第四章──風花
遅くなり誠に申し訳ございませんでした
瘴気の密度が増すごとに、周囲の景色も禍々しさを増していく。岩肌には赤黒い血管のような筋が浮き上がり、まるでこのゲートそのものが一つの生き物であるかのような不気味さを漂わせていた。
「……マジで、なんだよこれ」
進むごとに、道中で行く手を阻む雑魚モンスターの数も増えていく。先ほどまでとは比較にならない密度の群れが、次々と襲いかかってきた。
「焔、そっちは頼む!」
『任せて!』
影から飛び出した焔が、掌に紅蓮の炎を纏わせながら、迫る群れの一角へと躊躇なく突っ込んでいく。彼女が腕を一振りするたびに、炎の奔流がモンスターの群れを薙ぎ払い、辺りには焦げた瘴気の匂いが立ち込めた。
「相変わらず、えげつない火力だな」
『契約者が頑張ってるのに、竜が黙って見てるわけにいかないでしょ』
蒼は鉄の短剣を振るい、拳を叩き込み、時に転がるようにして攻撃を躱しながら、確実に一体ずつ数を減らしていく。息は上がり、制服はいよいよ原形をとどめないほどに裂けていたが、足を止める気配はなかった。焔と背中合わせに戦うその連携は、まるで何年も共に戦ってきたかのように自然だった。
【レベルアップ:Lv.6→Lv.9】
【レベルアップ:Lv.3→Lv.5】
「お! 焔もだいぶレベルが上がったな」
「そうね、すこし強くなった気がするわ」
ふと一息ついたところで、蒼は自分の格好を見下ろし、思わず苦笑した。制服のブレザーはあちこち裂け、シャツも半分以上が擦り切れている。これでは動きにくいことこの上ない。
「……さすがにこの格好で先に進むのは、無理があるな」
『そうね。制服のまま殴り合ってる時点で、大概おかしいと思ってたけど』
からかうような焔の声を聞き流し、蒼は再びショップの画面を開いた。防具の項目を覗くと、先ほど見た武器と同じく、目玉が飛び出るような高額品がずらりと並んでいる。
【竜鱗の軽鎧(Aランク相当) 920,000pt】 ――軽量ながら高い防御力を誇る、竜種の鱗を用いた特注品。
値段を見て即座にスクロールし、蒼は手頃な価格帯まで絞り込んでいく。ほどなくして見つけたのは、装飾もない簡素な作りの一着だった。
【強化革の軽装(Fランク相当) 450pt】 ――動きやすさを重視した、量産型の軽装。防御力は控えめ。
「これでいいや」
迷わず購入すると、目の前に淡い光が集まり、動きやすそうな軽装が実体化する。蒼はその場で手早く着替え、ボロボロになった制服を丸めてリュックに突っ込んだ。
「よし、これで多少はマシになったか」
軽くなった体を確かめるように腕を回し、蒼は改めて前を向く。装備こそ最低限だが、動きにくさというストレスがなくなっただけでも、随分と楽になった気がした。
そのまま奥へと足を進める。
「――っ!!」
最奥に足を踏み入れた瞬間、蒼は反射的に横へ跳んだ。直前まで立っていた場所に、巨大な尾が叩きつけられ、岩盤ごと地面を陥没させる。
姿を現したのは、全長二十メートルはあろうかという、漆黒の鱗に覆われた竜のような何か。だが、蒼が知る焔たちとは、あまりにも異質だった。眼窩には光がなく、体のあちこちから瘴気そのものが漏れ出している。生きているというより、何かに突き動かされているような、歪んだ気配を纏っていた。
『……蒼、これは』焔の声が、初めて明確な緊張を帯びた。『竜、じゃない。竜の「成れの果て」ってところかしら。瘴気に蝕まれて、化け物になった何かよ』
「そんなのがなんでこんな場所に……」
考える暇はなかった。化け物と化した竜が咆哮を上げ、瘴気を纏った爪を振り下ろす。
『わたしも行くわ!』
