整え、調える
磨かれた机が一列に並び、椅子がその前に置かれていた。その後ろには机が六つ合わさり、段ボールが積まれている。浮いた段ボールの蓋の隙間から、刷り上がったパンフレットとチラシのインクと紙の香りが漏れている。
萌葱色のカーテンは開かれ、入る日差しが準備室を照らす。
ドアストッパーで止められた扉は大きく開いている。隣にある資料室からは、僅かに高城川と花山の声が漏れている。
「一日目の招待客と販売チケットのリスト、あってた?」
「あってた、封入はもう図書委員に頼んでる。俺、広報と放送委員、見に行ってくるから」
「私は今から美化と保健委員のところ、その後、ちょっと職員室」
資料室から出てきた花山と高城川は、チケットの入った段ボール箱と白梅が印字された封筒の束を抱えている。二人は準備室へ入ると、机にそれを置いた。
花山が腕時計の時間を確認すると、高城川の肩を叩き準備室を出て行く。高城川もまた、準備室の鍵をかけ、廊下の奥に姿を消した。
静かになった廊下に、男子生徒が現れる。
書類を手に持った彼は資料室の横にある生徒会室に小走りに駆け寄る。閉じた生徒会室の扉を叩き、間を置かず彼は扉を開く。
「七々瀬さん、いますか」
その声に顔を上げたのは芳賀山だ。引き出しを閉め、真っ直ぐに立ち上がる。
「ここは、生徒会室だよ。風紀委員長」
五月も第四週に入り、日差しはより一層強くなった。窓から差し込む光を受けて芳賀山の整った顔が影っている。
「すみません……来週の動線で、提出していた内容の変更を見て欲しくて」
「ぼくが見よう」
「あ、いや、でも風紀委員の管轄は副会長なんで……」
そう言うと男子生徒が扉を閉めた。芳賀山は執務机を回り込み、八人掛けの分厚いテーブルの横に立つ。
「そうだね。七々瀬は今、各クラスの出し物の最終確認をしている」
太腿の横にあった芳賀山の手が上がり、テーブルを指し示す。
「風紀委員長、ここへ」
男子生徒は、持っていた書類と芳賀山を見比べると目を固く閉じて、開く。芳賀山の待つ席へ近づいた。
「……会長、これです」
差し出された書類を芳賀山は受け取ると、微笑む。
「ありがとう、確認しよう」
数枚重なった書類に、芳賀山は視線を落とす。男子生徒が、椅子に手をかけると一枚目の書類をめくった芳賀山が口を開く。
「君、これはこの場で修正してもらうよ」
「えっ、昨日、委員会で変更したもので、勝手にはできません」
背もたれに手をかけた男子生徒の主張に、芳賀山の視線が書類から上がる。
「丁寧に、話し合ってくれたんだとわかってるよ」
そう言うと、芳賀山はテーブルに書類を置く。
「ぼくも保護者会と後援会の会長へ挨拶に行くから、急ごう。風紀委員長」
男子生徒はテーブルの上の書類を見る。彼は、椅子を引いて静かに着席した。
いくつかの指摘を済ませた芳賀山は、書棚からクリアファイルを取り出す。中を確認した芳賀山は書棚の前を移動して灰色の冊子を引き出した。
それを腕に抱えると、芳賀山は男子生徒の座る席の前に立つ。とす、とテーブルの上に冊子を置いた音に男子生徒がちらりと目をやった。目を伏せた芳賀山が、ファイルを捲っている。
溜め息を吐いた男子生徒が生徒会室を出たのは、それから三十分を過ぎた頃のことであった。
それを見送った芳賀山は、取り出したファイルと冊子をテーブルに重ね、生徒会室を出る。
沈黙の落ちた生徒会室に、ノック音が響いた。一拍の間の後に開いた扉から、七々瀬が生徒会室に入ってくる。
彼はテーブルの上にある書類とメモ用紙へ視線を落とす。一枚、二枚、三枚と書類を捲って確認を終え、七々瀬は執務机の前へと移動した。
書類を机に置き、黄色のメモ用紙を書類からゆるゆると剥がす。七々瀬はテーブルの上にある冊子とファイルの前に座る。
メモ用紙を手元に置き、七々瀬の長い指がファイルを開く。
数分もすると、生徒会室の扉がノックされる。一拍を置き、高城川が入ってきた。
「ただいま戻りました。七々瀬先輩」
「おかえり、高城川くん」
