93 新企画
アレクサンドは、一枚の紙を前に腕を組んでいた。
そこには、これまで彼女たちが積み上げてきた成果と、これから必要になるであろう仕事が簡潔に書き出されている。
二十五人の冒険者たちは、もはや新人ではない。
千体単位の魔物を相手にしても崩れず、七千七百体もの魔物を二十五人だけで処理し、討伐だけでなく解体、調理、運搬までこなせる。
しかも彼らは十属性の魔法と各種の超能力を扱える。
これ以上、彼らだけを強くする意味は薄かった。
「なら、次は教える側ですね」
アレクサンドはそう結論づけた。
翌日、彼女はマーガレットのもとを訪れた。
「殿下。新しい企画があります」
「あなたが企画を持ってくるなんて珍しいわね」
マーガレットは興味を示した。
アレクサンドは紙を机へ広げる。
「まず、ガイルたち二十五人を全員教師にします」
「全員?」
「はい。新人冒険者専門の教室を作ります」
マーガレットの表情が変わった。
これは単なる訓練所ではない。
「これまで私が二十五人を教えていました。しかし、私一人が教え続けるより、二十五人がそれぞれ新人を教えた方が早いでしょう」
「なるほど」
「二十五人が十人ずつ担当すれば、一度に二百五十人です」
そして、その二百五十人が成長すれば、次は彼らの中から教師が生まれる。
アレクサンドは、そこまで説明してから付け加えた。
「ただし、無理に十属性を目指させる必要はありません」
「そこは意外ね」
「必要な能力を身につければ十分です」
アレクサンドにとって十属性は勲章ではなかった。
冒険者が生き残り、仲間を守り、仕事をこなすための手段にすぎない。
六属性でも十分に強い。
三属性でも使い方次第では役に立つ。
そして今回、特に増やしたい能力があった。
「金属属性持ちを増やしたいと思っています」
「アダムスの影響?」
「はい」
即答だった。
希少鉱石を見つける者がいる。
掘り出す者がいる。
精錬する者がいる。
加工する者がいる。
アダムス一人なら、それらを一人でやってしまう。
だが、それでは産業にはならない。
「アダムスさんが何でもできるからこそ、アダムスさん以外にもできる人を増やす必要があります」
マーガレットは小さく笑った。
「本人に言ったら、『教えればいいじゃないですか』くらい言いそうね」
「おそらく言います」
二人とも容易に想像できた。
さらにアレクサンドは紙をめくった。
「次に、公衆浴場です」
「浴場?」
「王国中に建設します」
今度は規模が大きかった。
アレクサンドは真顔で続ける。
「石鹸が大量生産できる可能性が出てきました。しかし、石鹸だけ配っても衛生環境は十分には改善しません」
身体を洗う。
衣服を洗う。
下着を替える。
食事の前に手を洗う。
調理器具を清潔に保つ。
井戸や水場を汚さない。
病人の身の回りを清潔にする。
これらを王国中へ広める。
「衛生観念そのものを教導します」
マーガレットは深く頷いた。
病気になってから治すだけではない。
病気になりにくい生活を広げる。
すでに王国では浄化魔法も広く使われ始めている。
そこへ石鹸と浴場、そして教育を組み合わせれば、生活環境そのものが変わる。
「アンジェラたちの紡織部隊にも仕事があります」
「下着ね」
「はい。王国中の民に、清潔な下着が行き渡る状態を目指します」
豪華な服ではない。
貴族向けの高級品でもない。
毎日使うものだからこそ大量に必要になる。
糸を作る者。
布を織る者。
裁断する者。
縫製する者。
運ぶ者。
販売する者。
そこにも新しい仕事が生まれる。
そして、アレクサンドの企画はまだ終わらなかった。
「ダンジョン掘削部隊も確立したいと思います」
「採掘専門?」
「はい。金属属性持ちを中心に編成します。アダムスさん一人に鉱石採掘を任せる状態は、あまり健全ではありません」
あまりにも正論だった。
本人が楽しそうに掘るため、誰も止めていなかっただけである。
さらにアレクサンドは、一つの名前を書いた。
アルフレッド侯爵。
「希少金属の一部をアルフレッド侯爵へ預けます」
「何を作らせるの?」
「ゴーレムです」
マーガレットが紙を見る。
オリハルコン。
ミスリル。
アダマンタイト。
「教導を受けていない普通の兵士や魔法使いでは破壊できないほど頑丈なゴーレムを開発してもらいます」
「軍用?」
「いいえ」
アレクサンドは首を横に振った。
