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第三章──初陣

遅くなり申し訳ありませんでした

外界とはまるで違う重い空気。肌を刺すような瘴気。ゲートの内部は、赤黒い岩肌と淀んだ紫の空に覆われた、異様な景色が広がっていた。


「うわ……何度見ても、慣れないな、この感じ」


 初めての単独探索。だというのに、恐怖よりも好奇心の方が勝っていることに、蒼自身が一番戸惑っていた。


『随分と育ってるわね、この空間』


 影の中から現れた焔が、興味深そうに周囲を見回す。


「育つって、そういうものなのか?」


『ゲートは生まれたばかりの頃は不安定で、時間が経つほど内側の圧力が高まっていくの。今のうちに芯を叩いておかないと、本当に崩壊しちゃうわよ』


 焔の説明に頷きながら、蒼は岩場の奥へと足を進めた。


 しばらく岩場を進むと、視界の先に複数の反応があった。全長二メートルほどの、灰色の甲殻を持つ猪のような魔物の群れ――四体。唸り声を上げながら、こちらへと殺気を向けてくる。


「……先手必勝、で」


 蒼が地を蹴った瞬間、景色が加速したように感じられた。


 一体目の懐に潜り込み、拳を叩き込む。武器と呼べるものは何も持っていない。だが、竜使いという最弱職には、そもそも専用の武器という概念自体が乏しかった。それでも、蒼の拳は甲殻を紙のように陥没させ、魔物を一撃で沈黙させる。


「っと――」


 残る三体が同時に襲いかかってくる。蒼は最小限の動きでそれらを躱し、反撃の隙を見出していく。頭で考えるより先に、体が最適な軌道を選び続けていた。


 三体目を仕留めた瞬間、視界の端に半透明のウィンドウが浮かび上がる。


【レベルアップ:Lv.1→Lv.2】 【新規スキル取得可能:確認しますか?】


「――これが、レベルってやつか」


 誰もいない空間に呟いた蒼の声に、焔が楽しそうに答える。


『順調ね。普通の新人ハンターなら、初回のダイブでレベル2に届くだけでも上出来なくらいよ』


「そういうもんなのか」


『ええ。あなた、自分がどれだけ規格外なのか、まだ実感が薄いみたいだけれど』


 からかうような口ぶりに、蒼は曖昧に肩をすくめた。実感が薄いのは事実だった。強くなっているという手応えはある。だが、それがどれほど異常な速度なのか、比較対象を持たない蒼には、正直よくわかっていなかった。


 試しに、蒼は頭の中で「ステータス」と念じてみる。すると目の前に、先ほどとは違う半透明のウィンドウが新たに展開された。


【相楽蒼 Lv.2 職業:竜使い】 【HP / MP / 筋力 / 敏捷 / 魔力】


 数値がずらりと並ぶそれは、他の誰にも見えない、蒼だけの画面だった。


「これ、俺にしか見えてないんだよな?」


『そうよ。システムは契約者本人にしか開示されないの。ステータス確認はもちろん、「ショップ」なんて機能も、実はもう使えるみたいよ』


「ショップ? 何をどう買うんだよ、それ」


『さあ。わたしも詳しくは知らないわ。竜使いなんて、この十年でまともに使いこなした人間がいなかったんだもの』


「……試しに、開いてみるか」


 蒼は半信半疑のまま、頭の中で「ショップ」と念じてみる。すると視界の一部に、これまでとは違う質感のウィンドウが展開された。


【ショップ 所持ポイント:340pt】 【武具強化石(小) 100pt】――装備の性能を微増させる触媒。 【回復薬(初級) 50pt】――軽度の傷を癒やす簡易ポーション。 【スキルオーブ(未鑑定) 500pt】――使用するとランダムなスキルを習得できる、中身不明の結晶。  ……


「うわ、マジで買い物できるやつだ……って、ポイントって何だよ、これ」


 画面の隅に表示された注釈に、蒼は目を通す。どうやらこのポイントは、モンスターを討伐するたびに自動的に加算される仕組みらしい。ランクの高い相手を倒すほど、得られるポイントも跳ね上がる。


