第13話 あんりフレーバー
十二月も折り返しになる頃、この街には初雪が降っていた。
一月や二月に降る雪のように視界を覆うほどではなくチラチラとしたささやかな雪は、毎年どこから湧き上がってくるのか分からない少しの嬉しさと、いつにも増して寂しさが加速するような気持ちが混ぜ合わさった感情になる。
あたしは大学でいつものパックのジュースをストローで飲みながら、雪を横目に愚痴をこぼす。
「あーあ、やたら寒いとは思ってたけど雪降っちゃった」
「あんり雪嫌い?」
あたしと同じパックのジュースを飲んでいる友人の美紀が、ストローを咥えてスマホを見ながらどうでも良さそうに返事をした。
「いや嫌いっていうか…。なんか訳わかんない気持ちになる」
本当の事を言えば、人肌恋しさが一段と強くなる季節で、でもそれを言うと美紀に揶揄われそうで言うのをやめた。
「あーね。人肌恋しいみたいな?」
「殴るよ」
飲みかけたジュースを吹き出しそうになりながらも、なんとか飲み込んだ美紀に笑われる。
「図星かよ」
「悪いかよ」
また思い切り笑われて、美紀を睨む。
でも、そうやって私を腫れ物扱いせず、普通に接してくれる美紀は優しいと思うし、感謝もしている。
ジュースを飲み干してゴミ箱に入れたら、バス停まで歩く。
美紀と帰りが一緒になる時は大体そうしている。
その後駅に着いてからは、あたしがバイトへ行ったり、美紀が彼氏とデートに行ったり、二人で買い物をしに行ったりと様々だ。
今日はあたしはバイトで、美紀はデートらしい。
「それで?この冬はその人肌恋しさは解消できそうなの?」
「いやできないでしょ。普通に無理」
「ふーん…」と言いながらスマホを見ていた美紀がこちらを見る。
「綾香さん、誘ってみなよ」
急に綾香さんの名前を出されたのでドキッとする。
それはもちろん考えてない事もない。
前に大原さんを含めて三人で綾香さんの家へ女子会をしに行ったのはもう二ヶ月くらい前になるし、そろそろ遊びに誘いたい。
何か良い口実があれば、とは思うものの今だ誘えずにいる。
そして、誘いづらい理由がもう一つ。
「そうなんだけど。でもね…」
「え、なに?」
「前に大原さんって人が入ってきたって言ったでしょ?すごく綺麗な人。その大原さんと綾香さん、めっちゃ仲良いんだよね」
「うん」
「お互いの家も近くって、しょっちゅう家を行き来してるらしくて…」
言い淀む。なんだか悲しい気持ちになってきて目を逸らすと、美紀があたしの頭を優しく撫でてきた。
「それで?そんなの関係ないじゃん。大原さんと綾香さんは別に付き合ってるとかじゃないんでしょ?」
美紀はハッキリと、でも優しさを感じる声で言う。
「まぁ、そうだと思う。でもすごく大人の二人って感じがしてきちゃって、間に入るのに気後れする。だからどうしたら良いか分かんない」
最近、二人の距離がすごく近く感じる事がある。
休憩中とかにお互い肩を寄せ合って一つのスマホの画面を見ていたりするし、あたしが意識し過ぎているのかも知れないけど、二人で喋っている時はなんとなくお互いすごく嬉しそうな顔をしている気がする。
「その気持ちは分かる。でもとりあえず、声掛けてみなよ。二人きりじゃなくてもさ、他の人も誘ってまた女子会すれば良いじゃん。ね?」
「そっか、そうだよね。……ありがと」
「いいよ。あたしはあんりに幸せになって欲しいだけだから」
そういうと頭から美紀の手が離れ、あたしの頬をむにっと引っ張った。バス停には丁度バスが到着していて、二人でバスに乗り込んだ。
***
レストランへ着くと、さっきまでの憂鬱な気持ちを吹き飛ばして挨拶をする。
「おはようございます」
「あっおはようございます、あんりさん!」
元気いっぱいな声で挨拶を返してくれるのは後輩の環奈だ。
環奈は身長が高くあたしとは二十センチ以上の差があり、立って喋る時はかなり見上げるようになるのが悔しい。
「おはよう環奈、わざわざ立って挨拶しなくていーよ。いや、むしろ座ってて」
環奈は高身長なのに華奢でスタイルも良く、小顔でショートヘアがよく似合っている。しかも顔面も整っていて、まさに美少女だ。
羨ましい…。モデルにもなれるんじゃないだろうか。
荷物を置いて制服に着替えるために事務所兼休憩室の中にあるカーテンで仕切られた更衣室へ入る。
着替えているとふと女子会の話を思い出し、誘うメンバーを考える。
うちの職場は基本皆んな仲良いけれど、あんまり人が多いのもな…。場所を探すのも大変になりそうなので、頭の中で人数をグッと絞る。
綾香さんは絶対。あと大原さんと店長かな。あ、そうだ。環奈って来れるのかな…せっかくだし環奈の歓迎会も兼ねたい。
近くにあるテーブルに座る環奈にカーテン越しに声をかける。
「ねぇ、環奈」
「なんですか?」
ガタッと椅子がズレる音がして、返事と一緒に環奈が立ち上がったのが分かる。
初めて会った時はあたしの事を高校生扱いしたけれど(しかも低学年!)、こういう律儀な所は可愛いと思う。
