第9話 サチと白猫の家
私はまだドキドキしている。
今日あんりちゃんとサチの三人で一緒に帰っていると、何故かサチが急に腕に手を回してきた。
まるでカップルが腕を組んで歩いているようで、わたしはいきなりのサチの感触に「うひゃあ!」と情けない声を上げてしまった。
あんりちゃんが電車の方向へ向かって別れたあと腕は離されたけど、今でもあの腕を組んだ感覚は忘れられない。
サチの気まぐれでもなんでもいいから、できればもう一度腕を組んで歩いてみたいと思う。
もちろん、誰とも手を繋いだ事すらない私から言い出す事なんて絶対に出来ないので、これはもう気長に待つしかない。
でも、手を繋ぐくらいなら。
なんとか勇気を出してお願いする事くらいは、できるかもしれない。
今日もサチと一緒に帰り道を歩いている。
帰り道にあるカフェに寄って買った暖かいコーヒーを持って、寒空の下を歩く。
そこは千秋さんにカミングアウトしたカフェで、サチと入るのは少し気が引けたが、どうしてもそこのコーヒーが飲んでみたいというので一緒に買ってテイクアウトした。
まるで私の心の中をサチにバラされるような気分で少しドキドキしたが、当然誰もあの日のことをバラしてくる事なく店を後にした。
少し前にサチの愚痴を聞くよと言って家に招いて以来、仕事帰りに度々サチが私の家に寄るようになった。
今日も家に寄って帰る日だ。
特に何をするっていう訳でもないけど、私はサチと一緒に居られるだけで幸せだし、帰ってから換気扇の下で過ごす時間が一人から二人になって、すごく楽しい。
タバコに火をつけて、今日はビールではなく買ってきたコーヒーを飲む。
「コーヒー、買って帰るのいいかも」
思っていたより家で飲むコーヒーが美味しく感じられて、ぽつりと呟く。
帰ってからビールを飲むのも好きだけど、今日の思い出があればそれがコーヒーに変わっても悪くない。
そこまで言葉が出かかったけど、コーヒーで言葉ごと喉に流し込む。
「美味しいね。綾香は普段家で飲まないんだ?」
「たまにコンビニとか行った時に缶コーヒーとか買って帰る事はあるけど、やっぱりお店のは違うっていうか、なんだろ。淹れたてのコーヒーだからかな、美味しい」
言った後に、素人の評論家みたいで恥ずかしくなるが、サチとの思い出があるからなんて事は絶対に言えないので恥を忍ぶ。
「わたしはあまり家でお酒飲まないから、コーヒーとか紅茶ばっかり飲んでる」
サチはやっぱり家の中でも輝いていそうだ。
「でもカフェのコーヒーって結構良いお値段するし、毎回は買って帰れないからなぁ」
私も真似してインスタントコーヒーや紅茶のティーバッグを買ってみようかな。
少し間が空いて、
「ならさ、今度うちに来ない?」
飲んでいたコーヒーを吹き出しそうになるのを堪える。ゴクリと飲んで、即答する。私の返答は一つしかない。
「え、絶対行きたい」
前々からサチの家に行ってみたいとは思ってた。けど理由もないのに急に、家行っていい?とか烏滸がましくて言えなかった。
「うちエスプレッソマシンあるから、お店ほどじゃ無いけど美味しいコーヒー飲めると思うし。あと、いつも綾香のお家で悪いなって思ってたから」
いやいや、私の家なんて勝手に出入りしてもらっても良いくらいなんですが。
「でも私なんかがサチのお家に行っても良いのかな」
「私なんかって言わないで。綾香だからきて欲しいんだよ」
惚れそう…、もう惚れてるけど。
卑下した時、サチに諭されると心が和らぐ。
私はある種の気持ちを抑え込んで生きてきたせいか、ふとした時自分に自信が持てない時がある。
そんな時に、好きな人に優しくされたら気持ちが溢れそうになる。
「ありがとう。ちなみに紅茶はどうやって作ってるの?」
話題を変える。深く踏み込む事から逃げる癖がついてしまった。でもまたアワアワしてしまっても良くないので今はこれで良い。
「紅茶?普通に茶葉をティーポットに入れて作ってるよ?」
インスタントコーヒーと紅茶のティーバッグって勝手に決めつけて、しかも真似できそうって思ってすみませんでした、と私は心の中で謝罪した。
「まだ時間大丈夫?」
今日は仕事が早く終わったので、いつもサチが帰るには早い時間だが、滞在時間はいつもと同じくらいになってきたので一応聞いてみる。
「うん、まだ大丈夫」
レストランでの賄いをいつもより早く食べたので少しお腹が空いてきたが、何か作ろうかと頭を巡らせると特に料理の材料が無いことを思い出した。
「ねぇサチ、なんかお腹空かない?」
「うん、空いたかも」
サチの同意を得られたので、私が食いしん坊だったわけではない事が判明した。やったね!