焔が叫びながら側面に回り込み、掌に紅蓮の炎を凝縮させて放つ。着弾した炎は化け物の横腹を焼いたが、纏わりつく瘴気にすぐさま鎮火させられてしまった。
『……効きが悪い? 瘴気が炎を喰ってる……!』
「くそ、焔、下がれ!」
蒼はとっさに剣を構えて受け止めるが、桁違いの衝撃に体ごと弾き飛ばされた。
「ぐ、あ……!」
岩壁に叩きつけられ、視界が一瞬白く染まる。立ち上がろうとする体に、ずしりと重い痛みが走った。腕から血が滲み、脚にも深い傷が刻まれている。
「レベル9って、ついさっき喜んだばっかなのに……全然、足りてねえじゃねえか」
自嘲するように呟きながらも、蒼は歯を食いしばって立ち上がる。相手の一撃一撃が、これまでの雑魚とは次元が違う。躱しきれず、掠るだけでも骨まで軋むような痛みが走った。
焔もまた、幾度となく攻撃を仕掛けては弾き返され、肩や頬に浅くない傷を負っていた。それでも歯を食いしばり、蒼の隙を作ろうと果敢に攻め続ける。
『こんな……瘴気に呑まれた化け物相手に、炎属性がまともに通らないなんて――』
化け物の巨体が唸りを上げて突進してくる。蒼は横に転がりながら躱し、その勢いのまま短剣を横薙ぎに振るった。刃は瘴気に包まれた鱗を辛うじて捉えたが、皮一枚を裂いただけで弾かれてしまう。
「硬すぎるだろ、これ……!」
『瘴気そのものが鎧になってるのよ。生半可な攻撃じゃ、鱗の内側まで届かない』
焔の分析を聞きながらも、蒼は思考を巡らせる。正面からの力比べでは分が悪い。ならば、と蒼は化け物の足元へと滑り込み、関節部分――甲殻種で見つけたのと同じ、装甲の薄い継ぎ目を探る。
狙いは的確だった。だが、化け物はまるで蒼の意図を読んでいたかのように、間髪入れずに尾を振るう。
「――っ、読まれてる!?」
辛うじて剣で受けたものの、衝撃を殺しきれず、体が大きく後方へ弾かれた。着地と同時に片膝をつき、荒い息を吐き出す。
焔が追撃に転じようとした瞬間、化け物の口腔に瘴気が凝縮していく。
『まずい、あれは――』
放たれた瘴気の奔流が、焔を巻き込むようにして薙ぎ払った。
「焔!」
『……大丈夫、まだ、動ける……』
膝をつきながらも立ち上がろうとする焔の姿に、蒼の焦燥がさらに募る。攻撃の手数、速度、威力――そのどれもが、これまで対峙してきたどんな敵とも一線を画していた。
連撃を辛うじて捌きながらも、二人の体には確実に傷が積み重なっていく。息が乱れ、視界の端が霞み始めていた。
(まずい……このままじゃ、二人とも押し切られる)
一瞬の隙を突き、蒼は距離を取って呼吸を整える。頭の中で「スキル」と念じると、視界の端に半透明のウィンドウが浮かび上がった。
【使用可能スキル:竜爪】 【消費MP:80/現在MP:92】
「――賭けだけど、やるしかない」
蒼は残ったMPのほとんどを注ぎ込み、そのスキルを発動させる。両腕に紅い光の粒子が纏わりつき、爪のような形の刃を形成していく。焔の力を借り受けた一撃――それが「竜爪」というスキルの正体だった。
「――ぐぁあああっ!」
裂帛の気合とともに、蒼は光を纏った両腕で化け物の胴へと斬りかかる。今までの一撃とは比較にならない手応えとともに、瘴気の鎧に深い亀裂が走った。
『やった、通って――』
焔の声が弾んだのも束の間、化け物はすぐさま体勢を立て直し、抉れた傷口から新たな瘴気を噴き出して自らを覆い直してしまう。
「――嘘だろ、再生するのかよ」
蒼は愕然とした。せっかく通した一撃が、みるみるうちに塞がれていく。MPを大きく消費した代償に見合う戦果とは、到底言えなかった。
膝から力が抜けそうになるのを、蒼は歯を食いしばって堪える。だが、体力にもMPにも、もう大した余裕は残されていなかった。
