38 狩り
王女マーガレットは、教導を受け始めてから二十四時間、眠っている間も絶え間なく魔力循環を続けていた。
魔力は休むことなく全身を巡り続け、身体を少しずつ変化させていく。
その成果は誰の目にも明らかだった。
以前より高く伸びた背丈。
すらりと伸びた手足。
豊かに実った胸。
細く引き締まった腰。
女性らしく大きく育った尻。
全身の均衡が整い、誰もが見惚れるほど美しいプロポーションへと変化していた。
訓練場へ現れたマーガレットを見た女性近衛騎士たちは、思わず目を見張る。
「マーガレット様……。」
「まるで女神様のようです。」
本人もその変化には気付いていた。
侍女たちは何度も衣装を仕立て直し、鏡を見るたびに身体つきが変わっていることを実感していたのである。
マーガレットは少し頬を赤らめながらアークの前へ立った。
「アーク様……。」
「私、本当にこんなに変わってしまったのでしょうか。」
アークは鑑定しながら静かに頷いた。
「はい。」
「王女殿下の魔力循環の成果です。」
「魔力循環は魔法を成長させるだけではありません。」
「身体そのものも最適な状態へ導きます。」
マーガレットは胸の前で両手を重ね、小さく微笑んだ。
「少し恥ずかしいですが……。」
「努力した結果だと思うと、嬉しくもあります。」
アークも穏やかに微笑む。
「努力は決して裏切りません。」
「王女殿下は毎日欠かさず魔力循環を続けてこられました。」
「その積み重ねが今の姿です。」
マーガレットは嬉しそうに頭を下げた。
「ありがとうございます。」
アークは話題を切り替える。
「今日は森に狩りへ行きます。」
マーガレットの表情が引き締まった。
「いよいよ実戦ですね。」
「はい。」
「訓練場で覚えた魔法を、実際の魔物相手に使います。」
今回同行するのは女性近衛騎士三名。
王女の護衛であり、同時に教導の様子を見学するためでもあった。
五人は王都近郊の森へ向かう。
マーガレットは歩いている間も魔力循環を止めることはない。
森へ入ると、アークは周囲を見回した。
「まずは索敵です。」
マーガレットは一歩前へ出る。
「はい。」
静かに魔力を周囲へ広げた。
「ウォーターサーチ。」
魔力は森全体へ染み渡るように広がっていく。
木々の間。
茂みの中。
地面を駆ける小動物。
遠くにいる魔物の気配までも鮮明に映し出される。
しばらくしてマーガレットは目を開いた。
「見つけました。」
「前方五百メートルにホーンラビットが五体います。」
アークは満足そうに頷く。
「正確です。」
「では向かいましょう。」
五人は風下を選び、音を立てずに森を進んだ。
やがて草を食む五体のホーンラビットが視界へ入る。
魔物たちはまだこちらへ気付いていない。
マーガレットは静かに魔力を練り始める。
アークは余計な説明をしなかった。
これまで何度も繰り返してきた教導だからである。
短く一言だけ告げた。
「捕縛、拘束、窒息ですよ。」
「はい。」
マーガレットは落ち着いて頷く。
右手を前へ向けた。
「ウォーターバインド。」
五体のホーンラビットの身体へ同時に水の拘束具が絡みつく。
四肢は完全に固定され、もがくことしかできない。
続けて間を置かず魔力を放つ。
「ウォーターマスク。」
五体の頭部が透明な水球に包まれた。
ホーンラビットたちは激しく暴れる。
しかし拘束を解くことはできない。
やがて動きは止まり、森は再び静寂に包まれた。
マーガレットは魔法を解除し、静かに息を整える。
焦りも油断もない。
訓練場で積み重ねた教導を、そのまま実戦で再現していた。
それを見守るアークと三人の女性近衛騎士は、王女の確かな成長を静かに実感していた。
ホーンラビット五体の討伐を終えると、マーガレットは静かに魔法を解除した。
拘束が解かれた魔物は、その場で動かなくなっていた。
アークは小さく頷く。
「良い教導でした。」
「索敵から討伐まで、無駄がありません。」
マーガレットは安堵したように息を吐いた。
「ありがとうございます。」
「実戦になると緊張するかと思いましたが、不思議と落ち着いていました。」
「訓練を何度も繰り返しましたから。」
「身体が自然に動いてくれました。」
アークは穏やかに微笑む。
「それが教導です。」
「考えなくても正しい行動ができるまで繰り返します。」
「実戦では迷う時間が命取りになります。」
