第7話 恋バナ初体験
座った席が窓際のカウンター席で良かったと思う。泣いていた事は他のお客さんに勘付かれたかも知れないが、泣き顔まで見られる事はなかっただろう。
千秋さんは黙って待ってくれていた。手を握ってくれた。そして今も握り続けてくれているこの手を伝って、安心感と優しさが流れ込んでくる。
今なら、話の続きを喋れるかも知れない。
大丈夫だと言ってくれた。
全部話しても、良いのだろうか。
「あのね、綾香ちゃん」
落ち着いてもまだ不安な気持ちを抱えている私を見て、ゆっくりと私を気遣うように言葉を落とす。
「アタシには今、付き合っている《《彼女》》がいます」
「…えっ」
彼女…って事は、え、いきなりの逆カミングアウトで動揺する。
「だから、なんの遠慮もいらないよ。大丈夫、私も同じだよ。きっと苦しさも、不安も。一緒に共有できると思うんだ」
「千秋さん…私、本気で泣く〜…」
「さっきいっぱい泣いてたじゃん」
笑いながら、それでもまだ手を握ってくれている千秋さんは、手だけじゃなくて私の心もしっかり包み込んでくれていた。
「もしかして、気付いていたんですか?それで悩み相談なんて持ちかけてくれて…?」
「まぁそうね。だって、綾香ちゃんの視線が…誰にとは言わないけど、すっごく熱いし、どう見たって恋した女の子の顔だったから」
全部バレているらしい。なんだ、すっごく恥ずかしいぞ。
「でも、そうかと思えば浮かない顔をしていたり、落ち込んだようになったりしてたから。やっぱり、分かっちゃうから。気持ちが」
「ありがとうございます。私、カミングアウトしたの千秋さんが人生で初めてです。なのでもう少しついでに色々話しちゃっても良いですか?」
「もちろん良いよ。話、聞かせて?」
幼稚園から中学まで大原さんと一緒だった事。好きだったこと。そして高校での出来事。過去の色々や現在の話を、千秋さんに聞いてもらった。
「いや、それは好きになっちゃうわ。運命の出会いじゃん」
「で、ですよねっ!あでも、私側からしたらってだけですけど…」
「恋愛なんて、大体そうじゃないの?出会った瞬間、お互いがお互いを好きになってた…なんて方が珍しいと思うけど」
私達はまるで普通の恋愛話のように話しているが、よく考えると大原さんがストレートだと言う事は全く無視した会話のような気がしてきた。
「千秋さんはさっき彼女さんがいるって言ってましたけど、どうやって付き合う事になったんですか?」
とりあえず生の経験談を聞いてみたいと思い、千秋さんの恋愛事情を深掘りしていく。
「最初は、アタシがやってたバンドのお客さんだったんだよね。で、それで話すようになって仲良くなって…って感じ」
「相手の方から告白されたんですか?」
「いや、アタシから告白したよ。でも最初は断られた。やっぱショックでさ。あんたアタシのファンだったじゃん!って思ったりもして」
千秋さんは笑顔で続ける。
「振られてただでさえキツイのに、相手はストレートだったからもう会ってくれないかな?とか色々考えちゃった」
「相手の方、ストレートだっだんですか?!」
驚いた。そういう事もあるんだ。
すごく、希望が湧いた気がした。
「実は…私の話じゃないのでちょっと詳しくは言えないんですけど、大原さんがストレートだって分かる話を本人から聞いちゃって。だったらせめて友達のままでも近くにいれたらって思ってたんです」
「なるほどね。うん、それも分かる。アタシだって振られてそのままにしてたら、多分縁は切れてたと思うよ」
昔を懐かしむような顔で喋る千秋さんはアタシと二歳しか違わないけれど、すごく大人の女性って感じがした。