「さっきの雑魚でこれだけ稼げたのか……」


『あら、便利な仕組みじゃない。これなら、今のうちにいくつか買っておくのもアリかもしれないわね』


「まだよくわかんないラインナップだけど……とりあえず、回復薬くらいは押さえとくか」


 蒼は画面を操作し、回復薬を数個購入する。ポイントが減っていく感覚とともに、目の前に淡い光が集まり、小さな小瓶が実体化した。


「……本当に、買い物できるんだな」


 半ば呆然と呟く蒼に、焔はどこか楽しそうに目を細めていた。


 焔は肩をすくめてみせた後、ふと思い出したように付け加える。


『そうそう、大事なことを言い忘れてたわ。竜使いのステータスには、契約している竜のステータスの一部――だいたい三割から四割くらいが、自動的に加算される仕組みになっているの』


「え、それって……」


『つまり、あなたの今のステータスには、わたしのステータスの一部がすでに乗っかってるってこと。竜が強ければ強いほど、契約者も恩恵を受けられる。これも、竜使いが本来はとんでもなく夢のある職業だった証拠ね』


 蒼は改めてステータス画面を見つめた。数値の意味はまだよくわからないが、自分一人の力だけではないという事実に、不思議な感慨があった。


「じゃあ、焔もレベルアップしたりするのか?」


『もちろん。竜も契約者と一緒に経験を積んで強くなるわ。それに――』


 焔は悪戯っぽく目を細めた。


『わたしにも専用のスキルがあるのよ。まだあなたには見せてないけど』


「気になるな、それ」


『そのうち、ちゃんと見せてあげる。今はまだ、出し惜しみさせて』


 最後の一体を片付けると、魔物の死骸は淡い光の粒子となって崩れ、その中心に小さな結晶――魔石が残された。灰がかった色合いの、控えめな輝きを放つそれを、蒼は拾い上げてポケットにしまう。


 魔石だけではない。粒子の中には、頑丈そうな灰色の毛皮の切れ端と、鋭く尖った牙が数本、光に紛れて転がっていた。


「これは……素材、ってやつか」


『そうそう、それも忘れちゃだめよ。モンスターは魔石だけじゃなく、皮や牙、爪みたいな素材も落とすの。他にも鱗、骨、体液、内臓の一部なんかが取れる種もいるわ。防具や武器の強化に使われたり、薬品の原料になったり、そのまま加工品として売れたりね。モンスターの種類によって、取れる素材は本当にさまざまよ』


 蒼はそれらも一緒に拾い集め、ポケットに突っ込んだ。


「これが、噂の魔石か」


『そのランクだと、Dランク相当ね。市場に出せば、それなりの小遣いにはなるはずよ』


 魔石をポケットにしまい、蒼はさらに奥へと足を進めた。しばらく歩くと、岩陰から新たな反応が二つ。今度は先ほどの猪型とは違う、鎧のような甲殻をまとった二足歩行の魔物だった。手にした棍棒状の腕を振り回しながら、唸り声を上げて突進してくる。


