299 ホルモン豆腐
イートフード大陸から運ばれる海洋魔物とドラゴン肉は、アストラル大陸で急速に普及していった。
その影響は食料充足率にもはっきりと現れている。
シュタインフェルト王国の人口は五十億人を超えていた。
ミストバルカス公国は五億人。
アルデバラン王国本国も三億人を超えている。
それだけの人口を抱えながら、三国とも食料充足率は七百パーセントを超えていた。
驚異的な数字である。
人口が増えれば食料が足りなくなる。
かつてなら当然のように考えられていた問題だった。
ところが今は逆だった。
人口が増え続けても、それを大きく上回る食料が生産され、さらにイートフード大陸から大量の魔物肉が供給されている。
そのイートフード大陸にも、すでに数億人が暮らしていた。
それでも食料充足率は五百パーセントを超えている。
常時スタンピード状態で押し寄せてくる魔物が、次々と食料に変わっているからだった。
特に人気が高かったのが、ドラゴンホルモンの魔力煮込みである。
丁寧に処理した内臓を大鍋で煮込む。
ドラゴンの血液もスープへ溶け込んでいた。
濃厚な味だけでも十分に人気が出る料理だったが、それだけではない。
食べれば体調不良が回復する。
怪我も治る。
酒を飲みすぎた翌日の二日酔いさえ、食べればすっきりと消えてしまう。
酒を楽しむ者たちからも人気の料理になっていた。
海洋魔物も少しずつ食卓へ浸透していた。
大陸で育ったアストラル大陸の人々にとって、海洋魔物は初めて食べる食材である。
最初は口にすることをためらう者もいた。
だが、食べれば分かる。
何より美味いのである。
焼く。
煮る。
蒸す。
料理人たちが工夫するたびに新しい料理が生まれ、海洋魔物専門店も増えていった。
そんな海を見て、別の使い道を考えた者たちもいた。
食品ギルドの職員たちである。
彼らは大鍋に海水を汲んだ。
まずピュリフィケーションを掛ける。
それから魔力で加熱した。
水分が蒸発し、海水の量が減っていく。
さらに加熱を続けると濃度が高まり、やがて塩化ナトリウムが結晶として析出し始めた。
職員たちは結晶を回収する。
食塩である。
しかし、塩を取って終わりにはしなかった。
食塩を回収したあとに残った液体も別の容器へ移した。
次に用意したのは大豆だった。
大豆を水に浸し、十分に吸水させる。
柔らかくなった大豆を潰し、水を加えて大鍋へ入れた。
魔力で加熱する。
焦げつかないように混ぜながら、しっかりと煮る。
煮上がったものを布に入れて絞った。
白い液体が流れ出す。
職員たちはその大豆汁を再び適温まで加熱した。
そこへ先ほど海水を煮詰め、食塩を回収したあとに残った液体を少しずつ加えていく。
ゆっくり混ぜる。
やがて変化が現れた。
白い大豆汁が固まり始めたのである。
「固まった」
職員たちが鍋を覗き込む。
柔らかな白い塊ができていた。
大豆汁の寄せ固め。
豆腐である。
一口食べてみる。
そのままでも十分に食べられた。
だが、食品ギルドの職員たちの視線は、別の大鍋へ向いた。
そこで煮込まれているのは、人気料理のドラゴンホルモンの魔力煮込みだった。
出来上がった豆腐を切る。
そのまま大鍋へ入れた。
しばらく煮込むと、豆腐が血液の溶け込んだ濃厚なスープを吸っていく。
器によそう。
ドラゴンホルモンと豆腐を一緒に食べた。
「美味い」
それだけで十分だった。
豆腐の柔らかな食感。
噛み応えのあるドラゴンホルモン。
そして豆腐の中まで染み込んだスープ。
新しい料理が完成した。
ホルモン豆腐。
