたの、七々瀬」
芳賀山の声音に、花山の目が見開く。腕が揺れ、白い弁当箱が震える。
「今日……は何時に起きたの」
かつ、と革靴が床を踏む音がする。花山は階段へと視線を向けると、くしゃりと顔を歪ませる。
「今日?何時だったかな」
「僕は、五時に起きて勉強をしていたけど君は……芳賀山」
「ぼくに、どうしてほしいの」
「芳賀山」
花山は息を吸い込み、天井を見上げる。
「七々瀬、おいで。今日はこっちで食べよう」
二人分の足音が遠ざかる。花山が口を開き、息を吐き出す。
「明日は、朝、迎えにいくね」
きい、と甲高い準備室の扉が開く音と共に、柔らかく低い、七々瀬に向けた芳賀山の声音が響いた。間を置かずに閉じた扉の音に花山は壁に背中を押し当てる。
「見ちゃった……」
小さく呟くと、花山は力なく体を立て直す。生徒会室へ歩きだした花山は、いつもよりも大きく廊下に足音を立てる。
生徒会室の扉の前で、花山は止まる。隣にある資料室、それから準備室を見る。手を挙げ、強く叩いて息を吸い込み、生徒会室の扉を開く。
角の丸い鳶色の木目がくっきりと見える分厚いテーブルと、壁一面に埋め込まれた書棚。その奥には執務机があり、白いレースカーテンが大きな窓を覆っている。
花山は壁のスイッチをぱちり、と音を立てて押した。室内灯が明るく生徒会室を照らす。スクールバッグと白い弁当箱をテーブルに置く。その横に手をつき、花山は白いレースカーテンを睨んだ。
その時、生徒会室の扉からノック音が響く。
花山の肩が揺れ、スクールバッグと白い弁当箱を抱えると、書棚の方へと慌てて移動する。
扉がゆっくりと開く。
「失礼します」
高城川が入ってきた。花山は抱えていたスクールバッグと白い弁当箱をテーブルの上に置く。
「高城川くんか……」
「あれ、先輩たちは?花山さん、ごはんもう食べた?」
扉を閉めて、高城川はいつものテーブルの席へと足を進める。シャツは雨に濡れて少し色を変えていた。
どさ、と荷物を置いて、高城川がテーブルを挟んで前にいる花山の手元に目を向ける。白い弁当箱の蓋が変形している。
「……え、もしかしてさ、またなんか問題が起きたの?黒?赤?」
「何が」
花山はぼそ、と呟く。
「だってそれ」
高城川が花山の手元にある弁当箱を指さす。その指先につられ、花山の顔が俯く。
「何もない。何も、ないの」
「あ、そういうこと」
「そう」
「試験後の食堂、戦争だもんな」
高城川はそう言うと、椅子を引いて腰を下ろした。花山は顔を上げる。
スクールバッグから、弁当箱を出して高城川は割り箸をふたつに割る。蓋を開けば、ソースの染み込んだメンチカツと卵焼き、ブロッコリに枝豆と人参の和え物がずらりと並ぶ。こんもりと盛られた白米の上には、しらすと葱のふりかけが掛かっていた。
「やったぜ、メンチカツ。いただきます」
高城川は、明るい声とともに手を合わせる。花山は顔を手で擦って、椅子に座る。
「去年のるこてん祭の資料、廃棄するんだよね」
「俺がやるから大丈夫。広報委員が何人か来てくれるから」
「そうなんだ、任せるよ」
花山も弁当箱を開く。割り箸に手をかける。
「食べ終わったら、資料室と準備室、片付けに行こう」
花山は割り箸を割ろうとしていたが、高城川を見る。
「それは、その……先輩たちが戻ってからの方がいいんじゃない?」
「え、なんで」
高城川は首を傾げる。
「夏休みの、夏休みの、補習要項作らなきゃだめでしょ。それと、文書作成。私も美化委員の手配とかあるし」
「それより先に、事後処理終わらせた方がいいって」
「……でも、あ、そう、生徒会室に誰か問い合わせに来たらどうするの」
「確かに。じゃあ、俺が先に準備室整理に行くから後で資料室のほう頼むよ」
高城川は頷いて、弁当箱へと箸をつける。花山が割り箸を握りしめたまま、天井を見上げる。
その時である。生徒会室の扉からノック音が響き、一拍置いて静かに開く。
白い手が扉を押して、芳賀山がゆっくりと生徒会室へ入ってくる。芳賀山の手に、空になった弁当箱がふたつ重ねられていた。
高城川と花山は背筋を伸ばして、持っていた箸を置く。
「芳賀山先輩、七々瀬先輩」
高城川の言葉に、芳賀山が微笑む。
「二人とも、食事を続けて。ぼくと七々瀬は食べ終わったから」
そう言った芳賀山の後ろで、七々瀬が生徒会室の扉を閉じる。高城川が席を立ち、芳賀山の手から空になった弁当箱を受け取る。
「資料廃棄する時に一緒に捨てます」
「ありがとう、高城川くん。助かるよ」
芳賀山は高城川の腕に触れると、執務机に向かう。七々瀬は花山の後ろを通り抜ける。書棚からファイルをひとつ取り出し、書類を一枚、引き抜いた。
「花山さん」
花山は割り箸を持ち上げようとしていた手を止める。
「はい」
「女子寮で、紛失物のトラブルがあったのは聞いてるかな」
「……はい、下着の……確か、他の子の部屋で見つかったって」
七々瀬は静かに書類をテーブルの上に滑らせる。花山の手元に、見慣れた罰則に関わる項目が並ぶ紙が滑り込む。
「僕も、男だからね。嫌な気持ちにはさせたくない、君にお願いできるかな」
そう言われて、花山は割り箸を弁当箱の上に戻す。
「問題ありません。話を聞いてきます」
「ありがとう、助かるよ」
七々瀬がファイルを閉じて、テーブルの上に置いた。
「二人とも、食べないの」
高城川も花山も、揃って弁当箱へと視線を落とす。
芳賀山が執務机の引き出しを開き、印鑑とペンを取り出す。
「七々瀬」
七々瀬の体が、芳賀山へと向いた。テーブルの上にあるクリアファイルの表面を指先が擦って、七々瀬の足が一歩、執務机へと近づく。
「風紀委員の報告書、確認したよ。七月に向けて指導を一度入れるということだったけど、許可は取れてるの」
「取れてる。七月の第二週に予定しているよ」
芳賀山は七々瀬を見上げ、目を細める。
「七々瀬はかっこいいね」
七々瀬は押し黙る。花山は席を立つ。
高城川は、メンチカツを口に入れたところである。
花山を見上げると、高城川はそのままメンチカツを咀嚼する。
書類を掴んだ花山は、スクールバッグから筆箱を取り出し、生徒会室から出ていく。




