64 亡命
アルタリア帝国兵二万余りを受け入れてから数日後。
国境近くの収容地では、教導が続けられていた。
魔力循環。
魔力操作。
十分な食事。
温かい住居。
規則正しい生活。
兵士たちの表情には少しずつ笑顔が戻り始めていた。
そんなある日、一人の帝国兵が地方衛兵隊長の前へ進み出る。
「お願いがあります。」
「申してみよ。」
兵士は深く頭を下げた。
「私だけ助かっても意味がありません。」
「帝国には妻と子どもが残っています。」
「年老いた両親もおります。」
「家族と一緒に、この国へ亡命させていただけないでしょうか。」
その言葉を聞いた周囲の兵士たちも立ち上がった。
「私も妻を残してきました。」
「故郷の村には子どもがいます。」
「家族を見捨てることはできません。」
地方衛兵隊長は静かに頷く。
「その願いは王都へ伝えよう。」
直ちにテレパシーが送られた。
『国境収容地より王都。』
『捕虜多数が家族との亡命を希望しております。』
『ご裁可をお願いします。』
王都。
騎士団本部。
報告を受けた騎士団長アイクは、直ちに王宮大会議室へ向かった。
そこには国王オーキス・アルデバラン。
王妃バイオレット・アルデバラン。
マーガレット。
宰相クレイン・レッドバルト。
重臣たちが集まっている。
アイクは敬礼した。
「ご報告いたします。」
「捕虜となっている帝国兵の多くが、家族と共に亡命したいと希望しております。」
国王は静かに目を閉じる。
しばらく考えた後、ゆっくりと口を開いた。
「家族を引き離してはならぬ。」
「亡命を希望する者は、家族ごと受け入れる。」
宰相が尋ねる。
「受け入れ部隊を編成いたしますか。」
「ああ。」
国王は力強く頷いた。
「亡命希望者の支援部隊を編成せよ。」
「規模は二万人程度。」
「団長は、このたび復権したアルフレッド侯爵に任せる。」
「はっ。」
その日のうちに命令書はアルフレッド侯爵領へ届けられた。
再教育を終えて復権したアルフレッド侯爵は、領地へ戻ると直ちに改革へ着手していた。
まず家臣と騎士たちへ魔力循環と魔力操作を教導する。
さらに教導教師たちと協力し、昼夜を問わず教導を続けた結果、一万名の領軍は六属性魔法、飛行魔法、索敵魔法、各種超能力を次々に覚醒させていた。
命令書を受け取ったアルフレッド侯爵は、すぐに全軍を召集する。
「我々の任務は戦争ではない。」
「人を救うことだ。」
一万人の騎士が一斉に敬礼した。
「はっ!」
こうして王国初となる大規模な亡命支援作戦が動き始めた。
翌朝。
アルフレッド侯爵は一万名の領軍を率い、飛行魔法で国境へ向かった。
約四十分後。
国境近くの駐屯地へ到着する。
すでに地方衛兵たちは受け入れ準備を終えていた。
衛兵隊長が敬礼する。
「アルフレッド侯爵閣下、お待ちしておりました。」
アルフレッド侯爵も敬礼を返す。
「現状を報告してくれ。」
「現在、アルタリア帝国兵二万一千四百二十六名を保護しております。」
「その大半が家族との亡命を希望しております。」
「了解した。」
アルフレッド侯爵は周囲を見渡した。
広大な平原が続いている。
飛行部隊の離着陸にも十分な広さだった。
「ここを亡命支援部隊の前進基地とする。」
その日のうちに近隣の都市や村から一万名の衛兵が招集された。
すでに教導を受けた者ばかりである。
魔力循環。
魔力操作。
六属性魔法。
飛行魔法。
索敵魔法。
テレパシー。
アイテムボックス。
捕縛魔法。
拘束魔法。
実戦経験も積んでいた。
アルフレッド侯爵は自領の騎士団一万名と合わせ、総勢二万名の部隊を編成する。
飛行部隊。
索敵部隊。
護衛部隊。
救護部隊。
輸送部隊。
案内部隊。
それぞれへ役割を割り振った。
続いて連携訓練が始まる。
飛行速度を合わせる。
テレパシーで情報を共有する。
索敵魔法で周囲を警戒する。
アイテムボックスによる物資輸送。
捕縛。
拘束。
保護対象の搬送。
戦闘ではなく、人命救助を前提とした訓練が繰り返された。
三日後。
全隊が演習を終える。
アルフレッド侯爵は二万名を前に立った。
「諸君。」
「本日より我々を亡命支援部隊と命名する。」
兵士たちは一斉に姿勢を正す。
「任務は亡命支援のみ。」
「戦闘は行わない。」
「敵兵が現れても殺傷は許さん。」
「捕縛。」
「拘束。」
「武器と防具は没収する。」
「抵抗を止めた者はその場へ残し、亡命希望者の保護を優先せよ。」
全員が真剣な表情で聞いていた。
アルフレッド侯爵はさらに続ける。
「亡命希望者に上限は設けない。」
「老人も。」
「女性も。」
「子どもも。」
「希望する者は全員受け入れる。」
「アイテムボックスの保護空間へ収容し、安全に王国へ移送せよ。」
「食料、水、毛布、医薬品は十分に準備してある。」
「我々は敵を倒す部隊ではない。」
「人を救う部隊である。」
二万名の兵士が一斉に敬礼した。
「はっ!」
こうして亡命支援部隊は出動準備を完了した。
彼らが守るのは国境ではない。
飢えと戦乱から逃れ、新しい人生を求める人々の未来だった。
翌朝。
亡命支援部隊は国境を越えた。
飛行部隊が上空から索敵魔法を展開する。
「北東十キロ。」
「街道上に避難民約三千。」
「戦闘なし。」
