第4話 天使の微笑み
大原さんは変わらず輝いている。
例えば原石なんて比喩的な表現があるが、大原さんは幼稚園の時から既に磨かれ、輝きに満ちていた。
笑顔も、仕草も、全身から滲み出る快活さも。
全部が全部、輝いていた。
幼稚園の時、両親に「大きくなったらさっちゃんと結婚する」と伝えた。
さっちゃんというのは、大原さんの周りが使っていたあだ名で、実際に私が大原さんへ使う機会は無かった。
結婚すると言うのも当然大原さんには内緒の、自分だけの約束事だったが、自分も、私の両親も楽しそうにしていたと思う。
小学生の頃、その秘密の約束事は、どんな意味であれ全く分不相応だったのだと気付いた。
特に女の子同士という意味では、もう今後は両親や友達にも言えない事なのだという秘密に膨れ上がっていた。
中学生では、彼女はもはや違う世界の住人になっていた。カーストという見えない壁も相まったとは思うが、私のような地味な存在を寄せ付けない雰囲気があった。
大原さんの快活さは失われないまま、若さゆえの危うさが加わっていた。
中学を卒業してからは、どのような道へ進んだのかは分からない。きっと自分とは違う、交わることのない人生を歩んで行くんだろうと思っていた。
***
私はいつの間にか、仕事のために括られた揺れるポニーテールを目で追っていた。
厳密に言うと、その揺れ髪の持ち主を見ていたのだが、まるで催眠術のように目が離せなくなって…。
「綾香ちゃん…綾香ちゃん?」
店長にトントンと肩を叩かれ、はっとする。
「大丈夫?ぼーっとしてたけど」
大原さんがこのレストランで働くようになって、昔の大原さんをよく思い出すようになった。
ちょっと気を抜くと、すぐに今の大原さんと昔の大原さんを見比べて、頭の中の世界へ行ってしまう。
「はい、大丈夫です。少し考え事をしてて…仕事中にすみません」
「山本さん、次はこれをやっちゃって良いのかな?」
「あ、うん。で、それが終わったら--」
大原さんはすぐに仕事に慣れた。元々キッチンの経験者だと言うことだったが、手際もいいし怠けたりもしない。
分からない事は何でも聞いてくれる。私が、大原さんに頼られているのが中々不思議で慣れない。
いつものなんでも無い職場がある日突然、魔法にかかった様に不思議な風景になった。
あの時感じていた壁は今は無くて、声をかけると返事が返ってくる。
私に笑顔が向けられ、手を伸ばせば触れられる気さえする。
いや、元々壁なんてものは子供特有のモノなのかも知れない。大人になると当然スクールカーストなんてものは無くなるし、誰だって一個人になるのだろう。
だから、私が同性愛者である事だって、今ではもうそこまでひた隠しにする事でもないのかもしれない。
分からないけれど、この職場の人は皆んな受け入れてくれそうな優しい人ばかりだ。
ただ今はまだ…いつまでも追いかけてくる、あの詰るような冷たい声に対抗する事が出来ないでいる。
一方で、ただそれだけの事ようにも感じてならない。
***
仕事が終わると、大原さんと一緒に帰るのが日常になっていた。私は一体どんな世界線に迷い込んだのだろう。
「この地下街ってさ、昔はもっと賑わってたよね?」
「あー、確かにそうかも。今は結構閉まってる所多いよね。そっか、大原さん東京に行ってたんだもんね」
「うん、まぁそんなに長い間でも無いんだけどね。短大を卒業して、その後からだから…四年とちょっとくらいかな」
どうして帰ってきたの?って聞いてみたいけど、身の上話を聞くのは気が引ける。とくにターニングポイントについては、大事なことが絡んでいる場合が多いから、余計に聞きづらい。
「今の家には最近引っ越したの?」
無難だけど、気になっていたことを聞いて少しだけ話をずらす。
「そうだよ。先月だから一ヶ月くらい前かな」
「もしかしたらその間に近くのスーパーとかですれ違ってたりしたかもね。あでも、大原さんオーラがあるから近くにいたら気付くかも」
「えー?何そのオーラって。そんなの無いよ」
他愛の無い話をしながら地下街から自宅方面へ向かう地上へ出た。
「夜はもう肌寒いねぇ。山本さん、今日ぼーっとしてる時多かったみたいだけど、大丈夫?」
聞かれると困るところを突かれた。
口が裂けても言えない内容で、どうしようか迷う。
「あー…大丈夫大丈夫!ちょっと、考え事。別にそんな、深刻な話でも無くて…」
「そうなの?体調崩してるとかじゃ無いよね?ちょっとおでこかして」
大原さんの手が私のおでこへ優しくピッタリとくっつく。
私の心臓は一気に跳ねて、ドキドキという音が体中に響く。
私なんかに触れてもらえるなんて…。
大原さんは「ん〜どうだろ?」と言いながら手のひらと手の甲で確認してくれる。
顔が真っ赤になっていないか心配だ。
「ごめんね、よく分かんないや」
と、てへへと笑う大原さんが可愛すぎて熱がドンドン急上昇していきそうな気がするんですが…。
あと、おでこに触れられたこの感触はきっと墓まで持って行こうと決めた。
「そ、それより、大原さんってお休みの日は何してたりする?」
心臓が持ちそうに無いので話題を変える。
「んー、買い物にお出掛けしたりする事もあるけど、最近は家にいる事が多いかな。映画見たり、料理作ったり。山本さんは普段何してる?」
「私もそんな感じだよ。趣味も無いし、家でぼーっとしてるかな」
「なにそれ」
と笑う大原さんはやっぱり可愛くて、つい見惚れてしまう。
「じゃあさ、今度2人で一緒にご飯作って映画でも見ようよ。お酒でも飲んでさ、家女子会やろー」
え?聞き間違いじゃ無いよね…?
