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BEAST DAMP  作者: 遊獅
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牙を研ぐ者

 レオンツィオ・サリエリという男が気難しい人物だということはかねてよりニーノも耳にしていたが、彼の異常ともいえる固執には甚だ辟易した。彼の中では既に全ての真実は明るみになっており、彼の確信する『真実』以外の事実は須らく『虚構』であった。【ビアンコステラ】の君主たるディーノ・ビアンキーニにのみ唯一の忠誠を誓うこの男にとっては、いかに確たる経験と調査からくる情報であろうとも、主の足元にも及ばぬ塵芥の言葉などなんの価値も無いのである。

「ですから先ほども申し上げた通り、彼らには裏切り者を庇い立てする動機はありません。組織の暗号をマルクが解読するまで、日記の内容すらわからなかったのです。彼らが情報を流すことなどありえません」

「そいつはどうだろうね。身内の証言じゃ当てにならないな。そこのニーノ君はマルクの息子だそうじゃないか。父親から暗号の解き方を教わっていても不思議じゃないんじゃないかね? わざとでないにせよ、うっかり情報を漏らすことも有り得るだろう。それに、アルフォンソ君とやらはいつここに顔を見せるんだね? 呼び出しを受けておいて姿を眩ませるなんて、これを怪しまない者がいるだろうかね?」

 ずっとこの調子である。ニーノとハーバートがレオンツィオの指定した廃工場に到着して、もうすぐ一時間が経過しようとしていた。ニーノは溜息を吐きそうになるが、どんな嫌味を言われるかわかったものではないのでそれを飲み込んだ。この場に居ない相方と少し似ているような気もするが、最低限でも会話になる分にはアルフォンソのほうが幾分マシである。

 同じ問答を延々と繰り返すのは時間の無駄だと思ったのか、ハーバートはレオンツィオの主張に対して若干譲歩することにしたようだ。「ではこうしましょう」と前置きをして、彼は普段にも増して深く刻まれた眉間の皺をレオンツィオに向けた。

「ニーノ・アメリアにはしばらく自宅にて謹慎させます。つきましては貴殿の部下を、彼の監視兼護衛としてお貸しいただきたい」

「随分なことを言うじゃないかね。君らの下っ端のお守りなんかしてるほど、我々は暇じゃないよ」

「それは重々承知しております。ですから、手間を省くためです。もしニーノに疑わしい動きがあれば、その場で執行していただいても構いません」

「ほう、思い切ったものだね」

 思い切り過ぎである。後ろめたいことがあるわけではないが、ハーバートとの会話の様子を伺って、レオンツィオという人物の傍若無人ぶりは嫌というほど思い知った。この調子では彼の部下にも話が通じるかどうか怪しいものである。よく慣れた『猟犬』でさえ引き摺られないようにするのがやっとだというのに、それより獰猛な野犬の群れを寝床の周囲に侍らせるなど、考えただけでもぞっとする。間違って咬まれればあっという間に喰われてしまうだろう。笑い事じゃない。

「アルフォンソ・ビガットのほうも、消息がわかり次第お知らせ致します。つきましては……」

「よい、よろしい。わかっている。部下は貸してやる。だがアルフォンソ君の捜索についてはこちらに任せてもらおう」

「いえ、しかし」

「何か問題でもあるのかね? 後ろめたいことでも? 安心し給え、手間を省くためだ。彼が見つかり次第、こちらで預かることにする。自宅に——彼の自宅というのは君たちのたむろしている喫茶店ということでよかったかな?——ともかく彼を帰すのはこちらで彼の話を聞いてからになる。いいね?」

「レオンツィオ殿、それではいけないのです。彼は……」

「『猟犬』のことは知っている。マルク以外の命令は聞かないのだろう? 相手が幹部だろうと、我らの主であろうと」彼の言う『主』というのが神や救世主を指す言葉でないことは、説明しなくてもわかるだろう。「生意気な犬だ。だがそんなことは関係ない。彼が『猟犬』なら我々は『軍用犬』だ。彼が我々に牙を剥くなら、力によって屈服させるまでよ」


「ああそれで……。ニーノさんの部屋に入ろうとしたら、いきなり大勢の人に囲まれたんでびっくりしましたよ。買ったばかりの鋏取られちゃいました……」

「悪いな、今度弁償するよ」

 差し入れを持って来てくれたシルヴェリオに、ニーノは疲れきった声でそう言った。ハーバートが口を利いてくれたお陰でレオンツィオの尋問からは逃れられたものの、まさかその直後から監視をつけられるとは思っていなかった。シャワーを浴びている時も、食事の時も、寝ている間すら視線を感じる始末である。当然交代はしているのだろうが、シエスタくらいは許してやってもよかろうものなのに。真面目なのか上司が怖いのか、あるいはその両方かはニーノの知ったところではない。監視が付けられて二日目の朝を迎えたが、幸い今のところは彼らに誤解されるようなこともなく無事に過ごせている。だが情報を流した真犯人が見つかるまでこれが続くとなると、体力はおろか正気が続くかどうかさえ自信が無い。せめて物音や視線に気を使わず、三時間程度でもいいから熟睡できるゆとりが欲しい。

「あーあ、外に出られないってのがこんなにキツイとは思わなかったぜ! 寝て起きて飯食うぐらいしかすること無いんだもんな。本読もうにも視線が気になって落ち着かねーし」

「それは……大変ですね。……ところで、アルフォンソさんは見つかったんですか?」

「いや。今んとこなんの連絡も無い。カスターノに戻ってるんなら、一言くらいありそうなもんだけど……」

 そのとき、間を見計らったかのように電話が鳴った。ニーノとシルヴェリオは小動物のような俊敏さで突然の騒音へと目を向ける。

「噂をすれば、ってやつかな」ニーノはやれやれというふうに立ち上がり、受話器を取る。「はいはい、こちらニーノ」

「ニーノ、今からカスターノに来い。すぐにだ」

「どうしたんすかハーバートさん。アルの奴が見つかったんですか?」

「いいから来い。レオンツィオ殿の部下には話をしてある」

 言われてみれば、いつの間にやらアパート前の通りにも、向かいの建物の窓にも、周囲にうろついていた見張りの姿は無い。

 ハーバートは用件だけ伝え、受話器を切った。あの冷静沈着なハーバートが苛立ちを露にしたことに、ニーノは少なからざる不安を覚えた。やはり、あのときアルフォンソと別れたのは間違いだった。しかし自分がついていたところで、果たして止められただろうか。

 なんにせよ、過去を悔いて蹲っている暇は無い。ニーノはソファに投げ出されていたジャケットを羽織り、そのポケットから自宅の鍵を取り出すと、シルヴェリオに投げ渡して言った。

「仕事で呼ばれたからちょっくら行って来るわ。戸締りよろしくな、シルヴェリオ」

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