第21話 続・大晦日記念日
薄暗い部屋の中、優しく触れるだけの一瞬は、それでも長く感じて私の心に今日という日を刻みつけた。
顔を見合わすと赤くなったサチの顔が近くにあり、大きくて綺麗な瞳を見つめる。
このキスって……つまり、そういう事だよね?
大好きだよって言ってくれたサチを、信じてもいいんだよね?
疑っているわけじゃない。
けれど、私が誰かに好かれるはずなんてないという先入観が足枷になって、信じる為の一歩を踏み出す事が出来ない。
……この先の言葉を、私の願いを。
もう、サチに伝えてもいいんだよね?
返事の返ってこない問いを心に投げる。
一言でも何か口に出そうと思うけれど、それでも私の声は言葉にならずに喉の奥に帰っていく。
早く、何か言わないと。
せっかく今、想いを伝えるチャンスなのに。
緊張して迷っていると、優しい声が響いた。
「綾香、わたしと恋人になって……くれませんか?」
夢、じゃない。
ほっぺたをつねりたくなるけれど、思うように体が動かない。
本当に、現実なんだよね?
……私なんかが、こんなに幸せになってもいいのかなぁ。
気持ちが溢れて、胸に詰まっていたものが流れ出るように、涙がこぼれた。
肺から息を絞り出すように、固まった喉を震わせるように口を開く。
「うん、私と……恋人に、なってください」
そう答えると、サチは優しく笑ってくれた。
その笑顔が好きで、ずっと憧れていた。
いつも悪い癖だと叱り、私を酷く詰り続けた声の主を探す。
けれども今、その得体の知れない虚像は、もうどこにも見当たらない。
心の中の、傷だらけだった私が。
ずっと小さくなって、隅っこに追いやられていた本当の私が。サチのような柔らかな笑顔で泣きながら、もう大丈夫だよって言ってくれた気がした。
今度は私から、精一杯の想いを込めてキスをする。
唇はすぐに離れたけれど、またすぐにさっきよりも強く押しつけられる。
嬉しくて、愛おしくて、気持ちがいい。
私はそのキスに応えるように、背中に手を回して強く抱きしめる。
互いの想いを確かめ合うように何度も、何度もキスをする。
唇を強く、弱く押し付け合うキスを続けていると強く抱きしめられ、ふいにサチの舌が私の唇に触れた。
口を薄く開けると、隙間をこじ開けるようにサチの舌が私の中に入ってくる。
舌先が触れ合う。私も応じるように舌を少し動かすと、絡め取るように口の中でサチの舌が動いた。
気持ちがよくて、頭がぼんやりとしてくる。
心臓の音が聞こえてしまうのではないかと思うほど、うるさく鼓動し続ける。
上手く呼吸が出来なくて苦しい。
それでも私達の舌は重なり合い、求め合うように動く。
短かったのか、長かったのか。
どれくらいの時間そうしていたか分からないけれど、私の中からサチの舌が消えた後も二人で抱きしめ合った。
***
サチが紅茶を透明なティーポットから、イチゴの花柄が描かれた綺麗なカップに入れてくれる。
それを見て、初めてサチの家に泊まりに来た日を思い出す。
なんだか恋人みたいだなって思ったんだっけ。
そんなに前じゃないのに、懐かしく感じる。
テーブルに座ると、正面にサチも座った。
外は雪が降りそうなくらい寒いけれど、部屋は暖房が効いていて暖かい。
淹れたての紅茶を少し飲むと、今まで一番美味しい紅茶だと思った。
「ね、綾香はさ。いつからわたしの事を好きだって思ってくれていたの?」
こんな話を、いつか好きな人としてみたいって思ってた。嬉しくなって、つい頬が緩む。
「多分……、聞いたらびっくりするよ?」
「じゃあ、心構えするね」
といって、サチはふふっと笑う。
「あのね、私たち幼稚園から中学三年生まで一緒だったでしょ?」
「え?うん、そうだね」
「その間、ずっとサチの事が好きだった」
「えっ?!そうなの?知らなかった……」
サチの驚いた顔が見れた。
本当にどんな表情も綺麗だな、と思う。
「そうだよ。私の初恋は、さっちゃんなんだ。幼稚園の頃ね、親にさっちゃんと結婚するって言ってたんだよ?」
「そうなんだ……。本当に嬉しい」
「まぁ、結局一回もさっちゃんってサチに呼んだことなかったんだけど。話すことだって出来なかったしね」
あの頃の私は、サチと恋人になれている今の私を見てもきっと信じないだろうな。
「そっか。綾香。想い続けてくれて、本当にありがとう」
「私の方こそ。好きになってくれてありがとう。サチがね、うちのレストランに入ってきた時、心臓が止まると思ったんだから」
大袈裟に胸を手で押さえて重大さを伝える。
「でも、わたしもびっくりしたよ?あ、山本さんだーって」
「いやいやいや。私は運命の出会いだと思ったからね。本当に。それでね、その。前にさ千秋さん、えと店長とカフェに行った話をしたでしょ?」
