63 領地侵犯
貴族学校改革は順調に進んでいた。
復職した教師たちは以前とは別人のようだった。
魔力循環と魔力操作を続けながら、生徒一人ひとりへ丁寧に教導している。
差別や家格による優遇は見られない。
復学した令息や令嬢たちも真剣に学び続けていた。
教室では侯爵家の令息と男爵家の令息が同じ机で議論する。
農業。
商業。
行政。
物流。
統治。
未来の領主として必要な知識を互いに教え合っていた。
マーガレットはその光景を見て静かに頷く。
「ようやく、本来の学校になりましたね。」
アレクサンドラも微笑む。
「家格ではなく努力を尊重する空気が根付きました。」
その頃。
王国北方国境に近い辺境では異変が起きていた。
見張り台に立っていた地方衛兵が索敵魔法を発動する。
「北方より集団接近。」
すぐにテレパシーで周辺の衛兵隊へ連絡が送られた。
近隣の農民たちも教導を受けた者ばかりである。
魔力循環を続けながら現地へ集まってくる。
衛兵隊長が冷静に指示を出した。
「包囲する。」
「捕縛を優先。」
「殺傷は禁止。」
「了解。」
飛行魔法で上空から接近する班。
地上から包囲する班。
全員が連携して行動する。
間もなく国境を越えてきた兵士たちの姿が確認された。
鎧は傷だらけ。
衣服も破れている。
顔色は悪く、明らかに栄養不足だった。
それでも武器だけは握り締めていた。
衛兵隊長は静かに命じる。
「開始。」
水属性魔法が一斉に放たれる。
捕縛。
拘束。
窒息。
隣国兵たちは抵抗する間もなく、その場へ座り込んだ。
武器。
鎧。
盾。
すべて回収される。
没収した装備はアイテムボックスへ収納された。
農民の一人が驚いたように呟く。
「思ったより弱い……。」
衛兵隊長は静かに頷く。
「飢えている。」
「戦う体ではない。」
捕縛を終えると、全員を近くの休憩所へ案内した。
温かいスープ。
酵母パン。
焼いた魔物肉。
飲み水も配られる。
最初は警戒していた隣国兵たちだったが、やがて震える手で食事を口へ運び始めた。
涙を流しながら食べる者もいる。
衛兵たちは何も言わず、その様子を見守っていた。
食事を終えた後、教導教師が前へ出る。
「ピュリファイ。」
柔らかな光が兵士たちを包む。
続いて魔力循環と魔力操作の教導が始まった。
敵兵であっても例外ではない。
学ぶ機会は等しく与えられる。
その光景を見つめながら衛兵隊長は静かに呟く。
「戦うより、教える方が早い。」
王国が積み重ねてきた改革は、国境の最前線にも確かに根付いていた。
国境での捕縛作戦は一日では終わらなかった。
アルタリア帝国軍は各地から断続的に国境を越えてきた。
地方衛兵。
教導を受けた農民兵。
近隣都市から応援に駆け付けた衛兵隊。
全員がテレパシーで情報を共有しながら行動する。
索敵魔法によって侵入部隊を発見すると、飛行魔法で包囲を開始した。
「北西。」
「三千。」
「南。」
「二千五百。」
「東。」
「四千。」
情報は瞬時に全部隊へ伝達される。
包囲。
捕縛。
拘束。
窒息。
殺傷は一切行わない。
抵抗を失った兵士から順番に武器、防具、盾を没収し、アイテムボックスへ収納していく。
数日後。
捕縛されたアルタリア帝国兵は二万人を超えていた。
地方衛兵たちは空き地へ天幕を張り、大規模な収容地を整備する。
食堂。
浴場。
簡易住居。
教導用講堂。
短期間で必要な施設が整えられた。
食品ギルドから食料が運び込まれる。
酵母パン。
魔物肉。
野菜スープ。
捕虜となった兵士たちは最初こそ警戒していたが、温かい食事を前に涙を流す者も少なくなかった。
「……こんな食事は久しぶりだ。」
「帝国では黒パンだけの日もあった。」
「村では子どもたちも飢えている。」
教導教師たちは静かに話を聞いていた。
食事が終わると、全員へピュリファイを施す。
穏やかな光が兵士たちを包み込んだ。
続いて魔力循環と魔力操作の教導が始まる。
「ゆっくりで構いません。」
「毎日続けてください。」
敵兵であっても区別はしない。
教導は等しく施される。
その頃、騎士団長アイクは二十名の調査班を率いて収容地へ到着した。
「ご苦労だった。」
地方衛兵隊長が敬礼する。
「捕縛兵は現在二万一千四百二十六名。」
「全員へ食事と教導を実施しております。」
アイクは静かに頷いた。
「これより調査を開始する。」
調査班は手分けして兵士たちを一人ずつ確認していく。
ピュリファイ。
鑑定。
サイコメトリー。
ポストコグニション。
そしてソートグラフィー。
帝国での生活。
徴兵の経緯。
領主や中央政府の実態。
農村の様子。
都市の状況。
飢えた民。
痩せた農地。
疲弊した兵士たち。
すべてが映像として記録されていく。
調査が進むにつれ、一つの事実が明らかになっていった。
侵入してきた兵士たちの多くは侵略を望んでいたのではない。
飢えに耐え切れず、生きるために国境を越えてきた者たちだった。
アイクは静かに記録用魔道具を見つめる。
「この映像は……。」
「必ず国王陛下へ届けなければならない。」
アルタリア帝国の現実は、想像をはるかに超える深刻さだった。
騎士団長アイクは調査を終えると、すべての記録をアイテムボックスへ収納した。
ソートグラフィーによる映像記録。
鑑定結果。
サイコメトリー。
ポストコグニションによって確認した事実。
膨大な資料を携え、二十名の調査班は飛行魔法で王都へ帰還する。
王宮大会議室。
