82 祝福
解体と食事が終わった。
25人の前には、綺麗に処理された皮、骨、魔石が並んでいる。
肉の一部は先ほどの食事で使われ、残った肉も部位ごとに分けられていた。
誰かが鑑定すると、すぐに声が上がった。
「解体スキルを覚えてる!」
その声につられるように、他の者たちも自分の状態を確認する。
「俺もだ」
「調理スキルもあるぞ」
「こっちも両方ある」
次々と喜びの声が上がった。
25人が解体スキルと調理スキルを習得していた。
アダムスも自分の状態を確認し、思わず笑みを浮かべた。
戦闘に関する技術なら、これまで数多く学んできた。
剣術。
槍術。
格闘術。
さらに10属性の魔法を扱える。
それでも今回得た2つのスキルは、これまでとは少し意味が違っていた。
魔物を倒すためではない。
倒した後に残されたものを、人の暮らしへ繋げるための技術だった。
アダムスは並べられた素材を見る。
傷の少ない皮。
綺麗に肉を取り除かれた骨。
損傷していない魔石。
そして食料として利用できる大量の肉。
同じ魔物を討伐しても、乱雑に倒して素材を損壊すれば得られるものは減る。
強力な魔法で吹き飛ばせば簡単に倒せるかもしれない。
しかし皮が破れ、肉が焼け、骨が砕け、魔石まで傷つけば、それだけ価値を失う。
「強ければいいってわけじゃないんだな」
アダムスが呟いた。
近くにいたレオンが頷いた。
「俺たちも最初から分かっていたわけじゃないさ」
レオン、ガレス、ミリア、エリックも、アルゼ村でサーシャから解体を教わった。
そこで基礎を身につけ、その後も自主的に解体を続けた。
どうすれば皮を傷つけないか。
どこから肉を切り離せば歩留まりが良くなるか。
骨を砕かず取り出すにはどうするか。
魔石を損傷させず回収するには、どれほど細かな魔力操作が必要なのか。
経験を重ねるほど技術は磨かれた。
今では4人の解体技術は、実質Sランクを超える域に達している。
ガレスが魔石を1つ持ち上げた。
「これを壊したら、その分だけ価値が消える。皮も肉も同じだ」
ミリアも続ける。
「討伐した魔物は、倒した瞬間から素材になるのよ」
エリックは残された肉へ視線を向けた。
「肉なら人が食べられるわ。町なら商品になるし、食料が足りない場所ならもっと大切でしょうね」
その言葉に25人の表情が変わった。
彼らは今日、自分たちで解体した肉を食べた。
だからこそ意味が分かる。
魔物の肉は、人を生かす食料でもある。
貧困村なら、その価値はさらに大きい。
腹を空かせた子供がいる。
十分な栄養を取れず、病に耐えられない者もいる。
そんな場所へ肉を持ち込めば、それだけで多くの食卓を支えられる。
皮を売れば金になる。
骨にも用途がある。
魔石は魔道具や様々な産業に利用できる。
討伐した魔物から得られるものを損なわず持ち帰ることは、冒険者自身の利益だけの話ではない。
その先にいる人々の生活にも繋がっている。
アダムスは納得したように頷いた。
「素材の価値を守るところまでが冒険者の仕事なんですね」
「そういうことだな」
レオンが笑った。
25人は並べられた素材を改めて見た。
戦闘術を学ぶだけなら、魔物を倒せればいい。
しかし冒険者として生きるなら、その先がある。
討伐する。
解体する。
食料にする。
素材を持ち帰る。
売却された素材は職人へ渡り、別の製品へ姿を変える。
そこでまた人の仕事が生まれる。
1体の魔物を無駄なく利用することが、誰かの暮らしへ繋がっていく。
アークから始まった教えも同じだった。
アークがレオンたちへ教えた。
サーシャが解体を教えた。
学んだ4人が、今度は25人へ伝えた。
教師が1人で世界を変えるのではない。
教わった者が次の者へ伝えるからこそ、技術は広がっていく。
25人は今日、新しい2つのスキルを得た。
しかし本当に大きな収穫は、スキルそのものではなかった。
力を持つ者には、壊さずに残せるものがある。
価値を守り、人へ届けることができる。
そのことを25人は、自分たちの手で学んだのだった。
25人の訓練が一段落した頃、ガイルたちにも生活の変化が訪れていた。
ガイル、アレクサンド、アンジェラの3人が、同じ家で暮らし始めたのだ。
これまでも行動を共にする時間は長かった。
ガイルはAランク冒険者として部隊をまとめ、必要な人員を配置する。
アレクサンドは王国騎士団の騎士として教導全体を見守り、自らも教導スキルを磨いてきた。