私はブラックコーヒーを、千秋さんはすごく甘そうなキャラメルシロップが乗っているラテを頼んで、二人で笑い合った日。
「うん、あったね。悩み相談をしたって言ってたっけ?」
「そう。その時ね、実は千秋さんにカミングアウトしたんだよね。すごく親身になって話を聞いてくれて。だから、千秋さんは私がサチの事を好きなの知ってるんだ」
「そっか、そうなんだね。……あのね綾香、一つ聞きたいんだけど、いいかな?」
大きな瞳が私を伺うように見る。
そして、小さく息を吐き、もう一度私を見つめた。
「綾香は、その。昔から女性だけが恋愛対象なの?」
まぁ、それは気になるよね……。
って言うか、私もサチがどうなのか気になってきた。前に結婚してたって言ってたけど……。
「そうだよ。私はレズビアンだから」
胸がチクリと痛くなる。
相手が恋人のサチだったとしても、自分がマイノリティだと改めて告白するのは勇気がいる。
「そっか、そうなんだね」
「って言っても、恋人が出来たのはサチが人生で初めてなんだ。だから私分からない事だらけで、もし間違った事しちゃってたら教えてね?」
そう言った瞬間、サチの顔がすごく嬉しそうな表情に変わった。
「うん。二人で一緒に幸せになろうね」
紅茶を飲むサチを見て、気になったことを聞こうか迷う。
今まで恋人は男性だけだったのか。女性とも付き合った事があるのか。
それだけじゃなくて、聞かなくてもいい事、知らなくてもいい事まで頭の中に疑問が浮かんでくる。
でもとりあえず一つだけ。
「サチはさ、今まで女性と付き合った事あるの?」
「ないよ。そもそも女性を好きになったのだって、綾香が初めてだしね」
そっか、そうなんだ。
それなのに、キスをしてくれて、告白もしてくれたんだ。サチはすごいな。
そんな事を考えながら私も紅茶を飲み干した。
晩御飯を食べてお風呂に入りソファでのんびりしていると、お風呂から出てきたサチがまたキャンドルウォーマーをセットし始めた。
前と同じラベンダーのキャンドルだ。
「綾香、電気消していい?」
「うん、いいよ」
電気が消えて、キャンドルウォーマーの仄かな明かりだけが灯った。
私の隣にサチが座る。
「もう、今年が終わっちゃうね」
時計を見ると十一時五十五分を指していた。
「そうだね。今年は最高の大晦日になったよ。綾香のおかげだね」
「こっちこそだよ。サチと出会えて良かった」
二人で顔を見合わせて、ふふっと笑う。
なんだか、キャンドルウォーマーの灯りも相まって雰囲気がとても良い。
またサチとキス、したいな。
「あのさ……サチ」
「どうしたの?」
私はサチの手を握る。
なんか恥ずかしくなってきた。
「いやー、なんて言うか、うん。またしたいなって言うか……」
「ん?ちゃんと言ってくれないと分かんないよ?」
サチは意地悪だ。
絶対分かって聞いてきてるよね。
「いや、だから、あの。キ……キスしたい。って言うか」
サチが優しく笑う。
「ふふっ、偉いね。ちゃんと言えたね、綾香」
サチの手が優しく私の頭を撫でて髪を梳く。誰かに頭を撫でてもらうのがこんなに心地いいなんて、サチに出会うまでは知らなかった。
髪を撫でた手はそっと私の首に触れて、それから滑るように肩を掴む。
綺麗な顔が近付いてきて、私は目を閉じた。
唇が触れ合う。
それだけでも気持ちが良くて、私はサチの体を抱きしめる。
何度も触れ合わせるようにしていると、私は肩を優しく押された。
キスを繰り返したまま、ソファに倒れ込む。
ゆっくりと、でも唇を強く押し付け合っていると、サチが舌を唇の隙間から入れてきた。
心臓の鼓動は早くなり、音を鳴らす。
舌先が触れ合って、そして絡め合わせるようにキスをする。
呼吸がしにくく苦しいけれど、やめてほしくない。ずっとサチを感じれるようで、嬉しくなって私は強く抱きしめた。
私の中にある温かいサチの舌が抜けて、もう一度触れるだけのキスをして離れた。
「サチ……これ、ちょっとヤバい、かも」
「うん、わたしももっと綾香とキスしてたい」
サチが私の唇を指でなぞる。
ふと横目で時計を見ると、針は十二時を少し過ぎていた。
私は慌てて起き上がり、サチに向かって正座をする。
「ど、どうしたの?綾香」
「あの、あけましておめでとうございます」
そう言ってお辞儀をすると、
「ふっ……アハハハハっ」
とサチが珍しく声を上げて笑った。
「え?なんで笑うのさー」
「いやいや、だって……アハハハっ」
「わ、笑いすぎだって。もう」
「あー、面白いね。あけましておめでとう、綾香……ふふっ」
そんなに笑われる事したかなー。
でも、こんなに笑うサチの顔が見れて良かったと思う。
なんだかその笑顔は、遠い昔に眺めていたあの快活な笑顔そっくりで。
今ハッキリと、幼かったあの時の面影と繋がれた気がした。