国王オーキス・アルデバラン。
王妃バイオレット・アルデバラン。
マーガレット。
宰相クレイン・レッドバルト。
騎士団長アイク。
重臣や貴族たちが集まり、報告を待っていた。
アイクは一礼する。
「ご報告いたします。」
「国境侵犯したアルタリア帝国兵二万一千四百二十六名を捕縛しました。」
「死者は一人もおりません。」
国王は静かに頷く。
「報告を続けよ。」
アイクは記録用魔道具を起動した。
ソートグラフィーによって記録された映像が会議室に映し出される。
痩せ細った兵士たち。
荒れ果てた村。
雑草が生い茂る農地。
人通りの少ない街。
活気を失った市場。
飢えに苦しむ子どもたち。
疲れ切った老人たち。
重苦しい空気が会議室を包んだ。
続いて別の映像が映る。
領民から重税を取り立てる帝国官吏。
倉庫から中央へ運び出される食料。
収穫の少ない畑で黙々と働く農民。
十分な道具もなく耕作を続ける人々。
宰相クレイン・レッドバルトは静かに息を吐く。
「これは……。」
主任文官も資料を確認しながら報告する。
「各都市。」
「各街。」
「各村。」
「いずれも深刻な食料不足です。」
「農地も十分に管理されておりません。」
マーガレットは映像を見つめたまま口を開く。
「問題は兵士ではありません。」
「農業。」
「物流。」
「行政。」
「教育。」
「国を支える仕組みそのものが機能していません。」
「だから都市も村も疲弊しているのでしょう。」
会議室の誰もが静かに頷いた。
国王はアイクへ視線を向ける。
「兵たちは何と言っていた。」
「ほぼ全員が亡命を希望しております。」
「帝国へ戻れば再び飢えが待っている。」
「捕虜のままで構わないので、この国で働かせてほしいと嘆願しております。」
会議室は静まり返る。
その時、一人の貴族が立ち上がった。
「陛下。」
「今こそ好機です。」
「帝国は疲弊しております。」
「我が国の兵は教導を受け、各個人がSランク冒険者以上の戦闘力を持っています。」
「数十万の兵を動員すれば、アルタリア帝国を占領することも可能です。」
数名の貴族が同意するように頷いた。
しかし、一人の男が静かに口を開いた。
アークだった。
「それは違います。」
会議室の視線が集まる。
アークは落ち着いた口調で続けた。
「私たちが教えてきた戦闘術は、侵略のためのものではありません。」
「民を守るため。」
「人を救うため。」
「そのために教導してきました。」
「飢えた民から国を奪うことは、私たちの目指す未来ではありません。」
国王オーキス・アルデバランは静かに頷いた。
宰相クレイン・レッドバルトも同じように頷く。
王宮の会議は、戦争ではなく、帝国の民をどう救うかという新たな議論へ移っていった。
会議室は静まり返っていた。
国王オーキス・アルデバランは、しばらく目を閉じたまま考え続ける。
やがて静かに口を開いた。
「余は侵略するつもりはない。」
その一言で会議室の空気が変わる。
「我が国が目指してきたのは、民を豊かにすることだ。」
「他国から奪うことではない。」
国王はゆっくりと立ち上がった。
「飢えた民へ剣を向けることは、王国の理念に反する。」
「捕虜となっている兵たちには亡命を認めよう。」
「希望する者は王国民として受け入れる。」
「農業でも。」
「商業でも。」
「工房でも。」
「教師として学ぶ道でも。」
「望む道を選ばせよ。」
会議室にいた重臣たちは静かに頷いた。
宰相クレイン・レッドバルトも立ち上がる。
「受け入れ後は戸籍を整備します。」
「住居を準備し。」
「食料を支給し。」
「魔力循環、魔力操作から教導を始めましょう。」
主任文官も続ける。
「各地の農地は、まだ人手を必要としております。」
「新しい村の建設も進められます。」
「受け入れ先は十分確保できます。」
王国の貴族たちも次々に発言する。
「我が領地でも受け入れます。」
「農地開拓なら人手はいくらあっても足りません。」
「商業ギルドとも連携できます。」
「教導教師も派遣しましょう。」
先ほどまで侵略を主張していた貴族も静かに頭を下げた。
「……浅はかでした。」
「目先の勝利ばかり考えておりました。」
アークは穏やかに微笑む。
「国は奪えば増えるものではありません。」
「人を育てれば自然と豊かになります。」
その言葉に、会議室の誰もが頷いた。
国王は最後に騎士団長アイクへ命じる。
「捕虜となっている帝国兵へ伝えよ。」
「亡命を希望する者は受け入れる。」
「帝国へ帰国を望む者は、その意思を尊重する。」
「強制は一切行わない。」
「はっ。」
アイクは力強く一礼した。
翌日、その方針は国境の収容地へ伝えられた。
説明を聞いた帝国兵たちは互いに顔を見合わせる。
やがて一人の兵士が震える声で尋ねた。
「……本当に。」
「私たちは、この国で生きていけるのですか。」
教導教師は静かに頷く。
「働く意思があるなら歓迎します。」
「この国では、身分ではなく努力を評価します。」
その言葉を聞いた兵士は、その場で涙を流した。
一人が泣き始めると、その涙は周囲へ広がっていく。
飢えに苦しみ。
家族を残し。
生きるためだけに国境を越えてきた兵士たちだった。
彼らにとって、それは初めて与えられた未来への希望だった。
こうしてアルデバラン王国は、剣による征服ではなく、教導による救済という道を選ぶ。
その決断はやがて帝国全土を揺るがす、大きな変革の始まりとなるのだった。




