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戦わずに世界を変えた男――教育と物流で“循環国家”を作ったら、いつの間にか大陸が一つになっていた  作者: 慈架太子


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305 幸せ

 132カ国とイートフード大陸には、旨いものが溢れていた。


 肉がある。


 野菜がある。


 果物がある。


 乳製品もあれば、豆腐やおからもある。


 酒もある。


 そして料理人たちは、それらを組み合わせて新しい料理を作り続けていた。


 そこへアストラル大陸から、さらに膨大な食材が加わった。


 ミストバルカス公国による100億体の魔物狩りである。


 アストラル大陸の魔物被害はほとんどなくなり、狩られた魔物はアイテムボックスに保管された。


 腐ることもなければ、劣化することもない。


 将来にわたって利用できる食料だった。


 132カ国の国民も、イートフード大陸の住民も、ミストバルカス公国の人々に素直に感謝した。


 難しい理由などなかった。


 危険だった魔物を狩ってくれた。


 そのうえ食料まで増えた。


 ありがたいものはありがたい。


 それでよかった。


 食料が増えれば料理人が動く。


 料理人が新しい料理を作れば、それを食べた者が別の食材を求める。


 農業も発展していた。


 作ったものを食べてくれる人がいる。


 買ってくれる人がいる。


 新しい料理が生まれれば、それまでとは違う農産物が求められることもある。


 農家も自分たちで考える。


 もっと美味しくできないか。


 もっと多く作れないか。


 別のものも育てられないか。


 誰かに命じられたわけではない。


 美味しいものを作れば喜ばれる。


 売れる。


 自分たちも食べられる。


 それだけで十分だった。


 料理文化と農業文化は互いに影響しながら広がっていった。


 そして、海にも目が向けられていた。


 海洋魔物である。


 海には食べられる魔物がいくらでもいる。


 誰かが狩った。


 料理人が調理した。


 旨かった。


 それを知った者がまた狩りに行った。


 気がつけば近隣の海から海洋魔物がほとんどいなくなるほど狩られていた。


 もちろん、食べるためだった。


 海洋魔物料理も次々と作られた。


 焼く。


 煮る。


 揚げる。


 それぞれの料理人が、自分の得意な方法で食材と向き合った。


 美味しい料理ができれば、その情報は広がる。


 それを見た者が食べに来る。


 132カ国の多くは、元々内陸の文化だった。


 海とは縁の薄い地域も多かった。


 しかし、そんなことを気にする者は次第に少なくなった。


「海洋魔物料理が旨いらしい」


 それだけで十分だった。


 食べたい。


 なら食べに行けばいい。


 かつて内陸で暮らしていた者たちまで、当たり前のように海洋魔物料理を求めるようになった。


 だからといって、アース・ドラゴンに飽きたわけではない。


 アース・ドラゴンは相変わらず旨い。


 ステーキも焼肉も煮込みも人気だった。


 ただ、それだけを食べなければならない理由もなかった。


 旨いものが他にもある。


 なら、それも食べる。


 豆腐が旨ければ豆腐を食べる。


 おからが旨ければおからを食べる。


 果物が旨ければ果物を食べる。


 海洋魔物が旨ければ海洋魔物を食べる。


 人々にとっては、それだけのことだった。


 新しい料理を知れば食べてみたい。


 気に入ればまた食べる。


 料理人は客が喜べば、また別の料理を考える。


 農家は必要とされるものを作る。


 商人はそれを運ぶ。


 誰かが一つ動けば、別の誰かも動いた。


 132カ国とイートフード大陸では、そんなことが毎日のように起きていた。


 かつて何を食べるか選ぶ余裕さえなかった者たちもいる。


 今日食べるものがあるかどうか。


 明日まで生きられるかどうか。


 そんなことを心配していた時代もあった。


 今は違う。


「今日は何を食べよう」


 人々が考えるのは、そんなことだった。


 ドラゴンにするか。


 海洋魔物にするか。


 豆腐料理もいい。


 おからの新しい料理が出たらしい。


 果物を使った料理も食べてみたい。


 選べるものが、いくらでもあった。


 そして明日になれば、また知らない料理が増えているかもしれない。


 旨いものを探して食べる。


 それが132カ国とイートフード大陸では、ごく普通の楽しみになっていた。




 大陸は変わった。


 かつては貴族が跋扈していた。


 爵位を持っている。


 ただそれだけの理由で、民より自分が偉いと思っている者がいた。


 領地に暮らす者を、自分の所有物のように扱う者さえいた。


 税を取り立てる。


 逆らえば兵を使う。


 自分たちだけが贅沢をして、民が何を食べているのかさえ知らない。


 そんな貴族が珍しくない時代が確かにあった。


 今も貴族はいる。


 爵位も残っている。


 だが、爵位を持っていることを威張る者は、いつの間にかいなくなっていた。


 威張ったところで意味がない。


 民には仕事がある。


 食料がある。


 教育を受けられる。


 困ればギルドや基礎自治体を頼ることもできる。


