会長 芳賀山皇大郎
『ご来場の皆さまへお知らせいたします。只今より午後の部、開幕です』
放送部の声がスピーカーから響く。女生徒のゆっくりとした声音が歩く人の足を止める。
『午後二時より、運動場のステージにて吹奏楽部による演奏がございます。また重ねてお願いをさせていただきます』
人の流れが変わり、運動場へと向かう波が作られる。赤、黄、青、紫と様々な色の服が太陽の日差しの下、流れていく。
『原則、広報委員以外の撮影はご遠慮頂いております。問い合わせは中央受付へお願い申し上げます』
ぷつ、とスピーカーからマイクが切れた音が鳴り、明るい曲調の吹奏楽曲がはじまる。流れる人波の中に青磁色のシャツが混じる。人を掻き分けて運動場へ走る生徒に、スーツを着ていた男性が声をかけた。
「危ないですよ」
その声に振り向いた生徒が頭を下げる。
「すみません、あ、校長先生……来てたんですか」
生徒が驚いた声を上げる。男性が頷き、軽く手を振った。すると生徒は、もう一度頭を下げて運動場へと向かっていく。
「卒業生ですか」
男性の横にいた恰幅の良いスーツの男性が、軽やかに話しかける。
「うちの中学にも古高辿に声をかけられる生徒はいますから」
「また、そんな言い方を」
ははは、と声を上げて笑う二人の後ろで、人波が静かに割れる。
黒の正帽に刺繍されている白梅と古高辿の流篆書体。その庇へ白い指が軽く触れる。その手が静かに下がり、黒子のある顎があがる。
ストレートチップの革靴が、男性二人の横へ大きく動き静かに追い抜いていく。
黒く広い背中が、男性たちの目を奪う。
「お……」
「正帽、役員ですね」
「さっき、挨拶に来てくれた芳賀山くんとは違う子かな」
「副会長の七々瀬くんだろうね」
男性がそう話していると、七々瀬の足が止まる。静かに振り向き、正帽を脱ぐ。乱れのない撫でつけられた髪と、整った眉が日差しの下に晒される。
脇に正帽を抱え、七々瀬は頭を下げる。
「東開中学校、拝賀原中学校から、本日はご来校頂き、ありがとうございます。副会長の七々瀬です。ご挨拶もせず、大変申し訳ございません」
頭を上げ、七々瀬は半歩体をずらす。
「あ、いやいや、ごめんね」
男性は手を挙げた。
「ステージ、行くんだよね、呼び止めたみたいになって悪かったよ。行っておいで」
そう言われた七々瀬は、目を伏せると脇に抱えた正帽を被り直す。
「ありがとうございます。三時までの短い時間ですがお楽しみいただけたら幸いです。では」
「はい、ありがとう」
七々瀬はもう一度、頭を下げて踵を返す。
運動場には、既に生徒を含めた人が集まっている。ステージには椅子とともに楽器が配置されていく。パーカッションやチューバが並んでいく中、ステージの横に設営されたテントには教師の他に放送委員や、出場予定の吹奏楽部生がいる。
七々瀬は、運動場を横切ってテントの前に来るとマイクの前に座る放送委員に声をかける。
「君」
顔を上げた男子生徒が、手に持っていたプログラムと台本を長机に押し付ける。
「副会長!」
勢い良く立ちあがり、男子生徒が七々瀬を見上げる。
「驚かせたね」
「あっいえ、大丈夫です」
「……芳賀山を見ていない?」
七々瀬の言葉に男子生徒の目が下へと向き、テントの左にある人集りに顔が向く。七々瀬はその視線を追って目を上げた。
幾人かのスーツを着た大人と共に小さな子供がいる。その足の隙間に黒いギャバジン生地がある。
「ありがとう」
七々瀬は男子生徒へ礼を言うと、長い足を人集りに進める。
「今年は、二年ぶりの女性役員で賑わってるわね」
「七々瀬と、芳賀山もいるからだろう」
後援会の話す言葉が七々瀬の耳に入る。その人集りの中央から、正帽を被った芳賀山がゆっくりと立ちあがる。
腕には、幼い女の子が一人、抱えられている。
七々瀬は静かに正帽を外し、脇へと抱えた。
「足を運んでくださるのは嬉しい限りです。ありがとうございます」
口元に微笑みを浮かべた芳賀山の首に、女の子の腕が巻きつく。