ブレザーの胸ポケットから、準備室の鍵を取り出して高城川が七々瀬の元に歩いていく。
「準備室の鍵です」
手のひらに、鍵を渡すと七々瀬が立ち上がる。執務机の引き出しのひとつを開き、鍵をしまう。
「高城川くん」
書棚の前に行き、ファイルを何冊か取り出そうとしていた高城川は七々瀬の声に振り向く。
「はい」
「当日は、正服だからね」
そう言った七々瀬は席へと戻る。
「……そうでしたね……」
「君たちは今回、正帽不要だけど、整髪には気をつけて」
席へ座った七々瀬の言葉に、高城川は押し黙った。クリアファイルに落ちかけた七々瀬の視線が上がる。
高城川と目を合わせ、七々瀬はファイルの上に手のひらを置く。
「あ、違います!大丈夫です、正服はあります」
「そう。良かったよ。一日目は学園の関係者が来るからね。先輩方に失礼があってはいけない」
七々瀬は笑みを浮かべて頷く。
「先輩方?」
「そうだよ。後援会は、基本的に元生徒会役員が役職についているよ」
「え」
「初めての文化祭だろう。君たちは。楽しみだね」
そう言うと、七々瀬はファイルへと視線を落とす。いくつかめくり、立ち上がると書棚に二冊ともに戻す。
高城川が席につき、両肘をテーブルへつく。顔を覆った高城川の背に七々瀬は柔らかく手のひらをのせると、生徒会室を出て行った。
六月初頭にある、るこてん祭の本番はすぐそこである。
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夜明けの朝靄が窓ガラスをしっとりと濡らす。柔らかな朝日に照らされて、七々瀬は青磁色のシャツのボタンを留める。シャツの裾をズボンの中へと入れ込み、ベルトループに黒い革のベルトを通していく。七々瀬の白い指先が留めたベルトのバックルを撫でる。まだ整えられていない洗いたての髪をかき上げ、薄く伏せられていた瞼が上がった。
窓辺にある机の上には、整髪料と竹櫛が置いてある。
七々瀬は髪をかき上げたまま、机の上へと視線を向けた。その時、七々瀬の部屋の扉を叩く、小さなノック音が響く。
振り向いた七々瀬は口を僅かに開き、舌で歯を舐めると唇を僅かに噛む。鼻から息を吐き出し、七々瀬は部屋の扉へ近づく。
扉を開いた先に、芳賀山が立っていた。
いつもは額を覆い隠している芳賀山の前髪は隙なく後ろへ流され、白い額と耳が晒されている。
「おはよう、七々瀬」
整った芳賀山の眉が僅かに下がり、その目が七々瀬の整髪をしていない髪を見た。
「おはよう」
挨拶を返し、七々瀬が体を壁に寄せると芳賀山は室内へ入っていく。音もなく扉を閉めた七々瀬が芳賀山の後を追い、部屋の奥へと進む。
「ぼくが来るって、わかってたの?」
机の前に立った芳賀山が僅かに俯く。彼の青磁色のシャツに、肩甲骨が浮いた。
「るこてん祭の本番だから、気にすることくらいわかってるよ」
「そうだね、気にするよ」
「高城川くんの前で、されたくはない」
七々瀬はそう言うと芳賀山の背後から手を滑り込ませ、机の椅子を引き出す。
「七々瀬」
椅子に腰を下ろし、七々瀬は芳賀山へ顔を向けた。七々瀬の前に立つ芳賀山の手のひらが、七々瀬の前髪を掬って頭を撫で付けた。
「高城川くんの前でも、七々瀬がかっこいいことにはかわりないよ」
七々瀬の瞼が伏せられると、芳賀山の手のひらが後頭部へと流れていく。
「僕にもプライドがある」
「ぼくが君を整えると、プライドが傷つくの」
芳賀山の指先がこめかみから、髪に入っていき地肌を緩やかに擦って髪を梳く。
「芳賀山」
七々瀬は伏せていた瞼を開き、芳賀山の目を見た。
「櫛がある」
「そうだね。でも、洗いたてのせいかな。櫛は仕上げでも良さそうだよ」
芳賀山がそう言うと七々瀬は、口を開きかけたが何も言わずに小さく息を吐く。芳賀山は机の上にあった整髪料の蓋を開くと、中にあるジェルを指で掬って手のひらに馴染ませる。
髪に芳賀山の指が、また、入っていく。七々瀬は目を閉じて、顎を上げた。髪に馴染んでいくジェルの僅かなアルコールの匂いが七々瀬の顔の周りに広がる。