「救援用です」
物資を運ぶ。
瓦礫を撤去する。
街道を整備する。
橋を架ける。
魔物から住民を守る。
救援拠点を防衛する。
敵対する兵士が現れても、倒す必要はない。
進路を塞ぎ、武器を取り上げ、拘束すればよい。
「完成したゴーレムは王国が保有し、冒険者ギルドへ貸与します」
マーガレットはそこで、ようやく企画の全体像を理解した。
「……国外で使うつもりなのね」
「はい」
アレクサンドは当然のように答えた。
「外国には困っている人が大勢いるのでしょう?」
あまりにも単純な理由だった。
侵略でもない。
領土拡張でもない。
まして大陸統一などという発想でもない。
困っている人間がいる。
ならば、助けられる者が助ければいい。
「ただし、王国軍は出しません」
アレクサンドはそこだけは明確にした。
「主導するのは国際機関である冒険者ギルドです」
マーガレットは椅子にもたれた。
その瞬間、彼女の頭に一つの国が浮かんだ。
帝国。
すでに人口流出が止まらない。
このままなら、遠くない将来に国家機能そのものが維持できなくなる。
「……帝国は倒れるわね」
「おそらく」
「倒してはいけない」
「はい」
アレクサンドも同意した。
倒す必要などないのだ。
略奪する国家。
民を縛る独裁国家。
信仰を利用して支配する宗教国家。
選ばれた者だけに価値があるとする国家。
古い制度にしがみつく王国。
それらと戦争する必要はない。
「最初は、この国へ亡命してくるでしょう」
アレクサンドは静かに言った。
「ですが、現地で救済して、教導して、自分たちで生活できるようになれば――」
そこで言葉を切った。
「逃げる必要もなくなります」
マーガレットはしばらく黙っていた。
そして立ち上がる。
「これは私だけでは決められないわ」
「はい」
「お父様に話しましょう」
その日の午後。
マーガレットはアークを伴い、王宮へ向かった。
アークは企画書を読んだものの、何も付け加えなかった。
これはアレクサンドが考えた企画である。
自分が完成させるものではない。
王宮へ向かう馬車の中で、マーガレットが尋ねた。
「あなたはどう思う?」
アークは少し考えた。
そして答えた。
「私に聞かれても困るな」
「あなたまでそれを言うの?」
マーガレットが笑う。
アークも笑った。
「実際に動くのは、私じゃないからな」
教師が育てた者が、自分で考え、自分で次の仕事を見つけた。
ならば教師がするべきことは、その答えを書き換えることではない。
王宮が近づいてくる。
これから話し合われるのは、外国をどう倒すかではない。
倒れようとしている国の中で、どうすれば民を先に救えるのか。
そのための新しい仕組みだった。
王宮の会議室には、すでに主要な顔ぶれが集まっていた。
国王オーキス・アルデバラン。
王妃バイオレット。
宰相クレイン・レッドバルト。
騎士団長アイク。
魔導騎士団長アッシュ。
近衛騎士団長ロックウェル。
マーガレットとアークが入室し、続いて今回の企画を考えたアレクサンドも席についた。
国王は手元の企画書へ目を落とす。
「それで、新企画というのは?」
マーガレットは隣に座るアレクサンドへ視線を向けた。
「今回は私ではありません。アレクサンドから説明してもらいます」
三人の騎士団長が彼女を見る。
アレクサンドは気負った様子もなく企画書を開いた。
「まず、新人冒険者専門の教室を組織します」
「新人専門?」
アイクが聞き返す。
「はい。ガイルたち二十五人を教師にして、新人冒険者の教導に当てます」
魔導騎士団長アッシュがすぐに意図を理解した。
「二十五人をさらに鍛えるより、二十五人に教えさせるのか」
「そうです。一人で十人を担当しても、一度に二百五十人を教導できます」
さらに、その中から教師になれる者が育てば、次は二百五十人が教える側へ回ることもできる。
教導する者を増やせば、アレクサンド一人が動ける範囲を遥かに超えていく。
「全員を十属性にするつもりか?」
アッシュの問いに、アレクサンドは首を横に振った。
「必要ありません」
意外な答えにアッシュが眉を上げた。
「十属性は目的ではありません。冒険者として生き残り、仕事ができればいいのです。六属性でも十分ですし、役割によってはそれ以下でも構いません」
王宮では六属性持ちが珍しくなくなっている。
しかし、それはアルデバラン王国の王宮がおかしいだけである。
