第12話 萌芽
小さくなっていく背中が路地に入るまで佇む。
本当はいつまでも一緒に居たくて家までついて行きたかったけど、逆に帰りの事を心配されても申し訳ないのでここまでにした。
綾香を家からいつもの交差点まで見送った道を、送る時より早いペースで戻る。
一人で歩いているとさっきまで気にならなかった寒さを感じる。
大通りから路地に少し入ると、住んでいる建物が見えてくる。階段を上がって二階。一番奥の部屋まで行って鍵を開ける。
部屋に入ると、私はついさっきチェストにしまった卒業アルバムをテーブルに持ってきて、七組のページを開く。
綾香と一緒に見た時と同じように、写真の上で指を滑らす。
……いた。
「南條 岬…」
綾香は、この人と久しぶりに会いたいと言っていた。
わたしが知らない綾香を知っている、綾香の一番仲の良かった友人。
その響きに、わたしは嫉妬した。
今では綾香にとって一番仲の良い友人はわたしだと思っているし、わたしにとっても一番仲の良い大切な人だ。
でも、もし南條岬とまた再会して綾香にとっての一番を取って代わられる事が起きるかもしれないと思うと、憂鬱になる。
わたしだって、話した事もなかった同級生という立場から今の関係性が築けた訳だし、元々仲の良かった、それも一番の友人だった人と再会してまた親友に戻るなんて事はとても簡単に起こり得る事のように思える。
わたしは、わたしがこんなに嫉妬深い人間だと思ってなかった。
わたしは中学校時代の友達付き合いがあまり好きではなかった。
自分の意思で友達を選ぶというよりは、半ば強制的にグールプが分けられ、そのグループの中で生活する事を強いられていたような雰囲気が苦手だった。
綾香には高校がバラバラになったから友達と疎遠になったと伝えたが、半分は本当で半分はしがらみの多い関係にうんざりしていたからかもしれない。
それでもこのアルバムのわたしはあんなにも綾香に褒めてもらえた。何度も昔のわたしを憧れだったと言ってくれていた。
…あの頃のわたしなら、と思わずにはいられない。
綾香の全てを知りたいと思う。
山本 綾香と書かれた名前の上にプリントされた綾香の写真を指で撫でる。
「綾香…」
私は綾香の写真へキスをした。
綾香とお泊まりをした日。
ベッドに入った時、綾香の手に触れたくなる気持ちを抑えられなかった。
目が覚めて、綾香の寝顔を見つめた。
綾香が目を覚まして寝室から出てきた時の会話で、自然にカップルみたいだなと思った。
綾香のことを考えながら入れた紅茶を美味しいと言ってくれた時、誰に褒めてもらうよりも嬉しいと思った。
そして映画を観ている時…わたしは綾香に恋をしているんだと確信した。
思えば、少し前から好きだったんだと思う。
モヤモヤしていたのは嫉妬だった。
ワクワクしているのはドキドキだった。
もっと綾香と一緒に居たいって思っていた。
綾香さえ居れば、それで良いって思っていた。
でもこの気持ちに気付かないフリをしていた訳じゃない。本当に気付けなかった。
だって綾香は女性で、私も女性だから。
もちろんレズビアンとかバイセクシュアルって言葉は知っていたし、意味も当然知っていた。
それでも、自分が当事者になるなんて想像した事もなかった。
実際、今までは男性としか付き合ってきていなかったし、結婚もしていた。結果として今では認めたくないけれど好きだとも思っていた。
それでも、ここまで深い恋に落ちた事は今までの人生で一度もなかった。
こんなに愛しいと思えた事なんて一度もなかった。
些細なことで嫉妬心を持った事なんてなかった。
わたしが何者であれ綾香を愛している事に変わりはないから、知らない人からどうカテゴライズされようがどうだっていい。
でも、綾香にどう思われるかは大切だ。
女性のわたしが、女性の綾香を好きになったと知ったら…綾香はわたしをどう思うだろう。
わたしはこれからもずっと友達のままで良い、なんて思えない。
いつかは告白して恋人になりたいと思う。
あっけなくフラれたって、何度フラれたって、もう諦められないくらい好きになっている。
ふぅ、と息を吐き、気持ちを落ち着かせる。
お湯を沸かしキッチンの戸棚を開け、青い色に綺麗な金色のリーフが描かれた缶を取り出す。蓋を開け、中からダージリンのティーバッグを一つ掴んでカップに入れる。
綾香も紅茶、飲んでくれたかな。
わたしのことを考えながら飲んでくれていたなら嬉しいな。
…ダージリンの花言葉は「追憶」「純愛」。
換気扇の下でタバコに火をつける。
私は少しの頭痛を感じながら、煙を吐き出した。
***
目が覚めると夕方になっていた。
熱と眠気でよく覚えてないけど、朝起きて仕事に行こうと思ったらフラフラして、熱を測ったら三十八度くらいあった。
それから店長へ連絡をしてベッドに入ったのだと思う。
「悪いことしちゃったな…」
今日出勤だったはずの綾香にも迷惑をかけてしまった事に罪悪感が浮かぶ。
