ふたりでひとつ
虫の知らせだったのかもしれないと、ラウロはアルフォンソを発見したときの様子を語る。目当ての食材を買い付け、彼は徒歩でカスターノへと向かった。港の市場からカスターノへは歩いて三十分程度かかるのだが、歩き始めて十数分経った頃、荒い息遣いと、なにかを鋭利な刃物で執拗に突き刺す音を彼は聞いた。通り魔か強盗か、とにかく放っておくわけにはいかないとラウロは判断した。銃を構え、音が聞こえた路地へと向かう。その先で見たものは——
「アルフォンソが、三人の死体に向かってナイフを突き刺していたんだ。何度も何度も」
その話を聞かされたところでニーノは別段驚くことはなかったし、語るラウロも冷静だった。アルフォンソが時折我を忘れて暴走することは、以前から何度かあったことだからだ。
「派手に暴れてるような音とか、悲鳴なんかは聞こえなかったんっすね?」
確認をとるニーノに、ラウロはこくりと頷く。
ニーノは溜息を吐き、煉瓦造りの壁に寄りかかる。溜息と共に吐き出された紫煙が建物の間を通って晴天に昇って行った。
「ツッコミ所は幾らでもありそうなもんだけど、あの堅物の幹部サマを納得させられるかは微妙っすね……」
「でも君は信じているんだろう? アルフォンソのことを」
「別にダチだから庇ってるわけじゃないっすよ。アルの奴が疑われるせいで、おれにとばっちりが来たりしたら堪ったもんじゃないんでね」
「それで、これからどうする?」
「そりゃあまあ、まずは現場検証でしょう」
「でも、今頃は大騒ぎになってるはずだよ。僕はアルを連れて帰るのでやっとだったから、死体を隠す暇なんて無かったし」
「まあまあ。いい考えがあるんっすよ」
「いい考え?」
ニーノはにっと含みのある笑みを浮かべ、自信たっぷりに言う。
「まあ、任せといてくださいよ」
『野良犬』騒ぎがあって以来、ヴィオーラに久々の来客があった。地下の店ではなく、理髪店のほうである。
「アンタの言う『いい考え』ってのはこれですか」
赤いフラッパー・ドレスを纏ったアルフォンソは髪を整え化粧を施した自分の姿を見て低い声で言った。
「にこっとしろよ。よく似合ってるぜ……ぷぷ」
笑いを堪えるニーノをアルフォンソは睨み、帽子を深く被りながら舌打ちをする。
「余計なお世話かもしれませんけど……」道具を仕舞いながら、シルヴェリオが心配そうに言う。「ニーノさんたちが来る前、警察の人が来て市場付近で起きた事件について訊かれました。まだその辺りで聞き込みをしているかもしれないので、気をつけてくださいね」
「わかってるって。そのためにこうして変装して行くんだからさ。マフィアの関係者だってバレたら面倒だからな」
「アンタは普段の格好でもその辺のチンピラと変わりませんけどね」
「うぐ」
アルフォンソの呟きに若干凹みつつ、ニーノは彼と共にヴィオーラを後にした。
「そういや聞きそびれてたんだが、おまえ西地区でおれと別れた後なにしてたんだ? 待ち合わせの公園にも来なかったよな?」
アルフォンソは一瞬眉をしかめたが、思い出したように「ああ」と言って質問に答える。
「ちょっと喧嘩を」
「喧嘩?」
「例の幹部の部下じゃないですよ。あのとき、僕達をつけてる人間が居たでしょう」
「ああ、そうだったな」
やはりあのとき、ハーバートの他にも自分達を追っている者が居たのだ。
「追っ手の正体はただのチンピラでした。ピエトロに金を貰って、僕達をつけるよう言われたと」
「それで、そいつはどうした?」
「……わかりません」
「わからない?」
急に声を低くした相棒に、ニーノは首を傾げる。アルフォンソはそれ以上喋ろうとはしなかった。目を逸らし、顔を俯け、深く溜息を吐いている。
「なんだよ、そこまで言ったんなら言えよ」
「いえ。言っても、多分信じられないでしょうから」
「信じるも信じないも、聞かなきゃわかんねーだろうが」
少し間を開けて、アルフォンソは重い口を開いた。
「覚えてないんです。チンピラをぶちのめして事情を聞いた後、急に意識が遠くなって」
「仲間が居たのか? そいつに襲われたんだな?」
「いや、あれは素人の仕業じゃない。あの匂いは……」