 別の土地で暮らしたければ移ることもできた。


 貴族の機嫌を損ねれば生きていけない。


 そんな時代ではなくなっていた。


 王族も同じだった。


 かつては跡目争いがあった。


 誰が王になるのか。


 誰が次の権力を握るのか。


 そのために兄弟が争い、貴族たちが派閥を作り、関係のない民まで巻き込まれた。


 今では、そんな争いもなくなった。


 王になったからといって、何もかも思い通りにできるわけではない。


 そもそも王が握らなければならないものが減っていた。


 食品のことなら食品ギルドが動く。


 商売なら商業ギルドがある。


 地域のことなら基礎自治体がある。


 必要な者が必要な仕事をしていた。


 王位を奪えば何もかも手に入る。


 そんなものではなくなっていた。


 そして犯罪も消えていった。


 犯罪者を一人残らず捕まえたからではない。


 犯罪が成立する素地そのものが消えていた。


 食べるものがないから盗む。


 働く場所がないから犯罪組織に入る。


 逃げる場所がないから悪徳貴族や商人に従う。


 知識がないため騙される。


 助けを求める相手がいないため搾取され続ける。


 そうしたものが、一つずつ成立しなくなっていた。


 食料はある。


 仕事もある。


 学ぶこともできる。


 別の場所へ行くこともできる。


 困っている者に気づけば、誰かが動く。


 犯罪を生み、それを大きく育てていたものがなくなっていった。


 だから犯罪も消えていった。


 人々はそんな変化を、いちいち考えて暮らしてはいなかった。


 朝になれば仕事へ行く。


 昼になれば何か食べる。


 仕事が終われば家へ帰る。


 酒を飲む者もいる。


 家族と食事をする者もいる。


 新しい店ができたと聞けば出かける者もいる。


 別の国に旨い料理があると知れば、食べに行く者もいる。


 そんな毎日だった。


 かつての苦しみを忘れてしまったかのように、人々は幸せを謳歌していた。


 それでよかった。


 昔はひどかった。


 昔は苦しかった。


 昔は食べるものさえなかった。


 毎日そんなことを思い出しながら生きる必要などない。


 今日の食事が旨ければ笑う。


 明日は何を食べようかと考える。


 新しい酒ができたと聞けば飲んでみる。


 知らない料理を見つければ食べてみる。


 それができる。


 人々にとっては、それで十分だった。


 世界には旨いものがたくさんある。


 ドラゴンの肉もある。


 海洋魔物もある。


 野菜も果物もある。


 豆腐もおからもある。


 酒もある。


 そして料理人たちは、今日も新しい料理を作っている。


 食べたいものを選べる。


 旨いものを旨いと言える。


 家族や仲間と一緒に食べられる。


 世界には旨いものがたくさんある。


 それだけで幸せだった。




 亜人街の人々も同じだった。


 かつてダークライト魔導公国から亡命してきた者たちにとって、今の132カ国とイートフード大陸は別世界だった。


 食べるものがある。


 働く場所がある。


 安心して眠れる。


 明日の生活を心配する必要もない。


 誰かの機嫌一つで暮らしを壊されることもなかった。


 それだけでも十分だった。


 そこへ、旨いものまで次々と増えていく。


 亜人街にも食品ギルドの管理システムから新しい料理や店の情報が届く。


「新しい店ができたらしいぞ」


「何の店だ?」


「海洋魔物料理だ」


「どこだ?」


 場所を確認する。


 遠い。


 以前なら、それで諦めていたかもしれない。


 今は違った。


「食べに行くか」


「行こう」


 それだけで話は決まった。


 食べ転移である。


 132カ国やイートフード大陸で広がっていた食べ転移は、亜人街でも当たり前のように流行り始めた。


 新しい料理がある。


 旨い酒がある。


 珍しい食材を使う店ができた。


 そんな情報を見つければ転移する。


 食べて、飲んで、満足すれば帰ってくる。


 誰かに勧められたからではない。


 行きたいから行く。


 食べたいから食べる。


 ただそれだけだった。


 しかし、亜人街の人々は食べに行くだけでは終わらなかった。


 魔族たちが他国の料理を食べる。


「旨いな」


「これなら、こっちの食材でも作れそうだ」


「少し変えたらどうなる?」


 帰って試してみる。


 新しい料理ができる。


 旨ければ食品ギルドへ提案する。


 その情報を見た別の国の料理人が作る。


 そこでまた何かが変わる。


 魔族たちが考えた料理は、亜人街だけのものではなくなっていった。


 エルフとダークエルフたちも動いた。


 彼らが目を向けたのは果物だった。


 自分たちのところにある果物。


 新しく見つけたもの。


 食べてみて旨かったもの。


 それを自分たちだけで食べている理由はなかった。


「これも登録してみよう」


「料理にも使えるかもしれないな」


 食品ギルドへ情報を出す。


 すると果物そのものを食べたい者だけではなく、料理人たちも興味を持った。


 肉料理に使えないか。


 菓子にできないか。


 酒に合わないか。


 果物一つから、また別の料理が生まれていった。


 ドワーフたちは、やはり酒だった。


「これを飲んでみろ」


 新しい酒ができれば他の者にも飲ませる。


「旨い」


「だろう?」


