第10話 想いを込めて
「壁側と外側、どっちが良い?」
大切なおもちゃを選ぶようなキラキラとした顔でサチが言う。
これから二人で寝る位置を決めるようだ。
正直、どちらにしても緊張に押しつぶされるだろうが、せめて壁側を向いていた方が自分の感情を無視できそうなので…。
「じゃ、壁側にしようかな」
「おっけ、ベッドに入ろっ」
ゴソゴソと大きなベッドに入って二人で掛け布団をかける。すると、とてもいい香りに包まれる。あ、これあの白猫クッションの匂いだ…てか…これ…
(サチの匂いだ!!)
そうか、そりゃそうだ。だってサチが寝てる布団に包まれてるんだから。やばい、これサチに包まれてるって事になるんじゃ…。
「電気どーする?全部消しちゃって良い?」
「えっう、うん…だ、大丈夫です」
ダメだ、ドキドキでワタワタになってしまってる。こう言う時は羊を数えるんだ。羊が一匹、羊が二匹…
「じゃ、消すね」
真っ暗になった。窓から漏れる微かな外の明かりがあるので、全く見えないわけじゃないけど結構暗い。
「ねぇ、いつまで壁側向いてるの?」
暗闇の中にサチの声が響く。次々と牧場に放り込んでいた羊は容易く消えさった。
「あ、いやコレはね、ちょっと落ち着くために…」
「ねぇーえ、ねぇーねぇー」
私の肩にサチの指が置かれ、グリグリと押してくる。そのまま首の後ろあたりまで指は移動して、スーッと背中を這わせてゆっくりと腰までなぞる。
いきなりのサチの感触に戸惑う。こ、これは、腕を組むより遥かにヤバいんじゃないか?
お戯れが過ぎますよサチさん…。
これが続くときっとおかしくなってしまう。
熱くなっていく体を誤魔化すように向きを変える。
「分かった、分かりました」
上を向く事にした。これでサチはお気に召してくれるだろうか。
「ねぇ、綾香…こっち向いてよ」
ダメだったらしい。というか、サチの声がすぐ近くから聞こえて、本当にサチの方へ向いて良いのか迷う。
「わ、分かった」
心を決めてサチの方に体と顔を向けると、同じ体勢でこっちを見ているサチと目が合った。
暗くてよく分からないけど、薄っすら目や鼻、口の場所が見える。
これ、ヤバい…心臓の高鳴りがおさまらない。
「ありがとう、綾香。私ね、最近おかしいんだ」
そう言って、私の手を取ってサチが両手で包んだ。
心臓が跳ねる、胸の鼓動がうるさい。
「どう…おかしいの?」
この質問の返答を、都合良く期待をしている自分がいる。息が苦しい。包まれた私の手が震え出すのを必死に抑える。
「わからないの。だけど、綾香と一緒にいると安心するし、楽しいし、ワクワク…するんだ」
ベッドの中の柔らかな笑顔は、暗くて薄っすらとしか見えないが、私の胸を締め付けて危うい衝動に駆り立てる。
「わ、私も…サチと一緒にいると楽しいよ」
「えー?それだけ?」
本当はそれだけじゃない。私のそれは、きっとサチとは全く違って、純粋な友達への気持ちじゃない。
私からもサチに触れたい。その柔らかそうな髪を撫でて、凛とした顔にキスをしたい。体に私の跡を残すように触れたいし、抱きしめたいと思う。
「サチと一緒だと、う…嬉しい」
緊張が高まる。手を握り返すくらいはしても大丈夫だろうか。変じゃないだろうか。でも友達同士だって手を握ったりするのは見た事あるし、しかも最初に手を握ってきたのはサチからだ。
でも、ベッドの中で手を握り合うものだろうか。
「どうしたの?綾香。少し手が震えてる」
バレた。サチの暖かな手の抱擁からすぐに離れる。手が震えてるとか、絶対おかしいって思われた。
「そ、そんな事ないよ。ほらっ、もう寝るよ」
これ以上目を開けていたら良くない。
自分の理性がまだある内に、一度冷静になって、落ち着くべきだ。
もう少しサチを見ていたいという心の泣き声は無視して、私は上を向いて目を閉じた。
「…そっか、そうだね。わたしもそろそろ眠たくなってきちゃった」
そう言ってサチも上を向いて目を瞑った。
それから私は中々寝付けず、羊がハードルを飛ぶのを辞めたあたりで意識が落ちた。
***
目が覚めると、ベッドは私一人だった。
寝室のドアを開けリビングに入ると、キッチンに立っているサチが見えた。
「おはよう、サチ」
「おはよう、綾香。朝食もう出来るから」
「ありがとう、先に洗面所借りるね」
テクテクと洗面所へ向かい、顔を洗いながらふと思う。
え、今の会話、普通にヤバくない?