言いかけて、アルフォンソは口と足を同時に止めた。話している間に現場付近に着いていたらしい。凍りついた視線が見つめる先には野次馬の群れがあった。彼らは恐怖と不安と好奇心がない交ぜになったざわめきを発していた。その群れの中に、唯一表情の無い人物が居た。アルフォンソは彼女を見つめていた。彼の目の色が変わるのを見て、ニーノは一抹の不安を覚える。
「アル? どうした?」
「あの、女……」
「あ、こら待て!」
名前を呼んで引き止めるには距離が遠すぎた。急に駆け出したアルフォンソの後をニーノは慌てて追いかける。迫る二つの足音に気付き、女はこちらに顔を向けた。
うっすらと、女の顔に笑みが浮かぶのをニーノは見た。その右頬にある大きな火傷の痕も。
思い出した。あれはヒースターに居た医者だ。そう思い至るのと、彼女が人込みの奥へ引っ込むのはほとんど同時であった。
群衆は隙間無くひしめき合っていて、女の消えた路地へ直接向かうのは諦めざるを得なかった。だがポースシェルはこちらの地元である。路地の先がどこへ通じているのかも把握している。
「先回りするぞ、こっちだ!」
野次馬の群れを前に立ち往生を喰らっていたアルフォンソの手を引き、別の道を走る。海岸沿いを走る道路で待ち伏せするつもりだった。
「ったく、ひとを散々走らせやがって……ヒースターの医者がなんでこんなところに居るんだ?」
ニーノのぼやきにアルフォンソは答えない。彼の足は次第に速度を弱め、やがて完全に立ち止まってしまった。
「……やっぱりやめましょう。どうせもう追いつけない」
「なんでだよ。先に追いかけようとしたのはおまえだろ?」
「いいんです。それより早く戻りましょう。嫌な予感がする」
アルフォンソの態度に疑問はあったが、ニーノは彼の言葉に従うことにした。そして、その判断が的確であったことを直後に知ることになる。
海岸へ向かう道の先に、一台の高級車が停まっているのが見えた。庶民的な市場には不釣合いなピカピカのロールスロイスである。その車内から現れた姿を見て、ニーノの背筋に悪寒が走る。
「まさか、あれって……」
不意に視界がぶれ、ニーノの身体は植え込みの陰に引きずり込まれた。
「なにボーっとしてるんですか」
アルフォンソに咎められながら、恐る恐る物陰から覗き込む。見間違いではなかった。確かに、車から降りて来たのはレオンツィオ・サリエリだった。取り巻きになにか指示をしているようだ。
「げっ、こっち来た!」
「そんなこったろうと思いましたよ。やっぱりあの女、ただの医者なんかじゃない」
「悠長なこと言ってる場合か! 逃げるぞ!」
「馬鹿ですかアンタ。慌てて逃げたら余計怪しまれるでしょうが」
「んなこと言ったって……」
「いいから黙って」
「そこに居るのは誰だ?」
鋭い声がして、ニーノたちが隠れている植え込みにレオンツィオの取り巻きが近付いて来る。ニーノは腹を括り、目を瞑った。そして彼らの居る茂みが暴かれる。
「おっと」
レオンツィオの取り巻きは茂みの中で身体を密着させる男女を見て、気まずそうに声を発した。女は壁に背を預け、男は女の帽子を被って、今まさに熱烈な接吻を交わしている最中だった——というのは事実とは反しており、実際は二人の成人男性が顔を近づけているだけなのだが、植え込みを覗いた男が誤解するには充分な状況だった。
「……まったく近頃の若者の貞操観念はどうかしている……嘆かわしい……」
盛大な勘違いをしたまま、男はブツブツと独り言を呟きながらそそくさと立ち去った。
「……まさか女装してたことがこんなところで役に立つとはね」
「この展開はおれにも予想外だったぜ……」
「ってかいつまで乗ってんですか。変な気起こさないでくださいよ」
「誰が起こすか!」
辺りを伺い人の気配が無いことを確かめてから、二人は植え込みから出た。
「レオンツィオが直々に出て来たってことは、部下が殺されたことがバレたみたいだな」
「どうします? 戻るなら今の内ですよ」
「そうでもねーのよ。どうもおたくとおれはセットだって認識されてるっぽいからな。カスターノもアパートも、シルヴェリオんとこも多分レオンツィオの部下に見張られてる。戻ったらとっ捕まって尋問オールナイトだ。堅物オッサンと過ごす一夜なんてゴメンだね」
冗談めかしたニーノの台詞に、アルフォンソは呆れたような笑みを浮かべた。
「それもそうだ。それじゃ、地獄の果てまで付き合ってもらいましょうか」




