第26話 恋人の証 2
あんりちゃんと環奈ちゃんの面白い話を聞いた後、ティーポットから紅茶がなくなって二人でキッチンへ行き、タバコを吸う。
そろそろ帰らないとなぁと思っていると、「今日はこのまま泊まっていく?」とサチが聞いてきた。
もちろん泊まって行きたい。
けれど、こんなに何回も泊まっても良いのだろうかとも思う。
何度も何度も泊まっているうちに、嫌になられたり飽きられたりはしたくない。
サチの気持ちを疑っているわけではないけれど、今まで恋愛してこなかったせいか、どこまで踏み込んで良いのかが分からず臆病になってしまう。
キスもハグも、私からはあまりお願いできないし、タイミングを逃すこともよくある。
昨日はキスもお泊まりのお願いも私から言えたけれど……。
いつでも泊まれるように、サチの家には私のパジャマもあるし下着も置いてある。歯ブラシもあるし、化粧品だってある。
だから泊まろうと思えば泊まれる。
でも、本当にいつでも泊まっていい訳じゃないだろうし……。
今日もサチの言葉に甘えてしまっていいのだろうか。
本当は一緒に暮らしたいくらいサチと一緒にいたいと思うし、ずっとくっついていたいくらいハグもしたい。
サチはどう思ってるんだろう。
なんか、考え過ぎなのかな。
グルグルと考えが回って、同じところを何度も行ったり来たりしているような気がしてきた。
「えっと、サチはどう思う?」
分からない事は聞いてみた方が早い。
「どう思うって?」
「私が泊まりにくる事、どう思う?」
「嬉しいよ?当たり前でしょ?」
当たり前と言われてホッとする。
「じゃあ、キスとか、ハグは?」
「わたしがしたくないって言うと思う?」
優しい笑顔で答えてくれる。
「なら、今日泊まってもいい?」
としつこく質問しても、やっぱり笑顔で「もちろんいいよ」と答えてくれた。
タバコを吸って、煙を吐き出す。
煙の行方をぼんやりと追っていると、「どうしてそんなに聞くの?不安になった?」と聞いてきた。
「うん、だって迷惑じゃないかなって」
「キスとハグも?」
「それは……何度もお願いしてたら、そのうち私に飽きちゃうんじゃないかって、思う」
サチがタバコを吸って、煙を大きく吐く。
「もしかして、わたしが綾香のことそんなに好きじゃないかもって思ってない?」
ドキッとする。
いや、私自身そんな事は思っていないはずだし、ちゃんとサチの事は信用している。
けれど、やっぱり自分に自信が無いんだと思う。
「いや、そんな事はないけど……でも、毎日夢みたいだなって思ってるから」
そう言い終わると、サチの顔が近づいてきた。
思わず目を瞑ると、唇に柔らかな感触が触れる。
優しく触れた感触はすぐに離れて今度は強く。
サチの片手が私の腰に触れ、ゆっくりと滑るように背中に回し抱きしめられる。
唇に暖かなものが触れ、薄く口を開けるとサチの舌が入り込んできた。
絡まり合い、熱を分け合うようなキスをして、そっと顔が離れる。
「わたしは、綾香が思ってる以上に綾香のことを愛しているし、ずっと一緒にいたいって思ってる。私だって、毎日夢みたいだなって思ってるんだよ?」
耳元で囁くように言われて、そしてそれは私の心を温めてくれた。
「もっと……甘えてもいいってこと?」
「もちろん。綾香のこと、ちゃんと受け止めてあげる」
「じゃあ、もう一回キス、したい」
そうお願いをすると、また優しく、強く、キスをしてくれた。
「お風呂入ったから、先に綾香どうぞ」
「ありがとう」
着替えを持ってバスルームに向かおうとすると、手を引っ張られた。
「どうしたの?」
サチを見ると、意地悪な笑顔をしている。
「ねぇ、一緒にお風呂入る?」
私は一気に鼓動が早まって、なんて答えたらいいか分からなくなる。
「いや、あの……なんて言うか、まだちょっと恥ずかしいって言うか。い、嫌なわけじゃないんだよ。でもほら、いきなり裸っていうのは……ね?」
普段銭湯にも行けない私が、サチと一緒のお風呂なんて緊張して心臓が持つ気がしない。
サチはクスクスと笑って、「冗談だよ、入っておいで」と背中をポンと叩いた。
洋服を脱いでお風呂のドアを開ける。
中にはバスチェアがあり、ゆっくりと座る。
いきなりドキドキさせられたせいで、まだ落ち着かない。
目の前にある鏡を見ると自分の裸が映っていて、鎖骨の少し下あたりに赤い痕があった。
これは昨日の夜にサチが私につけたキスマークで、きっと数日の間は消えないサチの痕だ。
指で撫でると、パジャマのボタンを外されて唇をつけられた時の感触が蘇る。
確かに私を愛してくれているという、サチから貰った恋人の証のように感じられて嬉しくなる。
一つじゃ足りない。
もっとつけて欲しいし、いくつあっても良いと思う。
私は我儘だ。
さっきあれだけちゃんと言葉で、キスで想いを伝えてもらったのに、まだ足りない。
