53 識字・計算
王都改造は着実に成果を上げていた。
犯罪エリア。
貧困エリア。
奴隷街。
亜人街。
かつて王都でも最も治安が悪いと呼ばれていた地区には、新しい講堂や教室、公衆浴場、大食堂、集合住宅が整備され、人々の生活は日ごとに変わり始めている。
魔力循環。
魔力操作。
水・土・光属性。
教導を受けた住民たちは次々と新たな力を身につけ、農業や紡織、建設など、それぞれの仕事へ就いていた。
しかし、マーガレットは満足していなかった。
「まだ足りません。」
王宮の会議室。
集まった教師たちへ、マーガレットは静かに語りかける。
「魔法だけでは国は発展しません。」
「文字を読み、数字を理解し、自ら考えられる人を育てなければなりません。」
教師たちは真剣な表情で頷いた。
百人の教師は、元娼婦や農民として教導を受け、教導スキルを覚醒した者たちである。
今では立派な教師として、多くの住民へ学びを広げていた。
「今日から教導の中心は識字と計算です。」
「対象は犯罪エリア、貧困エリア、奴隷街、亜人街の貧困層と孤児たち。」
「さらに王都平民街の子どもたち、主婦、ご高齢の方々にも教導を行います。」
「年齢や身分は問いません。」
「学びたい方は全員受け入れます。」
教師たちは一斉に返事をした。
「はい!」
翌朝。
各地区の講堂と教室には、多くの住民が集まっていた。
子どもがいる。
母親がいる。
祖父母の姿もある。
孤児たちも嬉しそうに席へ着いていた。
教師は黒板の前へ立つ。
「今日から識字と計算を学びます。」
「魔力循環も止めないでください。」
教室全体で魔力循環が始まる。
教師は住民たちの間を歩き、一人ひとりへ声を掛けていく。
「その調子です。」
「文字は丁寧に書きましょう。」
「書いたら必ず読み返してください。」
別の教室では計算の教導が始まっていた。
教師は黒板へ問題を書き、住民たちへ問い掛ける。
「収穫量。」
「商品の数。」
「売上。」
「税。」
「どれも計算ができなければ管理できません。」
住民たちは真剣な表情で問題へ取り組む。
子どもたちは楽しそうに考え、大人たちも負けじと筆を動かしていた。
教室の外では、王国騎士団が魔力循環と魔力操作の教導を行っている。
魔法を学ぶ者。
文字を学ぶ者。
計算を学ぶ者。
王都は至るところで学びの場となっていた。
マーガレットは各教室を巡回し、その様子を静かに見守る。
「教師の皆さん。」
「焦らなくて構いません。」
「大切なのは、一人でも多くの方が学び続けることです。」
教師たちは力強く頷いた。
「必ず王都中へ学びを広げます。」
その言葉どおり、識字と計算の教導は犯罪エリアや貧困エリアだけではなく、平民街全体へも広がり始めていた。
王都は、魔法を学ぶ都市から、誰もが学び続ける都市へと少しずつ姿を変えていくのだった。
識字と計算の教導は毎日続けられた。
犯罪エリア。
貧困エリア。
奴隷街。
亜人街。
さらに平民街の教室や講堂でも、多くの住民が机へ向かっている。
子どもたちはもちろん、主婦や老人たちも熱心に学んでいた。
教師たちは魔力循環を続けながら、一人ひとりの様子を確認する。
「慌てなくて大丈夫です。」
「何度でも書いてください。」
「読み返して、間違いがあれば直しましょう。」
教室では静かな時間が流れていた。
文字を書く音だけが響く。
計算の教室では、教師が生活に結び付けた問題を出していた。
「今日の収穫量。」
「市場へ運ぶ商品の数。」
「販売した後の利益。」
「税として納める数量。」
「すべて計算ができれば、自分で管理できます。」
住民たちは真剣な表情で数字を書き込み、何度も計算を繰り返した。
魔力循環を続けながら教導を受けることで、理解は日を追うごとに深まっていく。
数日後。
最初に変化が現れた。
「先生!」
一人の少年が嬉しそうに手を挙げた。
「識字スキルを覚醒しました!」
教師はすぐに鑑定する。
「間違いありません。」
「識字スキルです。」
教室から拍手が起こる。
その日のうちに、他の教室からも同じ報告が相次いだ。
「私も識字スキルです!」
「こちらは計算スキルを覚醒しました!」
「私もです!」
子どもだけではない。
主婦たち。
老人たち。
孤児たち。
年代を問わず、努力を続けた者たちが次々とスキルを覚醒させていく。
教師たちは笑顔でその成果を喜んだ。
マーガレットも教室を巡回しながら頷く。
「順調ですね。」
「はい。」
教師の一人が資料を差し出した。
「識字スキルと計算スキルの覚醒者が急速に増えています。」
「教導の効果も非常に安定しています。」
マーガレットは資料へ目を通した。
「この調子で続けましょう。」
「王都全体へ広げます。」
教師たちはそれぞれ担当区域へ戻っていく。
教室は朝から夕方まで稼働を続けた。
学びたい者は誰でも受け入れる。
途中から参加する者も少なくない。
仕事を終えて夕方から通う者。
家事を終えて昼から通う主婦。
祖父母と孫が並んで学ぶ姿も見られるようになった。
王都では学ぶことが特別ではなくなり始めていた。
教師が育ち。
学ぶ者が増え。
その中から新しい教師が生まれる。
教導の輪は着実に広がっていく。
マーガレットは講堂を見渡し、小さく微笑んだ。
「王都の民全員が識字と計算を身につける日も、そう遠くはありません。」
教育は特別な人だけのものではない。
誰もが学び、誰もが教えられる。
そんな王都が、ゆっくりと形になり始めていた。
