94 新企画始動
王宮で新企画が承認されると、アルデバラン王国各地のギルドに一斉に雇用募集が掲示された。
募集されているのは、特別な魔法使いではない。
水属性魔法を使える者。
土属性魔法を使える者。
火属性魔法を使える者。
条件だけを見れば魔法使いの大規模募集に見える。
しかし、アルデバラン王国では事情が違った。
今や王国民のほとんどが六属性の魔法を扱える。
子ども。
主婦。
農婦。
商人。
職人。
老人。
老婆。
職業も年齢も関係ない。
魔力循環と魔力操作の基礎が広く普及した結果、水、風、土、光、火、闇の六属性は、この国では一部の魔法使いだけが扱う特別な力ではなくなっていた。
『公衆浴場建設作業員募集』
掲示板に張り出された紙を前に、人々が集まる。
「土魔法が使えればいいのか?」
「私、水魔法なら使えるよ」
「火属性も募集してるぞ」
「それなら俺もできるな」
冒険者だけではない。
農作業を終えた農婦が応募した。
商人の息子も応募した。
仕事を減らしていた老職人まで受付へやってきた。
魔法が生活の一部になったことで、建築そのものの意味まで変わっていた。
従来なら大勢の石工や大工を集め、何か月もかけなければならなかった建物が、土魔法を使えば短期間で形になる。
地面を均す。
基礎を固める。
石材を動かす。
壁を作る。
浴槽を形成する。
水路を通す。
排水路を整える。
水属性持ちが給水設備を確認し、火属性持ちが湯を沸かす設備を整えていく。
しかも同じ設計を王国中へ押しつけることはなかった。
水が豊富な土地。
寒い土地。
温暖な土地。
人口の多い町。
小さな農村。
それぞれの土地に合わせて必要な大きさも設備も変えられた。
一軒が完成する。
別の町でも完成する。
さらに別の村でも建設が始まる。
数百軒。
やがて千軒を超え、それでも建設は止まらなかった。
王国中に公衆浴場が増えていく一方、商業ギルドでは別の教導が始まっていた。
「今日から皆さんには、衛生について学んでもらいます」
集まった者たちの目的は、衛生教師になることだった。
ここにも特別な身分の者だけがいるわけではない。
元商人。
主婦。
職人。
冒険者。
農家の娘。
年配の女性までいる。
共通していたのは、教師という仕事への関心だった。
この国では、教師を見る目が以前とは大きく変わっていた。
人を強くする者。
仕事を教える者。
魔法を覚醒させる者。
生活を豊かにする者。
自分が教わって人生を変えた経験を持つ者も多い。
だから今度は、自分が教える側へ回りたい。
そう考える者が自然に増えていた。
しかも、集まった者たちはすでに魔力循環と魔力操作の基礎を身につけている。
教導を始めるための土台はできていた。
手を洗う。
身体を洗う。
下着を交換する。
衣類を洗う。
寝具を清潔に保つ。
食器を洗う。
調理器具を清潔にする。
飲み水を汚さない。
汚水を生活用水へ混ぜない。
なぜ必要なのかまで含めて教えられていく。
そして教わった者同士でも確認し合う。
「食事の前に手を洗う理由は?」
「汚れを落とすだけじゃない。病を防ぐため」
「じゃあ調理する人は?」
「調理前にも洗う」
教える。
答える。
間違えば修正する。
もう一度教える。
その繰り返しの中で変化が起こった。
「……あっ」
一人の女性が自分のステータスを確認した。
そこには新しいスキルが現れていた。
教導。
それだけではない。
衛生。
「私、教導スキルが出ました!」
その声をきっかけに、別の場所からも声が上がる。
「私もです!」
「衛生スキルもあります!」
一人。
二人。
十人。
教える経験を重ねるたび、新しい教師が生まれていった。
誕生した衛生教師は、完成した公衆浴場へ併設された衛生教室へ派遣される。