アンジェラは紡織教師として技術を伝えながら、冒険者としての訓練にも参加している。
立場も経験も違う3人だった。
それでも同じ場所で人を育て、同じ食卓を囲むうちに、自然と生活を共にするようになっていた。
新しい住居へ荷物を運んでいると、レオン、ガレス、ミリア、エリックがやって来た。
レオンは荷物を抱えたガイルを見るなり笑った。
「ガイルさん、おめでとうございます」
「ありがとう」
ガイルも笑って答えた。
戦闘や部隊運用では落ち着いているガイルも、この時ばかりは少し照れている。
ガレスがその顔を見逃さなかった。
「珍しいですね。ガイルさんがそんな顔をするなんて」
「俺だってする時はする」
「覚えておきます」
「余計なことを覚えるな」
そのやり取りに笑いが起きた。
ミリアとエリックはアレクサンドとアンジェラのところへ向かった。
「おめでとうございます、アレクサンドさん」
「ありがとう」
アレクサンドは嬉しそうに微笑んだ。
「こうして祝ってもらえるのは、やっぱり嬉しいものね」
「アンジェラさんも、おめでとうございます」
エリックが声をかけると、アンジェラは少し照れながら頭を下げた。
「ありがとうございます」
その表情を見て、ミリアも笑顔になる。
アンジェラがアルタリア帝国にいた頃、このような未来を想像することは難しかった。
帝国では貧困と飢餓が広がり、人々が国を離れ続けている。
アンジェラ自身も帝国を離れた1人だった。
それが今では紡織教師となった。
糸を扱い、布を作る技術を教える。
教えた者がさらに別の者へ技術を伝えることで、紡織産業そのものが少しずつ広がっている。
そして今度は、自分自身も冒険者として学び始めていた。
戦闘術。
魔力循環。
魔力操作。
解体。
調理。
知らなかったことを学ぶたびに、できることが増えていく。
アンジェラは部屋へ運び込まれた荷物を見ながら、静かに言った。
「帝国を出た時は、生きていくことだけで精一杯でした」
その言葉に4人が耳を傾ける。
「教師になることも、冒険者として学ぶことも、こうして家庭を持つことも考えていませんでした」
アレクサンドがアンジェラの肩へ優しく手を置いた。
「これから考えればいいわ」
「はい」
短い言葉だった。
しかしアンジェラには、それで十分だった。
過去に何があったとしても、これから先まで決められているわけではない。
学ぶことができる。
働くことができる。
誰かを教えることもできる。
そして自分で生き方を選ぶこともできる。
「ところで」
レオンが家の中を見回した。
「まだ荷物が残っていますね」
「後で運ぶつもりだ」
ガイルが答える。
するとガレスはすでに荷物へ手を伸ばしていた。
「4人いるんですから、今やった方が早いですよ」
「私たちも手伝います」
ミリアとエリックも動き始める。
「祝うだけじゃなかったのか?」
ガイルが笑う。
「これも祝いですよ」
レオンはそう言って荷物を抱えた。
誰かが命令したわけではない。
それぞれが自分で考えて動いていた。
荷物が運び込まれる。
家具の位置を整える。
アンジェラが持ってきた布や衣服は、ミリアとエリックが一緒になって整理した。
アレクサンドも手を動かす。
ガイルとレオン、ガレスは重い荷物を次々と運んだ。
作業をしながら笑い声が続く。
そこには騎士と冒険者という壁もなかった。
Aランク冒険者だから偉いわけでもない。
教師だから上に立つわけでもない。
必要なことがあれば手を貸す。
誰かに嬉しいことがあれば祝う。
困っている者がいれば支える。
いつの間にか彼らの関係は、単なる部隊の仲間という言葉だけでは足りなくなっていた。
荷物を運び終えたガイルが室内を見回した。
「随分と賑やかになったな」
ミリアが笑った。
「いいじゃないですか。家族が増えたみたいで」
ガイルはアレクサンドとアンジェラを見る。
2人も笑っていた。
レオン、ガレス、ミリア、エリックもそこにいる。
共に戦い、学び、教え、食事をしてきた仲間たち。
アークが育てた弟子たちは、自分たちの足で歩き始めていた。
その過程で生まれた繋がりもまた、彼らが手にした大切な祝福だった。
アーク邸では、訓練場とはまるで違う時間が流れていた。
部屋の中央に置かれた小さな寝台。
その中で、マーガレットが産んだ娘が静かに眠っている。
アークは寝台の横に座り、飽きることなく赤子を眺めていた。
