第24話 続・佐知子の憂鬱
「じゃ、いってくるね」
わたしのコーディネートした洋服に水色のマフラーを身に付けた綾香が振り返って、笑顔で手を振る。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
楽しそうな顔をしている綾香の笑顔を見て固まりそうになる自分の顔を、なんとか笑顔に保ってわたしも手を振った。
ガチャン、と扉が閉まる。
少しの間玄関に立ち尽くして扉を見つめる。
今日、綾香は南條さんに会いに行った。
友達と出かけに行くくらい普通の事だし、別になんて事ない。そうやって自分に言い聞かせている自分が普通ではない事に嫌悪しながら、わたしはキッチンへ向かった。
全自動のエスプレッソマシンに電源を入れて、マグカップをセットする。ボタンを押して、抽出されるのを待ちながらタバコに火をつける。
吸った煙をふぅっと吐くと、吐いた煙は換気扇に吸い込まれて部屋から消えていった。
今日は映画でも観ようかな。
そう思い立ち、吸い終わったタバコを灰皿に押し付けて、淹れ終わっていたコーヒーを持ってソファに座る。
話題になっている映画を適当に選んで、ぼんやりと昨日の夜の事を思い出す。
このソファで、昨日綾香にキスマークをつけた。
冷静になって考えると、ひどい事をしてしまったなと思う。
まるで友達と遊びに行く綾香のことを信用していないみたいで、自分が嫌になる。
それに、詰め寄るような事も言ってしまった。
あんな事をしなくたって、綾香は友達とどうにかなってしまうはずはない。
頭では理解しているけれど、どうしても嫉妬してしまう自分を追い出せなかった。
残り少なくなったコーヒーを飲み干す。
映画はもう中盤だろうか、最近は綾香と映画を観ることが多いからか、一人で見ても面白くない。
集中出来ないし、南條さんと会っている綾香のことが気になって、映画が頭に入ってこない、
わたしは映画を途中で消して、部屋にカバンを取りに行った。
紅茶が切れていたから、気分転換を兼ねて買いに行く事にする。
通販でもよかったけれど、今回はいつもとは違う紅茶を買う事にしていたから、実際に見に行って買おうと決めていた。
スニーカーを履き、玄関から出る。
「いってきます」と誰もいない部屋に言って家を出た。
欲しい紅茶はすぐに見つかった。
けれど、せっかく気分転換に街まで出てきたのだからと、ウィンドウショッピングをする。
雑貨屋に入ると、綾香はこうゆうの好きそうだなとか、このカップは綾香に似合うだとか考える。
洋服屋に入ると、このスカートは綾香に似合いそうとか、試着し合いっこしたいなとか考える。
一人で回る事は今まで普通だったのに、今では綾香がいないと寂しくなってしまっている事に気付く。
今頃、綾香は南條さんと何してるんだろう。
はぁ、と息を吐いて、優しく頬を叩く。
自分も楽しまなくちゃ。
洋服のお店を見ていると、よく知る人物が試着室の前でぼんやりと立っていた。
「わっ!」と、背中から声をかけると「うひゃあ!」と驚いた声を出して、こちらを振り返る。
「あんりちゃん、こんにちは。びっくりした?」
「お、大原さん!ちょっとやめてくださいよ、心臓止まるかと思いましたよー」
そう言って頬を膨らませて怒る。
「ごめんごめん、見かけたからついね。あんりちゃんもお買い物?」
「そうです、大原さんもお買い物ですか?」
そう言い終わると同時に、シャーっと試着室のカーテンが開いた。
「あんりさん、どーですかこれ……って大原さん!え、なんで?!」
と驚いた顔をした環奈ちゃんが出てきた。
「環奈ちゃん、こんにちは。わたしも買い物に来てたの。たまたまあんりちゃんを見つけたから、声掛けた所だったんだ。今日は二人でデートかな?」
ふふっと笑いかけると、二人が顔を見合わせた。
「そうです、デートです」
環奈ちゃんがキリっとした顔でハッキリと言うと、あんりちゃんが呆れた顔をした。
「いえ、デートじゃなくてただの買い物です。それより、大原さんはお一人ですか?」
と、キョロキョロと辺りを窺う。
「そうだよ、今日は一人なの。暇だったからフラフラしてたんだ」
「だったら、ちょうど今から環奈とカフェで休憩しようって言ってたところなんで、大原さんもご一緒にいかがですか?」
「いいの?デートの邪魔にならないかな?」
と冗談めかして笑うと、「大原さん!」とまた頬を膨らませた。
カフェについて、ケーキとカフェラテを持って席に向かう。あんりちゃんも同じくで、環奈ちゃんはケーキが二つあった。
テーブル席へ着くと、わたしの前にあんりちゃん、あんりちゃんの横に環奈ちゃんが座った。
「環奈ちゃんって運動とかしてたの?」
「はい、バスケットボールをやってました」
なるほど……。
環奈ちゃんは背も高いし、上手だったんだろうなと思う。なんとなく、スポーツが上手そうなイメージはあった。