識字と計算の教導が始まって一か月。
王都では目に見える変化が現れ始めていた。
犯罪エリア。
貧困エリア。
奴隷街。
亜人街。
そして平民街。
各地の講堂や教室では、毎日多くの住民が学び続けている。
教師となった元娼婦や農民たちも経験を積み、教え方は日を追うごとに上達していた。
王宮では、その成果が一枚一枚の報告書としてまとめられていく。
「マーガレット様。」
文官が資料を差し出した。
「今月の教導結果です。」
マーガレットは資料を受け取り、静かに目を通す。
識字スキル覚醒者。
計算スキル覚醒者。
水・土・光属性覚醒者。
教導スキル覚醒者。
すべて前月を大きく上回っていた。
「順調ですね。」
「はい。」
「教導を終えた方々の中から、特に優秀な方々を選抜しております。」
マーガレットは頷いた。
「予定どおり進めましょう。」
翌日。
王宮には数十名の住民が集められた。
犯罪エリア出身。
貧困エリア出身。
元奴隷。
亜人。
平民街の若者。
身分はさまざまだった。
しかし共通していることがある。
識字と計算を優秀な成績で修め、教導にも熱心に取り組んできた者たちだった。
マーガレットは穏やかに話し始める。
「皆さんには新しい仕事をお願いします。」
緊張した空気が流れる。
「王宮で文官補佐として働いていただきます。」
思わぬ言葉に全員が驚いた。
「わ、私たちが王宮で……。」
「本当によろしいのですか。」
マーガレットは静かに頷く。
「王宮が必要としているのは身分ではありません。」
「学び、努力し、責任を持って仕事ができる人です。」
その言葉に、何人もの目から涙がこぼれた。
犯罪エリアで育った青年が震える声で言う。
「私は一生、裏通りで生きるしかないと思っていました。」
「文字も読めませんでした。」
「でも先生方が教えてくださいました。」
「本当にありがとうございます。」
マーガレットは微笑んだ。
「努力したのは皆さんです。」
「その努力が認められたのです。」
文官補佐となった者たちは、王宮の文官から仕事を学び始めた。
戸籍の整理。
人口の集計。
収穫量の管理。
食料充足率の計算。
税収の記録。
物資の管理。
一つひとつの仕事を識字と計算を活かしながら正確に処理していく。
文官たちは感心したように頷いた。
「覚えるのが早いですね。」
「教導を受けてきた成果でしょう。」
王宮では身分ではなく能力によって仕事を任される者が少しずつ増え始めていた。
マーガレットは執務室の窓から王都を見渡す。
文字を学ぶ者。
数字を学ぶ者。
そして、その知識を王国のために活かす者。
教育は、人に仕事を与えるだけではない。
国を支える人材そのものを育て始めていた。
文官補佐の採用が始まると、王宮の執務は目に見えて変わり始めた。
識字と計算を身につけた新しい人材が加わったことで、これまで滞りがちだった書類整理が次々と進んでいく。
王宮の執務室では、多くの文官たちが机を並べていた。
「こちらは戸籍の整理が終わりました。」
「収穫見込みを集計しました。」
「食料充足率も計算済みです。」
報告が次々と届く。
主任文官たちは内容を確認し、必要な修正だけを指示していく。
「正確ですね。」
「数字の誤差もありません。」
新しく採用された文官補佐たちは、毎日魔力循環を続けながら仕事へ取り組んでいた。
教導で身につけた識字と計算は、行政の現場でも大きな力を発揮していたのである。
マーガレットは執務室を巡回し、一人ひとりへ声を掛けた。
「困っていることはありませんか。」
「大丈夫です。」
「先輩方が丁寧に教えてくださいます。」
主任文官たちも笑顔で頷く。
「覚えるのが早いので助かっています。」
「教導の成果ですね。」
一方、王都各地では識字と計算の教導が休むことなく続いていた。
教師となった元娼婦や農民たちは、今日も各教室で住民たちへ教導を行う。
子ども。
主婦。
老人。
仕事を終えた職人。
市場を閉めた商人。
誰もが空いた時間を利用して教室へ集まってくる。
教師たちは丁寧に教導を続けた。
「繰り返し書いてください。」
「計算も何度も解いてみましょう。」
「分からないところは遠慮なく聞いてください。」
教導は王都全域へ広がっていく。
一人が覚える。
その人が次の人へ教える。
さらに新しい教師が育つ。
教育の輪は止まることなく広がり続けていた。
三か月後。
マーガレットは王宮の大会議室で報告を受ける。
「ご報告します。」
「王都全域で識字スキル、計算スキルの覚醒者が大幅に増加しております。」
「教師の数も順調に増えております。」
「教導を希望する方も減っておりません。」
マーガレットは満足そうに頷いた。
「王都の民全員が識字と計算を身につけるまで続けます。」
「教導を止めてはいけません。」
教師たちは一斉に返事をする。
「はい!」
その日以降も教導は続いた。
教師は毎日教える。
住民は毎日学ぶ。
そして新たな教師が育つ。
教育は一時的な政策ではない。
王都に根付き、人から人へ受け継がれていく文化となり始めていた。
マーガレットは窓から王都を見渡す。
講堂では子どもたちの笑い声が聞こえる。
教室では大人たちが真剣に学んでいる。
王宮では新しい文官補佐たちが行政を支えている。
魔法だけでは国は豊かにならない。
文字を学び、数字を理解し、人を育てる。
その積み重ねこそが、アルデバラン王国を支える最も大きな力になろうとしていた。