他国なら二属性、三属性でも優秀な魔法使いとして扱われる。
「ただし、金属属性については適性者を積極的に育てます」
宰相クレインが反応した。
「アダムスが見つけた鉱脈か」
「はい。ダンジョン掘削部隊を確立します」
採掘。
運搬。
精錬。
加工。
希少金属が大量に存在していても、アダムス一人に任せていては産業として広がらない。
「アダムスさんは何でも一人でやってしまいますから」
アレクサンドが真顔で言った。
アッシュが額を押さえた。
「本人は問題だと思っていないだろうな」
「おそらく」
誰もが同じ人物を思い浮かべた。
『もっと作れますよ』
そう言って大量のインゴットを追加しかねない。
続いて、公衆浴場について説明された。
王国各地に浴場を建設する。
石鹸を普及させる。
身体を洗うだけではない。
手洗い、洗濯、調理器具の洗浄、水場の管理など、衛生観念そのものを王国中へ教導する。
さらにアンジェラたち紡織部隊を拡大し、民が清潔な下着を日常的に交換できるだけの供給量を確保する。
王妃バイオレットが頷いた。
「病になってから治すだけではなく、病になりにくい生活を作るのね」
「はい」
そこから企画書は国外へと広がった。
アレクサンドは一人の名前を示す。
「アルフレッド侯爵に、新型ゴーレムの開発を任せたいと思います」
三人の騎士団長の表情が変わった。
百万体のスタンピードを抑えた経験を持つ男である。
大規模な危機に必要なものを理解している。
「材料は?」
国王が尋ねる。
「アダムスさんが作ったオリハルコン、ミスリル、アダマンタイトのインゴットです」
「またアダムスか」
国王の言葉に、誰も笑わなかった。
もはや王宮では珍しくない話だった。
「教導前の普通の兵士や魔法使いでは破壊できない強度を目指します」
騎士団長アイクが確認する。
「兵器にするのか?」
「いいえ。救援用です」
アレクサンドは即答した。
物資輸送。
瓦礫撤去。
街道整備。
橋梁建設。
農地開拓。
魔物からの住民防衛。
救援拠点の警備。
敵対する兵士が現れても殺す必要はない。
進路を塞ぎ、武器を取り上げ、拘束すればいい。
「ゴーレムはアルデバラン王国が所有し、国際冒険者ギルドへ貸与します」
宰相クレインが腕を組んだ。
「国外へ出すのだな」
「はい。ただし王国軍は派遣しません」
主導するのは国際組織である冒険者ギルド。
救援依頼を受けた地域へ入り、住民を保護する。
そこで教師が教導を行う。
マーガレットが続けた。
「最初はアルデバランへ亡命してくるでしょう。でも、現地で生きられるようになれば、故郷を捨てる必要はなくなるわ」
国王は黙って聞いていた。
帝国の人口流出は続いている。
税収は減る。
兵士を維持できなくなる。
役人も逃げる。
物流も止まり始める。
このままなら帝国という国家そのものが維持できなくなる。
「帝国は倒壊すると思います」
マーガレットが静かに告げた。
「それを止めるのか?」
国王の問いに、彼女は首を横に振った。
「止めません」
皇帝を救う必要はない。
帝国という国体を維持してやる必要もない。
アルデバラン王国が帝国を侵略し、皇帝を倒す必要もない。
悪政によって人が去り、国家が維持できなくなるのなら、それは帝国自身が招いた結果である。
しかし、その倒壊に民まで巻き込まれる必要はなかった。
「帝国が倒れるまで待つのでは遅いです」
マーガレットは父王を見た。
「その前から、救える民を救済し、教導します」
国王は再び企画書を見る。
「その後、その土地を誰が治める?」
するとアレクサンドが不思議そうに首を傾げた。
「それを私に聞かれても困ります」
一瞬、会議室が静まり返る。
「そこで暮らすのは、その人たちでしょう?」
アークが小さく笑った。
アレクサンドは本気だった。
国を作ってやるつもりもない。
次の支配者を決めるつもりもない。
制度を押しつけるつもりもない。
救う。
守る。
教える。
自分たちで生きられるようにする。
その先を決めるのは、そこで暮らす民自身である。
国王は企画書の最初の頁へ戻った。
始まりは、たった一つの新人専門教室だった。
新人を育てる。
育った者が、次の新人を育てる。
教師が増えれば、救える人間も増える。
救われた者が自立し、今度は別の誰かを教える。
これは外国を征服するための計画ではない。