マーガレットは力強く頷いた。
「はい。」
アークは周囲へ視線を向ける。
「次を探してください。」
マーガレットは再び魔力を巡らせた。
「ウォーターサーチ。」
魔力が森全体へ広がっていく。
数秒後、静かに目を開いた。
「前方八百メートル。」
「オーガが十体います。」
「向かいましょう。」
五人は風下を選びながら森を進む。
やがて大木の向こうに、十体のオーガが姿を現した。
身長は三メートル近くある。
巨大な棍棒を肩へ担ぎ、周囲を歩き回っていた。
マーガレットは一切慌てない。
訓練場で何度も繰り返した手順を、そのまま実戦で再現するだけだった。
右手を前へ向ける。
「ウォーターバインド。」
十体のオーガへ同時に水の拘束具が巻き付く。
両脚。
胴体。
両腕。
巨大な身体は完全に固定された。
オーガたちは怒号を上げ、力任せに暴れる。
しかし拘束は緩まない。
マーガレットは続けて魔力を放つ。
「ウォーターマスク。」
十体の頭部が透明な水球に包まれた。
オーガたちは激しく抵抗する。
それでも拘束された身体は動かない。
やがて一体、また一体と動きを止めていった。
森は再び静寂を取り戻す。
三人の女性近衛騎士は落ち着いた様子で頷いた。
「教導通りですね。」
「索敵、捕縛、拘束、窒息。」
「一つも手順が乱れていません。」
別の近衛騎士も微笑む。
「魔法の精度も高くなっています。」
「王女殿下は以前より魔力操作が滑らかです。」
三人目も続けた。
「敵へ反撃する隙を与えませんでした。」
「訓練場と同じように戦えています。」
アークは三人の評価に頷いた。
「その通りです。」
「実戦になると、多くの者は焦って攻撃魔法を先に使いたがります。」
「ですが、安全を最優先に考えるなら、まず相手の自由を奪うことです。」
「動きを封じれば、自分も仲間も危険にさらさずに済みます。」
マーガレットは改めて教導の意味を理解していた。
訓練場では単なる魔法の順番だと思っていた。
しかし実戦では、その一つひとつが自分と仲間の命を守るための手順だったのである。
「教導とは、安全に勝つための技術なのですね。」
アークは静かに頷いた。
「はい。」
「勝つことだけを考えるのではありません。」
「誰も傷付かずに勝つことを考えるのです。」
マーガレットはその言葉を胸に刻んだ。
そして再びウォーターサーチを発動する。
森のさらに奥から、これまでよりもはるかに多くの魔物の反応が現れ始めていた。
マーガレットは静かに目を閉じた。
「ウォーターサーチ。」
魔力が森全体へ広がっていく。
先ほどよりも広範囲へ、より正確に。
しばらくして彼女は静かに口を開いた。
「反応があります。」
「前方千五百メートル。」
「フォレストウルフ五十体、アーミーアント五十体、アースベア五十体です。」
合計百五十体。
女性近衛騎士三人は思わず表情を引き締めた。
しかしアークは落ち着いていた。
「予定通りです。」
「王女殿下なら対処できます。」
マーガレットも迷いなく頷く。
「はい。」
五人は森の奥へ進む。
やがて開けた場所へ到着すると、三種類の魔物が群れを作っていた。
フォレストウルフは周囲を警戒しながら歩き回る。
アーミーアントは隊列を組み、地面を埋め尽くしている。
アースベアは巨体を横たえながら縄張りを守っていた。
その数、百五十体。
普通の騎士団なら総力戦になる規模だった。
マーガレットは深く息を吸う。
焦りはない。
訓練場で何度も繰り返した教導を思い出す。
まず敵を逃がさない。
次に動きを奪う。
最後に仕留める。
順番を崩さない。
右手を大きく掲げた。
「アイスウォール。」
轟音とともに巨大な氷壁が次々と出現する。
群れを囲むように四方へ氷壁が築かれ、魔物たちは完全に閉じ込められた。
突然の出来事に魔物たちは一斉に暴れ始める。
フォレストウルフは壁へ飛び掛かる。
アースベアは体当たりを繰り返す。
アーミーアントは壁をよじ登ろうとする。
しかし分厚い氷壁はびくともしない。
マーガレットは続けて地面へ魔力を流した。
「アイスバーン。」
囲まれた空間の地面が一瞬で凍結する。
走ろうとしたフォレストウルフは足を滑らせて転倒した。
アースベアも巨体を支え切れず倒れ込む。
アーミーアントの隊列も完全に崩れた。
魔物たちは立ち上がることさえ難しくなっていた。
アークは静かに頷く。
「そのままです。」