おはようって言い合って、サチが朝食を作ってくれていて、顔洗ってくるって…もうこれ同棲カップルじゃん!
「へへへ……」
と朝からの幸せで一人ニヤけていると、後ろから突然、
「飲み物、コーヒーと紅茶どっちが良い?」
と顔を出してきて、鏡越しに目が合う。
瞬間、すぐに顔を真顔に戻したが遅かったらしい。
「えっ、なに?なにか面白いことあった?」
「何もないよ。飲み物、昨日コーヒーもらったから、今日は紅茶飲んでみたいかも」
「いやいやちょっと待ってよ、絶対今一人で笑ってたよね?」
「笑ってないよ」
「ふーん、まぁいいや。私は同棲してるカップルみたいだなって思って嬉しくて笑っちゃったケドね」
……はい?
聞き間違えではなく確かに今、サチが私と全く同じ考えを喋った気がする。
なんだろう。しかも嬉しくてって…うん?
ダメだ、寝起きだからか思考回路がうまく働かない。多分、私は昨日の仕事帰りからずっと胸がいっぱいで、感覚が麻痺してしまってるんだろう。
サチだってきっと深い意味で言ったわけではない。
うん、きっとそう。サチギャグだろう。
ぼんやり考えていると、
「じゃ紅茶今から作るね」
と私を見つめていた顔を引っ込めて戻っていった。
サチの作ってくれた朝食は、トーストとサラダにハムエッグ、とスタンダードなものだったがどれもとても美味しく、やっぱり料理が上手だなぁと思った。
透明なティーポットに入れられた紅茶はそれだけでとても綺麗で、この食卓だけ切り取られて海外にでも行ったような気分になった。
「綾香、今日はどうしよっか?」
サチがいつもの笑顔で聞いてくる。イチゴの花柄が描かれた綺麗なカップに入れられた紅茶を手に取ると、華やかな香りがした。
「サチも今日は予定ないんだっけ?」
「うん、ないよ。だから一緒にゆっくりできるなって思って」
最近のサチにはドキッとさせられる事が多い。
誤魔化すように紅茶を少し飲む。
「えっ、これすごく美味しい。なんて名前の紅茶?」
「これはね、ダージリンっていう紅茶」
ほぇー、凄く好きだ。あとで通販でティーバッグを注文しておこう。
「それで、今日はどうする?」
二度目の質問に考えを巡らせる。
休みの日は家で映画見たりして過ごすって言ってたっけ。
「それなら、家で映画観るとかは?」
「賛成。だったらお菓子とか買いに行く?」
ポテトチップスにクッキー、キャラメルポップコーン。
ソファの前にあるテーブルに買ってきたお菓子と、サチが入れてくれたコーヒーを並べて、テレビをインターネットに繋げる。
「ホントにアレ、観るの?」
「なに綾香、怖いの?」
いつもより少し意地悪な雰囲気が混ざった笑顔をしたサチが、子供を揶揄うように言う。
観ると決まった映画はホラー映画で、サチが選んだ。私は観れない程苦手という訳でもないが、得意という訳でもない。
…正直言うと、観る前から少し怖い。
「すっ、少しだけ…怖いけど」
「そうなの?頼りにしてるね」
今度は優しくふふっと笑うと、テレビ画面で映画をスタートする。
「頼りにって。サチは怖くないんでしよ?」
「わたし?すごく怖いよ。ホラー苦手だもん」
えっ…と、言うか言わないかくらいで映画が始まってしまった。
映画が始まって数分か、十数分か。
この映画がすごく怖い部類のホラー映画だという事を既に理解した。
開幕の映像から滲み出る雰囲気はどんよりと暗く、音楽も無く淡々と物語が進んでいる。
どうやら呪われた家に関わった人達が次々に消えていく、というストーリーらしい。
だが、正直言って私は今、それどころではないレベルの緊張を感じている。
映画が始まった時にあった筈のサチとの距離が今ではすっかり消えてしまって、肩が触れ合いそうになる程に近くなっている。
と言うよりも、サチがどんどんと近付いてきている。
こうなってしまうと、もはや映画どころではない。淡々と進むストーリーが私の目には既に風景と化していて、意識は私の体の右半分に集中している。
体は固まり、ただ風景を観る機械になった私がソファに手を置くと、サチの手の小指に私の小指が一瞬当たる。
「あっ、ごめんっ…」
咄嗟に謝る。しまった、と過剰反応した自分に後悔していると、
「ね、綾香」
サチが声を掛けてきた。
私は焦りを取り繕うように、
