黒の正服
大きく開いていた校門が、ぎいい、と蝶番の軋む音を立てて閉じた。警備員の一人が、重なった門扉の下部にしゃがみ込む。電子音が小さく鳴り、三度の金属音が響いた。
警備員が立ち上がり、キャップの庇を軽く上げる。
「確認してもらえますか、書記の……高城川くんだっけ」
そう声をかけられた高城川は頷く。鍵がかかった校門に近づき、軽く引いて押してを繰り返す。
「確認できました。ありがとうございます。現状の確認できている来場済みの方は何人ですか?」
硬い金属の門から手を離し、高城川は警備員へと向き直る。庇に手をあてていた警備員が眉を顰め、校門の詰所を振り向く。すると、詰所から警備員が出てきた。
「現在、半分くらいですよ」
走り寄ってきた警備員は、メモを手渡す。高城川は持っていたバインダーを黒の正服の胸元に持ってきた。挟んでいたボールペンを手に取って、書き込む。
「わかりました。これ以降は防犯の都合上、校門は開けたままにしないようお願いします」
「はい、わかりました。しかし、今年は多いねえ」
ぼやきに似た言葉を吐いた警備員の横から、校門を閉めた警備員が詰所へ戻っていく。
「……みたいですね、去年は少なかったですもんね」
「招待してもあんまり来なかったって、曽祢くんが言ってたよ」
持っていたバインダーを高城川は太腿の横へ下ろす。薄らと高城川の額に汗が光る。曖昧に笑みを浮かべ、会釈をして受付のテントに戻っていく。受付に立っていた広報委員へ声をかけ、高城川がいくつかの指示を出す。
その後ろを老齢の夫婦が通り過ぎていく。ゆっくりとした歩調で進むふたりが向かうのは、校舎だ。
開かれた校舎の扉の先に、大小様々な靴が並んでいる。
食堂の閉ざされた扉の前には、テーブルが並び、その上にサンドイッチや冷えたペットボトルが置かれていた。食堂前の階段から生徒たちが駆け下りる。風紀の腕章をつけた男子生徒の注意が飛ぶ。
「二年の出川、不藤!走るな」
「うえ、すみません!」
足を緩めて生徒たちが謝罪する。階段を二階、三階と風紀委員の生徒が上がっていく。
教室の扉の前には、生徒たちが工夫を凝らした看板が貼られている。茶と白の教室が華やかに彩られていた。漂うコーヒーや甘い香りの中に僅かにソースなどのスパイスの効いた香りも混じる。
六月に入り、衣替えが行われたことで薄い青磁色の半袖のシャツを身に纏った生徒たちとカラフルな服を着た客が廊下内をすれ違う。
その間を、黒いギャバジン生地の詰襟に身を包んだ花山が前を見据えて、歩いていく。スニーカーや上履きを履いた生徒たちと違い、彼女の足元は黒いストレートチップの革靴が艶やかに光っていた。
振り返る客たちの中にはスマートフォンを握りしめている者もいたが、花山はひとつの教室の前に足を止める。
「会計の花山です。風紀委員より、過剰接客の報告が入りました。学級委員を呼んでください」
教室の入口に立っていた女子生徒に、花山が声をかけた。
「え、会計の……花山さん」
言い淀む女子生徒に、花山が顎を上げた。綺麗に上げた髪の隙間から、花山の頬に汗が流れる。
「すみません、急いでもらえますか」
「あ、ごめんね、呼んでくる!」
女子生徒が教室の中に入ると、花山は静かに息を吐く。襟元の白と金の糸で施された刺繍が花山の紅潮した頬に映えていた。
「あの……」
花山の背後から、若い女性が声をかけた。
「はい」
眉を上げ、花山が振り向くと、女性が丁寧に折りたたまれたハンカチを差し出す。
「会計さん、良かったらこれどうぞ」
花山の目が見開かれ、そうして僅かに口元が緩んだ。
「ありがとうございます。あの、受け取れないんです。お気遣いだけ、もらいます」
「あっごめんなさい、役員さんだもんね」
「……すみません」
「生徒会室に後で曽祢名義で、差し入れするわ」
ふわ、と若い女性がそう言って笑うと立ち去っていく。
花山は、口元に手を当てた。手の中で唇が僅かに動く。
教室から、男子生徒が顔を出した。
「すみません!学級委員の——」
扉に手をついた男子生徒が、花山を見下ろして首を傾げた。
「大丈夫?花山さん」
口元に手を当てていた花山は、手を下ろし顔を上げる。
「すみません、話を聞かせてください」
そう言った花山に男子生徒は頷いた。通り過ぎる生徒や客は、視線を向ける。
黒い詰襟に、金のボタンと一糸乱れぬ整った髪。腕を覆い、足元さえも肌は露出されていない。
開いた窓から入る風は山の冷えた風である。ただ、六月になると日差しは強い。熱気が花山の黒いギャバジン生地で覆われた伸びた背を温めていた。
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開いた窓から、風が吹きこみ花山は執務机の後ろにある窓へと顔を向ける。手元にある書類が一枚、ぱたぱたと風で揺れた。
照りつける太陽の下に組み上げられた銀色の柱が光るステージは、静かなものだ。窓の下に見える運動場に、外部の店が並ぶ。いくつか設置されている簡易テーブル席に、客がぽつぽつと座っている。
テーブルについていた花山は、筆箱を風で浮く書類の上に乗せた。
生徒会室の扉が叩かれ、ノック音が響く。花山は席を立ち、書類の横にある小さなノートを手に取った。
「花山さん、いる?」
顔を覗かせたのは、広報委員だ。
