第1話 解体所
「ケンチ、そういう日もあると思うが気を落とすなよ。俺が言うようなことじゃないかもしれないが、生きていればきっと良いこともある。俺はお前が怪我もせずに帰ってきてくれたことを喜びたい。何かあれば相談しろ」
街に帰ってきた途端、目の前の衛兵隊長の旦那にはそう言われてしまった。俺の背囊の中身がほぼ空だったからだ。今日は大八車も引いてないから依頼に失敗したように見えただろう。
街の外区西門にいるこの旦那は悪い人じゃない。たとえ名前がマルッキ・リアホーでもだ。
40代になって身体は緩んできているが、背も180センチはあり逞しく、茶色い髭におおわれた厳つい顔には今も油断は無い様に見える。同じく茶色い髪の毛の方は真ん中まで後退していたが、完全撤退する気はまだ無いようだった。
俺はこの、自分の欲望に忠実な旦那が嫌いではない。
今もマーちゃんに用意してもらった酒を瓶2本で差し入れたのだが、堅いことを言わずに受け取ってくれた上に、余計な気まで回してくれるのはこの人ぐらいだったりする。
この御人が隊長なのだから、ここの規律については推して知るべしだ。
ここでは毎度の付け届けが己の身を助けることがある。
人は1人では生きていけない、というのはつまりはそういうことだと俺は思っている。
「旦那、そんな……気ぃまで使ってもらっちまって申し訳ねえ。これでも俺ぁ今回も稼いでますよ。そんじゃ組合に顔を出さなきゃならないんで、失礼しやす」
「ハッハッハ、組合じゃ背囊は買ってくれんぞ。荷物は他に無いのに美味そうな酒は持っているとか相変わらず変な奴だ。それではトマンネーノのオヤジによろしく言っておいてくれ」
トマンネーノのおやっさんはうちの組合長だ。組長じゃなくて組合長だ。
荷物に酒しか入っていないのははっきり言って怪しい。それでも通してしまうのがマルッキ隊長だった。もらえれば疑惑の証拠リストから消えてしまうのだ。
俺は日本に生きていた頃は身体が弱いのにもかかわらず、酒もタバコもすごい勢いでやってそれが原因で死んだ。
こちらに生まれてからは、金も無かったから酒もほどほどでタバコはやっていない。身体が資本の商売で、それが生死に直結するとなれば当然だろう。
「用意した酒が役に立って良かった。ケンチは酒は少しでタバコはやらないだろう。私としては、嗜好品の贈呈で何でもスムーズに行くのであればそれに越したことはない」
姿を消した状態ではあったが、物持ちのマーちゃんはそう言って嬉しそうにしていた。
彼女が本気を出せばこれらの品物で世界を掌握出来るだろう。
今回の件は完全に思いつきだ。
街の直前で思い立って考えた挙げ句、マーちゃんなら持っているのではないかとお願いしたら快諾してくれた。そのうち一番安い蒸留酒を厳選して袖の下として出したわけだ。
厄介事が多い世界で生きるのだから、こんなことでも積み重ねておかないと、街のルールで守ってもらうのは無理がある。組合や教会に護ってもらうにはまた別の善行を積まねばならない。
昼過ぎの組合事務所は相変わらず閑散としていた。
化粧は薄いのに退廃的という受付嬢の前を素通りし、俺は真っ直ぐにアッコワの兄貴のところまで進んだ。
背囊がへこんでる上に手ブラという俺を見て、鼻で笑う嬢もいたが俺は気にせずに済ました顔で通した。
「兄貴、ただいま戻りぁした。もちろん物はありぁす。解体所に付き合ってくだせえ」
「早かったなケンチ。お前……本当なんだな……分かった。付いてこい」
冷酷イケメン顔のアッコワ兄貴は、そう言うと俺の先に立って解体所へ続く扉へと進んだ。
受付嬢の間をどよめきが渡ったが俺たちは無視した。奴らは俺が兄貴にドヤされるのを楽しみにしていたに違いない。
「ケンチ、神がお前に授けられたのはアイテムボックスだな? どんぐれえ入る?」
解体所へ向かいながら、アッコワ兄貴にそう尋ねられた。
ちなみにこの能力を『アイテムボックス』と最初に呼んだのは我らが開祖にして聖人であるターケシ・ゴーリその人だ。
郷里さん自身は、この能力を授けられていたのか定かではない。
探索者組合はゴーリ教会の下部組織であるため、こういったことについて不敬なことを言えば、最悪は街の外壁から吊るされる羽目になる。
「馬車か猪車で2台分ってところです。それよりかは、ほんの少しだけ多いかもしれやせん……」
一瞬バレやしないかと思ったが、俺はマーちゃんと事前に話し合った内容で通した。
「分かった。充分だ。こっちだケンチ。
おい、とっつぁん! オシタラカンのとっつぁんは居るか? 弩貝が届いた。立ち会いと解体を頼みてぇ。急ぎだ」
解体所に到着すると、アッコワ兄貴はここの責任者であるオシタラカンのとっつぁんを呼び出した。今回は口の堅い人間の立ち会いがどうしても必要だからだ。
「アッコワじゃねえか。今は暇してんだ。たまたまだがな。
おっ! ケンチじゃねえか。手ブラでここに顔を出すたぁお前もずいぶんと偉くなったな。ええ? それとも仕事を手伝ってくれんのか?」
身長2メートル、筋肉の塊のようなヒゲ面のハゲが解体所の奥から出てきた。この御人がオシタラカンのとっつぁんである。
ここの主と呼ぶ方が相応しい『怪力』の能力まで持ってる人間離れしたオヤジだ。
「とっつぁん、人払いを頼む。ケンチは手ブラじゃねえんだ。これで分かってくれ」
アッコワ兄貴の台詞を聞いた途端、オシタラカンのとっつぁんの顔から表情が抜けた。作業用の分厚いエプロンを掴む手に血管が盛り上がった。
「そりゃあ……ケンチもとうとうそうなっちまったのか。街の外で行倒れてたクソガキを拾って来た俺に、酒をご馳走してやらにゃあならねえみてえだ」
そう言うとっつぁんの俺を見る目は、昔を思い出しているだけのような、何かを諦めたような、どちらとも言えない眼差しをしていた。
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