第20話 大晦日記念日
ガサガサと大きな袋を持ちながら玄関の鍵を開けて扉を開き、まだ誰もいない部屋に「ただいま」と声を掛ける。
返事の無い部屋を見て、いつもなら少し寂しいなと思うところだけれど、今日は違う。
なぜなら今日は大晦日で、これから四日間仕事は休み。そしてこの四日間を綾香と一緒に過ごすと決めているから、すごく楽しみだ。
近所のスーパーで買ってきた食材や飲み物を冷蔵庫へ入れ終わると、エスプレッソマシンを起動してマグカップを置きボタンを押す。
豆を挽く音や機械が動く音がして、コーヒーが垂れ落ちてくる。一息つこうと換気扇を付けてタバコを取り出し、火をつけた。
すぅっとタバコを吸い、ゆっくりと煙を吐き出す。入れたてのコーヒーを飲みながら、一昨日の出来事を思い出す。
あの日、わたしと綾香は抱きしめあった。
あれは友達としての範囲を超えた行為だったと思う。なんて言うか、恋人同士がするようなハグだった。
綾香に後ろから強く抱きしめられて、つい抱きしめ返してしまい、その後も何度か抱きしめ合った。
それに加えて、これからもお互い気軽に抱きしめ合える権利までついてきてしまった。
自分からいつでもいいよって言っておきながら、でもあんなに濃厚なハグを何度もしていたら理性が持つ気がしない。
と言うか、既に理性はほとんど溶けきっていて、綾香が離れなかったらわたしはあのままキスしてしまうところだった。
でも酔った勢いとはいえ、綾香からあんな大胆な事をしてくるとは思わなかったなぁ。
完全に油断してた。
いつもわたしからアプローチするばかりだったから、どうしたって胸が張り裂けそうなくらいドキドキした。
あの時、どうして綾香はわたしに抱きついてきたんだろう。あのままキスしてしまっていたら、どうなっていたんだろう。
もしかして、綾香はわたしに恋愛感情を持ってくれているんだろうか。
なんて、そんな事を考えてしまう。
確かめたい。
確かめて、私の気持ちを伝えたい。
けれど、下手に早まった事をしてわたし達の関係が壊れてしまうのは嫌だ。
もっと綾香が私の事を好きなんだっていう確証が持てれば良いのだけど。
うーん、どうしたら……。
それより、もう少しすると綾香が来るはずだから、お昼ご飯を作って待ってよう。
考えていた事を振り切るようにタバコの火を消して、食材を入れたばかりの冷蔵庫を開き、ハンバーグの材料を取り出した。
料理をしているとチャイムが鳴った。
「はーい」と大きめな声を出して玄関へ行く。
扉を開けると、大きなリュックを背負った綾香がいた。
「いらっしゃい、綾香」
「今日から四日間よろしくね、サチ」
「うん、こちらこそ」
部屋に入ってソファに座ってもらうと、やっぱり綾香は白猫のぬいぐるみを抱っこして手をパタパタと動かし始める。
可愛い。
私たちはお互いをいつでもハグできる権利を持っている。綾香は今来たばかりだけれど、もうその権利を行使したくなる。
いや、私からしたらダメだ。
綾香からして欲しいし、綾香の気持ちをもっと知りたい。
酔ってなくても、綾香からハグしてくれると嬉しいんだけど。
わたしは料理を終えて、テーブルに並べる。
「わっ、ハンバーグだ!美味しそう。ありがとうサチ」
「うん。じゃあ、食べようか」
いただきますと二人で言って、ご飯を食べる。
うん、上手に出来たかな。
「サチー、ハンバーグめっちゃ美味しい!今度作り方教えてね」
「いいよ、今度は二人で作ろうね」
綾香から褒めてもらえると、すごく嬉しい。
好きな人に料理作るのって良いな。もっと色々勉強して、美味しい料理いっぱい作れるようになろうっと。
ご飯を食べたあとは二人で片付けをしてソファに並んで座り、これからみる映画を二人で選ぶ事にした。
「綾香、観たい映画とかある?」
「前回はホラーだったから、今回は恋愛モノとかどうかな?普段、そーゆーの観たりする?」
前回のホラー映画はなんと言うか、綾香に近づくための口実だったから……なんて言えないけれど。
「全然観るよ。なんならそーゆーのしか観ないくらい」
「なら、これにしない?」
二人の男女が抱き合いながらキスをしている映像が流れている中、チラッと横目で綾香を見ると、目が潤んで涙がこぼれ落ちそうになっている。
感動してる綾香も可愛い。
でも、できれば二人で寄り添って観たい。
……寂しい。
綾香の気持ちを少しでも知りたくて、なにかしてくれるのを待っているけど、何もない。
もしかして本当にわたしの勘違いで、綾香は一番の友達としか思っていないのかもしれない。
……少し近づいてみる。
肩と手が触れ合うと綾香と一瞬目が合ったけれど、綾香は映画が流れているテレビの方へすぐに向き直した。
手を繋ぎたい。ハグもしたいし、もっと言えば……キス、もしたい。
一緒にいると、綾香に積極的に触れたくなる。
けれどエンドロールが流れ始めて、映画は終わりへ向かう。
……残念。でもまぁ、まだ連休は始まったばかりだし、また映画見ればいいよね。
それまで何もなかったら、次はもう我慢できる気がしないけど。