小さな顔。
小さな手。
規則正しく上下する胸。
時折、何かを掴もうとするように指が動く。
そのたびにアークの表情が緩んだ。
「かわいいな」
マーガレットが寝台で身体を休めながら笑った。
「あなた、それを何回言ったのですか?」
「何回でもいいだろ。かわいいものはかわいいんだから」
アークは気にする様子もない。
普段の彼を知っているマーガレットには、その姿がおかしくもあり、嬉しくもあった。
辺境の小さな村で戦闘術を教えていた男。
無手戦闘術。
身体操作。
捕縛術。
拘束術。
関節技。
魔力循環。
魔力操作。
アークは自分が知っていることを弟子たちへ惜しみなく教えてきた。
今では、その教えを受けた者たちが各地で人を育てている。
そんな男が今は戦闘術のことなど忘れたように、赤子の小さな手を見つめていた。
そこへサーシャがやって来た。
「先生」
「どうした?」
サーシャの視線は、すでに赤子へ向いている。
「私にも抱かせてください」
「もちろん」
アークは慎重に娘を抱き上げた。
いつもの気軽な動きとは違う。
壊れ物を扱うように腕へ乗せ、サーシャへ渡す。
「首を支えてやってくれ」
「分かっています」
サーシャも慎重に赤子を受け取った。
その瞬間、表情が変わる。
「小さい……」
アークが笑った。
「俺も最初にそう言った」
「これは言いますよ」
サーシャは腕の中の赤子を見つめる。
戦闘では迷いなく敵を制圧する彼女も、今は少し緊張していた。
赤子が小さく身体を動かす。
「先生、動きました」
「赤ん坊なんだから動くだろ」
「分かっていますけど」
マーガレットが2人を見て笑った。
「サーシャも随分と気に入ったみたいですね」
「はい。とてもかわいいです」
その返事に迷いはなかった。
赤子が小さな手を伸ばした。
サーシャが指を近づける。
小さな指が、サーシャの指を握った。
「先生!」
「おお、握ったな」
「すごい力です」
「いや、そこまで強くないだろ」
「そういう意味ではありません」
また笑い声が広がった。
静かな部屋だった。
大きな魔法もない。
戦闘もない。
誰かを捕縛する必要もない。
ただ、新しく生まれた命を囲んでいる。
それだけの時間だった。
マーガレットはアークとサーシャを眺めながら、娘がこれから生きていく世界について考えていた。
この子が大人になるまでには長い時間がある。
その間にも王国は変わっていくだろう。
以前は魔力を持っていても、その使い方を知らない者が多かった。
才能がなかったわけではない。
教えてくれる者がいなかった。
今では違う。
アークが教えた弟子たちがいる。
サーシャもその1人だった。
レオンたちも教える側へ回り始めている。
騎士も冒険者も村人も、生産に携わる者も、学んだ技術を次の者へ伝えている。
農業を学ぶ者が増えれば食料が増える。
紡織を学ぶ者が増えれば衣服が作られる。
治癒を学ぶ者が増えれば病や怪我に苦しむ者を救える。
戦闘術を学べば、自分たちの村を自分たちで守れる。
教育は、誰か1人だけを強くするものではなかった。
人から人へ渡っていくことで、暮らしそのものを変えていく。
「この子が大きくなる頃には、どうなっているのでしょうね」
マーガレットが呟いた。
アークは少し考えた。
それから、いつもの気さくな笑顔を見せる。
「さあな」
「考えていないのですか?」
「未来なんて俺にも分からないよ」
アークはサーシャに抱かれている娘を見た。
「でも、この子が自分で好きな道を選べるようになっていれば、それでいいんじゃないか?」
マーガレットは静かに微笑んだ。
サーシャも頷く。
アークは世界を自分の思い通りに作ろうとはしていない。
弟子たちにも、自分と同じ道を歩けとは言わない。
教える。
選択肢を増やす。
その後は本人に任せる。
それは戦闘術でも人生でも同じだった。
サーシャの腕の中で、赤子が小さなあくびをした。
3人の表情が同時に緩む。
この小さな命が何を学び、何を選び、どこへ歩いていくのか。
それはまだ誰にも分からない。
だからこそ楽しみだった。
アーク邸にはその日、いつまでも穏やかな笑い声が響いていた。
数日後、アーク邸を国王オーキス・アルデバランと王妃バイオレット・アルデバランが訪れた。
2人の目的は政務ではない。
孫たちに会うためだった。
部屋へ入ったオーキスの視線は、すぐにマーガレットの娘へ向かった。