「登録したのか?」


「もうした」


 話が早かった。


 旨い酒を作った。


 なら飲んでもらいたい。


 他国で作られた酒が旨いと聞けば、自分たちも飲みに行く。


 気に入れば持ち帰る。


 それを飲みながら、また別の酒を考える。


 ドワーフたちにとっては、ごく自然なことだった。


 獣人たちは香辛料を提案した。


 自分たちが使っていたもの。


 肉に合うもの。


 煮込みに入れると旨いもの。


 少し加えるだけで香りが変わるもの。


 それらの情報も食品ギルドへ入っていった。


 料理人たちは試した。


 ドラゴン肉に使う。


 海洋魔物に使う。


 野菜料理にも使ってみる。


 合わなければ別の方法を試す。


 旨ければ料理として残る。


 ただ、それを繰り返した。


 かつてダークライト魔導公国から逃れてきた者たちは、今では新しいものを他国へ提案する側になっていた。


 魔族が料理を提案する。


 エルフとダークエルフが果物を提案する。


 ドワーフが酒を提案する。


 獣人が香辛料を提案する。


 そして、それを見た誰かが試す。


 食品ギルドの管理システムには、今日も新しい情報が加わっていった。




 食品ギルドの管理システムは、常に更新されていた。


 新しい料理が登録される。


 新しい店が登録される。


 新しい果物が登録される。


 酒も香辛料も同じだった。


 誰かが見つけ、試し、旨いと思ったものが次々と加わっていく。


 132カ国とイートフード大陸の人々は、それを見る。


「こんな料理ができたのか」


「食べてみたいな」


「この店はどこにある?」


 気になれば店へ行く。


 遠ければ転移すればいい。


 国境が食べに行くことを妨げることもなかった。


 食べ転移は、もはや珍しい行動ではなくなっていた。


 新しい料理を食べるためだけに別の国へ行く。


 酒を飲むためにイートフード大陸へ行く。


 珍しい果物があると知って亜人街へ向かう。


 海洋魔物料理を目当てに海の近くへ行く。


 人々は好きなように動いた。


 そして、食べた者が帰ってくる。


「旨かったぞ」


「本当か?」


「ああ。今まで食べたことのない味だった」


「じゃあ今度行こう」


 そんな会話が繰り返された。


 料理人たちも管理システムを見ていた。


 知らない食材が登録されれば興味を持つ。


 知らない調理方法があれば試してみる。


 亜人街から新しい香辛料が登録された。


 なら肉に使ってみる。


 新しい果物が登録された。


 そのまま食べても旨い。


 だが、料理にも使えるかもしれない。


 新しい酒が登録されれば、それに合う料理を考える者も出てくる。


 誰かが一つ提案すると、それを見た別の誰かが動いた。


 その結果が、また管理システムへ登録される。


 情報は増え続けた。


 食品ギルドが新しい料理を考えているわけではない。


 料理を作るのは料理人だった。


 果物を育てる者がいる。


 酒を造る者がいる。


 香辛料を使う者がいる。


 海洋魔物を狩る者もいる。


 食品ギルドには、それぞれが持ち込んだ情報が集まってくる。


 そして、その情報を別の誰かが見る。


 ただそれだけで、新しいものが広がっていった。


 魔族が提案した料理を、人間の料理人が作る。


 エルフやダークエルフが提案した果物を、別の国の料理人が使う。


 ドワーフの酒を求めて、多くの者が飲みに行く。


 獣人が提案した香辛料を使った料理が、新しい店の名物になる。


 誰も、それを特別なことだとは思っていなかった。


 旨いから作る。


 旨いから食べる。


 気に入ったから人に教える。


 それだけだった。


 かつてダークライト魔導公国から逃れてきた者たちも、その中にいる。


 助けられるだけの存在ではなかった。


 自分たちが知っているものを出す。


 新しく作ったものを提案する。


 それを132カ国の誰かが喜んで食べる。


 今度は自分たちが、別の国で作られた料理を食べに行く。


 同じことを皆がしていた。


 どこの国の料理なのか。


 誰が最初に作ったのか。


 そんなことを気にしない者も増えていた。


 旨ければいい。


 また食べたいと思えば、もう一度食べる。


 自分でも作ってみたいと思えば試す。


 そこから別の料理が生まれることもある。


 食品ギルドの管理システムには、その日も新しい情報が登録された。


 翌日になれば、さらに増えていた。


 その情報を見て、また誰かが動く。


 料理を作る。


 食べに行く。


 酒を飲む。


 果物を育てる。


 香辛料を試す。


 そして旨ければ笑う。


 大陸では、それが当たり前の日常になっていた。


 かつてのように、今日を生き延びるだけで精一杯だった時代ではない。


 明日、何を食べようか。


 次はどこへ食べに行こうか。


 今度は何を作ってみようか。


 そんなことを考えられる毎日だった。


 世界には、まだ知らない旨いものがたくさんある。


 そして誰かが新しい旨いものを見つければ、すぐに別の誰かへ伝わっていく。


 人々はそれを食べ、また新しいものを作る。


 そんな日々を、誰もが楽しんでいた。


 それだけで幸せだった。





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