外国を征服しなくても、そこに暮らす民が自分たちで生きていけるようにするための計画だった。
国王オーキスは企画書を閉じることなく、しばらく考えていた。
内容は理解した。
問題は、これを誰が実行するかである。
アルデバラン王国には、すでに多くの力がある。
魔法を扱える者がいる。
教師がいる。
冒険者がいる。
紡織に携わる者がいる。
薬師も職人もいる。
アダムスが持ち込んだ大量の希少金属まである。
だからといって、それらを王が一つの巨大な組織にまとめて命令する必要はない。
「クレイン」
「はい」
「まず、この企画を分けろ」
宰相クレインが企画書を見る。
「新人冒険者の教導、公衆浴場、衛生教育、紡織、ダンジョン掘削、ゴーレム開発、国外救援。確かに一つの部署で扱う規模ではありませんな」
「それぞれ、できる者に任せる」
国王の言葉にアレクサンドが頷いた。
それでよかった。
自分がすべてを指揮するつもりなど、最初からない。
新人専門教室については、アレクサンドとガイルたち二十五人。
冒険者ギルドと連携し、教導を希望する新人を受け入れる。
ただ強くするのではない。
魔力循環。
魔力操作。
実戦で必要になる魔法。
索敵。
連携。
解体。
調理。
そして何より、生きて帰るための判断。
二十五人が実際に経験してきたものを次の世代へ渡していく。
「新人専門教室は冒険者ギルドに場所を用意させよう」
クレインが言う。
「教師への報酬も必要です」
アレクサンドが付け加えた。
国王が彼女を見る。
「無償では駄目か?」
「駄目です」
即答だった。
「教師を仕事にしたいので」
アークが僅かに目を細めた。
教えることを善意だけに頼れば、いつか続かなくなる。
教師として働けば生活できる。
それが当たり前になれば、教導そのものが一つの職業になる。
アレクサンドはそこまで考えていた。
「では冒険者ギルドと報酬体系を決めさせる」
「お願いします」
次は公衆浴場だった。
「建設は土属性持ちを中心にすれば、それほど時間はかからんだろう」
アイクが言う。
「水属性持ちも必要だな」
ロックウェルが続ける。
「火属性持ちもいた方がいい」
アッシュまで加わった。
気づけば三騎士団長が浴場建設の話をしている。
マーガレットが少し笑った。
少し前までなら、騎士団長が公衆浴場について真剣に議論するなど考えられなかっただろう。
だが彼らはもう知っている。
民が健康であることは国力そのものだった。
「衛生教育は?」
王妃バイオレットが尋ねる。
アレクサンドが答えた。
「教師を作ります」
また教師だった。
「浴場を建てても、使い方を知らなければ意味がありません。石鹸を渡して終わりにもしたくありません」
手を洗う理由。
身体を清潔にする理由。
衣類を洗う理由。
調理場を清潔にする理由。
それらを理解した者が地域の住民へ教える。
そして教わった者が家庭へ持ち帰る。
「アンジェラにも協力してもらいましょう」
マーガレットが言った。
「紡織部隊ね」
バイオレットがすぐに理解する。
王国中へ清潔な下着を供給するとなれば、現在の生産量では足りない。
ならばアンジェラ一人が頑張るのではない。
紡織を教えられる人間を増やす。
教わった者がさらに次を教える。
ここでも同じだった。
そして、話題はダンジョン掘削部隊へ移った。
「これは金属属性持ちの育成と同時に進めます」
アレクサンドが説明する。
「ただし、希少金属ばかり狙わせる必要はありません」
鉄。
銅。
錫。
鉛。
日常生活や産業で大量に必要になる金属はいくらでもある。
希少金属だけを追いかけても王国は豊かにならない。
「アダムスにも参加させるのか?」
国王が尋ねた。
アレクサンドは少し考えた。
「聞いてみます」
「命じないのか?」
「本人がやりたいなら参加してもらいます」
アークは口を挟まなかった。
アダムスがどうするかはアダムスが決めればいい。
その考え方が、いつの間にかアレクサンドにも根づいていた。
最後に残ったのは、最も規模の大きな計画だった。
破壊不能ゴーレム。
国王はアルフレッド侯爵の名が書かれた箇所を見る。
「これは正式に王命として依頼する」
アレクサンドが国王を見る。
「王命ですか?」
「希少金属を大量に預ける以上、個人同士の話にはできん。それに国外で使用する可能性がある。王国が所有権と責任を持つ必要がある」