「いや、座ってて良いから…。今度さ、環奈の歓迎会を兼ねて女子会したいなーって思ってるんだけど、来れない?」
「良いんですか?是非行きたいです」
良かった、来たくないって思われたらどうしようかと思った。
「おっけー、じゃ環奈決まりね」
「はい!」
クリスマス前後は忙しくなるからという事で、珍しく今度の土曜日はレストランがお休みだ。
だから予定が入ってなければ皆んな集まれると思うんだけど…。
着替え終わってテーブルで環奈と仕事内容の確認をしていると、綾香さんが休憩に入ってきた。
一瞬でわたしの目の前がキラキラして、心が躍る。さっきまで頭の中に積もっていた雪がすぐに解けだすのが分かる。
「綾香さん、お疲れ様です!」
「お疲れ様、あんりちゃん。今日も元気いっぱいだね。環奈ちゃんもおはよう」
綾香さんの柔らかい笑顔が環奈にも向けられ、環奈はやっぱりガタッと音をさせて立ち上がる。
「お、おはようございます!」
早速、土曜日の予定を聞いてみる。
「綾香さん、今度の土曜日ってここお休みじゃないですか。環奈の歓迎会を兼ねてまた女子会開きたいなーって思ってるんですが…何か予定とかありますか?」
すると宙を見て少し考えたあと、また柔らかい笑顔になって答えてくれた。
「ううん、何もないよ。私も参加しても良いの?」
良いに決まってる。なんなら元々それが目的の女子会なんだから、綾香さんが来ないと始まらない。もちろん、環奈の歓迎会も同じくらい大切だけれど。
それにしても、なんとか綾香さんとの予定が合って良かった。
「当たり前です。そういえば今日は大原さんお休みでしたっけ?大原さんも誘いたいんですが」
と言いながら本心と建前で正直複雑な気持ちだ。
大原さんの事は別に嫌いではないけれど、綾香さんとずっと一緒に働いてきた私を一気に飛び越えて、当然だと言わんばかりに綾香さんの隣にいるのがあたしの心をささくれ立たせる。
でも、メンバーを考えると大原さんにはきて欲しいし、きっとその方が皆んな楽しくなれるだろう。
「うん、今日はお休みだよ。私仕事が終わったあとサチの家に行くから、聞いてみておこうか?」
特別ではなく、あくまでも日常の中に大原さんとの生活が染み込んでいるかのような言い回しに、ひどく落ち込みそうになるのを堪える。
「はい、よろしくお願いします」
とあたしは平然を装って答えた。
***
「お疲れ様でした!」
「お疲れさま、環奈」
先に着替え終わっていた環奈の挨拶に返事をする。
あのあと店長にも土曜日の予定を聞いたら、どうしても外せない用事があるようで、参加者はあたしを含めて四人となった。
あとは場所だな…と着替えながらぼんやりと考える。
前回は綾香さんのおうちで集まったけれど、さすがに四人となるとお店か…、どこのお店にしようかな。
せっかく環奈の歓迎会も兼ねているのだから、環奈の食べたいご飯が出てくるお店にしたい。
着替え終わって、更衣室から出る。
「じゃ、帰ろうか。環奈」
いつものようにそう言うと、やっぱり元気な声で返事が返ってきた。
環奈とあたしは仕事が終わる時間が大体一緒で、乗る電車も同じだから、いつも途中まで一緒に帰っている。
「環奈さぁ、好きな料理って何?って言うか、土曜日何食べたい?」
「え、私に合わせて頂けるんですか?」
「うん、もちろん。せっかくだし、環奈の好きな美味しいご飯食べに行こうよ」
「ありがとうございます。あんりさんって意外と優しいですよね」
と、大真面目な顔をして一言余計な言葉がくっついて返事が返ってくる。
環奈は素直で、仕事も教え甲斐があるけれど、たまにこういう天然の無神経さがある。
初めて会った日だって、そもそも本当に私が高校生だったとしても、初対面の人にいきなり下の名前で、しかもちゃん付けで呼んだりは普通しない。
「あのね、意外とはいらないのよ。……あと、あたしってそんなに優しそうに見えないかな。自分じゃよく分からないから」
もし優しそうに見えないなら、あたしは環奈のためにもっと優しそうな顔をすべきだと思う。
そうじゃないと、環奈が働きにくくなって可哀想だ。
「いえ、そんな事はないですよ。ただ、初対面の時にいきなり怒られたので、怖い人なのかなって思ってて」
「ちょっ…だってそりゃ環奈がっ」
言いかけてやめる。
こういう所が良くないのかも知れない。
きっと綾香さんだったら、柔らかく笑って「そうだね、ごめんね?」って言うのかも知れない。
あたしはそこまで大人ではないけれど、落ち着いて心に綾香さんを宿す。
「まぁいいわよ。でも怖い人っていうのは訂正させてね。あたしは怖くないし、環奈に楽しく仕事して欲しいと思ってるだけなんだから」
「……やっぱりあんりさんは優しいです。今は全然怖い人だなんて思っていませんから」
「まぁそれなら良いけど。それで、環奈の好きな料理って何?」
地下街から駅に着くと、もう雪は降っていなかった。