「ああ、おりなさい、正服が汚れてしまう」
父親がそう言って芳賀山の腕から女の子を抱き取る。やだ、と声を発した女の子の頬に、芳賀山の白い手が触れる。
「ごめんね、ぼくの迎えが来たんだ」
柔らかくそう言うと、芳賀山は顎を上げる。正帽の影が落ちた顔を日差しが照らす。一重の美しい目が真っ直ぐに視線を向ける。周囲にいた後援会の人間が背後へと振り向く。
「ご歓談中、申し訳ありません」
七々瀬が頭を下げると、芳賀山が頬を緩める。
「副会長の、七々瀬です」
芳賀山がそう言うと後援会の人々が七々瀬へと声をかける。丁寧に挨拶を返していると、放送委員の声が流れてくる。
『お待たせいたしました』
落ち着いた男子生徒の声が吹奏楽部の紹介を始める。
「よろしければ吹奏楽部の演奏を、お楽しみください」
七々瀬の言葉に、頷いた女性が礼を言う。そうして、ステージの前にある椅子へと向かった後援会の人々を見送って、七々瀬は正帽を被り直す。
その背に芳賀山の手のひらがゆっくりと押し付けられる。横に立った芳賀山へ視線を向け、七々瀬が口を開く。
「わざとだろう」
芳賀山は、七々瀬の背に置いた手に力を入れる。
「君は、素晴らしいから」
低く囁く声が響いた。七々瀬は、芳賀山の目を静かに見返す。放送委員が曲目を紹介すると、吹奏楽部の演奏が辺りを包む。華やかな音の粒が広がる。
「――挨拶まで間がない。準備に行こう」
小さく息を吐き、七々瀬はステージに顔を向ける。
「そうだね、行こうか」
柔らかくそう答えた芳賀山と七々瀬は連れ立って、テントへと向かった。
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楽器を抱え、ステージの上から吹奏楽部生が足元に気をつけながら階段を降りていく。革張りの楽器ケースに入った金管楽器がステージ脇に並び、太鼓類や鍵盤打楽器は分解され仕舞われる。
その作業をしているステージ横の奥に、黒の正服へピンマイクをつけた芳賀山が立っていた。放送委員の一人が、胸元のピンマイクの調整をおこなっている。
「会長、何か話してもらえますか」
そう言って、芳賀山を彼は見上げた。芳賀山の視線が落ち、涼やかな一重の瞼の下で目が動く。
「困ったね。そう言われると身構えてしまうよ」
瞼があがり、芳賀山の目が放送委員の生徒を捉える。放送委員は耳につけたイヤホンを押さえていた手を握りこむ。
「……すみません、文言を準備しておくべきでした」
「大丈夫だよ。君、そう気にしないでね。問題なさそう?」
頷いた放送委員が、頭を下げる。そして芳賀山をステージの脇にある階段へと誘導する。
芳賀山のストレートチップの靴が木板の上で止まる。放送委員がテントの中に戻っていく。
芳賀山の足が、階段を一段、二段とあがる。ステージの上は何ひとつ、物がない。騒つく観客席と、風に乗って届く食べ物の匂い。
『生徒会より、皆様へのご挨拶をさせて頂きます。生徒会、会長、芳賀山皇大郎。生徒会、副会長、七々瀬遥輝。壇上へお願いします』
芳賀山の視線の先にいるのは、ステージの向こう側にいる七々瀬だ。七々瀬がゆっくりと壇上へとあがり、歪みひとつなく正帽を被った顔が前を向く。彼の唇が、大きく開いた。
『静粛に願います。古高辿学園、第七十九代目、生徒会会長 芳賀山皇大郎』
その言葉に合わせて、芳賀山は階段をのぼる。ステージの板を黒い革靴がこつ、と音を立てて踏む。強い日差しの中、金の飾りボタンと襟元の白と金の刺繍が煌めく。長い足と伸びた背筋をギャバジン生地が黒く包み、ステージの中央に芳賀山は立つ。
黒く、深く顔に影を落とした正帽の下にある白い顔があがる。
風が木々の葉を乱す音を運ぶ。幾人かの観客席にいる人間の居住まいを正す音が響いた。
『礼!』
七々瀬の号令と共に、芳賀山と七々瀬が一礼する。体をステージ中央へと向けた七々瀬は、正帽を取り、脇へと抱える。
二重の目が隙なく立つ芳賀山を見詰めている。