それならアレクサンドにも異論はなかった。
「アルフレッド侯爵なら、大規模災害で何が必要になるか知っている」
アイクが言った。
百万体のスタンピード。
それを経験した人間だからこそ、単純に強いだけのゴーレムにはしないだろう。
守る。
運ぶ。
退ける。
道を作る。
救援拠点を維持する。
そうした現場で必要な能力を考えられる。
「ただし」
国王の声が少し低くなった。
「完成したからといって、勝手に国外へ出すことは認めん」
アレクサンドが頷く。
「もちろんです」
「国際冒険者ギルドから正式な救援要請があった場合に貸与する。王国軍の代用品にもさせん」
「はい」
「占領にも使わせない」
「そのためのゴーレムです」
敵兵を殺す必要はない。
城を落とす必要もない。
領土を奪う必要もない。
救援活動を妨害する者がいれば、止めればいい。
破壊されないのであれば、それだけで十分だった。
そこで宰相クレインが一つ確認した。
「国外救援の最初の対象は帝国ですかな?」
会議室が静かになる。
マーガレットが首を横に振った。
「こちらから決めることではありません」
「では?」
「救援を求めた場所です」
帝国だから助けるのではない。
帝国だから見捨てるのでもない。
略奪国家でも、宗教国家でも、旧態依然とした王国でも同じだった。
現地の住民や冒険者ギルド支部から正式な救援依頼が出る。
国際冒険者ギルドが必要と判断する。
その時、王国は力を貸す。
国王はゆっくり頷いた。
「それならよい」
国境を越えて軍を進めるのではない。
王国の制度を押しつけるのでもない。
助けを求めた者へ、助けられる者が手を差し伸べる。
そして、自分たちで立てるようになるまで教える。
国王は企画書の一番上に書かれた文字をもう一度見た。
**新人専門教室。**
巨大な国外政策の始まりとは思えないほど、小さな名前だった。
しかしオーキスには分かり始めていた。
必要なのは、最初から何万人もの救援部隊を作ることではない。
一人の教師が十人を育てる。
その十人が、次の百人を育てる。
そうして教える者そのものを増やしていく。
「まずは教師を増やせ」
国王は命じた。
「救える者の数を増やすところから始めよう」
それが、新企画の最初の一歩となった。
王宮で新企画が承認されると、その日のうちにいくつもの話が別々の場所へ向かって動き始めた。
すべてを統括する者はいない。
その必要もなかった。
新人専門教室については、アレクサンドが冒険者ギルドへ向かった。
話を聞いたギルドマスターのバルドは、最初こそ腕を組んでいたが、教師の名前を聞いてすぐに態度を変えた。
「ガイルたち二十五人を全員使うのか?」
「はい」
「贅沢な教室だな」
Aランク冒険者であるガイルを中心に、実戦経験を積んだ二十五人が新人を教える。
しかも、単なる剣術や魔法の講習ではない。
魔力循環。
魔力操作。
索敵。
連携。
解体。
調理。
野営。
魔物との距離の取り方。
撤退の判断。
冒険者が実際に生き残るために必要なものをまとめて教える。
「十属性まで教えるのか?」
バルドも同じことを聞いた。
アレクサンドは首を横に振る。
「必要ありません」
「お前がそれを言うのか」
「必要な能力を覚えればいいでしょう?」
バルドは少し黙った後、大きく笑った。
「違いない」
新人が十属性を持つことより、依頼から生きて帰ることの方が重要である。
さらにアレクサンドは条件を加えた。
「教師には報酬を出してください」
「当然だ」
「善意で教える仕組みにはしたくありません」
その言葉に、バルドは真顔になった。
教師を職業として成立させる。
教える者が生活できなければ、教導は一時的な活動で終わる。
「分かった。ギルド側で制度を作る」
こうして新人専門教室の設立が決まった。
一方、王宮では宰相クレインが各地へ文書を送っていた。
公衆浴場の建設候補地。
人口。
水源。
既存の水路。
必要となる石材。
土属性、水属性、火属性を扱える者の人数。
いきなり王国中へ同じ浴場を建てるのではない。
町ごとに条件が違う。
ならば現地で使いやすい形にすればよい。
王妃バイオレットも動いた。
衛生教育に使う内容を、王宮の治療関係者や使用人たちと確認していく。
手を洗う。
身体を洗う。
下着を替える。
寝具を清潔にする。
食器や調理器具を洗う。
飲み水を汚さない。