そこで今度は地域住民を相手に、自分たちが学んだことを教える。
教わった住民が家庭へ帰る。
親が子どもへ教える。
子どもが当たり前の習慣として覚える。
公衆浴場は、単に身体を洗う場所ではなくなっていった。
衛生を学び、それを地域へ広げる拠点にもなったのである。
同じ頃、アンジェラも動いていた。
彼女が最初に集めたのは、すでに紡織工場で働いている従業員たちだった。
「王国中の下着を作るそうです」
アンジェラが告げると、従業員たちは一瞬静かになった。
「……何枚必要なんです?」
「分かりません」
アンジェラは正直に答えた。
「でも、私たちだけでは作れません」
だから教師を増やす。
すでに糸を紡げる者へ、今度は教え方を教える。
機織りのできる者が初心者へ教える。
裁断のできる者が教える。
縫製のできる者も教える。
紡織の技術を持っていた者たちは、教える経験を重ねることで次々と教導スキルを発現させていった。
その日の教導が終わる頃。
アンジェラ自身にも変化が起きた。
教導スキルLv10。
「……十?」
本人が一番驚いていた。
だが、立ち止まっている暇はなかった。
教師が増えたことで、今度は工場を増やせる。
各地で土魔法による建築が始まり、新しい紡織工場が次々と完成していった。
建物の中には糸紡ぎ機が並べられる。
機織り機も設置される。
そこへ大量の綿花が運び込まれた。
綿花から糸が生まれる。
糸が布へ変わる。
布が下着へ変わっていく。
そして原料を絶やさないため、農村でも新しい動きが始まっていた。
土魔法で農地が開かれる。
水魔法で水路が整えられる。
農業経験者が綿花栽培を教える。
新しい綿花畑が、王国各地で次々と耕作されていった。
浴場だけが増えているのではない。
教師だけが増えているのでもない。
畑が増える。
工場が増える。
仕事が増える。
そして、教えられる人間が増えていく。
新企画は始まったばかりだった。
それでもすでに、誰か一人が指揮しなければ止まってしまう計画ではなくなっていた。
新しく開かれた綿花畑では、農業教師による教導が始まっていた。
綿花を育てた経験のない者も多い。
しかし、農業そのものを知らないわけではなかった。
土を耕す。
種を播く。
水を与える。
生育を見る。
必要なら土魔法で畑を整え、水魔法で水分を補う。
光魔法による治癒も使える。
これまで食用作物を育ててきた農民にとって、覚えるべきなのは綿花という作物の性質だった。
「水を与えすぎないようにしてください」
農業教師が説明する。
農民たちは実際に畑へ入り、自分たちで土を触った。
聞くだけではない。
やって覚える。
分からなければ、その場で聞く。
そして一度覚えた者は隣の者へ教える。
その繰り返しだった。
新しい畑が増えても、王都から教師を送り続ける必要はない。
一つの地域で栽培を覚えた者が、次の畑の教師になるからだ。
収穫された綿花も止まらない。
商業ギルドが各地の生産量を確認し、必要としている紡織工場へ送る。
荷馬車だけではない。
テレキネシスを使える者が積み込みを手伝う。
重い荷物を何人もかけて持ち上げる必要がなくなり、荷役そのものが早い。
紡織工場へ届いた綿花は加工され、糸へ変わる。
糸紡ぎ機が動き続ける。
その糸が機織り機へ送られ、次々と布になっていった。
「もっと速くできます」
若い女性が言った。
「速さだけを見ないでください」
紡織教師となった女性が答える。
「糸が乱れたら、次の工程で困ります」
「はい」
作るだけではない。
品質を見る。
失敗した理由を考える。
直し方を覚える。
そして、それを次の者へ教える。
アンジェラがすべての工場を回る必要はなかった。
最初に育った紡織教師たちが、それぞれ別の工場へ向かっていた。
さらに、そこで新しい教師が生まれる。
