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第一章──目覚めの日

高校生なので今週はテスト勉強とテストであまり出せないかもしれません

時を、少しだけ巻き戻す。


 これは、相楽蒼がまだ「竜使いの落伍者」とすら呼ばれていなかった頃――彼が初めて職業というものを得る、その朝の話だ。


「……今日か」


 蒼はベッドの上で天井を見上げ、小さく呟いた。カレンダーには赤丸がついている。「職業覚醒式」――全国の高校二年生が、十六の誕生日を迎えた学年で一斉に受けることになっている、国の定めた行事の日だ。


 ゲートが開いてから十年。人類はあの日を境に、体内に眠る「因子」とでも呼ぶべきものを獲得した。多くの場合、それは十代半ばで発現する。国はこれを見過ごさず、全高校に専用の観測装置――通称「宣告の水晶」を配備し、学年ごとに一斉覚醒の儀式を執り行うようになっていた。


 職業が判明した瞬間、それは本人だけでなく、水晶を介して会場にいる全員に共有される。階級もランクも、良くも悪くも、一瞬で衆目に晒される。


 残酷な制度だと、蒼は常々思っていた。


 教室に着くと、既にクラス中がそわそわしていた。


「なあなあ、聞いた? 隣のクラスの奴、Aランクの剣士だったってよ」 「マジ? 親が有名なハンターだっけ」 「俺は絶対Sランクの職業がいいわ、じゃなきゃ恥ずかしくて表歩けねえもん」


 軽薄な笑い声が飛び交う中、蒼は一人、窓際の席で息を潜めていた。目立ちたくない。ただそれだけを願っていた、ごく普通の少年だった。


 午前十時、全校生徒が体育館に集められる。壇上には巨大な水晶――淡く青白い光を放つそれが、まるで生き物のように脈動していた。


「これより、二年生の職業覚醒式を執り行う」


 教員の声とともに、出席番号順に生徒が壇上へと呼ばれていく。水晶に触れた瞬間、生徒の頭上に文字が浮かび上がる。


【氷室 玲――職業:剣士 階級:C】


「おおっ」と歓声。


【橘 大輝――職業:重戦士 階級:B】


 拍手が起こる。壇上に立つたび、それなりの職業を得た生徒には称賛が、逆に不甲斐ない結果には、忍び笑いが浴びせられる。この十年で、職業の優劣がそのまま人間の価値であるかのような空気が、当たり前のように学校にも根付いていた。


 蒼の番が近づくにつれ、胃の奥が重くなる。


 別に、期待していたわけではない。むしろ諦めていた。目立たず生きるための、都合の良い言い訳が欲しかっただけかもしれない。


「相楽、蒼」


 名を呼ばれ、蒼はゆっくりと壇上に上がった。数百の視線が、興味半分、暇つぶし半分といった様子で彼に注がれる。


 水晶に触れる。


 冷たい感触が指先から広がり、次の瞬間、頭の中に何かが「流れ込んでくる」感覚があった。今まで感じたことのない、圧倒的な情報量。まるで頭蓋の中に別の世界が広がるような、奇妙な浮遊感。


 だが、体育館に浮かび上がった文字を見て、その場の空気が一変した。


【相楽 蒼――職業:竜使い 階級:F】


 一拍の静寂のあと、堰を切ったように笑い声が広がった。


「竜使いって……マジかよ」 「Fランクとか、久々に見たわ」 「あーあ、相楽終わったな」


 竜使いは、この十年で確立された職業評価の中でも、最底辺に位置づけられていた。竜という存在自体が極めて稀少である上、使役するための消費コストに対して見返りが乏しく、そもそも竜と契約できる者自体がほとんど存在しない。存在しないはずの職業を得た、というだけでも異例だったが、その珍しさは称賛ではなく嘲笑の対象にしかならなかった。


 蒼は俯き、乾いた笑みを浮かべることしかできなかった。


(あぁ、そう。そういうことか)