花山が報告を受けていると高城川がそこへ走り込んでくる。
「昼からのシフト表の再確認を頼んだから、急いで一階のホールに行くように。終わったら、中央受付に来て」
指示を受け生徒会室から出ていった男子生徒を見送り、高城川はテーブルに四つ折りの紙を置いた。
「花山さん、これ、変更分。放送委員に渡しといて。それとあと少しで予定の招待客、全員が来場済みになるから」
そう言って高城川は、生徒会室をあっという間に出ていった。残された花山は四つ折りの紙を手に取る。
すると、また生徒会室の扉がノックされた。一拍の間を置いて、扉が開く。音もなく静かに開いた扉から、正帽を脇に抱えた七々瀬が入ってきた。
「七々瀬先輩、おかえりなさい」
「ただいま、花山さん」
七々瀬は扉を閉め、正帽をテーブルの端にそっと置く。
「何か問題は?」
「報告すべき問題はありません。来場予定のお客様があと少しで全員、確認できるようです」
花山は手に持っていた四つ折りの紙を開き確認しつつ、そう言った。
「そう、良かった」
花山の言葉に七々瀬は目を細めると、ポケットからハンカチを取り出す。額に滲んだ汗を拭い、ハンカチをポケットへと戻した。
「花山さん、食事はできた?」
「いえ……」
小さく返した花山に、七々瀬は口元を緩める。
「もうすぐ、三ツ橋くんたちが食事を買ってくるだろうから食べておいてね」
「あ、え」
「高城川くんの方にも届けるから大丈夫」
暖かい声音で七々瀬はそう言った。
「ありがとうございます」
「僕ではなく、三ツ橋くんたちにお礼を言ってあげて」
花山が、はい、と頷く。七々瀬の背後でノック音が響いた。
七々瀬がその扉を開くと、若い女性が白いレジ袋を抱えて立っている。
「ここは、生徒以外の立ち入りは禁止されています」
七々瀬が彼女を見下ろすと、彼女の淡いオレンジ色の唇が息を飲む。
「あ、そうなのね、ごめんなさい」
「はい、外までお連れします」
金の飾りボタンがついた黒い袖から伸びる七々瀬の白く大きな手が、ドアノブを大きく引いて扉を開く。ストレートチップの革靴が、一歩踏み込む。
「あの、保護者会の曽祢から、飲み物の差し入れを……」
女性の腕には十数本のペットボトルが入ったレジ袋がある。
「お心遣い、ありがとうございます。校門の前にある中央受付にお願いします」
花山が紙をテーブルに置き、七々瀬の正帽を両手で拾い上げる。
「そうなのね」
花山が差し出した正帽を、七々瀬は手に取った。
「ありがとう」
七々瀬と女性に会釈をした花山は静かに席へと戻る。
「では、そこまでご案内しましょうか」
生徒会室の扉を閉め、七々瀬は女性に優しく語りかける。一歩下がった彼女の横へ立つと、手を差し出す。
「お持ちします、曽祢先輩にはいつもお世話になっております」
「……弟のこと……」
「はい、前会長には可愛がってもらってます」
笑みを浮かべた七々瀬に、彼女は目元が赤くなる。抱えたレジ袋を七々瀬へと渡し、女性は耳元の髪を撫でつける。
正帽を脇に抱え、七々瀬はその手にレジ袋を吊るす。かつ、と踵が鳴って、七々瀬は殊更ゆっくりと足を出した。それに促されるように女性が歩き出す。
「……貴方は七々瀬くん?それとも」
「失礼しました。副会長の七々瀬です」
彼女の歩調に合わせて、七々瀬の長い足がゆっくりと動く。
「二年ぶりに女性役員が選ばれたと保護者会でも話題になってて、こんなところまで押しかけてしまってごめんなさい」
「いえ、お父さまの曽祢会長からお話は聞いてます」
「従姉妹も来たいと言ってたけど、チケットは第二親等までだから花山さんと写真を一枚撮りたくて……駄目、でしたよね?」
階段を降りながら、女性が持っていた淡い黄色の鞄を押さえた。
「申し訳ありません、生徒会役員は写真撮影をお断りする規則になっています」
淡々と七々瀬が言うと、女性は眉を顰めて唇を真一文字に引き結ぶ。
階段を降りきり、校門前の受付につくと立っていた高城川が目を見開く。
「……七々瀬先輩!」
大きな声に肩を震わせた女性が身を逸らす。横に立っていた七々瀬が高城川を見下ろす。
「すみません」
小さく謝罪を口にし、高城川が頭を下げた。それを見て、七々瀬は受付のテーブルの上にペットボトルの入ったレジ袋を置く。
「保護者会、会長の曽祢さんから生徒会への差し入れだよ」
「わかりました」
高城川がすぐに八つ切りの書類を一枚、テーブルへ差し出す。ペン入れからボールペンを一本取り出し、女性に顔を向けた。
「ありがとうございます。生徒会書記の高城川です」
高城川は女性へ頭を下げる。
「高城川くん、こちら曽祢先輩のお姉さんだよ。ご挨拶は忘れずにね」
七々瀬はそう声をかけ、女性に向き直る。
「では、これで僕は失礼します。差し入れ、ありがとうございました」
金の飾りボタンが並ぶ正服の前へと、正帽を当て頭を下げる。黒のギャバジン生地の正服を着た七々瀬の伸びた背筋。彼の、俯いた白い顔が陽光に照らされた。
口元に手を当て、女性が頬を紅潮させる。受付に立つ他の生徒が声を漏らす。
七々瀬は顔を上げると、正帽を頭に深く被った。白い顔に影が落ち、口元の黒子が肌の上に映える。
「芳賀山が待ってますので」
低くそう言うと、七々瀬は踵を返し歩き出す。砂埃一つ立てないストレートチップの黒い革靴は滑るように、校舎へ向かっていく。