大原さんとお休みの日に会えるの?しかも家で二人で…?信じられない。
「い、いいの?そんな、休みの日にだなんて。私なんかと…」
「私なんかとってなに?むしろ山本さんが良いならわたしは嬉しいんだけどなぁ」
そんなの…。
「もちろん、良いに決まってるよ。どっちの家にしよっか?」
こんなの、止められない。
もはや私の力じゃどうしようもできない。"悪い癖"が悪さをすると分かっていても、この気持ちに蓋なんてできない。
「やった!ありがとう。それなら、山本さんの家でも良いかな?ウチまだ調理器具とか食器とか、色々揃ってなくて」
ウチも食器は二人分も無いけれど、そんなのは大した事では無い。悩むまでもなくすぐに買いに行く。
「全然良いよ、なら休みが合う日に」
丁度、分かれ道の交差点。バイバイって小さく手を振る大原さんが可愛くて、最後まで目が離せない。
余韻を噛み締めながら一人歩いていると、ふと気付く。
そう言えば、あんりちゃんにも料理作るの誘われてたなぁ…大原さんの時はついつい即オッケーを出してしまったけれど、嫌な思いをしないだろうか。
ちゃんと埋め合わせはしないとなぁと、必死に言い訳を考えながら、寒くなってきた道を歩いた。
***
どうやら少し怒ってしまっているらしい。
小柄なあんりちゃんが私の顔を見上げて、ジトっとした目を向ける。
「……綾香さん、あたしとの約束はどーなったんでしょーかねー?確か部屋は散らかってたはずなんだけどなぁ?」
大原さんが家に来ると知ってしまったようだ。
「山本さん、ご…ごめんね。わたし先にあんりちゃんと山本さんが約束してるって知らなくて」
レストランへ着いていつものように事務所へ入ると、二人に囲まれた。
あんりちゃんは少し怒ってそうな雰囲気だけど、ピョコピョコと怒る小動物みたいで可愛い。
小柄な事もあり、頭を撫でてあげたくなる。
良いよね、頭を撫でるくらい先輩後輩ならアリだよね?!
よしよし…と頭を撫でてみると、
「へぁっ…や、やめてください!あたし今怒ってるんですよっ!でも頭は…撫でてもいいですケド…」
と、やっぱり威勢のいい言葉が出てくる。
それでもよしよしと、宥めるように頭を撫でながら言う。
「ごめんね、最近大掃除をして、丁度きれいになった所だったの。だからあんりちゃんも今度近いうちに、一緒に料理しようね」
よし、無難な言い訳が自然にできたはず。
「そうなんですか?まぁそれなら今回は許してあげますけど…」
すると大原さんが、パンっ!と手を叩き、
「それなら、三人で女子会を開きましょうよー。わたしもあんりちゃんと色んなお話してみたい。せっかくだし、ね?」
間違いなく、天使の微笑みだ。
大原さんの微笑みがあれば、世界はもっと平和になるんじゃ無いだろうか。
「三人で…そうですね、楽しそうです!綾香さん、あたしも参加しても良いですか?!」
あんりちゃんのキラキラした笑顔も最高に可愛い。世界のどんな汚い事からも、守ってあげたくなる。
と言っている私が1番汚れているような気がするが…。とにかく今は女子会の話だ。
大原さんとあんりちゃん、それぞれ二人きりでのお部屋でご飯は魅力的だけど、魅力に溢れすぎて自分の脳内を制御できる気がしないから、三人での女子会が丁度良いかも知れない。
「もちろん。それじゃ三人で女子会しようね。こんなの初めてだから、楽しみだなぁ」
***
私は高校三年生の時から、人と距離を置いてきた。
人を好きになるのが怖かったし、それを詰る声が頭に鳴り響くのも嫌だった。
今でも"悪い癖"が暴走してしまったら、つまり女性を本気で好きになってしまったらどうしよう、と言う危惧がある。
でも何故だろうか。大原さんとの出会いが、私の中の牢獄を開く手掛かりになるような気がしてならない。
いや、そもそも鍵をかけたのだって詰る声だって、全部自分自身が作り上げた虚像に過ぎない。
ただの自作自演だ。
でも、それでもだ。そんな馬鹿らしい妄想を壊してくれる何かが必要だったんだ。
もしかしたら、私は自由になれるのかも知れない、もっと自分自身の心を優しく包んであげられるのかも知れない。
そんな未来が、待ってるように感じた。