耳の裏側にある生え際を、芳賀山の人差し指が擦った。七々瀬の眉が弓形に上がり、額に凹凸を作る。
「ふ」
芳賀山の口から声が漏れる。
「くすぐったいの、七々瀬」
耳の裏に戻ろうとした芳賀山の手を七々瀬の手が掴む。顎を下げ、七々瀬の閉じていた目が開く。
強い風が吹いて窓枠が軋み、ガラスに何かあたったのか、ばちばちと音が響く。
「芳賀山」
七々瀬は掴んだ芳賀山の手首を下ろし、青磁のシャツを纏う肩を前へ傾けた。立ち上がりかけた七々瀬の足元に一歩、芳賀山は踏み込む。
七々瀬の頬に、芳賀山の青磁のシャツのボタンが掠める。
ぴたりと体を静止し、七々瀬は軽く唇を開く。椅子へ座り直すと、芳賀山を見上げる。
「……君、少しは体調に気をつけなよ」
芳賀山は机に手を伸ばし、櫛を手に取った。七々瀬の顎が下がり、僅かに俯く。
髪に硬い櫛が、通る。
「ぼくが疲れてるとよくわかるね」
ジェルを含んで艶やかに光る七々瀬の髪を梳りながら、芳賀山の顔が傾く。緩んだ口元から、柔和な声音が小さく漏れる。
「君は疲れると、構いたがる」
七々瀬がそう言うと、芳賀山の櫛が止まるまで会話は途切れる。
朝靄が日差しに煌めき、窓の外は木々が騒めく。寮内に、朝食の匂いが満ち始める。ドアの開閉音とともに足音が響き、生徒たちの声が寮に広がる。
四階の居間に並んだ朝食のトレイ。高城川と三ツ橋がダイニングテーブルの前で待っている。
ギャバジン生地の黒い詰襟を身に纏い、正帽を抱えた七々瀬と芳賀山が現れると三ツ橋が息を飲んで、ぽかんと口をあけた。
「七々瀬さん、かっこいい」
高城川は、横に立っていた三ツ橋へと視線を向ける。
「はい?今なんて」
そう言った高城川に、三ツ橋は口を閉じる。そうして、三ツ橋は揃えたダイニングテーブルへ視線を向け、歩いてきている七々瀬と芳賀山に顔を向けると小走りに立ち去った。
「三ツ橋先輩」
高城川が声をかけたものの、三ツ橋は振り向きもしなかった。
「おはよう、高城川くん」
振り向くと、高城川の前に芳賀山と七々瀬が並んでいる。低く、優しい声音の七々瀬の挨拶に、高城川は頭を下げた。
「おはようございます。芳賀山先輩、七々瀬先輩」
「おはよう。準備をありがとう」
芳賀山は柔らかくそう言って、水のペットボトルが置かれているトレイの前に座る。席についた芳賀山を確認すると、七々瀬もまた椅子を引いた。
「今日は、昼食が取れないかもしれないから覚悟しとこう」
椅子に腰を下ろし、帽子をテーブルへと置いた七々瀬は、手を合わせると箸をとる。高城川もまた席へつく。
「ファンクラブの子たちが、何か持ってきてくれるよ」
芳賀山の言葉に、七々瀬が頷く。
「よく気がつくから、助かるよ」
「……そんなことまでしてくれるんですね、ファンクラブのひとたち」
高城川が白米の盛られた茶碗を手に取って、そう言うと七々瀬が答える。
「役員の多忙さもよく理解をしてくれているから、悪いことばかりではないね」
「そうだね。それより、高城川くん、今日はるこてん祭の一日目だよ。がんばろう」
芳賀山は目を細めて、頷くと食事を始めた。
皿の上には、目玉焼きとキャベツの千切りの他にベーコンと大きなウィンナーが乗っている。貝ときのこのソテーが小皿に盛られ、若芽と麩の吸い物からは湯気が立つ。
朝食を終えて寮の外に出ると、髪をまとめた花山が三人を迎える。
「おはようございます」
後れ毛ひとつない花山を見下ろし、芳賀山と七々瀬が挨拶を返す。
「この生徒会発足以来、初めてのイベントだね。トラブルのないよう努めよう」
芳賀山が静かに、低い声音でそう言った。
寮から続く道の奥にある、赤い煉瓦と白色のスタッコの大きな校舎。校門のすぐ後ろにはテントが並び、運動場にはステージと椅子が並んでいる。
雲ひとつない、青空の下を芳賀山と七々瀬は並んで道を進む。その後ろに、顔を強ばらせて歩く高城川と花山が続く。
るこてん祭の一日目が始まろうとしている。




