306 梨
ハンナ商会の台頭により、百三十二カ国とイートフード大陸には多種多様な果物が出回るようになっていた。
以前から果物を扱う商人はいた。しかし、産地から離れれば手に入りにくいものも多かった。それが今では珍しくなくなっている。
リンゴ系、梨系、葡萄系、柿系、柑橘系。
店先には様々な果物が並び、民たちは好みのものを選んで買っていく。
その用途も変わり始めていた。
果物は、そのまま食べるだけのものではない。
料理人たちは豊富に出回るようになった果物を前に、当然のように料理にも使い始めた。
イートフード大陸のある店でも、梨が大量に使われていた。
大蒜と生姜をすりおろし、適量の醤油と合わせる。
そこへ、すりおろした梨を加える。
軽く混ぜ合わせたところで、切り分けたドラゴン肉を入れ、全体に馴染ませる。
そのまま十五分から三十分ほど置く。
難しい作業ではない。
しかし、それだけで焼き上がったドラゴン肉は柔らかくなり、醤油と大蒜、生姜の味に、梨のほのかな甘みまで加わる。
その日、バイオレットはマーガレット、サーシャ、ミーナ、リヴィアを連れて、その店を訪れていた。
目的はもちろん食事である。
五人の前には、焼き上がったばかりのドラゴン肉が次々と運ばれてくる。
香ばしい匂いが漂う中、バイオレットは早速一切れを口に運んだ。
「まあ、お肉がとても柔らかいですわ。しかも味がついてますの」
いつも食べているドラゴン肉とは明らかに違う。
マーガレットも肉を食べ、少し驚いた顔をした。
「本当ですね。柔らかいです」
リヴィアも頷く。
「ほんのり甘いですね。でも甘すぎません」
サーシャとミーナも黙々と食べている。
バイオレットはもう一切れ食べたところで、近くにいた店員を呼んだ。
「ハイボールを下さいな」
「はい」
「五人分お願いしますわ」
マーガレットが母を見る。
「お母様、もう頼むのですか?」
「このお肉には合うと思いますの」
止める理由もなかった。
しばらくすると五人分のハイボールが運ばれてきた。
バイオレットは一口飲み、また肉を食べる。
「やっぱり合いますわ」
それからは五人ともよく食べた。
追加のドラゴン肉が運ばれてきても、皿はすぐに空になる。
普段からドラゴン肉を食べ慣れている五人だったが、この店の肉には別の美味しさがあった。
バイオレットが肉を見ながら首を傾げる。
「この店は何か秘密がありますわ。お肉が柔らかくて味がついています。それに、ほんのり甘いのも美味しいですわ」
「醤油だけではなさそうですね」
マーガレットも肉を見ていた。
「大蒜と生姜は分かりますけれど、この甘みは何でしょう」
「聞いてみます?」
サーシャがそう言ったが、バイオレットはもう次の肉を食べていた。
「後でいいですわ。冷めてしまいますもの」
結局、五人はそのまま食事を続けた。
大量に用意されていたドラゴン肉が次々と消えていく。
店員も慣れたもので、空いた皿を下げては新しい肉を運んでくる。
五人が気づいていなかっただけで、この調理法そのものは新しいものではなかった。
肉をすりおろした梨とともに漬け込み、柔らかくしてから焼く。
アストラル大陸では、すでに知られている方法だった。
使う肉もドラゴン肉に限らない。
リザード系やベア系など、少し硬さのある肉にも使われている。
そこへ大蒜や生姜、醤油を合わせれば、下味まで一緒につけることができた。
ただ、その調理法が百三十二カ国やイートフード大陸でも使われる機会が増えたのは、梨そのものが大量に流通するようになったことが大きかった。
そして、その流れの中にはハンナ商会がいた。
ハンナが育てた果物だけではない。
各地で作られた果物が商会を通じて広く流れていく。
果物を欲しがる者がいる。
ならば運ぶ。
それを料理人が買い、新しい使い方を試す。
美味しければ客が喜ぶ。
客が喜べば、また梨が必要になる。
そんな流れが各地で生まれていた。
ハンナ商会の名は、いつしか百三十二カ国の広い範囲で知られるようになっていた。
食事を終えた五人は、満足そうに店を出た。