体調は、眠気が取れたせいか朝よりは少しマシになってる気がする。喉も痛くないし、咳もない。鼻詰まりもなく、風邪ではなさそうだと思った。
スマホを見たら綾香からメッセージが来ていた。
<仕事終わったら、様子を見に行きたいから家に行っても良い?>
綾香は優しいな…。一人で心細いから、来てくるならすっごく嬉しいけど…いいのかな。
<うん、ありがとう。待ってる>
そう送って目を閉じた。
気が付いたらまた少し寝ていた。
またメッセージ来ている。今さっきだ。
<そろそろ着くよー>
タイミングよく起きれて良かった、もう少し遅かったら部屋の前で待ちぼうけにさせる所だった。
返信しなきゃ。
<オッケーだよ>
チャイムがなって玄関へ行きドアを開けると、急いできてくれたのか息が上がって髪も乱れた綾香がいた。
本当に優しくて、可愛くて、愛おしいと思う。
「綾香。わざわざ来てくれて、ありがとう」
「サチー、大丈夫?少しでも寝れたかな?」
心配してくれているのだろうか、すごく不安そうな顔をしている。
「うん、いっぱい寝たから、少し楽になってるよ」
大きなビニール袋を持った綾香が部屋に入る。
もしかして、色々買ってきてくれたんだろうか…。気遣ってくれている嬉しさに、何か込み上げてくる。
あ、ヤバい。泣くかも。
「うぅぅ……ぐずっ…う…うぅ…」
「ど、どうしたの?!しんどくなっちゃった?とりあえずベッドに行こうね」
ベッドに座ったら、落ち着くまで綾香が手を握ってくれた。それがすごく嬉しくて、大好きだなと実感する。
でも泣いてるところを見られたのは少し恥ずかしい。
「ありがとう、綾香。ごめんね、いきなり泣いちゃって。びっくりしたよね」
「ううん、全然良いよ。どうしたのサチ、もしかして私に会えて嬉しかったとか?」
冗談めかしてニコッと明るく笑ってくれる綾香から、またじんわりと優しさが伝わる。
でも本当にそうだから仕方がない。
わたしもなるべく明るく笑って、「そうだよ」と伝えた。
「えっ、あ…あの!冷蔵庫、開けても良い?飲み物とか簡単に食べれそうなもの、色々買ってきたから先に入れておきたくて」
やっぱり。仕事帰りに疲れてるはずなのに、あんなに重そうな買い物大変だっただろうな。
「うん、全然気にせず開けて。本当にありがとう。ごめんね、お金今から払うね」
と立ちあがろうとしたら、またぎゅっと手を握ってくれて、ベッドに戻される。
この手をずっと離さないでいて欲しい。
「お金はいらない。これぐらいさせてよ。あとね、サチ。ごめんね禁止だよっ!」
いつか私が言った言葉を真似て、優しく笑ってくれた。
「なにか作ろうか?」
と言いながらペットボトルのお水を持ってきてくれた。
熱のせいか、まだ食欲は湧かない。
食べないとダメなのは分かっているけど、喉を通りそうな気がしない。
「ありがとう、でも今は大丈夫」
本当は綾香の作ってくれるご飯なら食べたい。でもさすがに申し訳ないし、絶対に食べ残したくない。
「ならせめてお水は飲んでね」
それよりも、今は綾香にそばにいて欲しい。手を握っていて欲しい。
ずっと一緒に居たい。
「どうしよっか。私もう帰った方がいいよね、サチはゆっくり休んでね」
「……やだ」
綾香の着ているスウェットを掴む。
自分でも子供みたいだって分かってるけど、でも今はもう少しだけでも良いからいて欲しい。
「サチ、体調は大丈夫なの?また少ししんどくなってきたんじゃないの?」
確かに、少しぼんやりとしてきた気はする。
でも、今わたしは病人だし、少しだけ我儘になっても良いよね。
「…なら、あと十分だけでいいから手を握ってて欲しいよ。お願い綾香」
本当はいつだって、こういう我儘を言いたい。
「うん、良いよ。大丈夫だよ」
そう言って、少しの猶予をもらえて。
何でもないことを二人でおしゃべりして、綾香は帰って行った。
綾香を玄関まで送った後、ぼんやりと考える。
もし、綾香と南條岬がまた親友に戻ったら、そして南條岬が体調不良で寝込んだら。
綾香は今日のように駆け付けて、手を握って寄り添うのだろうか。
綾香は優しいから、きっとそうするかもしれない。当たり前のように、そばに居てあげるのかも知れない。
でもその優しさは、私にだけであって欲しい。
さっきまで晴れていた空が、一気に暗い雲に包まれるような。今にも雨が降り出してしまうんじゃないかという危惧が、私の心に広がった。
***
次の日も綾香は同じように来てくれて、また手を握っておしゃべりをしてくれた。
またその次の日、わたしの熱は下がった。
元気になったけど、この日は元々休みだったから様子見も兼ねて家でゆっくりした。
綾香が色々買ってきてくれていたおかげで、食事は何とか家から出ずにすんだ。
やっぱり綾香は来てくれて、元気になったから何となく手を繋いでとは言い出せずに、おしゃべりをした。
本当はいつだって手を繋いで、抱きしめあえるような関係になりたい。でも、そんな関係になれる日は来るのだろうか。
そんな事を考えながら、わたしは出勤するために玄関の扉を開けた。