化け物の尾が唸りを上げて振り抜かれる。躱しきれず、蒼の体が横殴りに吹き飛んだ。
「かはっ……!」
地面を転がり、血だらけの体で仰向けに倒れ込む。全身が悲鳴を上げていた。指一本動かすのさえ、今は億劫なほどに。
「蒼……!」
駆け寄ろうとした焔もまた、続く追撃を受けて弾き飛ばされ、岩肌に膝をつく。彼女一人で庇いきれるだけの余力は、もう残っていなかった。
朦朧とする意識の中、蒼は追撃の気配を感じ取った。だが、体が言うことを聞かない。
(……ここまで、か)
諦めかけたその時だった。
「――そこまでよ」
凛とした声とともに、蒼の周囲に淡い緑の光が舞い散る。振り下ろされかけた化け物の爪は、見えない壁に阻まれたかのように弾かれた。
光の中から現れたのは、緑がかった銀髪をなびかせる、清廉な佇まいの女性だった。
『遅くなってごめんなさい、蒼。あなたの声が、ようやく聞こえたから』
「お、前……」
『風花よ。よろしくね』
彼女――風花は柔らかく微笑むと、蒼の傍らに膝をつき、そっと手をかざした。触れた場所から、温かい光が全身に染み渡っていく。裂けた傷が見る間に塞がり、軋んでいた骨の痛みが嘘のように引いていく。
「……体が、軽い」
『わたしのスキルは「治癒」と「加護」。傷を癒すことと、味方に補助をかけることが得意なの。ずっとあなたのそばで力になりたいって、思ってたのよ』
風花はそう言うと、蒼の全身にもう一度優しい光を纏わせた。淡く輝くその光は、身体能力そのものを底上げしているのが、感覚でわかるほどだった。
『さあ、蒼。今のあなたなら、まだ戦えるはずよ』
立ち上がった蒼の体は、先ほどまでとは比較にならないほど軽く、力に満ちていた。傷が癒えただけではない。何か、もう一段階、押し上げられたような感覚がある。
「――ありがとな、風花」
『ふふ、どういたしまして。……さあ、行きましょう。あの子を、これ以上苦しませないためにも』
その言葉に、蒼はわずかに眉をひそめた。
「苦しませない、って――」
『詳しい話は後で。今はまず、目の前のことに集中して』
風花の声には、何かを堪えるような響きがあった。だが、深く追及する余裕は、今の蒼にはなかった。
化け物と化した竜が、再び咆哮を上げる。
その咆哮は、ゲートの内部だけにとどまらなかった。轟音となって地面を震わせ、外界の規制線にまで、地鳴りのような余波を届かせていたのだ。
規制線の外、まだ現場の対応に追われていた神楽坂は、その異様な震動に思わず顔を上げた。
「……今のは」
肌が粟立つ感覚があった。長年、数え切れないほどの現場を渡り歩いてきた協会会長としての勘が、警鐘を鳴らしている。
(この揺れ方……並のモンスターのものじゃない)
脳裏をよぎったのは、先ほど送り出したばかりの、あの少年の顔だった。
「――嫌な予感がする」
小さく呟くと、神楽坂は迷わず踵を返し、拡大を続けるゲートへと足を向けた。周囲で止める声が上がるが、それを振り切るようにして、彼女は渦を巻く裂け目の中へと足を踏み入れる。
協会会長自らがゲートへ足を運ぶなど、本来ならあり得ない事態だった。それでも、彼女を突き動かしたのは、規定でも肩書きでもない、ただの直感だった。
蒼は剣を構え直し、地を蹴った。
癒えた体に、風花の加護が重なる。焔たちと共に積み上げてきた戦いの日々が、今この瞬間のために繋がっていくのを、蒼は確かに感じていた。
まだ何も終わっていない。むしろ、これはほんの始まりに過ぎなかった。
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