バイオレットは最後まで肉の柔らかさが気になっていた。
「やっぱり不思議ですわ。いつものドラゴン肉とは違いましたもの」
「美味しかったですね」
リヴィアも満足そうだった。
「私はあの甘みが好きです」
「私もです」
ミーナが頷く。
マーガレットは少し考えてから口を開いた。
「店員に聞けばよかったのではありませんか?」
バイオレットが足を止める。
「忘れていましたわ」
サーシャが笑った。
「ずっと食べていましたからね」
「仕方ありませんわ。美味しかったんですもの」
それで話は終わった。
秘密をどうしても知りたいわけではない。
また食べに来ればいい。
五人にとっては、それで十分だった。
一方、同じ店の料理は食品ギルドの管理システムにも登録されていた。
新しい店、新しい料理、新しく使われ始めた食材。
各地から寄せられる情報は日々増えている。
梨を使って肉を柔らかくする調理法も、その中の一つだった。
それを見つけた料理人の中にマルセルがいた。
「梨か」
厨房で呟き、すぐに梨を用意した。
マルセルにとって梨は珍しい果物ではない。
そのまま食べても美味しい。料理にも使える。
だが、肉を漬け込むという使い方には興味を引かれた。
大蒜と生姜をすりおろす。
醤油を加える。
さらに梨をすりおろして混ぜた。
そこへ切り分けた肉を入れる。
まず使ったのはドラゴン肉だった。
全体に馴染ませ、そのまま置いておく。
十五分ほど経ったところで一部を取り出し、焼いてみる。
香ばしい匂いが厨房に広がった。
焼き上がった肉を食べる。
「なるほど」
確かに柔らかい。
醤油、大蒜、生姜だけでも味はつくが、梨の甘みが加わることで少し違った仕上がりになる。
今度は三十分ほど漬けた肉を焼いた。
こちらも食べる。
マルセルは二つを比べながら、さらに肉を焼いた。
研究というほど大袈裟なものではない。
単純に美味しいから試しているだけだった。
次にリザード系の肉を用意した。
少し硬さのある部位を選び、同じように梨を使ったものへ漬ける。
焼いて食べる。
「これもいいな」
さらにベア系の肉でも試した。
結果は悪くない。
硬さが気になっていた肉が食べやすくなる。
しかも下味がついているため、焼くだけでも十分に美味しい。
マルセルは何度か試したあと、普通に焼肉を楽しみ始めた。
料理人だからといって、常に新しい料理を完成させなければならないわけではない。
美味しい調理法を知れば、自分でも食べてみたくなる。
それだけのことだった。
梨の使い方は、マルセルだけが試していたわけではない。
百三十二カ国の料理人たちも同じだった。
食品ギルドの管理システムで情報を見た者が試す。
店で食べて気に入った料理人が、自分の厨房でも試す。
アストラル大陸出身の者から直接教わる者もいた。
梨の需要は少しずつ増えていった。
その動きを最も早く感じ取ったのは、果物を扱う商人たちだった。
「梨の注文が増えているな」
「料理店からの注文が多いです」
「そのまま食べるためではないのか?」
「肉に使うそうです」
そんな会話が各地の商会で交わされる。
もちろんハンナ商会にも注文が入った。
ハンナは報告を聞きながら、注文数を確認していた。
「梨が足りないの?」
「足りないわけではありません。ただ、以前より注文が増えています」
「だったら必要なところへ届ければいいわ」
ハンナの答えは簡単だった。
梨を欲しがる店が増えた。
ならば梨を扱う量を増やせばいい。
産地から集め、必要としている場所へ届ける。
それは今までやってきたことと何も変わらない。
ハンナ自身が料理を考えたわけではなかった。
梨を肉に使う方法を広めようとしたわけでもない。
ただ、欲しいと言う者がいるから運ぶ。
その結果、これまで梨を料理に使うことが少なかった土地にも梨が届いた。
料理人が試す。
客が食べる。
気に入れば、また注文する。
梨を作る者にも注文が届く。
百三十二カ国を行き交う果物の量は、さらに増えていった。
ハンナはそんな流れを特別なことだとは思っていなかった。
「次の注文は?」