 壇上を降りる足取りは、来た時よりも数段重い。だが、心のどこかで、蒼はどこか安堵してもいた。これで、目立つ心配はしばらくなさそうだ、と。


 式が終わり、放課後。誰もいなくなった体育館の裏手で、蒼は一人、膝を抱えて座り込んでいた。


 その時だった。


 空気が、震えた。


 遠雷にも似た低い唸り――いや、それは唸りではなく、確かに「声」だった。誰かが自分を呼んでいる。蒼にしか聞こえない、けれど確かにそこにある声。


「……誰だ?」


 顔を上げた蒼の目の前、何もなかったはずの空間に、淡い紅の光が渦を巻き始める。光の奥から覗くのは、燃えるような紅い瞳。


『やっと……見つけた』


 その声は、あまりにも澄んでいて、あまりにも――優しかった。


 だが、この光景を目にしていたのは、蒼一人ではなかった。


 体育館裏へと続く渡り廊下の陰に、たまたま居合わせた三つの人影があった。


 一人は、今日の覚醒式でA階級の判定を受けたばかりの、学年一の美少女と評判の少女――一之瀬千夏(いちのせ ちなつ)。職員室に忘れ物を取りに戻る途中、妙な気配に足を止めていた。


 もう一人は、この学校にとって思いがけない来訪者だった。ハンター協会会長・神楽坂冬子(かぐらざか とうこ)。今年の覚醒式で「竜使い」という稀少職が発現したとの一報を受け、内密に様子を見に来ていたところだった。


 そしてもう一人――綾瀬玲奈もまた、そこにいた。玲奈は蒼とは別の高校に通っているが、今日はたまたまこの近くでドラマの撮影が入っており、休憩の合間に足を伸ばしてみたところだった。校門をくぐろうとした矢先、肌がひりつくような、尋常ではない気配を感じ取ったのだ。現役ハンターとしての勘が、迷わず彼女の足を校舎裏へと向かわせていた。


(この気配……蒼くんの方から?)


 三人は互いの存在に気づかぬまま、同じ光景に目を奪われていた。


 紅の光は渦を巻きながら質量を持ち始め、やがて体育館裏の空間そのものを塗り替えるように、巨大な影を結んでいく。地を這うような重低音の唸り、焼け付くような熱気――そこに現れたのは、紛れもなく「竜」だった。全長は優に十メートルを超え、紅蓮の鱗が夕日を弾いて燃えるように輝いている。


 千夏は言葉を失った。神楽坂もまた、表情を消したまま息を止めていた。


(竜、契約体……? まさか、本物の……)


 協会会長として、幾多の記録を目にしてきた神楽坂ですら、実物を見るのは初めてだった。竜という種は、伝承と観測記録の中にしか存在しない、いわば「絶滅危惧種」以上の稀少性を持つ存在だ。それが今、この学校の片隅に、生きて顕現している。


 巨躯はやがて光の粒子へと分解され、渦を巻きながら収縮していく。次に現れたのは――燃えるような紅髪を持つ、一人の女性だった。


 人ならざる美しさ、というのはこういうことを言うのだろう。褐色がかった肌に、宝石のような紅玉の瞳。しなやかな肢体を包むのは、まるで炎そのものを纏っているかのような装束だった。


『ふふ……ようやく、あなたの声を届けられた』


 女性――竜は、蒼の前に膝をつき、そっと彼の頬に触れた。


『わたしの名前は焔(ほむら)。あなたの、契約者としての名を』


「お、俺の名前……蒼、だけど」


『蒼』焔はその名を、まるで宝物のように繰り返した。『いい名前ね。これから、よろしくお願いします、わたしの――』


 言いかけたその言葉は、渡り廊下から聞こえた小さな息を呑む音に遮られた。


 焔の視線が、ゆっくりとそちらへ向く。


「……誰かいる」


 蒼が振り返るのと、千夏が思わず声を漏らすのはほぼ同時だった。


「う、嘘……本物の、竜……?」


 その声に紛れて、もう一つ別の声が上がる。


「蒼くん、これ、一体どういうこと……!?」


 物陰から飛び出してきたのは、綾瀬玲奈だった。他人行儀な千夏の驚愕とは違い、その声には遠慮のない親しさが滲んでいる。蒼にとっては幼馴染に近い存在である彼女の登場に、当の本人が誰よりも驚いていた。


「玲奈? なんでお前がここに……」


「近くでドラマの撮影があって、休憩中にふらっと寄ってみただけなの! そしたらとんでもない気配がして……って、そんなことより、この竜さん誰!?」


 突然響いた第三者の声に、渡り廊下の陰に潜んでいた千夏と神楽坂は、揃って息を呑んだ。


(うそ、まだ誰かいたの……!? しかも、あの綾瀬玲奈……?)