「何か買いに行く?コンビニ近くにあるし」
「うーん…」
サチが考えを巡らせる。何か食べたいものがあるのだろうか。
「綾香って明日何してる?」
「え、明日?」
明日は私は休みで、特に予定は無い。確かサチも休みだったはずだけど。
「いや、何も予定は無いよ?明日がどうかした?」
またサチは考えを巡らせているのか、真剣な顔をしている。その横顔はとても綺麗で、このまま私の横に居続けてくれたら…なんて事を思わず夢想してしまう。
「今日さ、今からわたしの家に泊まりに来ない?」
「…へ?」
突然目の前に降ってきた信じられない程のサプライズに、私は間抜けな声で返事をするしか術がなかった。
***
「楽しみだな〜、何作ろっかな」
上機嫌らしいサチと一緒に歩く。
二人の別れ道である交差点に辿り着き、いつもはサチが帰っていく方向へ進む。
どうやらご飯を作ってくれるらしい。食べ終わる頃には遅くなってるだろうから、そのまま泊まって行けばいい、との事だった。
さすがにシャワーを借りるのは申し訳なかったから先に済ませてから出ようと思ったら、「遅くなっちゃうからウチで入ったら」とシャワーまで頂くことになった。
正直、突然サチの家に泊まれる事になって、喜びと緊張が混ざり合ってよく分からない感情になっている。
「ついたよー」
階段を上がって2階、一番奥の部屋。鍵を入れてドアを開ける。さっとサチが玄関に入って、こちらを振り向く。すると、
「いらっしゃい、綾香」
と、満面のサチスマイルで出迎えてくれた。めっちゃ可愛い。
サチが可愛いのは当然のことながら、突然の訪問にも関わらず部屋の隅々まで綺麗にされていて、お部屋の雰囲気まで可愛い。
ピンクのカーテンや白猫のふんわりしたぬいぐるみがありながらも、その他の小物や家具家電でバランスを取ってあり、全体的に大人の女性が生活していてもおかしくない可愛くオシャレな部屋になっている。
…生活感の薄い私の部屋とは大違いである。
なんか、次からサチをうちに呼ぶのが恥ずかしくなっちゃうな。というか、もう現時点で恥ずかしいなこれ。
「綾香、パスタでも良い?」
私が部屋を見て愕然としている間にメニューが決まったらしい。
「ありがとう、良かったら何か手伝うよ」
「ううん。今日は私が作りたいから、サチは適当に座ってて」
お言葉に甘えてカーペットに座る。するとサチがやってきて「ソファに座りなよー」と言い私をソファに座らせて、白猫のぬいぐるみを渡してきた。
サチが料理をしている音が心地いい。その心地いい音を聞きながら、私は白猫の頭を撫でる。
にゃーとは鳴いてくれないけれど、なんだか気持ち良さそうな顔をしている。
そのまま白猫の手をパタパタさせたり抱いたりして過ごしていると、ふんわりと良い香りがしてきた。
それは料理の匂いでは無く、この白猫から香っているらしい。
「なんだろ…この匂い。どこかで匂ったことのある香りなんだけど…すっごく良い匂い」
白猫の隅々を犬みたいにクンクンと嗅いでいると、いつの間にかサチが目の前に立っていて、白猫のクッションを取り上げられる。
「ちょっと綾香、そんなに嗅がれると恥ずかしいんだけど…この子の匂い嗅ぐの禁止だよっ」
と少し顔を赤らめて言ってきた。
「あ、ごめんごめん。でもなんかこの子すっごく良い匂いしたから…でも嫌だったよね、ごめんね」
「もう…恥ずかしいんだから。それより、パスタ出来るからテーブルに座ってて」
「はーい」
サチの作ってくれた和風パスタは見た目も味も一級品で、食後のカフェラテもすっごく美味しい。もうサチ一人でお店をオープンできちゃうんじゃないかってくらいだった。
「綾香、そろそろお風呂沸くから先に入っていいからね」
「ありがとう、それじゃ先に入ってくるね」
着替えを持って脱衣所のドアを開く。当たり前だけど、ここで脱ぐんだよね。見られないのは分かっているけど、やっぱり緊張する。
ささっと体を洗って湯船に浸かる。
湯船に浸かってもやっぱりドキドキしていて、私は早々にお風呂から出た。
お互いスキンケアを終わらせると、普段寝るくらいの時間になっていた。
「そろそろ寝よっか」
「そうしよっか。あ、寝る場所こっちだから」
と、サチが今まで閉まっていた扉を開けると、ダブルサイズくらいの大きなベッドが置いてある。
寝室はリビングに比べてシンプルで、ブラウンを基調にした大人の部屋といった感じ。
だが、この部屋には二人が寝る場所はない。
いまいちサチの意図が汲み取れず、
「えーと…ごめん、床に敷く布団とか無いよね?」
と、確認をする。
「え?うん。無いよ」
当然といった返事が返ってくる。うん…?よく分からない。
「あ、なら私ソファで寝るよ」
「いや、このベッドで2人で寝るよ?」
と、さも当然のように言われて私は頭が真っ白になった。
「い、いやいや、私なんかが…一緒のベッドで寝たら申し訳ないよ…」
「" 私なんかが "禁止だよっ」
ムッとした表情(可愛い)をして怒られる。私のために怒ってくれてるんだよね、大好き。
でも、それとこれとは…
「わたしが綾香と一緒に寝たいんだけど…やっぱりダメ、かな?」
え…何その恋人に言われたいランキング上位にランクインしてそうなセリフ!こんなの断れるわけないじゃん!
「だ…ダメなわけ、ない」
「ふふっ、なら決まりだね」
と、やっぱり見惚れる笑顔で言った。
私は今夜、きっと寝れる気がしない…。