「今度は、ちょっと硬そうだな」


 一体目の棍棒を紙一重で躱し、蒼はその勢いのまま懐に潜り込む。だが、放った拳は甲殻に阻まれ、思うようなダメージを与えられなかった。


「っ――硬い」


『甲殻種は打撃が効きにくいの。狙うなら関節の隙間、そうでなければ――』


 焔の助言を聞き終える前に、蒼の体は既に動いていた。相手の懐に潜り込んだまま身を沈め、甲殻と甲殻の継ぎ目、わずかに覗く柔らかい部分へと拳を突き上げる。


 狙い違わず突き刺さった一撃に、一体目の魔物が甲高い悲鳴を上げて崩れ落ちた。


「――こういうことだろ?」


『……教える前にやってのけるの、ほんと反則よね』


 焔が呆れたように呟く中、残る二体目が背後から迫る。蒼は振り返りざま、低い姿勢のまま足を払い、体勢を崩した相手の首元へ肘を叩き込んだ。


 乾いた音とともに、二体目もまた光の粒子となって消えていく。


【レベルアップ:Lv.2→Lv.3】


 新たに残された魔石を回収しながら、蒼は自分の拳をじっと見つめた。まだ本調子とは言えない。だが、確実に何かが噛み合い始めている感覚があった。


 ふと視線を上げると、ゲートの最奥、ひときわ深い暗闇の中に、何かが蠢く気配があった。


 先ほどまでの雑魚とは、明らかに質の違う気配。地を這うような重低音の唸りが、辺り一帯の空気を震わせる。


「……何か、でかいのが来るな」


 闇の中からゆっくりと姿を現したのは、体長八メートルはあろうかという、巨大な蜘蛛型の魔物だった。八つの複眼が、一斉に蒼を捉える。


『気をつけて。あの気配……Cランク級ね。並のCランクハンターなら、束になっても手に負えないレベルよ』


「じゃあ、あれがこのゲートのボスってことか」


『いいえ、それは違うわ』焔はきっぱりと言い切った。『これくらいの気配、ゲートの「主」に比べればまだ序の口よ。本当のボスは、もっと奥にいる』


 焔の言葉には、どこか引っかかるような響きがあった。だが今の蒼には、目の前の脅威を前にして、深く考える余裕はなかった。


「……なるほど」


 蒼は小さく息を吐き、拳を握り直した。恐怖はなかった。むしろ、これまでとは比較にならない相手を前に、体の奥から湧き上がる高揚感の方が勝っていた。


「じゃあ、ちょうどいい。今の俺がどこまでやれるか、確かめてみるか」


 蜘蛛型の魔物が、糸のような一撃を放つ。蒼はそれを紙一重で躱し、一気に間合いを詰めた。


 岩肌が爆ぜ、瘴気の混じった砂塵が視界を覆う。


 その中心で、蒼はまだ、笑っていた――。


 戦いの決着がついたのは、それから十数分後のことだった。


 満身創痍とまではいかないが、制服のあちこちは裂け、腕には擦り傷が幾筋も走っている。それでも蒼は、崩れ落ちていく蜘蛛型の魔物の残骸を見下ろしながら、深い満足感に浸っていた。


【レベルアップ:Lv.3→Lv.6】 【討伐ボーナス:稀少魔石を確認】


 目の前に残された魔石は、これまで見たどれよりも大きく、深い紅色に輝いていた。


『……Cランク相当ね、これ。初日でここまでやるなんて、本当にとんでもない子』


「褒めてるのか、それ」


『もちろん、褒めてるわよ』


 焔は満足げに笑うと、蒼の頬にそっと手を添えた。


『ねえ、蒼。あなたはこれから、どんどん強くなっていく。その先に何があるのか――正直、わたしにもまだわからない。でも』


「でも?」


『わたしたちは、最後まであなたのそばにいるわ。どんな結末が待っていても』


 その言葉に、蒼は少しだけ照れくさそうに視線を逸らした。だが、悪い気はしなかった。


 ふと、蒼は自分の拳を見下ろした。今回は何とかなったが、この先ずっと素手で戦い続けるのは、さすがに無理があるだろう。


「……そういえば、武器も買えるんだったな」


 蒼は再びショップの画面を開き、武器の項目を覗いてみる。だが、そこに並んだ数字を見て、思わず息を呑んだ。


【業物・紅蓮の短剣(Bランク相当) 120,000pt】  ――斬撃に微弱な炎属性を付与する、実戦向けの逸品。


【聖銀の籠手(Aランク相当) 850,000pt】  ――物理防御力を大幅に上昇させ、状態異常への耐性も付与する。


【竜殺しの大剣(Sランク相当) ――pt(現在購入不可)】  ――竜種特効。所持者のランクが一定以上でなければ表示すら許されない、伝説級の一振り。


【天穿つ神槍(SSSランク相当) ――pt(現在購入不可)】  ――現存が数本と言われる、人智を超えた至宝。国家予算すら足りないと噂される代物。


 どうやらこのショップ、下は消耗品から上はSSSランクの装備まで、ありとあらゆる品が並んでいるらしい。もっとも、上位ランクのほとんどは「購入不可」の表示がつきまとっているのだが。