教師が一人増えれば、その一人がまた何人もの職人を育てる。
紡績。
織布。
染色。
裁断。
縫製。
工程ごとに得意な者も現れ始めた。
「私は縫う方が好きです」
「私は機織りの方が向いているみたい」
「染色をもっと覚えたい」
全員を同じ職人にする必要もない。
それぞれが得意な仕事へ進めばよかった。
出来上がった下着は商業ギルドを通じて各地へ送られた。
公衆浴場の完成した町では、衛生教師が新しい下着を見せながら住民へ説明している。
「身体を洗っても、汚れた下着をそのまま着たら意味がありません」
聞いていた老婆が手を上げた。
「毎日替えるのかい?」
「できればそうしてください」
「洗ったものは?」
「乾かして、また使えます」
難しい話ではない。
しかし、清潔な下着が十分に流通していなければ、交換したくても交換できない。
衛生教育だけでは生活は変わらない。
浴場がある。
石鹸がある。
替えの下着がある。
洗濯できる水がある。
そして、それを使う理由を教える教師がいる。
すべてが揃って初めて習慣になる。
王国各地で同じ変化が起こり始めていた。
一方、新人冒険者専門教室でも最初の募集が始まった。
冒険者ギルドの掲示板には大きな紙が張り出されていた。
『新人冒険者専門教室 受講者募集』
その下には講習内容が並ぶ。
魔力循環。
魔力操作。
魔法。
索敵。
連携。
解体。
調理。
野営。
そして実戦教導。
掲示板の前には、すぐに人だかりができた。
「これ、本当に新人向けか?」
一人の少年が呟く。
「教師の名前を見ろよ」
隣の青年が紙の下を指した。
そこにはガイルを筆頭に、二十五人の名前が並んでいる。
彼らの噂を知らない新人は少なかった。
二十五人で七千七百体もの魔物を討伐した冒険者たち。
しかも、今度はその二十五人が自分たちを直接教えるという。
受付には希望者が押し寄せた。
ガイルはその光景を見て、少し困った顔をした。
「多くないか?」
隣にいた仲間が笑う。
「お前が言うな。アレクサンドさんに教わる時は、俺たち二十五人だったんだぞ」
「そうだけどよ」
今度は自分たちが教える側である。
ガイルにはまだ教師という言葉が自分に似合う気がしなかった。
そこへアレクサンドがやってきた。
「集まっていますね」
「集まりすぎだ」
「よかったではありませんか」
「俺たち、本当に教えられるのか?」
ガイルが聞く。
アレクサンドは首を傾げた。
「今まで一緒にやってきたことを教えればいいでしょう?」
あまりにも簡単に言う。
ガイルは苦笑した。
確かに、自分たちは知っている。
魔物を倒す方法だけではない。
怖くても動かなければならない時。
逆に、無理をせず退くべき時。
仲間の失敗をどう補うか。
索敵情報をどう共有するか。
獲物をどう解体すれば無駄にならないか。
野営で何を確認するべきか。
それらはすべて、自分たちが実際に経験してきたことだった。
「最初から強くする必要はありません」
アレクサンドが言う。
「死なないようにしてください」
ガイルの表情が変わった。
それなら分かる。
新人だった自分たちが、最初に必要だったものと同じだからだ。
「分かった」
ガイルは受付へ向かった。
二十五人の仲間たちも、それぞれ受講者の前へ立つ。
一人の教師が二十五人を育てた。
その二十五人が、今度は新人を育て始める。
アルデバラン王国で、新しい教導の連鎖がまた一つ動き出した。
# 94 新企画始動 後編①
新人専門教室の第一期受講者は二百五十人となった。
ガイルたち二十五人が、それぞれ十人ずつ担当する。
集まった新人たちの年齢も経歴も様々だった。
農家の息子。
商人の娘。
職人見習い。
狩人の子。
家業を兄に任せて冒険者になった青年。
まだ一度も魔物と戦ったことのない者もいる。