「南西十五キロ。」
「村落に避難希望者約二千。」
テレパシーによって情報は瞬時に全部隊へ共有された。
アルフレッド侯爵は即座に命令する。
「各部隊、予定どおり行動開始。」
「亡命希望者を保護せよ。」
「敵兵とは交戦するな。」
「はっ!」
二万名の部隊は百名単位へ分かれ、それぞれの担当区域へ飛び立った。
ある村。
痩せ細った村人たちが、不安そうに空を見上げていた。
そこへ亡命支援部隊が静かに着陸する。
武器は抜かない。
威圧もしない。
隊長が穏やかに声を掛けた。
「アルデバラン王国亡命支援部隊です。」
「亡命を希望する方を保護しに参りました。」
村人たちは顔を見合わせる。
老人が震える声で尋ねた。
「……本当に連れて行ってくれるのですか。」
「はい。」
「年齢も身分も問いません。」
「亡命を希望する方は全員保護します。」
その言葉を聞いた一人の母親が泣き崩れた。
幼い娘を抱き締めながら何度も頭を下げる。
「ありがとうございます……。」
「ありがとうございます……。」
部隊員たちは食料を配布する。
酵母パン。
野菜スープ。
焼いた魔物肉。
子どもたちは夢中で食べ始めた。
一方、街道では帝国兵が亡命支援部隊を発見していた。
武器を構える者もいたが、その表情に戦意はない。
隊長が静かに前へ出る。
「武器を捨ててください。」
「亡命を希望する方は保護します。」
兵士たちは互いの顔を見る。
やがて一人が剣を地面へ置いた。
続いて槍。
弓。
盾。
次々に武器が置かれていく。
部隊員はアイテムボックスへ収納した。
拘束はしない。
亡命希望者として受け入れるためである。
教導教師が前へ出る。
「落ち着いてください。」
「皆さんは安全です。」
その言葉に、多くの兵士が涙を流した。
飛行部隊から再び報告が入る。
「各地で亡命希望者を確認。」
「推定五万人を超えます。」
さらに十分後。
「十万人を突破。」
「なお増加中。」
アルフレッド侯爵は静かに頷く。
「想定どおりだ。」
「受け入れ人数に上限はない。」
「希望者は全員保護する。」
部隊は手際よくアイテムボックスの保護空間へ亡命希望者を収容していく。
保護空間では食料と水が配られ、教導教師が安心させるように声を掛けていた。
戦わずに人を救う。
その理念は、亡命支援部隊のすべての行動に貫かれていた。
亡命支援部隊が活動を開始して一週間。
国境地帯では、かつて見たことのない光景が広がっていた。
アルタリア帝国各地から人々が集まってくる。
農民。
職人。
商人。
老人。
女性。
子ども。
そして帝国兵たち。
誰もが家族の手を握り、国境を目指して歩いていた。
飛行部隊は絶えず索敵魔法を展開する。
「北西より一万人。」
「東街道より八千人。」
「南方の村から六千人。」
報告は途切れることがない。
アルフレッド侯爵はテレパシーで全部隊へ命令する。
「予定どおり保護を続けよ。」
「老人と子どもを優先。」
「食料が不足している者には現地で配給を行え。」
「亡命希望者は全員保護する。」
「はっ!」
部隊は各地へ飛び立った。
食料を配る者。
医療を担当する者。
保護空間へ案内する者。
教導を始める教師。
全員が迷いなく役割を果たしていく。
一方、各地では帝国軍も亡命支援部隊を発見していた。
指揮官は兵士たちへ命じる。
「止めろ!」
「逃がすな!」
しかし兵士たちは動かなかった。
誰も武器を構えない。
一人の兵士が静かに剣を地面へ置く。
「私は戦いません。」
その言葉に続き、周囲の兵士たちも武器を捨て始めた。
槍。
弓。
盾。
鎧。
部隊員は武器と防具だけを没収し、兵士たちを拘束しない。
「亡命を希望しますか。」
「……はい。」
「家族も一緒ですか。」
「お願いします。」
教導教師は穏やかに頷いた。
「皆さんも保護します。」
その言葉に、多くの兵士が涙を流した。
保護空間へ収容された人々には温かい食事が配られる。
酵母パン。
野菜スープ。
焼いた魔物肉。
子どもたちは安心したように笑顔を見せる。
老人たちは何度も頭を下げていた。
活動開始から十日後。
国境前進基地。
主任文官が集計結果を読み上げる。
「現在までの保護人数。」
「三十万二千四百十八名。」
会議室が静まり返る。
アルフレッド侯爵は静かに報告書を閉じた。
「予定どおり王都へ報告する。」
その日の夕方。
テレパシーによる報告が王宮へ届く。
『亡命希望者、三十万人を突破しました。』
王宮大会議室。
国王オーキス・アルデバランは静かに報告を聞き終える。
「……三十万人か。」
宰相クレイン・レッドバルトも深く頷く。
「帝国の疲弊は、我々の想像を超えていたようです。」
マーガレットは静かに窓の外を見つめる。
三十万人という数字は、単なる人口ではない。
それは、生きることを諦めかけていた人々の数だった。
国王は静かに立ち上がる。
「住居を増設せよ。」
「農地をさらに開拓する。」
「教師を追加派遣しよう。」
「この者たちにも、自立する力を身につけてもらう。」
誰も異論を唱える者はいなかった。
アルデバラン王国は侵略によってではなく、救済によって新しい民を迎え入れる。
その決断は、やがてアルタリア帝国そのものを大きく変えていくことになるのだった。