「どうしたの?」
とサチの顔を見ようとしたら、サチの綺麗で大きな瞳が私を覗き込んでいた。
電気は消しているので決して明るくはないが、テレビが付いているので昨日のベッドの時ほど暗くはない。
薄明かりの中、並びあった顔が向かい合う。
近い。近すぎる。
顔を逸らすのも不自然で、見つめ合うのも不自然な中、私の鼓動は今までにない程早くなる。
「綾香。怖いから、手繋いでいい?」
その誘いに、私が断る選択肢は無い。
「いいよ」
ホラー映画が流れる部屋の中、私は全く別種の緊張感を味わいながら、恐る恐るサチの手に私の手を伸ばす。
そっと、大切な宝物を扱うように手に触れる。
肩が触れ合いながら、昨日寝る前に包まれた手を、今度は私が包み込む。
それだけで、心の中の何かが溢れる。
私の手は震えていない。今度はしっかりと手を繋いだ。
サチの手は私の手よりも少し小さく、華奢だ。
この手を、小さな頃から私は何度繋ぎたいと思った事だろうか。その夢想が、現実になっている。
もちろん、私とサチの手を繋ぐ意味は全く異なるだろう。それでも、いい。
いつかその意味が一緒になる事があるかは分からない。いや無いかもしれない。
でも、それでも私は今、幸せだ。
映画の物語は終盤だろうか。
私はもはや怖くもなんとも無い映画を見続けている。ストーリーも追えてない。でも、映画がずっと終わらなければいいと思っている。
たまに幽霊が出てくるシーンがあると、ビクッと繋いだサチの手に力が入る時があり、その都度心が和らぐ。
大丈夫、怖くないよ。頭の中で作った気持ちを手に込める。それに反応したかのように、サチの手が強く握り返された。
エンドロールが流れる。もう、終わっちゃうのか…。ホラー映画を見て、そう落胆する日が来るとは思わなかった。
「終わって、ほしくないね」
サチが小さな声で呟く。
どういう意味だろう。もしかして、という気持ちを押し込んで答える。
「そんなに面白かったんだ。怖くなかった?」
「あ…いや、うん!すっごく怖かったけど、でも綾香が手を握っててくれたおかげで最後まで観れたよ」
…どうか、サチが私の想いにほんの少しでもいいから共感してくれますように。
そう願って、そう想いを込めて。私もサチへ感想を言った。
「うん。私もすごく、良い時間だったよ」
やけに短く感じた映画が終わり、映画選択画面に戻る。
なんでもいいから、このままもう一本映画を始めてしまいたくなるが、それは完全に私の都合なのでやめておく。
惜しい気持ちを押し込んで、薄明かりの中サチに言う。
「電気、付けよっか」
静止した画面から私の顔に視線を移して、
「そ、そうだねっ。でも、お菓子全然食べなかったね?せっかく買ったのに」
と手を繋いだままサチが笑う。
こんなに近くで、無邪気に私に笑顔を向けてくれることに胸が締め付けられ、私はサチを見つめるだけで返事が口から出てこない。
「このまま、お昼代わりにお菓子食べちゃう?」
サチが続けて言うと、テーブルに置いてあった私のスマホの画面が光る。
店長と表示された画面は、メッセージではなく電話だ。
「ごめん、千秋さんから電話だ。ちょっと出ていい?」
そう言いながらスマホに手を伸ばす私の腕を、サチが掴んだ。顔を見合わせてほんの僅かな沈黙の後、
「あ、ご…ごめんっ。良いよ、電話なんだろうね?」
と、顔を私からテーブルに向けてスマホを取って渡してくれた。
息を整える。胸の高鳴りが解けきらないまま、私は電話に出た。
「ホントごめんね、この埋め合わせは必ずするから」
「全然良いよ、わたしのことは気にしないで。お菓子はちゃんと取っておくから、今度一緒に食べようね」
とサチは笑ってくれた。
千秋さんからの電話は、今日これから仕事に出てもらえないか、というお願いだった。
キッチンのパートさんの子供が熱を出して休まなければならくなったようで、代わりを探していたらしい。
電話中サチの顔を見ると、「いいよ」と小声で言ってくれたので、私は仕事に出る事にした。
「それじゃあ、いってくるね」
「うん、いってらっしゃい」
というやり取りをしてサチの家を出た。
なんだかカップルのような朝のやり取りを思い出して、やっぱりカップルみたいだなと思って、嬉しくなった。