しかし、魔力循環と魔力操作については全員が基礎を身につけていた。
アルデバラン王国では、それ自体が珍しいことではない。
ガイルは自分が担当する十人を前に立った。
「最初に言っておく。十属性は目指さない」
新人たちが顔を見合わせる。
ガイルたちが十属性を扱うことは知られている。
当然、自分たちもそこを目指すものだと思っていたのだろう。
「冒険者の仕事は属性の数を自慢することじゃない。依頼を受けて、仕事を終わらせて、生きて帰ってくることだ」
一人の少年が手を上げた。
「六属性も必要ないんですか?」
「覚醒できるなら覚えればいい。だが、属性を増やすために実戦を後回しにはしない」
ガイルは剣を教えるつもりもなかった。
自分たちが実戦で使ってきたものを、そのまま教える。
まずは魔力循環。
新人たちはすでにできる。
ならば、歩きながら行う。
走りながら行う。
荷物を持ちながら行う。
魔力操作も同じだった。
立ったまま集中できるだけでは足りない。
「冒険者が魔法を使う時に、周りが静かだと思うなよ」
ガイルが合図する。
仲間の一人が新人たちの周囲を走り回り始めた。
別の教師が大声を出す。
さらに別の教師が土魔法で足元を僅かに揺らした。
「集中が切れました!」
「切れていい。戻せ」
失敗を責めない。
失敗した後にどう立て直すかを覚えさせる。
別の班ではテレパシーを使った連携教導が始まっていた。
『右』
教師から念話が届く。
新人が右を見る。
『違う。俺を見るな。周囲を見ろ』
『はい!』
『声に出すな。念話で返せ』
『はい!』
『だから声に出てるぞ』
周囲から笑いが起きた。
最初から上手くできる者ばかりではない。
だが、繰り返すうちに少しずつ変わっていく。
十人が互いの位置を把握する。
誰かが見つけたものを全員へ伝える。
一人で敵を見るのではない。
班全体で周囲を見る。
ガイルたち自身が、アレクサンドから教わり、実戦で身につけてきた方法だった。
午後になると、教導場所は町の外へ移った。
最初から危険な魔物とは戦わせない。
索敵で周辺を確認し、新人でも十分に対応できる獲物を選ぶ。
「ホーンラビット三体。前方だ」
ガイルが告げた。
十人の新人たちに緊張が走る。
「先生は戦わないんですか?」
「戦う必要があれば戦う」
「それって、いつです?」
「お前らが本当に危なくなった時だ」
新人たちが顔を見合わせた。
ガイルは答えを教えなかった。
「どうする?」
今度は新人たち自身が話し始める。
「索敵できる人は?」
「俺がやる」
「位置を共有して」
「三体なら囲む?」
「逃げ道を残した方がよくない?」
「なんで?」
「追い詰めたらこっちへ突っ込んでくるかもしれない」
ガイルは黙って聞いていた。
少し前の自分なら、どうしていただろう。
アレクサンドに答えを求めていたかもしれない。
だが今、自分が答えを言えば早い。
それでも言わなかった。
新人たちは相談を続け、ようやく動いた。
一人が索敵する。
念話で位置を共有する。
土魔法で移動方向を限定する。
水魔法による拘束を試みる。
一発目は外れた。
「外した!」
「次!」
別の新人がすぐに補う。
二発目がホーンラビットを捕らえた。
残る二体が走り出す。
一人が慌てて前へ出ようとした。
「待て!」
止めたのはガイルではない。
同じ班の少女だった。
「一人で行かないで!」
青年が踏み止まる。
三体を処理するまでに、随分時間がかかった。
ガイルたちなら一瞬で終わる相手だった。
だが教師たちは誰も笑わなかった。
討伐後、すぐに反省会が始まった。
「最初の拘束を外しました」
「外した後は?」
「次の人が撃ってくれました」
「じゃあ、そこは悪くないな」
「一人で追いかけそうになりました」
「それは危なかった」
新人自身に失敗を言わせる。
