第87話 迷いの代償
境界域警報は、夕方に鳴った。
『中規模揺らぎ発生』
『市街地隣接区域』
人が多い時間帯。
被害が出れば、大きくなる。
管制室の空気が一瞬で張り詰める。
「中央補正、算出中!」
わずかな遅延。
いつも通り。
だがその“いつも”が、今は重い。
エルドは画面を見る。
揺らぎは拡大傾向。
局所的だが、広がる可能性がある。
(先に補助を入れるか)
判断の瞬間。
その一拍。
カルディアは動かない。
いや、動く必要がない。
Ω網が先に動く。
補正展開。
速い。
だが今回は、それでも完全ではなかった。
揺らぎが一度、跳ねる。
拡大の兆し。
「……!」
エルドは踏み出す。
補助展開を指示しようとする。
だがその瞬間。
Ω網が、二段階目の補正を入れる。
波形が再計算される。
修正。
そして――
収束。
完全に。
被害ゼロ。
だがその一瞬、
揺らぎは確実に拡大しかけていた。
もし遅れていれば、
被害は出ていた。
静寂。
誰もが、その事実を理解している。
カルディアが静かに言う。
「二次補正で対応しました」
冷静。
そして正確。
「初動で完全に収束しなくても、
演算は即座に修正します」
視線がエルドに向く。
「人は、そこで迷う」
言葉が刺さる。
事実だ。
今の一瞬。
エルドは迷った。
動くべきか。
待つべきか。
その一拍。
それが被害になる可能性があった。
「演算は迷いません」
カルディアの声は静かだ。
だが圧倒的だ。
「だから、間に合う」
誰も反論できない。
ミアが小さく呟く。
「……すごい」
感嘆。
それが自然に出る。
セドリックも頷く。
「二段階補正か……」
自国中央網にはない精度。
政治関係者が言う。
「これなら、事故は防げる」
確信。
その場の空気が決まる。
帝国方式は、
“現場判断すら不要”だと。
エルドは動かない。
ただ立っている。
何もできなかった。
いや、
何もしなかった。
それが正解だった。
夜。
報道が流れる。
『帝国技術、緊急時にも完全対応』
『人的判断を超える精度』
映像には、先ほどの瞬間。
揺らぎが跳ねかけ、
そして即座に消える様子。
コメントが流れる。
『人より速い』
『これが正解』
『判断なんていらない』
エルドは画面を見ている。
何も言えない。
言う言葉がない。
(……正しい)
完全に。
否定できない。
屋上。
夜風が強い。
ノアが隣に立つ。
「決まったな」
「……はい」
短く答える。
「止められないな」
「はい」
正しさに、負けている。
ノアは空を見る。
「だから難しい」
エルドは目を閉じる。
迷いは、遅れになる。
遅れは、被害になる。
ならば。
(迷わない方がいい)
その結論に、
自分が近づいているのを感じる。
端末が震える。
『国際接続、緊急審議へ』
流れは、もう止まらない。
そしてエルドは初めて、
自分の立場を理解する。
自分は、
正しい側ではない。
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