第23話 佐知子の憂鬱
明日という日が滅亡してしまえばいいのに。
日付が変わるのを何としてでも阻止したい。
それかわたしの存在が明日だけ無くなってしまってもいい。
わたしはキッチンでの仕事をこなしながら、そんなバカバカしい事ばかりを考える。
今日は綾香が早番で、わたしが遅番だった。綾香はさっき仕事が終わって一足先に帰ったから、余計にどうしようもない事を考えてしまう。
憂鬱だ。
明日は綾香が南條さんと遊びに行く日。その夜はわたしの家に来てくれることになっているけれど、上手く出迎える事ができるか不安だ。
南條さんの話になると、わたしはどうしても笑えなくなってしまう。
原因は分かっている。
嫉妬以外の何物でもない。
南條さんは綾香の旧友で、ただの友達だ。
頭では理解していても、わたしと綾香が同性同士で付き合っている以上、同性の友達の存在はやっぱり心配になってしまう。
それだけじゃない。
南條さんは、わたしの知らない綾香を知っている。そして今尚その時の綾香を引き出すことができる。
その事実がどうしようもなくわたしの心に潜む嫉妬の炎に火を焚べ続けている。
それに……、元旦に綾香に掛かってきた電話の内容も私を落ち込ませた。
ずっと一緒だって約束したとか、私の声が聞きたくなっちゃった?だとか。綾香も電話している時すごく嬉しそうだった。
友達同士の冗談だって事は理解できるけれど、付き合って一日目にその会話を聞いてしまうとやっぱりショックだ。
わたしの綾香。
わたしだけの綾香でいて欲しい。
……そんな事を言っても幸せになんてなれないことは分かっているけれど、それでも独り占めしたいとわたしの心が言っている。
友達は必要だし、それを許さないのはあまりにも理不尽だと思う。だから綾香にはなにも言えないし、これからも言うつもりはない。
けれど、じゃあこの私の醜く燃え広がり続ける炎は一体どうしたらいいのだろう。
わたしの心が朽ちるまで燃やし尽くさなければならないのだろうか。
「大原ちゃん、どうかした?」
店長に顔を覗かれて、ハッとする。
「大丈夫です、すみません」
「……綾香ちゃんと、何かあった?」
心が読まれているような気がしてドキッとする。
平静でいよう。
「いえ、何もないですよ?仲良しです」
「そっか。まぁ、何かあったらいつでも相談乗るからさ。なんでも言ってよね」
「ありがとうございます」
なるほど……。こんな感じで綾香は店長に相談に乗ってもらったんだ。
店長、すごいなぁ。
わたしの悩みも、もしかしたら解決してくれるかもしれない。
けれど、今はもっと自分に向き合わないとダメな気がするから。それでも我慢できなくなったら相談してみようかな。
仕事が終わっていつもの道を歩く。
今日は一人で交差点を曲がり、路地へ入ると家が見える。
階段を二階へ上がって一番奥の部屋。
鍵を開けて家に帰ると、「ただいま」と声を掛ける。返事は無い。
わたしはタバコに火をつけて、電気ケトルに水を入れる。
タバコを吸って、ふぅと吐いた煙が換気扇へ吸い込まれていく。
スマホを鞄から取り出して綾香に帰宅のメッセージを送ると、すぐにスマホが光ってメッセージの返信が来た。
ビデオ通話してもいい?の返事に、いいよ。と返す。
すると、程なくしてスマホが鳴った。
「お疲れさまー、サチ。今大丈夫だった?」
スマホの画面いっぱいに綾香が映っていて、仕事の疲れが吹き飛ぶ。
「大丈夫だよ、今タバコ吸ってたところ。どうしたの?ビデオ通話なんて珍しいね」
「ちょっと相談がありまして……」
「任して、なんでも相談に乗るよ」
そう言ってワザとらしく胸をポンと叩く。
すると綾香が映っていた映像が外側カメラへ切り替わる。
そこにはベッドに並べられた二種類の洋服のコーディネートが並べられていた。
「私明日さ、岬に会いに行くでしょ?それで、何着ていったらいいかなーと思って電話したんだ」
「……え?」
胸がざわつく。
え、なんで?
南條さんと遊びに行く服を、わたしが?