 千夏は目を丸くした。学年どころか、テレビでも見かける現役女優が、まさかこんな場所に、しかも相楽蒼と親しげに言葉を交わしながら現れるとは、想像の埒外だった。


 一方の神楽坂は、内心で小さく舌打ちしていた。


(一人どころか、次から次へと……。この場に居合わせた事情通が、これで三人か)


 物陰から様子を窺うだけのつもりが、これ以上潜んでいても得るものはない。むしろ長居すればするほど、自分の存在まで露見しかねない。そう判断した神楽坂は、静かに息を整えると、覚悟を決めたように前へ進み出た。


「――見られてしまったわね」


 神楽坂は小さく息を吐き、物陰から姿を現した。スーツに身を包んだ、隙のない佇まいの女性だった。


「学生さん、少し話を聞かせてもらえるかしら。私はハンター協会の――」


 そこまで言いかけて、神楽坂は言葉を止めた。目の前の少年が、今日の覚醒式で嘲笑を浴びていた「Fランクの竜使い」であることに、遅れて気づいたからだ。


 その隣で、千夏はまだ、燃えるような紅髪の女性から目を離せずにいた。今朝までクラスの誰もが見向きもしなかった、あの目立たない少年の傍らに、これほどまでの存在が寄り添っているという事実が、まだうまく飲み込めずにいる。


(相楽くんが……竜と、契約……?)


 目立たないはずだった少年の日常は、この瞬間から、静かに、しかし確実に軋み始めていた。


「――質問を続けてもいいかしら」


 神楽坂は乱れた呼吸を整えながら、努めて平静な声を作った。長年、幾多の異常事態の現場に立ち会ってきた協会会長としての矜持が、辛うじて彼女を平静に踏みとどまらせている。


「相楽蒼くん、で間違いないわね。今日の覚醒式で、竜使いの職業を得た」


「……はい」


 蒼は警戒を隠さないまま頷いた。傍らの焔が、まるで蒼を庇うように一歩前へ出る。


『この子に何か用? 会長さん』


 その物言いに、神楽坂は思わず苦笑した。人語を解し、しかもこちらの肩書きまで正確に見抜いている。伝承にある竜という存在が、想像以上に「人間的」であることに、改めて驚かされる。


「用というより――確認、かしらね。竜との契約は、記録上でも数えるほどしか例がない。しかも一体ではなく、この気配……もしかしてまだ、他にもいるの?」


 焔は妖しく微笑んだだけで、答えなかった。だが、その沈黙こそが何よりの答えだった。


 神楽坂は内心で舌を巻く。もし本当に、竜使いという最弱の烙印を押された少年が、複数の竜と契約する器を持っているのだとすれば――それは既存の職業評価そのものを覆しかねない事態だ。


「協会として、正式に君を保護対象にしたいところだけれど」


「――結構です」


 蒼が即答した。予想外の返答に、神楽坂はわずかに眉を上げる。


「今日、みんなの前で笑われたばかりなので。目立つのは、正直……こりごりです」


 その言葉には、演技ではない本音が滲んでいた。神楽坂はしばし蒼の顔を見つめ、それからふっと表情を緩めた。


「そう。なら、今は無理強いしないわ。ただ――」


 名刺代わりに、彼女は一枚のカードを差し出す。漆黒に金の紋章があしらわれた、見るからに特別な代物だった。


「これは、私個人の連絡先。何かあれば、いつでも連絡しなさい。竜使いの少年が、どんな未来を歩むのか……興味があるの」


 蒼が戸惑いながらもそれを受け取ると、神楽坂は踵を返し、来た時と同じように静かに校門の方へと去っていった。


 残されたのは、蒼と焔、そして――まだ物陰から動けずにいる、一之瀬千夏と、腕組みをして何とも言えない表情を浮かべる綾瀬玲奈だった。


「あ、あの……」


 千夏の声に、蒼の肩が跳ねる。すっかり存在を失念していたのだ。今日の覚醒式でA階級を叩き出し、学年中の羨望を一身に浴びていたはずの少女が、なぜかまだそこに立ち尽くしている。


「わ、私、その……見ちゃいけないもの、見ちゃったよね、ごめんね」


 千夏は珍しく、しどろもどろになっていた。学年一の美少女と評される彼女らしからぬ狼狽ぶりだ。


『あら』焔が興味深そうに千夏を見やる。『あなた、蒼のクラスメイトね。今日、随分と良い評価をもらってたじゃない』


「え、あ、はい。A階級の、聖騎士って言われて……」


 言いかけて、千夏ははっと口をつぐんだ。目の前の光景と、教室での嘲笑の記憶が、今更ながら結びついたのだろう。


(相楽くんは……Fランクの、笑われ者のはずなのに)