「柑橘系です。こちらもかなり増えています」
「分かったわ。用意しましょう」
梨だけではない。
美味しいものを求める者がいる限り、果物は各地へ運ばれていく。
そして料理人たちは、届いた果物を前に、また新しい使い方を考えていた。
梨を使った肉料理は、少しずつ各地の店に増えていった。
最初に反応したのは、やはり硬い肉を扱うことの多い料理人たちだった。
リザード系やベア系の魔物は珍しくない。
肉は美味しい。しかし部位によっては硬く、焼き方を工夫する必要があった。
そこへ梨を使う。
すりおろした梨に大蒜、生姜、醤油を合わせ、肉をしばらく漬けておく。
それだけで食べやすくなる。
「これなら硬い部位も使えるな」
「捨てるところが減る」
「味も悪くない。むしろ美味しいぞ」
料理人たちは素直に使った。
誰が最初に始めたのかを気にする者は少ない。
美味しくなるのなら使えばいい。
アストラル大陸で以前から知られていた方法は、百三十二カ国とイートフード大陸へ広がり、それぞれの土地にある肉にも試されるようになった。
食品ギルドの管理システムにも、梨を使った料理の情報が増えていく。
ドラゴン肉。
リザード系。
ベア系。
同じ肉でも部位によって漬ける時間を変える料理人もいた。
梨の量を変える者もいる。
大蒜を多くする者もいれば、生姜を多くする者もいた。
醤油の量も店によって違う。
どれが正しいという話にはならなかった。
客が美味しいと言えば、それでよかった。
そんな料理の情報を見た者が、今度は食べに行く。
食べ転移がある。
距離は問題にならない。
「この店のリザード肉が美味しいらしい」
「梨を使っている店か?」
「そうらしい」
「行ってみよう」
それだけで別の国の店へ行ける。
食べて気に入れば、自分の住む土地へ戻って誰かに話す。
料理人なら自分でも試す。
商人なら梨の需要を見る。
農家なら梨を求める者が増えていることを知る。
ハンナ商会にも各地から注文が届き続けていた。
ハンナは梨だけを扱っているわけではない。
リンゴ系もある。
葡萄系もある。
柿系も柑橘系もある。
それでも梨の注文が以前より明らかに増えていることは分かった。
「料理店からの注文が多いわね」
「はい。肉料理に使う店が増えています」
「なら、必要な分を届けて」
「分かりました」
それだけだった。
ハンナは料理人に使い方を指示しない。
どの肉に合わせるのかも料理人が決めればいい。
必要な果物を必要な場所へ届ける。
商人としてやることは変わらなかった。
梨を作っている農家にも変化は伝わっていた。
「また注文が来たぞ」
「今度はどこだ?」
「料理店だ」
「また肉に使うのか?」
「そうみたいだな」
農家にとっても悪い話ではない。
これまでは果物として食べられることが多かった梨に、別の使い道が増えた。
食べる者が減ったわけではない。
梨そのものを好む者は相変わらず買っていく。
そこへ料理店からの需要が加わっただけだった。
果物を作る者。
それを集める商人。
各地へ運ぶ者。
料理する者。
食べる者。
誰かが全体を指揮しているわけではなかった。
それでも梨は必要な場所へ届いていた。
イートフード大陸でも、梨を使ったドラゴン肉を出す店が増えていく。
当然、店ごとに味は違った。
ある店は大蒜を強くする。
別の店は生姜を利かせる。
醤油を多めに使う店もある。
梨の甘みを少し強く残す店もあった。
客は好きな店を選べばいい。
「こっちの店も美味しいぞ」
「私は前に行った店の方が好きだな」
「だったら次はそっちへ行こう」
そんな会話が普通に交わされていた。
そして、バイオレットたちが食べた店にも客は増えていた。
五人が訪れたからではない。
単純に肉が美味しかった。
柔らかく、下味がつき、ほんのりと梨の甘みがある。
それを気に入った客が、また食べに来る。
新しい客を連れてくる者もいた。
店では今日も大量のドラゴン肉が焼かれていた。
そして厨房の隅には、すりおろされるのを待つ梨が積まれていた。
梨を使った肉料理が広がっても、梨そのものを食べる者が減ることはなかった。