「でも何度もアプローチして、これだけ大切に思ってるんだって伝えて、少しずつ少しずつ…で、やっとって感じだったしね。もちろん、煙たがられないように気を付けながらね」
「そうなんですね…すごい。千秋さん、やっぱりかっこいいです。尊敬します」
「そ、そう?なんか照れるね」
「あっ!こんな夜に千秋さんと一緒にいて、私彼女さんに怒られませんかね?大丈夫でしょうか…」
千秋さんはアハハと笑って、
「大丈夫だよ。ちゃんと言ってあるし。それに、私も綾香ちゃんと会って話がしたい!って言ってた」
「え、それは是非!千秋さんさえ良ければ、私もお会いしてお話聞きたいです」
「うん、もちろん私も大歓迎だよ。ならそうやって伝えとくね」
その後も憧れだった恋バナをもう少し続けて、それから遅くなり過ぎないうちに解散となった。
千秋さんには、本当に感謝しかない。
私だって恋をして良いんだ、って。一人じゃないよ、って。優しい声でそう教えてくれた気がする。
すごく、嬉しくて楽しかった。
こんな充足感で満たされた気持ちで家に帰るのは初めてかも知れない。
何度も肯定してくれた千秋さんの言葉を噛み締め反芻しながら、眠りについた。
***
「ねぇ今日さ、帰りに山本さんの家に寄ってもいい?」
「え?うん、全然大丈夫だよ。何かあった?」
仕事を終え、お店を出たあたりで大原さんからサプライズ訪問の予約が入る。なかなか自分からは誘いづらく、仕事以外で会うのは女子会の日以来だ。かなり嬉しい。
「いやー、まぁ何かあったって程の事でも無いんだけど…ほら、前に話したでしょ?離婚した話。まぁそれでちょっと愚痴を聞いて欲しくなっちゃって」
「そんなの、私に任せて。何時まででも付き合うよ」
大原さんの笑顔を守るのは私の役目だ。と、勝手な使命感を燃やし、帰り道を歩く。いつもは二手に分かれる交差点を、今日は二人で一緒に曲がる。
こういうちょっとした事でも、胸が高鳴ってしまう。
「そう言えば、山本さんって今日店長の事、千秋さんって呼んでたよね?」
「あぁ、ちょっと間違えて。なんかお店以外で店長って呼ばれるの嫌らしくて、それで名前で呼んでって言われたんだよね」
「店長とお店以外で会ったの?」
「あ、いや…まぁうん。少し前の仕事終わりに二人でカフェにコーヒーを飲みに行っただけ」
鼓動が早まる。あまり突っ込んで聞かれると話した内容的に困っちゃうな。
「二人で?」
「そ、そうそう、二人で。その日たまたま大原さん、おやすみだったからさ」
「ふーん……。どうして?」
「え?どうしてって?」
「いや、どうして店長と二人でカフェに行ったのかなーって。珍しいなって。」
「あ、あーー…それね!それは、その、なんか悩みがあったら聞くよって言われて…その、そう言う事でして…」
季節はほとんど冬に向かっていて夜風が冷たく寒いはずなのに、顔も体も冷や汗が出るんじゃないかというくらい暑くなる。
「もし嫌じゃなければだけどさ。悩み、私でよければ聞くよ?なんでも話してよ。いつも仕事でお世話になってるんだから」
ギクっと言う文字が漫画のように浮かぶ。
なんて言おうか考えていると、
「あと山本さんさ、わたしのこと、大原さんって言うのやめない?」
「えと……それは一体、どういう…」
「わたしのこと、サチって呼んでよ」
「え?!良いんですか?!」
今世紀最大のサプライズだ。
ちなみに<サチ>とは中学生の頃の大原さんのあだ名で、最上位カーストに所属する女子だけが呼ぶことを許されたていた伝説のあだ名である!