白く無骨な芳賀山の手が、正帽の庇を掴む。静かに正帽を取ると、胸元にそれを当てる。黒い正帽と黒い正服に白い肌が映え、日差しの元で照らされる。
『本日のご来園、誠にありがとうございます。多くの方に足をお運び頂けたこと、感謝の念に堪えません』
芳賀山の低く、柔らかい声がスピーカーから響き渡る。運動場だけではなく、敷地内全てのスピーカーから流れている。
校門の前の受付にいた高城川が、スピーカーを見上げる。
「……閉会の挨拶はじまった……」
ぼそ、と高城川の横にいた保健委員が口を開いた。
「会長の挨拶……見たかったぁ……」
続けてそう言う保健委員に、高城川は腕時計に目を落とす。針は、二時四十五分をさしている。顔を上げ、校門へと高城川は向かっていく。
生徒会室では、花山が同じように時間を確認すると部屋を出て行った。
準備室の窓を閉め、カーテンをしっかりと隙間なく引く。机の上に並ぶ、ダンボールの中身を確認して書類へと何事か書き込む。明かりを消して、準備室を出ると、施錠をした。
「……明日の来場者の、再チェック……と風紀の見回り報告と……」
花山の口から言葉が漏れる。かつ、と床を叩く革靴の音とともに花山は生徒会室へと戻る。
スピーカーからは、芳賀山の言葉が流れている。静かに、結びの言葉が柔らかい声音で響く。
ステージの端に立つ七々瀬が、体を芳賀山から観客席へと向ける。
『礼!』
その言葉と共に、七々瀬と芳賀山は一礼する。正帽を被った芳賀山は、退場していく七々瀬の背へ視線を流す。
明るい日差しが踵を返す七々瀬のくっきりとした顎の下に影を作る。
放送委員により案内がスピーカーから流れる。
『それでは、これでるこてん祭は終了となります。十五時三十分までにお帰り頂きますようお願い申し上げます。本日はご来園、誠にありがとうございました』
観客席は、ざわめきを取り戻す。乾いた砂埃と風が食べ物の匂いに混じって吹く。
芳賀山は、挨拶を交わしてピンマイクを外すとステージの裏へ歩を進める。迷いもなく、芳賀山の足が土を踏む。
ステージの高い壁に遮られて、騒めく喧騒はどこか遠い。
すると、前から七々瀬が外したピンマイクを手に歩いてきていた。芳賀山に気づいた七々瀬の足が止まる。
ふ、と芳賀山の目元が緩む。足を止め、唇が音もなく動く。
一度目を伏せた七々瀬は瞼をゆっくりと開いた。黒のストレートチップの革靴で滑るように芳賀山の元へと歩く。
正帽の庇の暗く黒い影の下、同じ高さの目線がある。
「ここまで迎えに来なくてもいいよ」
七々瀬が低くそう言うと、芳賀山が微笑む。
「君はぼくの王子様だよ」
密やかな、低く、柔らかい声音。芳賀山の手が伸び、七々瀬の腕に触れる。
「芳賀山、最近少し、行き過ぎてる」
その手に促され、七々瀬が芳賀山の横へと移動する。芳賀山の手が、背中に回った。
「……芳賀山」
七々瀬の背中に手のひらの形が伝わる。目を伏せ、七々瀬は一歩前へ足を踏み出そうとする。その、七々瀬の手を芳賀山の手が掴む。
「七々瀬」
七々瀬は目を見開き、体を僅かに逸らす。
「日曜日の予定は空いてる?」
陰っているせいか、ステージの裏は少し気温が低い。七々瀬の靴の底が、じゃり、と音を立てて土を盛り上げた。
「何か、用事でもあるの?」
七々瀬の手を掴んだ芳賀山の指先が閉じる。
「そうだね、あるよ」
「意味ありげなことを……芳賀山、僕はあまり、こういうことは好きじゃない」
握られた手を引き抜こうとした七々瀬に芳賀山は顔を傾ける。
「ぼくは、君と二人で出掛けてみたい」
閉じていた指先が開き、芳賀山の手のひらから七々瀬の長い指が離れる。目を細め、七々瀬は顔を背ける。
「からかってないよ、七々瀬。明日のるこてん祭が終わったら返事を聞かせて」
芳賀山はそう言うと、足をテントの設営されている方へ向ける。小さな砂と砂利が混じった足音を響かせて歩き出した芳賀山の背に、七々瀬は視線を向けた。
口を開こうとして、閉じたその唇に力が入る。芳賀山の後を追って、七々瀬も歩き出した。