 しかし今、彼女の目の前にいるのは、竜という伝説上の存在に慕われ、あの協会会長からも直々に連絡先を渡されるほどの、規格外の何かだった。


「相楽くん」


「な、なに」


「今日見たこと、誰にも言わない。約束する。……その代わり」


 千夏は、思いのほか真っ直ぐな瞳で蒼を見据えた。


「今度、ちゃんと話、聞かせてね」


 その一言だけを残し、逃げるように渡り廊下を駆けていく後ろ姿を、蒼はただ呆然と見送るしかなかった。


 残されたのは、蒼と焔、そして玲奈の三人(一体、というべきか)だけになった。


「……で? 蒼くん、この際だから聞かせてもらうけど」


 玲奈は腕組みをしたまま、じとりとした目を向けてくる。


「二年前に私を助けてくれた時から、なんかおかしいとは思ってたのよ。無職なのにモンスターの攻撃を素手で受け止めるとか、普通できないから」


「あー……それは、その……」


「今日でようやく色々腑に落ちたわ。あなた、絶対ただの高校生じゃないでしょ」


 図星を突かれ、蒼は思わず視線を逸らした。焔がそんな二人のやり取りを、興味深そうに見つめている。


『あら、あなたも蒼と知り合いだったのね。仲良さそうで何より』


「え、竜さんまでそのテンション!? というか喋るの!? しかも私、名乗ってすらいないのになんで名前……」


「玲奈、それは俺が普段からお前の話をしてるからで……」


「へえ、蒼くんが私の話を、ねぇ?」


 からかうような笑みを向けられ、蒼はますます居心地悪そうに視線を泳がせた。玲奈は結局、それ以上深くは追及せず、ただ「今度ちゃんと聞かせてもらうから」とだけ念を押して、慌ただしく仕事へと戻っていった。


「……なんか、とんでもないことになった気がする」


 誰にともなく呟いた蒼の言葉に、焔がくすりと笑う。


『これから、もっと賑やかになるわよ』


 夕陽に染まる体育館裏で、紅い竜と、最弱の烙印を押された少年の、まだ誰も知らない物語が、静かに幕を開けていた。


 その夜、蒼は焔に連れられ、人気のない河川敷へと足を運んでいた。


『契約したばかりの今のうちに、少しだけ力を試しておきましょう。竜使いの真価は、竜そのものの強さじゃない。竜と「同調」する術者側の器で決まるの』


 焔はそう言うと、掌の上に小さな炎の球を生み出し、蒼へと軽く放った。


「うおっ――」


 咄嗟に、蒼は体を反らしてそれを躱していた。しかも、ただ避けただけではない。避けると同時に一歩踏み込み、まるで最初からそうするつもりだったかのように、伸ばした指先で炎の軌道の余波を弾き逸らしてみせる。


 焔は目を丸くした。


『……今の、教えてないわよね?』


「え? いや、体が勝手に……」


 蒼自身、驚いていた。頭で考えるより先に、体が最適な動きを選び取っている。まるで、何百回、何千回とこの手の攻撃を捌いてきたかのような、迷いのない反応だった。


 覚醒式で嘲笑された「Fランクの竜使い」。だが、職業とは別に、この少年には元来、常人離れした「戦闘勘」とでも呼ぶべきものが備わっていた。まだ本人すら気づいていない、生まれ持った資質。


『面白いわね』焔は口の端を吊り上げた。『職業のランクなんて、所詮は目に見える数値でしかない。あなたの中身は、もっとずっと――』


 言葉を切り、焔は蒼との距離を一気に詰める。次の瞬間には、彼女の指先が蒼の喉元、寸前で止まっていた。


「っ――」


 蒼は反応できていた。完全に、ではない。だが焔の動きに合わせて半身を捻り、致命的な軌道からは確実に逃れていた。素人が、竜の踏み込みに対してここまで反応できること自体が異常だった。


『竜使いとしての力は、これからゆっくり育てればいい。でも――蒼、あなたの「戦う才能」は、多分もう、そこらのSランクハンターより上よ』


 焔の声には、からかいの色はなかった。純粋な、驚嘆だけがあった。


 河川敷に吹く夜風の中、蒼はまだ実感の伴わないまま、自分の掌を見つめていた。


(俺が、才能……?)


 嘲笑と共に刻まれた「最弱職」の烙印。だがその内側には、まだ誰も知らない――蒼自身すら気づいていなかった、途方もない何かが眠っていた。


 これから始まる物語は、その「何か」が少しずつ形になっていく物語でもある。

読んでいただきありがとうございます

高校生なのでテスト勉強とテストで今週はあまり出せないかもしれません

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