「ほら、この前街でバッタリ会った時さ、岬すごいおしゃれだったから。サチが選んでくれたら嬉しいなーと思ったんだけど、どうかな?」
タバコを吸い、ゆっくりと煙を吐き出す。
よく考えれば、わたしが選んだ服を南條さんとのお出掛けに着ていってくれるって事だよね。
たとえ微かでも、わたしの痕跡も一緒に連れて行ってくれるならその方がいい。
「分かった、いいよ。その二種類で悩んでるの?」
「そうなんだけど、どう思う?」
せっかくなら丸々わたしのコーディネートにしたいと思い、クローゼットの中の洋服も見せてもらう。
その中から選んでコーディネートが決まった。
白いブラウスの上にネイビーのスウェット、そしてデニムパンツ。アウターは腰丈の黒いウールのブルゾン。
シンプルだけれど、綾香の良さが存分に伝わるコーディネートだと思う。
「ありがとう、じゃあ明日はこれで行ってくるね。それで、あの、サチも明日休みだよね?」
「そうだよ?」
「だったらさ……今日、今から会えないかなーって。サチの家に泊まりたいなーって、思うんだけど……ダメ、かな?」
ダメなわけがない。
けれど、わたしは明日、笑顔で家から綾香を送り出せるだろうか。
でも、会いたいと言ってくれる今の綾香の気持ちが嬉しくて、どうしたってわたしに断る選択肢はない。
「いいよ、わたしも綾香に会いたい。でも今からだと少し心配だから、わたしも交差点まで迎えに行くね」
「もう、大丈夫なのに。でも、ありがとう。それじゃ、今からすぐに準備して行くから」
そう言って電話を切った。
わたしは二本目のタバコが吸い終わる頃に電気ケトルの水を増やして、玄関を出た。
「いらっしゃい、綾香」
先に玄関へ入り、クルッと後ろを向いて綾香を招き入れる。
「おじゃまします」
帰ってくる時に二人でコンビニで買ったシュークリームをテーブルに置いて、コートを脱ぐ。
綾香をソファに座らせると、やっぱり白猫のぬいぐるみで遊び始めた。
戸棚から紅茶を取り出して、既に沸騰していたお湯と一緒に透明なガラスのティーポットへ入れる。
お気に入りのティーカップを二客用意して、トレーに乗せてテーブルまで運ぶと、綾香がテーブルの椅子に座った。
「ありがとう、サチ」
「いいよ、じゃ食べよっか」
二人で「いただきます」と言ってシュークリームを食べる。
「明日、何時に出るの?」
「お昼前かな。ランチ食べに行って、その後カフェに寄って帰るって感じかなー」
「そっか。なら夜ご飯作って待ってるね」
「え、いいのー?ありがとうサチ」
私も綾香とランチに行ってカフェでまったりと過ごしたい……。明日、隣にいるのが私だったらどれだけ嬉しいだろう。
そんな事を考えながら、甘いカスタードがたっぷり入ったシュークリームを口に入れた。
お風呂を出て髪を乾かしリビングへ行くと、綾香がソファでくつろいでいたのでわたしも横に座った。
「綾香、明日楽しみ?」
「うん、楽しみだよ。久しぶりだから、ちょっと緊張もするけど」
返事をする綾香の手を握る。
「南條さんって、結婚とかしてるのかな」
「えっ、どうなんだろう……。分かんないや。どうして?」
言ったらダメだ。
心の中にある炎の一端が漏れ出そうになるのを飲み込む。友達に嫉妬してるなんてバレて、綾香に重いと思われたくない。
「いや、なんとなく、気になっただけ」
「まぁでも、前も言ったけど岬すごく綺麗になってたから、恋人くらいは居るかもね」
すごく綺麗になってた……か。
胸が痛くなる。
この言葉が出てくるなら、結婚してるかなんて聞かなければよかったと後悔する。
よく考えたら、結婚してたって関係ないかもしれない。わたしだって女性を好きになったのは初めてだったわけだし。
気持ちの置き所が分からない。
どうしたってずっと考えてしまう。
「ねぇ、サチ……。キス、しよ?」
「綾香。うん」
このままこの部屋に閉じ込めておきたいと思う。綾香はわたしだけの綾香でいて欲しい。
その恥ずかしそうにねだる顔も、可愛い笑顔も、楽しそうな顔も、真剣な顔も。どんなサチも。
全部、この部屋に繋いでわたしだけのものにしたい。
でも、そんなことは出来ないし、嫌われたいわけじゃない。
だからせめて、わたしを。
わたしの微かな痕跡だけでも、一緒に連れていって欲しいと思う。
コーディネートした洋服なんかじゃない。
確かにわたしが残したものを、纏っていてほしい。
繋がった唇を離し、首筋に唇をつける。
何度もついばむようなキスをしながら、綾香の着ているパジャマのボタンを外していく。
上から一つ、二つ、と外すと胸元がはだけた。
ゆっくりと手を差し入れ、綺麗な鎖骨を撫でる。指を這わすように触ると、綾香がわたしの腰に手を回した。
「ねぇ、綾香。ここにわたしの痕、付けてもいい?」
「ど、どうして?」
「……なんとなく、そう思っただけ。ダメ?」
「見えない所だったら、いいよ」
本当は誰からも見える場所につけたい。
綾香はわたしのものだって、そう主張するような痕を付けたいと思うけれど、ダメなのはわたしだって分かってる。
「どうして見えるところじゃダメなの?」
分かっているけれど、意地悪な事を聞いてしまう自分が嫌だ。
「だ、だって仕事もあるし……明日は岬と会うし」
「南條さんに、わたしと付き合ってるって言わないの?」
こんなことを聞きたかったわけじゃない。
言わない事は分かってる。
わたしだって、友達にわざわざ言わないと思う。
それでもわたしとの関係を言ってほしいどうしようもない自分が顔を出してきて、抑えきれない。
「い、言わないよ」
「なんで言わないの?わたしが恋人なの、恥ずかしい?」
「そんなことない。恥ずかしいなんて思ってないし、そういうこと言わないで。……どうしたの?サチ、なんか変だよ」
「そうだね、変だよね。……じゃあここに痕付けるね」
そう言って、指で撫でていた鎖骨より少し下に唇をつけた。
「サチ」
名前を呼ばれ抱きしめられる。
強く吸って離れると、しっかりと赤い痕が付いた。その部分を指でなぞると、綾香はわたしのものだと主張しているような気持ちになる。
「はい、できた。キスマーク、嫌じゃなかった?」
「うん、嫌じゃないよ。サチ、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ。ごめんね変なこと聞いて。できれば、忘れてほしい」
そう言って、綾香を強く抱きしめた。