できる事なら私もサチに、私の痕を残したい。
その私のつけた赤い痕を指で撫でて、私の事を思い出してもらいたい。
さっきサチは私を受け止めてくれると言った。
私にもっと痕をつけて欲しい、そして私もサチに痕をつけたい。こんなお願いでも、受け止めてくれるだろうか。
お願いするの、ちょっと勇気いるな……なんて考えながら、シャンプーで泡だらけになった髪をシャワーで流した。
いつものようにキャンドルウォーマーをつけて電気を消し、ぼんやりとした灯りの中でソファにサチと並んで座る。
私の肩に頭を乗せてきたサチからは、同じシャンプーを使ったとは思えない良い香りがしてくる。
「サチ、今日は本当にごめんね」
「え?なに、手を繋いだこと?」
「うん、不安にさせて、嫌な思いさせちゃったなって思ってるから」
帰ってきて話して、でもやっぱり罪悪感が拭えなくて。サチが終わりにしてくれた話をもう一度謝る。
「本当に大丈夫だからね、綾香」
「あのね、前にも言ったけど、私サチが初めての恋人だから、もし間違ってた事してても気付けないかもしれなくて……色々私なりに考えてはいるんだけど」
「綾香は何も間違ってないよ。それにね、わたしだってきっと、間違っちゃう事あると思うから」
サチも間違うことがあるのかな。
私は何となく、想像ができないけれど。
「そんな事ないと思うけど」
「ううん、私ね。綾香のことが自分でもビックリするくらい好きなの。嘘じゃなくて、本当に人生でこんなに愛してるって思ったの初めてなんだ。だから、いつか気持ちが暴走しちゃうんじゃないかって不安なの」
「好きすぎてってこと?」
「そう」
サチが柔らかな笑顔で笑う。
そこまで言ってくれるなんて、本当に嬉しい。
私だって、こんなに愛せる人はサチ以外にいない。
サチの言葉が雫になって、いつからか胸の奥に投げていたコップが満ちてきて、溢れ出る。
私は、私が女性である事を恨んでいた。
そんな時もあった。
自分の中にある、他人の言葉が怖かった。
この異物と、一生過ごしていかないとダメなんだ、なんて思ってた。
けれど、今は違う。
自分の事を責めなきゃいけない人生は、サチのおかげで終わったんだ。
だからこれから。
いや、今この瞬間も、サチの気持ちをもっと知りたいし、知って欲しい。
なんだっていい。
それが言葉でも、ハグでも、キスでも、それ以上のことでもいい。
他人に黒く塗りつぶされたキャンバスが、サチと恋人になれて真っ白になった。
その真っ白を、今度はサチの色で染めて欲しいと思う。
だから私は、今出せる精一杯の勇気でサチに言う。
「ねぇ、サチ。変な事言ってもいい?」
「どうしたの?」
刻んで欲しい。
それが数日で消えてしまってもいい。
刻んだって、なんだってそんなものだろう。
それでもしつこく何度でも恋人の証を刻んで欲しい。
今までの心の隙間を埋めて欲しいと思う。
「私に、もっとサチの痕をつけて欲しい」
「……いいよ」
ボタンが外される。
上から一つ、二つ。
胸元がはだける。
サチの腕を掴んで、まだ閉じているボタンの上に誘導すると、ゆっくりと残り三つも外された。
下着はつけているけれど、初めて体を見せる緊張感で心臓が強く鳴る。
サチの指が鎖骨を撫でる。
その少し下、昨日の痕の近くに唇が触れる。
強く吸われてチクリとするけれど、今はその痛みも心地良く感じる。
唇が離れて、目が合う。
サチの頭を撫でて、「もっとたくさんつけて」とお願いをする。
肩から胸元、脇腹からお腹と、足跡のように痕がついていく。
心がどんどん満たされていくのを感じる。
恋人の証が私の隙間を埋めていくような、そんな気がした。
ボタンをつけて、サチへキスをする。
触れるだけのキスをして、もう一つのお願いをする。
「ねぇ、サチにも一つだけ。つけてもいい?」
「いいけど、一つでいいの?」
サチへの痕は、一つでいい。
これは私の我儘だし、痕だらけにしたくない。
なにより私の想いが、一つでも届いてくれるならそれで十分だ。
「うん、一つでいい」
「分かった。どこが良い?」
「お腹の上の方」
そう言うと、少しモコモコとした素材のルームウェアの裾を上げてお腹を出してくれた。
サチへの痕は何があっても誰にも絶対に見えないところが良かった。
お腹を撫でて、脇腹へ指を滑らす。
ブラの下あたりを指でなぞって、つける場所を決める。
顔を近づけると、サチの良い香りがする。
唇をつけて強く吸うと、そこへ赤い痕が残った。
私にしか見えない痕。
それが愛おしくて、そこへもう一度キスをして、指で撫でた。
私の中から溢れ出るものを伝えたくなって、サチの顔を見つめる。
でも正確な言葉が見つからないから、百回の好きを一言に込める。
「サチ、好き」
「わたしも好きだよ、綾香」
サチの温もりを確かに感じて、私の中のキャンバスに新しい色が塗られた気がした。




