雛
カスターノへ向かったニーノを出迎えたのはラウロだった。彼の姿を見た瞬間、電話越しのハーバートが何故あれほど苛立っていたのか合点がいった。
「その怪我どうしたんすか、ラウロさん」
「うん、まあ……たいしたことはないんだけどね」ラウロは包帯の巻かれた右手をひらりと振って、気まずそうに言う。「詳しいことは中で話そう。さあ入って」
奥へ進むと、例の如く難しそうな顔をしたハーバートがカウンターのそばに立っていた。店の奥に座っているもうひとつの人影を見付け、ニーノは自分が呼ばれた理由を察する。
「アル」
呼びかけられたアルフォンソはニーノのほうをちらりと見ただけで、なにも言わずに俯いた。気のせいかいつもよりも若干幼く見える彼の目は、手負いの猛獣さながら、近付く者を拒絶していた。ヒースターでコジモに銃を放ったときも、今と同じ目をしていたことをふとニーノは思い出す。
「今回は遅刻しなかったな。なによりだ」
「そりゃあ、あんなふうにいかにも『緊急事態です』って感じで呼ばれたら、流石のおれだって急ぎますよ」
ニーノは冗談めかしてハーバートに答える。
「普段からそうしてくれれば有り難いんだが」それはともかく、とハーバートは話を本題へ切り替える。「見ての通り、アルフォンソが見つかった。朝市に買出しに行っていたラウロが、市街地の路地裏で見つけたそうだ」
「無事に見つかってよかった……と言いたいところなんだけど……」
ラウロはいつになく落ち着かない様子でハーバートに目を向け、歯切れの悪い口調でもごもごと呟く。
「もったいつけずに早く言ったらどうなんだ、ラウロ」
「でも、まだはっきりとそうだと決まったわけじゃないし……」
「本人がそうだと言っているんだ、それ以上になにがあるって言うんだ」
「ちょ、話が全然見えないんすけど。アルフォンソになにかあったんすか?」
しばらく重苦しい沈黙が流れ、ハーバートがその『事実』を告げた。
「アルフォンソがレオンツィオの部下を殺した。捜索に当たっていた三人、全員だ」
「えっ」
言葉の意味が飲み込めず、ニーノは思わず訊き返す。
「ごめんなさい……」
アルフォンソの乾いた唇が微かに動くのが見えた。
「アル……」
「ごめんなさい……こんなはずじゃなかった……。僕が居るから、皆に迷惑が……」
「ラウロの手の傷を見ただろう。ラウロに見つけられたとき、アルフォンソは死体のそばに居た。かなり取り乱していて、声を掛けたラウロにまで襲い掛かって来たそうだ。そうだな?」
「ハーバート、それはもういいって言っただろう。あまりアルを追い詰めるな」
ハーバートの糾弾に縮こまるアルフォンソを庇うように、ラウロがいつになく厳しい口調で咎める。
ニーノは顎に手を当てて少し考えた後、つかつかとアルフォンソに近付き、その手をぐいと引っ張って彼を立ち上がらせる。その行動に、アルフォンソだけでなくハーバートとラウロまでも虚を突かれたような顔をしていた。
「しょぼくれてる暇なんてあるのかよ。行くぞ」
「行くって、どこに?」
鳶色の目を揺らし、アルフォンソは細い声で尋ねる。
「決まってんだろうが」ニーノはやや苛付いた口調でそれに答えた。「おまえを嵌めたクソ野郎をぶちのめしに行くんだよ」
「嵌めた? 心当たりがあるのか、ニーノ」
ハーバートが訝しげな目を向ける。
「そんなもんねえっすよ。でも、アルが面白半分に人殺しなんてするわけがないってのは、あんたがたもわかってるはずっすよ」
「だが……」
「余計なことをするな!」
不意に、アルフォンソの叫び声が会話を遮った。ニーノに掴まれた手を振り払い、半ば破れかぶれに喚き散らす。
「そこに死体があって、僕がナイフを持っていて、それで彼らを切りつけたんだ! 切り刻んだんだよ! 殺さなきゃ死んでた、だから殺した、でも死ななきゃ、僕が死ななきゃ、皆が殺されるんだ!」
ぱちん、と軽い音が鳴って、アルフォンソの言葉は途切れた。ニーノの平手に打たれた頬が、じわりと赤くなる。
「うるせえよ、クソガキ」ニーノはアルフォンソの胸倉を掴み、壁に彼の身体を叩きつけるように押し付け、叫ぶように言う。「てめえも【ビアンコステラ】の一員だろうが! こんなことでビビってんじゃねえよ!」
アルフォンソの表情が驚きから怒りへ、そして悲しみとも嬉しさとも形容しがたい奇妙な表情へと変わる。
「言いたいことがあるんなら、いくらでも聞いてやる。洗いざらい話してもらうぜ。今までおまえがどこでなにしてたのかとか、なんでこんなめんどくせえ事態になってるのかとかな」
「……ニーノ」
「ん?」
アルフォンソの声に幾分か張りが戻ったようだった。胸倉を掴んでいた手を離し、ニーノはアルフォンソの口元に意識を向ける。
「僕のことを、信じてくれるんですか」
「あたりまえだろ」
「どうして……」
なおも食い下がるアルフォンソに、ニーノはうんざりした溜息を吐きながら答える。
「おまえ、自分で気付いてないのか? 顔に出すぎてるんだよ。『僕はやってない、僕は死にたくない、助けて』ってな」
「……ッ!」
「まったく、何年の付き合いだと思ってる。このニーノ・アメリアを騙せると思ったのか? おまえの考えてることなんざ、一切合切お見通しなんだよ」
アルフォンソが俯き、肩を震わせているのを見て、ニーノは彼が泣いているのかと思った。我ながらなかなか気の利いた台詞であったと思うが、まさかあのアルフォンソが感激のあまり涙を流すところまで至るとは想定外だったので、少々面食らう。とはいえ、いつもは冷めた様子で見下してくるアルフォンソがどんな顔をして泣いているのかを覗いてみたくなり、ニーノは俯いた顔をそうっと覗きこんだ。
アルフォンソは泣いてなどいなかった。涙を流すどころか、彼は眉を八の字にして、口元を押さえ、嗚咽のような笑い声を堪えている。遂に耐え切れなくなったと見えて、顔を覗き込むニーノと目が合った瞬間に噴き出した。
「ホンットに、あんたって人は……」
「な、なんだよ! なに笑ってやがる!」
「いや、あんまり台詞が臭かったものだから……こっちが恥ずかしくなっちゃって……」
「なっ……てめえ! それが他人に散々心配かけといて言う言葉かよ!」
「くくっ……くっ……ああ駄目だ、ツボに入ったこれ……馬鹿……馬鹿……ッ」
見慣れた光景を眺めながら、ラウロはハーバートに顔を向ける。
「ね、言ったろう? ニーノに任せておけばいいって」
「……あれも計算ずくなのか? あいつは」
「いや、確かにニーノは頭が回るほうだけど……あれは天然だね。君は頭が固すぎるんだよ」
「……おれに見習えと言うのか?」
「マルクだって似たようなものじゃないか。彼らの年は君達ほど離れてないけど、あの二人を見ていると、なんだか若い頃の君とマルクを見ているような気分になるよ」
笑い転げるアルフォンソに抗議を続けるニーノを見遣り、ハーバートは眉間に深い皺を刻んでぼそりと言う。
「若かったんだよ、あの頃は」