「大学ではやらないの?ほら、サークルとか」
あんりちゃんがケーキにフォークを刺しながら聞く。
「やらないですね、もういいかなって。バイトに時間使いたいですし」
そう言い終わると、ケーキが刺さったあんりちゃんのフォークが環奈ちゃんの口の前にいく。
すると不思議がる事もなく、パクリと環奈ちゃんがあんりちゃんのケーキを食べた。
流れるような出来事に驚く暇もなく会話は続く。
「大原さんはスポーツは何かしてましたか?」
「わ、わたし?わたしは何もしてないかな。うん」
またあんりちゃんのケーキにゆっくりとフォークが刺さる。対して、環奈ちゃんはすごく早いペースでケーキを食べている。
なんだかフォークの行方が気になって、目が離せなくなってしまう。
「環奈ちゃんが行く大学はどこなんだっけ?」
「あんりさんと同じところです」
あんりちゃんのフォークに刺さったケーキは、今度はあんりちゃんの口に運ばれる。
相変わらず環奈ちゃんは自分のケーキをパクパク大きくと食べている。
「そうなんだ。じゃあこれから楽しくなりそうだね」
「騒がしくもなりそうですけど」
そう言ってあんりちゃんの眉間にシワがよる。
その眉間にシワが寄ったままあんりちゃんはまたフォークに刺したケーキを環奈ちゃんの口に寄せた。
するとやっぱり環奈ちゃんがパクリとあんりちゃんのケーキを食べた。
なんだかそのやりとりが面白くて、思わず吹き出した。
「ふふっ……。二人とも、恋人みたいだね」
「恋人、ですか?」
「え?……あっ!こ、これはですね、違うんです大原さん!」
環奈ちゃんが目をまん丸にして、あんりちゃんが慌てたように弁明する。
「これは、環奈がいつも食べるの早くて、それであたしのケーキを食べるから……それなら最初からって感じで」
「いいんだよ、大丈夫だからね」
「あんりさん、なに焦ってんですか?」
「環奈のせいでしょ!」
と言ってペシンと環奈ちゃんの肩を叩いた。
この二人良いコンビだなぁと見ていると、環奈ちゃんが「恋人と言えば」と切り出す。
「今日、山本さん見ましたよ。知らない人と一緒に歩いてたので、話しかけれなかったんですけど」
ドキリとする。
最初の言葉が気になって、でも表情は変えずにそれとなく聞き返す。
「そうなんだ。でも恋人と言えばって、どういう意味?」
「その知らない人と手を繋いで歩いてたから、あんりさんと見て、なんか恋人みたいですねって話してたんですよ」
頭が真っ白になり、言葉を失う。
けれどすぐに、胸に刺さった刃から血が広がり染み込むように、徐々に白から燃えるような赤に変わっていく。
なんで、どうして?
答えの出ない疑問が次々と浮かぶ。
「でも、多分気のせいだと思いますけどね。友達同士だって普通に手を繋ぐ事もあるし、そういうこともあるんじゃないですかね?」
「私達も手、繋ぎますもんねー」
「ま、まぁね。って恥ずかしいからやめてよ!」
二人の掛け合いも頭に入ってこない。
緊張で震えそうになる手を抑える。
うん、きっと何かの間違いだと思う。
だって、そんなことあるはずない。
綾香の恋人はわたしで、あの綾香が浮気なんてするはずない。
そもそも綾香と南條さんとの会話だって、聞いたことがあるし、そんな関係じゃない事は分かっている。
けれど。
「大原さん?」
あんりちゃんに声をかけられて我に返る。
いけない。
どんどんと不安の沼に沈んでいくのをやめて返事をする。
「ごめんごめん、ちょっと考え事してたよ。そう言えば綾香、今日は友達と会うって言ってたから、多分友達だと思うよ」
というと、環奈ちゃんはつまらなさそうに、あんりちゃんはどこか安心したような顔をした。
話題は変わって会話は続く。
けれども、どんな話も頭を通り過ぎてしまう。
「ごめん、わたしこれから用事があるから、そろそろ帰るね。二人はゆっくりしててね」
と、綾香のことが気になって二人と楽しくおしゃべりできる自信が無くなり、わたしは早めに席を立った。
家に帰ると、買ってきた紅茶もカバンもテーブルに投げてソファへなだれ込む。
綾香が南條さんと手を繋いでいた。
なんでだろう。
もしかすると、綾香にとっては友達と手を繋ぐ事はさして特別な事じゃないのかもしれない。
でも。
そうだとしても。
私と付き合っている今、友達とそういう事を平気でするだろうか。
分からない。
考えても答えは出ない。
わたしの心にある、嫉妬心が醜く燃える。
綾香はわたしの恋人なのに。
わたしだけのものなのに。
時計を見ると夕方で、夜ご飯前には綾香が帰ってくる。
わたしは綾香に、聞けるだろうか。
この嫉妬心を隠したまま、平然とした顔で聞けるのだろうか。
大きく息を吐く。
とりあえず今は、晩御飯を作らないと。
そう言い聞かせて、重たい体を無理矢理起こしてキッチンへ向かった。