難しい話ではない。
しかし、それを日常の習慣にすることに意味がある。
アンジェラのもとにも連絡が届いた。
「王国中に下着を?」
さすがのアンジェラも一瞬固まった。
必要になる量を考えれば当然だった。
数百枚ではない。
数千枚でも足りない。
「私たちだけでは無理ですよ」
彼女はすぐに結論を出した。
だが、それは断るという意味ではない。
「だったら、作れる人を増やしましょう」
糸を紡ぐ者。
布を織る者。
裁断する者。
縫う者。
染める者。
それぞれを教える教師も必要になる。
アンジェラは、自分がすべて作ろうとは考えなかった。
かつて教えてもらった自分が、今度は誰かへ教える。
そして、その誰かが次の人間へ教える。
それでいい。
さらに王宮から、一通の正式な書状がアルフレッド侯爵へ送られた。
内容を読んだアルフレッドは、机の上でもう一度書状を広げた。
「……ゴーレム?」
王国から預けられる予定の素材を見て、眉が動く。
ミスリル。
オリハルコン。
アダマンタイト。
しかも少量ではない。
「これだけの希少金属を、どこから……」
書状の続きを読んだ。
アダムス・キンバリー。
アルフレッドはしばらく黙った。
そして、もう一度その名前を見る。
「また、この学生か」
王都で何度も聞くようになった名前だった。
依頼内容は、単純な戦闘用ゴーレムの製造ではない。
住民護衛。
物資輸送。
瓦礫撤去。
土木作業。
魔物への対処。
救援拠点防衛。
さらに、教導を受けていない一般的な兵士や魔法使いでは破壊困難な強度を求められている。
アルフレッドは椅子へ深く座った。
百万体のスタンピードを思い出す。
あの規模になると、強い戦士が一人増えたところで足りない。
運ばなければならない。
守らなければならない。
道を確保しなければならない。
負傷者を救出しなければならない。
避難場所を維持しなければならない。
必要なのは敵を倒すだけの兵器ではなかった。
「救援用重機を、壊せないほど頑丈にするのか」
アルフレッドの表情が変わった。
面白い。
剣を持たせる必要すらないかもしれない。
巨大な腕で瓦礫を持ち上げられる。
荷車を何台も牽引できる。
崩れた橋を支えられる。
魔物が来れば住民との間に立てる。
敵兵が来ても、攻撃を受けながら進路を塞げばいい。
「なるほど」
百万体の魔物を前にした経験が、今度は人を殺さないための技術へ変わろうとしていた。
そして、アダムス本人のところにも話が届いた。
「金属属性持ちを増やすんですか?」
説明を聞いたアダムスは、嬉しそうに顔を上げた。
「いいですね」
返事はそれだけだった。
自分の仕事を奪われるとも、自分だけの技術を広められるとも考えていない。
「ダンジョン掘削部隊も作るそうです」
「じゃあ、もっと掘れますね」
話を伝えに来た者は、一瞬返事に困った。
アダムスにとって重要なのは、自分が特別であることではない。
面白いことができるかどうかだった。
その頃、王宮から自宅へ戻ったアークは、何もしていなかった。
マーガレットと一緒に食卓についている。
「ずいぶん大きな話になったわね」
「そうだな」
「あなた、本当に何もしないの?」
マーガレットが少し面白そうに尋ねる。
アークは首を傾げた。
「何をするんだ?」
マーガレットは思わず笑った。
新人専門教室はアレクサンドと二十五人が動かす。
浴場は王宮と各地域が作る。
衛生教育には新しい教師が生まれる。
紡織はアンジェラたちが広げる。
掘削部隊は金属属性を持つ者たちが育てる。
ゴーレムはアルフレッド侯爵が考える。
国外救援を主導するのは国際冒険者ギルド。
そこにアークが入って指揮する場所はなかった。
「いいんじゃないか」
アークはそれだけ言った。
教師がいつまでも教え子の前に立ち続ける必要はない。
教え子が自分で考え、自分とは違う道を選び、その先でまた誰かを育てる。
その連鎖が始まったのなら、教師の仕事は一つ減ったことになる。
アルデバラン王国では、その日、一つの新企画が動き始めた。
誰も知らなかった。
新人冒険者を育てるために作られた小さな教室が、やがて国境の向こう側まで教師を送り出すことになるなど。
まして、その教師たちが救った民によって、支配する者と支配される者という大陸の古い常識そのものが崩れていくことなど。
この時点では、まだ誰も考えていなかった。