「びっくりしたっ!急にどうしたの、なんで敬語?…って、呼んでも良いっていうか、サチって呼んで欲しいって言うか」
「私なんかで良ければ…。サ、サチさん!」
「私なんかって言わないで。あと、さん付け禁止でーす」
「うぐ…サ…サチ」
己の弱さを滅却して敬称略で呼ぶ。
「えへへっ…ありがとう。私も、山本さんって呼ぶのやめて、綾香って呼んで良い?」
ど…どうした本当に。今日はサプライズが過ぎるんじゃないか…。当然異論は無いので承諾する。
「もちろんだよ!」
「ありがとう、綾香。…なんか、ちょっと照れるね」
もう、幸せ過ぎてやばい。
そうこう言っている内に家に着いたので二人で部屋に入る。
「サ…サチ、ビールしか無いんだけど、せっかくだし飲む?」
やっぱり名前呼ぶ時緊張するな…。
「ありがとう、頂きます」
二人でビールを飲みながらタバコを吸うと、女子会の日を思い出す。サチの喫煙を見るのはその日以来なので、貴重なシーンを目に焼き付ける。
「そういえば、中学生の頃からだよね?さっちゃんじゃなくでサチにあだ名が変わったの。あたしはさっちゃんも結構好きだったけど」
「だって、さっちゃんて子供っぽいじゃん。ほら、童謡にもあるし。てか綾香、よく知ってるね」
しまった…。余計な事を聞いたな。でも逆に堂々としていれば良いんだよ。うん。
「いや、そりゃ知ってるよ。前にも言ったけど、サチは学校の憧れの的だったんだから」
「そんな事ないと思うけど…」
「いーや、そんな事ある。それより、愚痴ってなに?なんか嫌な事でもあった?」
ボロが出そうになる前に早めに切り上げて本題へ入ると、吸い込んだ煙を吐き出し珍しく気怠さの感じる声で話し出す。
「そもそもね、付き合って一年で結婚して、その結婚した半年後にもう浮気してたんだよ?しかもメッセージでその浮気相手に、お前の子供が欲しい、とかって言ってんの」
「……は?」
あり得ない、なんだそのクソ野郎。サチとの生活がありながら、他の女に手を出すとか信じられない。
「普通にあり得ないでしょ?で、問い詰めたら、じゃあもう別れていいよって感じだったから、離婚する事になったんだけどさ」
「……」
マジでなんなのそいつ、開いた口が塞がらない。
「そしたら昨日なんかメッセージきて、また会いたい、やり直したいって。いやマジで無いからって」
「ホントあり得ないから。私のサチに何してくれてんの…ぶっ飛ばしてやりたい」
本音が漏れてしまった。<私の>なんて…。いや断じて私のでは無いんですが…。
「え…ふふっ。ありがとう。だから綾香、好きだよ」
心臓が跳ねる。いや、待って、サチはそういう意味で言ったんじゃないから。分かってるけど、心が勘違いを起こしてヤバい。
「な、なな…何言ってんの。そっそれで?その後はどうなったの?」
ダメだ、声が震えてアワアワなっちゃうから。
落ち着け、落ち着け私。
「もうホント腹が立って、連絡先消した」
「それが良いよ、うん。絶対もう関わったらダメだよ。私、サチが傷付いたら本当に許せないから」
私は一体サチのなんなんだ…とは自分でも分かっているが、我慢できずに勝手にサチの防衛隊長に着任する。
それから私達はタバコを吸いながら、愚痴や雑談をして時間を過ごした。
サチがアハハと声を出して笑う。私はいつもその笑顔に見惚れる。いつだってその笑顔に憧れていたんだ。こんなに間近で、私のためにサチの笑顔が向けられるなんて思いもしなかった。
心のシャッターを何度も押し、その全てをアルバムに閉じ込める。
もし。
もし、サチも私と同じように。
私の可愛くない笑顔でも、心のシャッターを押してくれていたなら。そしてそれを、アルバムに閉じ込めてくれていたなら…。
なんて。そんな事を考えるのは、やっぱり欲張りすぎだろうか。




