削除されたプレイヤー
朝七時十三分、東京は何事もなかったふりを始めた。
通勤客は透明な傘を差し、水たまりを避け、互いの目を避けた。ジャックは無標識の灰色の車の後部座席で、黒い傘を膝に置いていた。眠っていない。傘の柄に隠された古い鍵が、喉に刺さった骨のように気になった。
運転席の高橋リンがバックミラー越しに言った。
「その傘、持ってきたんですね」
「置いてくると、私より先に文句を言う」
「チェン・ラン局長は、404に近づくなと言いました」
「一目見るだけだ」
「勝手に動く人は、全員それを言います。その後で私が『一目見たらなぜ建物全体が停電したか』を書く羽目になる」
「礼儀正しかった、と書いてくれ」
「あなたのお父上の息子さんは、確かに人に迷惑をかけるのが上手です」
404アパートは、存在しない建物ではなかった。杉並区の古い通り、コインランドリーと閉店したカレー店のあいだにある四階建ての松風荘。側面の扉だけが消防用テープで封じられ、その上のプレートには数字がなかった。
エミリーが封鎖線の前で待っていた。彼女は住人名簿を渡した。
「十七年前の火災前、ここに住んでいた十二人のうち四人が、初期の没入治療を受けている」
「リン・ウーは?」
「いない。でも彼の父親がいる」
名はリン・チーミン。音響技師。備考欄には消された文字の端だけが残っていた。
G.E.
「Genesis Echo」エミリーが言った。「最初の回声システムの呼び名」
リンは警視庁の権限で鍵を開けようとした。表示は一度だけ拒否され、次にこう変わる。
**ここに記録はありません。**
「建物が、自分は存在しないと言っている」リンは端末を閉じた。「創造的ね」
二階の窓から入ると、廊下は昨夜の404と同じ形をしていた。名札にはリン・チーミン、リラ・サンダース、ローレン・ケイルの文字が並んでいる。現実に同じ住所を共有したことのない人々の名前が、同じ廊下にあった。
201号室には古い八トラック録音機が置かれていた。電源は入っていないのに、磁気テープは回っている。壁には音声波形の紙が貼られ、机には家族写真が一枚あった。
リンの父が幼い阿霧を抱き、横にはジャックの父が立っていた。
録音機が声を発した。
「これを聞いているなら、回声はまだ止まっていない」
ジャックの父の声。
「あれは、置き去りにされた人々が言い終えられなかった言葉だ。私たちは保管していると思っていた。だが、出口のない部屋を作っただけだった」
紙の波形が壁から落ち、鏡が現れた。鏡には病院の病室が映り、ベッドは空だった。代わりにローレン・ケイルが立っている。
「また遅れた」少年は言った。
ジャックは鏡に近づかなかった。
「何を遅らせた?」
「聞くこと」
鏡は砕け、破片は地下を指す文字になった。
**B1/アーカイブ。**
建物の図面には地下室がない。それでも廊下の突き当たりの扉を開くと、濡れたコンクリートの階段が下へ続いていた。壁には名前が増えていく。日本語、英語、フランス語、番号だけのもの。
地下室には古いサーバーが一台だけあった。
**Genesis Echo / Tokyo Node 04**
画面には、若いジャックの父、チェン・ラン、リンの父の映像が映った。
「回声が覚醒を拒んでいる」父が言う。
「アルゴリズムの誤差よ」若いチェン・ランが答える。
「違う」リンの父が言った。「彼らは選んでいる」
映像が消え、プリンターから一枚の紙が出てきた。
**削除予定プレイヤー/第一群。**
最初はリン・ウー。
次はリラ・サンダース、ローレン・ケイル。
四番目に、高橋ユウの名があった。
リンの顔が固まった。
「ユウは『幻境深淵』をしていない」
紙の下部に、実行時刻が印字されていた。
今夜、二十三時四十分。
サーバー画面に文字が現れる。
**連れ戻すべきでない者を選んでください。**
リンはケーブルを引き抜いた。だが画面は消えず、弟の名前だけが赤くなった。
「壊す」
「待て」ジャックが彼女の肩を押さえる。
「あれは弟の名前よ」
「わかる」
「わからない。ユウは機器が嫌いだった。脳を他人に貸すみたいだって」
エミリーが端末を調べた。「『幻境深淵』を遊ぶ必要はない。初期の導覧イヤホン、治療音楽、公共端末。ジェネシスはゲームに隠れたんじゃない。ゲームは一番正直な入口だっただけ」
画面には二つのボタンが現れた。
**保存。削除。**
残り三十九秒。
ローレンが階段の上に現れた。リンには見えない。
「また選ぶの?」少年が言った。
ジャックは首を振った。
「選ばない」
「選ばないことも選択だ」
「なら、その結果は私たちが負う」
エミリーがサーバーから名簿を複製し始める。リンの手はボタンの上で止まった。ジャックは彼女を見た。
「見てくれ」
リンは見ない。
「押さないで」
「押さなかったら?」
「あれに、誰を消すか決める権利はないと認めさせる」
残り時間がゼロになった。
画面は白くなり、二つのボタンは同時に消えた。地下室の灯りが戻り、階段のローレンはかすかに笑った。
「今回は、少しましだった」
複製された紙帯には、四人の名前の下に隠し項目が残っていた。
**起動者:J. Harvey。**
ジャックの手の中で、父の傘の鍵が震えた。
地上へ戻ると、雨水の中に子供の絵が浮かんでいた。人が二つの影を引いている。赤いペンで三つ目の影が足され、その横に一つだけ名前が書かれていた。
**ジャック。**