「落ち着いて。」
マーガレットは冷静に魔力を集中させた。
「アイスマスク。」
百五十体の頭部へ同時に氷が形成される。
口と鼻を完全に覆い、呼吸を封じた。
魔物たちは必死にもがく。
しかし氷壁から逃げることも、凍った地面を走ることもできない。
数分後。
暴れていた魔物は一体、また一体と動きを止めていく。
やがて森は静寂を取り戻した。
女性近衛騎士たちは静かに頷いた。
「見事です。」
「教導通りの手順でした。」
「一度も慌てませんでしたね。」
マーガレットは魔法を解除しながら答える。
「アーク様が何度も教えてくださいましたから。」
「実戦でも身体が自然に動きました。」
アークは満足そうに微笑む。
「教導とは、考える前に身体が動くまで繰り返すことです。」
「今日の実戦で、それが証明されました。」
マーガレットは討伐した百五十体の魔物を静かに見渡した。
かつての自分なら、一体の魔物を前にしても恐怖で動けなかっただろう。
しかし今は違う。
教導によって身につけた知識と技術が、確かな自信へ変わっていた。
その瞬間だった。
マーガレットの全身が淡い光に包まれ始めた。
百五十体の魔物が静かに地面へ横たわる。
森は再び静寂を取り戻していた。
その時だった。
マーガレットの身体が淡い光に包まれる。
「これは……。」
マーガレットは驚きながら自分の両手を見つめた。
身体の奥から新しい感覚が湧き上がってくる。
アークは静かに鑑定を発動した。
「おめでとうございます。」
「新しいスキルが覚醒しました。」
「鑑定スキル。」
「そして、アイテムボックスです。」
マーガレットは思わず目を見開いた。
「私が……ですか。」
「はい。」
「王女殿下が積み重ねてきた成果です。」
三人の女性近衛騎士は穏やかな表情で頷いた。
「覚醒されましたね。」
「王女殿下なら今日の実戦で覚醒されると思っておりました。」
「教導を積み重ねてこられましたから。」
マーガレットはまだ信じられないという表情を浮かべていた。
「鑑定を試してみてください。」
アークに促され、近くに横たわるフォレストウルフへ意識を向ける。
すると頭の中へ情報が流れ込んできた。
「見えます。」
「フォレストウルフ。」
「素材は牙、皮、肉……。」
「状態まで分かります。」
マーガレットは感動したように声を漏らした。
「これが鑑定スキルなのですね。」
アークは続ける。
「次はアイテムボックスです。」
「収納したい物へ意識を向けてください。」
マーガレットは目の前のフォレストウルフへ右手を向けた。
「アイテムボックス。」
魔物の身体が淡い光に包まれ、一瞬で姿を消した。
マーガレットは驚きながら目を瞬かせる。
「消えました。」
「収納されています。」
「取り出してみましょう。」
「はい。」
「取り出し。」
今度は同じ場所へフォレストウルフが現れる。
収納。
取り出し。
収納。
取り出し。
数回繰り返しただけで、マーガレットは完全に使い方を理解した。
「便利ですね。」
「これなら運搬に困りません。」
アークは静かに頷く。
「狩りだけではありません。」
「探索や遠征、物流でも欠かせないスキルになります。」
マーガレットは改めて周囲を見渡した。
百五十体の魔物が森一面に横たわっている。
「では、すべて収納します。」
「アイテムボックス。」
魔力が森へ広がる。
フォレストウルフ五十体。
アーミーアント五十体。
アースベア五十体。
百五十体の魔物が次々と光に包まれ、一瞬で姿を消していく。
広かった森は元の静かな景色へ戻っていた。
女性近衛騎士の一人が微笑んだ。
「収納も見事です。」
「魔力操作が安定しています。」
別の近衛騎士も頷く。
「初めてとは思えない精度でした。」
アークは満足そうに微笑んだ。
「魔力循環を二十四時間続け、魔力操作を磨き、水属性魔法を習得し、実戦で教導通りの手順を最後までやり遂げました。」
「だから鑑定スキルとアイテムボックスが覚醒したのです。」
マーガレットは静かに頷く。
今日一日で学んだものは決して戦い方だけではない。
教導を積み重ねれば、人は確実に成長する。
その事実を、自らの身体で証明することができた。
王都への帰路につくマーガレットの歩みは軽かった。
王女としてではない。
一人の教え子として、新たな力を手にした喜びが、その胸に静かに満ちていた。