食品ギルドから料理人へ作り方が伝わると、イートフード大陸の料理店でもすぐに提供が始まった。
そして転移によってアストラル大陸にも伝わっていく。
ドラゴンホルモンの魔力煮込みに、新しく生まれた豆腐を加えただけ。
その料理が、二つの大陸で新たな人気料理になろうとしていた。
ホルモン豆腐は、イートフード大陸で急速に広がっていった。
もともとドラゴンホルモンの魔力煮込みは人気料理である。
そこへ新しく作られた豆腐を入れるだけでいい。
料理人たちは食品ギルドから豆腐の作り方を教わると、すぐに自分たちの店でも作り始めた。
ドラゴン料理専門店の献立にもホルモン豆腐が並んだ。
食べ転移でイートフード大陸を訪れた者たちは、見慣れない白い食材に興味を示した。
「これが豆腐か」
「大豆から作ったらしいぞ」
一口食べる。
柔らかな豆腐には、ドラゴンホルモンを煮込んだ濃厚なスープが染み込んでいる。
「美味いな」
ホルモンを食べる。
次に豆腐を食べる。
そしてスープを飲む。
初めて食べた者にもすぐに受け入れられた。
食べ転移から帰った者が家族や知人に話す。
次に訪れた者もホルモン豆腐を注文する。
評判は人から人へ伝わっていった。
アストラル大陸でもホルモン豆腐を出す料理店が増え始めた。
食品ギルドでは豆腐の生産も増えていた。
海水を煮詰めれば食塩が取れる。
食塩を回収したあとに残る液体を使えば、豆腐を作ることができる。
食塩は料理に使う。
残った液体も捨てずに利用する。
大豆も食材になる。
食品ギルドの職員たちにとっては、どれも無駄にする必要がなかった。
ホルモン豆腐を食べる者が増えると、その回復力にも改めて注目が集まった。
ドラゴンホルモンの魔力煮込みは、以前から体調不良や怪我の回復に効果があった。
血液までスープに溶け込んでいる。
二日酔いでさえ、食べれば回復する。
その料理に豆腐が加わっても、回復力が失われることはなかった。
薬師ギルドの職員たちもホルモン豆腐を食べ、その効果を確かめた。
最上級ポーションやエリクサーとは違う。
ホルモン豆腐は薬ではない。
料理である。
腹を満たしながら、消耗した身体も回復できる。
そこに目をつけたのが結婚斡旋ギルドだった。
結婚斡旋ギルドによって成立した夫婦から、多くの子供が生まれている。
出産を終えた女性は体力を消耗していた。
身体を休める必要もある。
結婚斡旋ギルドは、薬師ギルドと食品ギルドに相談した。
三つのギルドが注目したのがホルモン豆腐だった。
ドラゴンホルモンと血液が溶け込んだ温かいスープ。
そこに柔らかな豆腐が入っている。
食事として美味しく、身体も回復する。
産後の女性の回復食として勧めるには十分だった。
結婚斡旋ギルド、薬師ギルド、食品ギルドは、ホルモン豆腐を産後の女性に広く勧め始めた。
それを知った家庭でも、ホルモン豆腐を用意するようになった。
実際に食べた女性たちからも評判になった。
「美味しいわ」
「身体が楽になった」
料理なのだから、食事として楽しめる。
それでいて身体の回復にも役立つ。
評判を聞いた別の家庭でも食べる。
料理店でも注文が増える。
食品ギルドは豆腐を作る量を増やした。
料理人たちはドラゴンホルモンの魔力煮込みへ豆腐を加える。
薬師ギルドは身体を回復させる食事として勧める。
結婚斡旋ギルドは、出産を終えた女性たちへその料理を紹介する。
誰かに命令されたわけではない。
それぞれのギルドが、自分たちにできることをしただけだった。
ホルモン豆腐はイートフード大陸からアストラル大陸へ広がり、さらに多くの家庭へ入っていった。