仲間にも気づいた点を言わせる。
教師は必要な部分だけ補足する。
そして解体へ移った。
「え? ここで終わりじゃないんですか?」
新人の一人が尋ねる。
ガイルは呆れた顔をした。
「何言ってんだ。ここからが仕事だぞ」
倒した魔物を持ち帰れなければ収入にならない。
肉。
皮。
角。
使える部位を傷めず処理する。
食べられるものは食料になる。
売れるものはギルドへ持ち込む。
新人たちは慣れない手つきで解体を始めた。
教師たちが横から手を添える。
その光景を、少し離れた場所からアレクサンドが見ていた。
彼女は一度も口を挟まなかった。
ガイルが彼女のやり方をそのまま真似しているわけではない。
別の班の教師も違う。
よく喋る者。
実演してから任せる者。
失敗させてから説明する者。
慎重な者。
少し大胆な者。
二十五人に二十五通りの教え方が生まれ始めていた。
それでよかった。
夕方。
二百五十人が教室へ戻った頃、一人の教師が自分のステータスを見て声を上げた。
「ガイル」
「どうした?」
「教導スキルが上がった」
その声につられ、他の者も確認する。
新しく教導スキルを発現した者。
レベルが上がった者。
索敵や解体のスキルが伸びた者。
変化は教師側だけではない。
新人たちにも新しいスキルが現れ始めていた。
教える側が育つ。
教えられる側も育つ。
そして翌日には、また実戦へ出る。
新人専門教室は、まだ始まったばかりだった。
だがガイルには、すでに一つだけ分かったことがあった。
自分たちはもう、アレクサンドに教わるだけの二十五人ではない。
次の冒険者を育てる側へ、確かに歩き始めていた。
新人専門教室が動き始めた頃、別の場所ではダンジョン掘削部隊の育成が始まっていた。
募集に応じたのは、鍛冶職人、鉱夫、冒険者、商人、農民、仕事を探していた若者たちだった。
年齢も職業も問わない。
必要なのは、金属属性を学ぶ意思があること。
集まった者たちは、すでに魔力循環と魔力操作の基礎を習得している。
教導が始まると、ほどなく変化が現れた。
教導用に用意された鉄、銅、銀などに触れ、それぞれの違いを魔力で感じ取る。
最初は分からなかった者も、何度も魔力を通すうちに感覚を掴み始める。
「鉄は……これか?」
一人の男が鉄の塊へ手を置いた。
隣に置かれた銅へ触れる。
「違うな」
もう一度鉄へ戻る。
その瞬間、男の表情が変わった。
金属属性。
新しい属性が覚醒した。
一人が成功すると、それを見ていた者たちも試す。
二人。
五人。
十人。
次々と金属属性持ちが生まれていった。
全員を十属性持ちにする必要などない。
目的は、金属を扱える人間を増やすことである。
基礎教導を終えた者たちは、近隣のダンジョンへ向かった。
そこにはアダムスもいた。
「ここでやるんですか?」
「はい。実際に抽出するところを見せてもらいたいのです」
「いいですよ」
アダムスはいつも通りだった。
一行はダンジョンの中へ入る。
目的は魔物討伐ではない。
壁や床を構成する土や岩石から金属を取り出すことだった。
鉱山とは違う。
ダンジョンの壁に巨大な鉄鉱脈や銅鉱脈が走っているわけではない。
土や岩石そのものに様々な金属が含まれている。
問題は、それを取り出す方法だった。
アダムスは何の変哲もない壁へ手を当てた。
「鉄がありますね」
参加者たちが壁を見る。
ただの壁だった。
鉱石が露出しているわけでもない。
「銅もあります。銀も少し」
「そんなに分かるのか?」
元鉱夫が尋ねる。
「分かりますよ」
アダムスはさらに壁を調べた。
「ミスリルもありますね。オリハルコンとアダマンタイトも少しあります」
全員が黙った。
目の前にあるのは、どう見ても普通のダンジョンの壁である。
アダムスにとっては、それが大量の金属を含んだ資源に見えているらしい。