「おお……」
国王として臣下の前に立つ時とは、まるで違う顔になった。
マーガレットが笑う。
「お父様、抱いてあげてください」
「もちろんだ」
オーキスは両手を差し出し、マーガレットから孫娘を受け取った。
その動きは驚くほど慎重だった。
「軽いな」
腕の中に収まった小さな孫娘を見つめる。
赤子は祖父が国王であることなど知るはずもなく、気持ちよさそうに眠っている。
「バイオレット、見てみろ」
「先ほどから見ていますよ」
王妃は微笑んでいた。
「かわいいだろう」
「ええ、とても」
オーキスは満足そうに頷いた。
しばらく孫娘を抱いた後、今度はバイオレットへ渡す。
王妃も優しく赤子を抱きかかえた。
「マーガレット、本当によく頑張りましたね」
「ありがとうございます、お母様」
バイオレットは娘へ微笑み、それから腕の中の孫娘へ視線を戻した。
その時、別の寝台から小さな声が聞こえた。
オーキスがすぐに振り向く。
そこにはサーシャの息子がいた。
「おお、起きたか」
サーシャが息子を抱き上げる。
オーキスは待っていましたとばかりに近づいた。
「サーシャ、こちらも抱かせてもらっていいか?」
「もちろんです」
サーシャは笑顔で息子を渡した。
オーキスは再び慎重に赤子を受け取る。
「元気そうだな」
サーシャの息子は眠るどころか、腕の中で小さな手足を動かしていた。
「おお、よく動く」
その声にアークが笑った。
「さっきからずっとそんな感じですよ」
「それはいい。元気なのが何よりだ」
オーキスが指を近づけると、小さな手がその指を掴んだ。
国王の顔が一気に緩んだ。
「バイオレット、見たか?」
「見ています」
「私の指を掴んだぞ」
「赤子はよく掴みますよ」
そう言いながらも、バイオレットの表情も嬉しそうだった。
孫娘をマーガレットへ返すと、今度はサーシャの息子を抱かせてもらう。
「まあ、本当に元気ですね」
「はい」
サーシャが嬉しそうに答えた。
バイオレットはマーガレットの娘とサーシャの息子を交互に見た。
2人の赤子。
まだ言葉すら話せない小さな命が、アーク邸に新しい賑わいを生み出していた。
しばらく孫たちを可愛がった後、オーキスはアークへ顔を向けた。
「アーク」
「はい?」
「改めて礼を言わせてほしい」
突然の言葉に、アークは首を傾げた。
「孫のことですか?」
「それもある」
オーキスは笑った。
しかし、その表情はすぐに国王としてのものへ変わっていった。
「王国は劇的に変わった」
オーキスは、この数年で起きた変化を思い返す。
かつてのアルデバラン王国は、ごく普通の農業国だった。
特別に貧困が広がっているわけではない。
しかし豊かな国でもなかった。
多くの民が魔力を持ちながら、その扱い方を知らなかった。
それが今では魔力循環を学ぶ者が増えた。
魔力操作を覚え、生活へ魔法を利用する者も増えている。
農業技術が広がり、生産力が上がる。
紡織産業にも新しい技術が入る。
治癒を学ぶ者が増えれば、病や怪我への対応も変わる。
冒険者は戦闘術だけではなく、解体や調理まで学び始めた。
そして何より大きいのは、教える者が増え続けていることだった。
「お前が1人で王国中を回ったわけではない」
オーキスが言う。
「はい」
「お前から学んだ者たちが人を育て、その者たちがまた別の者へ教えている。その結果が今の王国だ」
アークは少し困ったように笑った。
「俺は知っていることを教えただけですよ」
「その『教えただけ』が、国を変えたのだ」
オーキスは静かに答えた。
バイオレットも微笑む。
「力を与えるだけでは、こうはならなかったでしょうね」
「そうだな」
国王は頷いた。
「自分で考え、自分で働き、自分で次の者を育てる。その流れが王国中に生まれ始めている」
アークはマーガレットの娘を見る。
次にサーシャの息子を見る。
この子供たちが成長する頃、王国がどうなっているのか。
誰にも分からない。
ただ1つだけ、以前より選べる未来が増えていることは確かだった。
オーキスも2人の孫へ視線を向けた。
「王国が変わり、さらに孫まで2人増えた」
そしてアークを見て笑った。
「ありがとう、アーク」
バイオレットもその隣で穏やかに微笑んだ。
新しい命が育つ。
教えられた者が、また人を育てる。
その連なりの先にあるアルデバラン王国の未来を思いながら、オーキスは再び孫たちのそばへ歩いていった。