「綾香、映画どうだった?」
「えっ?あ、あぁ……うん!面白かったよ」
「そっかぁ、わたしも結構好きだった」
本当は綾香ばっかり見てて、あんまり内容入ってこなかったけど。
「ねぇ……サチ」
「どうしたの?」
「手、繋いでもいい?」
エンドロールはまだ流れている。
音楽も鳴ってはいるが、いきなりの綾香からの誘いに鼓動が早くなり、耳には入ってこない。
「もちろん、いいよ」
そう言うと綾香の手が優しく重なり合い、ゆっくりと指と指を絡ませてきてお互いに握り合った。
最後の最後に手を繋いできてくれるとは思わなかった。しかも恋人繋ぎだし、嬉しい。
エンドロールが終わり、映画を選ぶ画面に切り替わる。
まだ夕方にもなっていないけれど、カーテンを閉めて電気を消しているので部屋は薄暗い。
綾香を見ると下を向いていて、顔がよく見えない。どんな顔をしているのか知りたい。
でも、話しかけると手が離れていってしまいそうだとも思う。
「綾香……?」
それでも気になって声を掛けると、パッと手が離れた。
あぁ、やってしまったな……。
そう思った瞬間、綾香の顔が上がりジッとわたしの顔を見てきた。どことなく薄っすらと顔が赤くなっている気がする。
「綾香、どうしたの?」
と聞くと、ゆっくりと近付いてきて、そっとわたしを抱きしめた。
良かった。
また綾香から抱きしめてくれて、嬉しい。
わたしの鼓動は早いままで、でも心から安心していた。
だからって、綾香がわたしの事を好きって決まった訳ではないけれど。
綾香は優しく、でもしっかりと私の体を抱きしめてくれていて、私も綾香の背中に手を回して抱きしめ返す。
「ね、綾香。どうしたのいきなり?」
可愛くて、つい意地悪な事を聞きたくなってしまう。
「え……あ、いや、ご……ごめん」
「えぇ?どうして謝るの?」
「いきなりで、やっぱり、ダメだったかなって思って」
勇気を出して抱きしめてくれたんだね。
本当に嬉しい。
「ダメなわけないでしょ?いきなりでも良いって言ったの、わたしだよ?」
「そ……だね。うん、なら良かった」
「映画観て、ギューしたくなったの?」
「……うん」
どうしよう、気付いてしまった。
あの恋愛映画を見てハグをしたくなったって事は、綾香もこれが友達としてではなくて、恋人同士でするようなハグだって分かってしてきてるって事だよね……?
心の中に閉じ込めてある理性の箱ごと無理やり壊されるような感覚がする。
少し力を込めて綾香を強く抱きしめると、綾香も同じように返してくれる。
綾香の髪をそっと耳にかけて、囁くように耳打ちする。
「ねぇ、それってどういう事?」
知りたい。
もっと綾香の気持ちを教えて欲しい。
「な、なにが?」
「どうしてあの映画を観て、ギューしたくなったの?」
「えっ、いや……それは……。べ、別に?なんとなくだよ、なんとなく」
わたしの中の理性はほとんど溶けかけていて、気持ちがポロポロとこぼれてくる。
「なんとなくかぁ。わたしはあの映画のカップルを見て、羨ましいなー、わたしも綾香とギューしたいなーって、思ってたよ?」
「えっと……そう、なんだ」
「綾香は違った?」
「私もそう、かも」
「一緒で良かった」
背中に回した手でゆっくりと綾香の体を撫で、背骨に沿って手を上下に滑らせる。
隣り合っていたお互いの頬は既にくっ付いていて、綾香の顔が熱くなっているのが分かる。
そう言う些細な反応でも嬉しくなってしまう。
わたしとの触れ合いで綾香の顔が赤くなっているのだと思うと、たまらなく愛おしくなって綾香の綺麗な髪に指をとおし頭を撫でる。
するとふんわりとシャンプーと綾香の香りが混ざったいい香りがして、私の気持ちが綾香と混ざり合うような気がした。
もっと触れたくなって、わたしは綾香の耳をゆっくりと指でなぞる。耳のふちから耳たぶまで触り、強く押す。ピアスの穴が開いていない無垢な耳は柔らかくて、頬と同じように少し赤くなっている。
耳をなぞる度にわたしを抱きしめる腕に力が少し入って、嫌がってない事が分かり安心する。
どうしよう。
我慢できない。わたしはもうわたしを止められない。
綾香とキスをしたい。
キスだけじゃない。もっともっと、綾香に触れたいし、触れられたい。
心臓はドクドクと音を立てて耳を鳴らし、頭は緊張でぼんやりとしてくる。
抱きしめあっていた体を少し離し赤くなっている頬を撫で、見つめ合ったまま綾香の手を取り同じようにわたしの頬に手を当てる。
「わたしも、赤くなってる?」
「……うん。サチの顔、真っ赤だよ」
頬の手は輪郭を伝ってゆっくりと滑り、綾香の唇に指先で触れる。
優しく撫でると唇の柔らさを感じて、胸が高鳴った。
そして溢れ出る気持ちは言葉に変わる。
「綾香……わたしね、綾香が大好きだよ」
「……私も、サチの事が、好き」
私の想いは心の中から部屋中に溶けきって、綾香の気持ちと混ざり合う。
唇を撫でていた手を離しゆっくりと綾香の顔に近づくと、そっと目を閉じてわたしは綾香にキスをした。




