第11話 虫除け
目の前の光景は、この界隈ではまず有り得ない緊急事態だった。
俺は周りを見回しながら、大事な買い物の入っている背囊とこの後活躍する予定の大八車をどこに置いておこうか迷いに迷った。
「ケンチさん、さっきから何やってんの? 焦ってるみたいだし、周りを見て何を探してるのかよくわからないし」
ラシーズ店長は落ち着き過ぎているのではないだろうか。
「ラシーズの旦那、こりゃ外区商店街の危機ってやつだぜ。俺はあそこに突っ込むつもりなんだがよ、荷車と背囊を見ててくんねえかな」
困った時のドゥアド・タブン・コルドロ・タブン・ラシーズだ。藁にもすがる思いで俺は店長に頼んでみた。
「私にはそういう風に見えないんだけどねえ。でも少し危ないかな。うちにもああいうお客さんは来るけど、あんなに大勢で来たことないからなぁ。羨ましいねぇ」
幸せそうな顔の連中は、買い物をして店から出れば何故か帰っていく。ここが客の集団でパンクすることは無さそうだ。
だが購入するものが無くなったらどうだろうか。店の在庫の3分の1は、昨日マーちゃんがまとめて買ってしまったのだ。
「ラシーズの旦那、買う物が無くなったらここで暴動が起きるかもしれねえ。そう思う理由は聞かねえでくれ。全員が幸せそうな顔ってだけでただ事じゃねえぜ」
俺がそこまで言うと、ラシーズ店長は何か納得した顔をして頷いた。
「ケンチさんは手ブラで帰ってきたそうだけど、そうするとこの件は森で見つかった何かが原因じゃないんだな? まあ……仕方がないから荷物は私が見てるよ。ケガだけはしないように」
「ありがてぇ、恩に着るぜ」
ラシーズ店長に礼を言い、俺は店の方へと走った。
店の入り口では、デアイパチキのおっさんが客に向かって声を枯らしていた。この御人も幸せそうな顔をしている。
「品数があまりありませんので、買い物はひとり1品でお願いします。予約も受け付けております。当店に御用の方はこちらにお並びください」
俺は、デアイパチキのおっさんがあんな口をきいているのを初めて見た。辿々しい感じではあるが、接客業の人間らしさがにじみ出ていた。
それに予約販売でもイカれた客が帰ってくれるなら、この混乱をさばきながら暴動を抑えることが出来そうだ。
「おっさん、俺だ! チョップは今どこにいる? 聞きてえことがあんだよ」
俺は並んでいる連中をかき分けて、デアイパチキのおっさんのところまで近付いていった。そして途中で他の誰かを突き飛ばしてしまったらしい。
「何しやがんだ、オオォ! ってケンチじゃねえか。お前な、ここは並ぶところなんだぜ。今来たばっかりだってんなら後ろに並べや」
俺に押された所為で列からはみ出た奴が、聞くに耐えない文句を言ってきた。一体どこの破落戸だこの野郎と思ったらご同業だった。
探索者らしくルールは抜け道を探すもんだと普段からほざいている奴が、今日に限ってはきちんと列に並べと言い出してしまった。
あの紫色の円錐は、こいつらの何にどう作用しているのか今一よく分からない。商品の購入によって幸せな気分になるだけではないらしい。店側のルールに従うことでも、奴らの脳にとってはプラスになっていそうなのだ。
「何だケンチじゃねえか。忙しいんで後にしてくれや。チョップなら店の中で会計をやってる。入れる人数が決まってるから今は中に入るのは無理だぜ」
雑貨屋デアイパチキの開店以来、ここまで店が混雑したのは初めてだろう。おっさんの顔はその所為でにやけきっていた。おっさんも、何らかの影響下にあるのは間違い無さそうだ。
「マーちゃん、店に入って例のアレを回収して来なくちゃならねえ。何か良い手はねえかな。全員があの状態じゃ、殴り倒していくわけにもいかねえ」
列から離れるとマーちゃんに小声で聞いてみた。マスクのおかげかまだ変な影響を受けていない。
「彼らを無傷で店内と店の前から退去させれば良いのだな。そう言えばケンチに以前渡した物があっただろう? 未使用のアレを使うのはどうなのだ?」
俺は思い出せなかったので、マーちゃんにどんな物だったか聞いてみた。
「それって今も俺の部屋にあるヤツか? 探索に使う道具と普段使う物だろ? 安全な物だったら出してみてくれねえかな」
俺がそう言った途端、アイテムボックスの収納口から黒子さんの手が出てきた。そこにはオリーブ色の地味な円筒缶が握られていた。
「虫除けゴキブロアーディストラクション。ベッドの下に突っ込んであったぞ。大森林の中層か山脈にいくまで出番は無いかもしれない、とケンチが言っていたやつだ。人間には全くの無害なのだ」
マーちゃんの得意そうな念話が俺の頭に響いた直後、オリーブ色の缶から白い何かが噴射された。
異次元空間への入り口のような霧で出来た壁が、辺り一帯を飲み込んだのはそれから少し後のことだった。
「うおぁぁぁ! 何だこれ! 何も見えねえぜ。どっから出てきた?」
辺り一帯が真っ白になったところ、街の歴史が始まって以来の仲の良さで並んでいた連中から悲鳴が上がった。
「あ、ぶぉあ! 何だこの煙は。商品が見えん。何か頭に落ちてきたぞ」
商店街の通りを埋めた霧の塊は、扉が開いたままの店の内部にまで侵入したらしい。
「私が誘導するので店内に突入しよう。例の部屋用芳香剤の位置なら分かるから安心してほしいのだ」
頼れるトカゲ姉さんの念話が頭上から聞こえると、俺の目の前に細い真っ直ぐな光の線が伸びた。この先にあるのは天空の城じゃなくて紫色で円錐形のサイケデリクだ。
俺たちは人を避けたり誘導したり、ひのきの棒を突き込んだりしながら店内に入ると奥のカウンターまで進んだ。
ゴキブロアーの煙は人体に無害らしいが、ひのきの棒の方は人体に有害らしい。
「チョップ、怪我はねえか。あの紫色の置き物なんだがな、アレを取りに来たんだ。この世にアレは早かったらしい。神様に返さなくちゃならねえ。本当にすまねえな」
チョップは無事なようだが、一気に興奮から覚めたようだった。
「それじゃあ仕方がないよね。おいら今日はちょっと楽しかった。いつかこれ無しでも同じぐらい店を繁盛させるよ」
そんな頼もしい台詞を言って、いつの間にか出てきた黒子さんと握手していた。
俺たちは『部屋用芳香剤サイケデリク』を店内から回収し、ラシーズ店長の元に何も知らないような顔をして戻った。
「みんなはあの煙の所為で正気に戻ったみたいだぜ。俺は結局のところ何も出来なかった。旦那に荷物番までさせちまったのに面目ねえ」
「ふーん。ケンチさん、私の中ではそういうことにしておこう。やっぱりあなたは謎に満ちた人だ」
ラシーズ店長はそう言うと自分の店に帰っていった。
視線が俺の顔より上にあったのは気のせいではなかったようで少し焦った。
余談だが、雑貨屋デアイパチキの床は虫の死骸だらけになっていたとのことだ。
それからあの件以来、身体中の痒みが消えたという多数の話が街を流れた。
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