「では、鉄からやりますね」
アダムスが壁へ魔力を流した。
壁を壊すわけではない。
土や岩石の中に含まれている鉄を金属属性で捉える。
広い範囲から鉄だけを集める。
不純物から分離し、一か所へ集積する。
やがて壁から黒い金属の塊が現れた。
「こんな感じです」
参加者たちは顔を見合わせた。
説明だけなら簡単に聞こえる。
だが、鉱石を掘り出しているのではない。
土や岩石に混ざっている金属だけを選び出しているのだ。
「やってみます」
先ほど金属属性を覚醒させた男が前へ出た。
壁へ手を置く。
魔力を流す。
「色々ある……」
「最初は鉄だけ探してください」
アダムスが助言する。
男は目を閉じた。
土を意識しない。
石も意識しない。
その中に混ざっている鉄だけを探す。
しばらくして男が呟いた。
「……これか」
金属属性を使う。
ほんの僅かだが、鉄分が動いた。
周囲から少しずつ集まってくる。
何度も失敗する。
途中で別の金属まで混ざる。
そのたびに分離し直した。
やがて手のひらに載るほどの鉄の塊が出来上がった。
男はそれを見つめる。
「取れた……」
「取れましたね」
アダムスは嬉しそうだった。
次の者が挑戦する。
鉄を集める。
別の者は銅を試す。
元鍛冶職人は鉄と銅の感覚の違いを何度も確かめていた。
「銀は難しいな」
「量が少ないですからね」
「もっと広い範囲から集めればいいのか?」
「そうですね」
アダムスは聞かれたことに答える。
自分ですべて抽出してしまうことはしなかった。
しばらくすると、壁の前には鉄と銅を中心にいくつもの金属塊が並んだ。
量だけを求めるなら、アダムス一人に任せた方が圧倒的に早い。
だが今日の成果は、そこではなかった。
アダムス以外の人間が、ダンジョンの壁から金属を取り出した。
それも一人ではない。
「これなら人数を増やせますね」
教導担当者が言った。
「増やせばもっと取れますよ」
アダムスが答える。
「別のダンジョンでも?」
「壁に含まれていれば取れます」
元鉱夫が壁を見た。
彼にとって地下資源とは、鉱脈を探し当て、坑道を掘って採掘するものだった。
だがダンジョンは違う。
壁も床も資源になる。
そして金属属性持ちが増えれば、利用できる範囲も広がる。
「掘削部隊という名前だが、あまり掘らないな」
誰かが呟いた。
周囲から笑いが起こった。
確かにその通りだった。
彼らが行うのは、鉱山のように鉱脈を追って岩盤を掘り続ける作業ではない。
ダンジョンを構成する土や岩石から、必要な金属だけを分離して取り出す。
新しい資源採取の形だった。
その頃、王国各地では別の企画も止まることなく進んでいた。
公衆浴場が建つ。
衛生教師が派遣される。
綿花畑が広がる。
紡織工場では糸が紡がれ、布が織られる。
新しい下着が各地へ運ばれていく。
新人専門教室では二百五十人が実戦を学んでいる。
ダンジョンでは金属属性持ちが増え始めた。
それぞれ別の人間が動かしている。
王宮から細かな指示が飛んでいるわけではない。
そして、そのどこにもアークはいなかった。
夕食の席で報告を聞いたマーガレットが笑った。
「あなた、本当に仕事がなくなってきたわね」
アークは食事を続けながら答えた。
「いいことじゃないか」
「寂しくないの?」
「どうして?」
アークは本当に分からないという顔をした。
「教師がいなくても動けるなら、教えた意味があったってことだろう?」
教わった者が働く。
働いた者が誰かを教える。
教わった者が、また新しい仕事を始める。
一つの教え方、一人の指導者、一つの組織に依存する必要はない。
アルデバラン王国では、社会そのものが教え、学び、次へ渡すようになり始めていた。
新企画は、すでに誰か一人の企画ではなくなっていた。