「……桁がおかしくないか、これ」


『そりゃそうよ。ランクの高い装備は、それだけ稀少な素材と技術の結晶なんだから』


 気を取り直し、蒼は表示を並べ替え、購入可能な価格帯まで絞り込んでいく。ようやく見つけたのは、装飾も何もない、ごくシンプルな一振りだった。


【鉄の短剣(Fランク相当) 300pt】  ――特に付与効果のない、量産品の短剣。切れ味は並。


「これなら、何とか届くな」


 蒼は迷わずそれを購入する。目の前に実体化した短剣は、お世辞にも見栄えのするものではなかったが、確かな重みが手に馴染んだ。


「これで、多少はマシになるだろ」


『あら、武器を使うなら、剣術くらいは覚えておいた方がいいわね』


「覚えるって、そんな簡単に言うけど……」


『心配いらないわ。剣術や弓術みたいな、いわゆる「武器スキル」は、職業を問わず誰でも扱えるものなの。ある程度実戦で使い続ければ、自然と習得できる仕組みになってる』


「へえ……じゃあ、竜使い専用のスキルとかもあるってことか」


『ええ。そっちは職業に紐づいた特別なものだから、誰でも習得できるわけじゃないけどね』


 蒼は手にした短剣を軽く振ってみる。慣れない重心に戸惑いながらも、体はまたしても、驚くほど自然にその扱い方を探り当てていく。


(武器スキルは、使ってるうちに覚えられる、か)


剣術スキル(短剣)Lv1を獲得しました


短剣を振っているとスキルのウィンドウ短剣スキルが追加されたのがわかった


(こんな簡単にゲットできるんだな)


 これから積み重ねていくものの多さに、蒼はわずかな武者震いを覚えた。


 崩れゆく魔物の残骸から目を離し、蒼はその場にどかりと腰を下ろした。赤黒い岩肌に背を預け、見上げた先には、淀んだ紫の空が広がっている。異世界特有のこの空気にも、少しずつ慣れてきた自分がいることに、蒼は苦笑いを浮かべた。


「……はぁ、疲れた」


『お疲れさま。でも、まだ帰るには早いわよ』


「え? さっきのでかい蜘蛛も倒したし、十分だろ」


『甘いわね』焔はくすりと笑う。『ゲートの深部には、まだ探索されていない領域が残ってる場合が多いの。せっかくここまで来たんだから、少し奥まで見ておいて損はないわ』


「……お前、もしかして単に俺をこき使いたいだけじゃないよな?」


『さあ、どうかしら』


 悪びれもせずはぐらかす焔に、蒼は小さくため息をつきながらも立ち上がった。報告用に神楽坂へ短いメッセージだけを打ち込み、スマホをポケットにしまう。


 ゲート内でも通信自体は問題なく届く。もっとも、こんな場所から緊急連絡以外のメッセージを送る新人ハンターなど、そういないだろうが。


 蒼は崩れた岩場を踏み越え、まだ光の届かない奥へと足を進めていく。


 先ほど倒した蜘蛛型の魔物がいた場所よりもさらに奥、明らかに空気の質が変わる一角があった。瘴気の密度が急激に増し、肌がひりつくような圧迫感が全身を包む。


「……なんだ、この感じ」


『……蒼、少し待って』


 珍しく、焔の声から余裕が消えていた。


『この先に何かいる。それも、さっきの蜘蛛なんかとは比較にならないくらい、桁違いの何かが』


 薄闇の奥、遥か先――何かが、確かにこちらを見ている気配があった。


 蒼の心臓が、静かに、しかし確かに早鐘を打ち始める。


 これから何が待ち受けているのか、まだ誰も知らない。

読んでいただきありがとうございます

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