市場には相変わらず多くの果物が並んでいる。
梨を一つ買ってその場で食べる者もいれば、何個もアイテムボックスへ入れて持ち帰る者もいる。
果物は腐らない。
買いすぎて無駄になることもない。
気に入った果物を見つければ、少し多めに買っておけばよかった。
「この梨、美味しいな」
「どこのだ?」
「知らない。ハンナ商会が持ってきたらしいぞ」
「なら、うちも買っておこう」
そんな会話も珍しくなくなっていた。
ハンナ商会が扱う果物は、百三十二カ国の様々な土地から集められている。
同じ梨系でも産地が違えば味も少し違う。
甘みの強いもの。
瑞々しいもの。
香りの強いもの。
その違いを楽しむ者も増えていた。
料理人たちも同じだった。
「この梨はそのまま食べた方が美味しいな」
「こっちは肉に使ってみよう」
使い方を決めるのは料理人である。
ハンナ商会は果物を届けるだけだった。
しかし、届けた先で何が起きるかまではハンナにも分からない。
ある料理人は肉に使う。
別の料理人は違う料理に使う。
そのまま客に出す店もある。
気に入った客が買って帰ることもあった。
果物が広く流通するようになったことで、それまで産地の近くでしか知られていなかった食べ方も各地へ広がっていく。
ハンナは商会に届いた報告を眺めていた。
「また梨?」
「はい。今度はイートフード大陸からです」
「ずいぶん人気になったわね」
「ドラゴン肉を扱う店からの注文が増えています」
「足りるの?」
「問題ありません。複数の産地から集めています」
「それならいいわ」
ハンナは次の報告へ目を移した。
梨だけを気にしている暇はない。
リンゴ系の注文もある。
葡萄系も売れている。
柑橘系を求める料理店も多い。
柿系も人気だった。
百三十二カ国とイートフード大陸から届く注文は多い。
それでも商会の者たちは対応していた。
必要な場所へ必要なものを届ける。
ハンナが昔から続けてきたことだった。
一方、マルセルは厨房で再び梨に漬け込んだ肉を焼いていた。
今日はドラゴン肉ではなく、ベア系の肉だった。
焼き上がった肉を一口食べる。
「やっぱり柔らかいな」
満足そうに頷き、もう一切れ食べる。
梨の甘みも残っている。
大蒜と生姜、醤油との相性もいい。
マルセルは白い皿に盛りつけることもなく、そのまま焼いた肉を食べ続けていた。
そこへ厨房の料理人がやってきた。
「美味しいですか?」
「ああ。食べてみるか?」
「いただきます」
焼き上がった肉を一切れ渡す。
料理人は口に入れ、驚いたように肉を見る。
「柔らかいですね」
「梨だ」
「梨ですか?」
「すりおろして漬けてある」
「なるほど」
料理人はそれ以上聞かなかった。
自分でも試してみればいい。
梨は手に入る。
肉もある。
大蒜、生姜、醤油もある。
マルセルも隠すつもりなどなかった。
翌日、その料理人も梨を使って肉を漬け込んでいた。
別の料理人も興味を持った。
それを食べた者が、自分でも試した。
そんなことが各地で繰り返されていた。
誰かが命じたわけではない。
梨を肉料理に使うよう法律で決められたわけでもない。
美味しいから使う。
ただそれだけだった。
百三十二カ国には多くの料理人がいる。
イートフード大陸にも多くの料理店がある。
そこへ各地の果物が届くようになった。
料理人たちは届いたものを使い、客に食べてもらう。
美味しい料理が生まれれば、その情報が食品ギルドの管理システムへ登録される。
それを見た別の料理人が試す。
食べに行く者もいる。
そして、また果物が必要になる。
ハンナ商会には今日も注文が届いていた。
「梨をお願いします」
「どれくらい?」
「肉料理に使いたいので、少し多めに」
「分かったわ」
ハンナはいつものように注文を受けた。
大陸一の商会と呼ばれるようになっても、やっていることは変わらない。
欲しい者がいる。
作る者がいる。
ならば、その間をつなぐ。
その日もハンナ商会から、多くの梨が百三十二カ国とイートフード大陸へ届けられていった。