海水。
大豆。
ドラゴンホルモン。
ドラゴンの血液。
それぞれ別の場所で使われていたものが、一つの料理になった。
ホルモン豆腐は、二つの大陸で大人気となった。
ホルモン豆腐が広がるにつれて、食品ギルドが作る豆腐の量も増えていった。
最初はドラゴンホルモンの魔力煮込みへ入れるために作られた食材だった。
だが、料理人たちは豆腐そのものにも目を向け始めた。
大豆から作ることができる。
柔らかい。
味に強い癖もない。
何より、煮込んだ料理のスープをよく吸う。
ドラゴン料理専門店だけではなく、海洋魔物専門店の料理人たちも食品ギルドから豆腐を仕入れるようになった。
海洋魔物を煮込んだ鍋へ豆腐を入れる。
魚とは違う肉質を持つ海洋魔物から出た味が、豆腐へ染み込んでいく。
試食した料理人は豆腐をもう一つ口へ運んだ。
「これも合うな」
別の料理人も頷いた。
「豆腐そのものが主張しすぎないのがいい」
使う魔物を変えれば味も変わる。
ドラゴンホルモンと合わせれば、濃厚なホルモン豆腐になる。
海洋魔物と合わせれば、その魔物から出た味を吸った別の料理になる。
料理人たちは次々と試し始めた。
焼いてみる者もいた。
煮る者もいた。
崩して他の食材と合わせる者もいた。
食品ギルドが作った一つの食材を、料理人たちがそれぞれの方法で使っていく。
豆腐を作った職員たちが、使い方まで決める必要はなかった。
料理人が勝手に考えるからである。
一方、食品ギルドでは海水を煮詰める大鍋が増えていた。
豆腐の需要が増えれば、豆腐を固めるための液体も必要になる。
だが、その工程では同時に食塩も取れる。
食塩の需要も大きい。
数十億人が暮らすシュタインフェルト王国。
五億人を抱えるミストバルカス公国。
三億人を超えたアルデバラン王国本国。
さらに数億人が暮らすイートフード大陸。
料理が増えれば、それだけ食塩も使われる。
海水を煮詰める。
食塩を取る。
残った液体を豆腐作りへ回す。
大豆から豆腐を作る。
出来上がった豆腐を料理人へ渡す。
一つの工程から二つの食材が生まれていた。
イートフード大陸の海は、海洋魔物だけをもたらしたわけではなかった。
その海水そのものも、食を広げ始めていた。
食べ転移で訪れる者たちも、新しい豆腐料理を楽しんだ。
以前ならドラゴン料理専門店を何軒か回って帰っていた者が、海洋魔物専門店にも立ち寄る。
店によって使う魔物も料理法も違った。
「この店の豆腐は海洋魔物と煮込んでいるのか」
「向こうの店はドラゴンだったぞ」
「なら両方食べればいい」
食べる理由がまた一つ増えた。
料理店が増える。
食品ギルドへ豆腐の注文が入る。
食品ギルドは生産量を増やす。
大豆を作る者にも注文が届く。
誰かが大きな計画を立てたわけではない。
ホルモン豆腐が美味かった。
それを食べた者が喜んだ。
料理人が豆腐の別の使い方に気づいた。
食品ギルドへ注文が増えた。
必要になったものを、それぞれが作った。
それだけだった。
その頃、産後の女性にホルモン豆腐を勧めていた結婚斡旋ギルドにも、次々と声が届いていた。
出産後にホルモン豆腐を食べた女性たちが、身体の回復を実感していた。
薬師ギルドもその状況を見ていた。
食品ギルドも豆腐を作り続けている。
三つのギルドが始めた取り組みは、すでに特別なものではなくなりつつあった。
家庭で食べる者がいる。
料理店で食べる者がいる。
食べ転移で楽しむ者もいる。
産後の回復のために食べる者もいる。
同じ料理でも、食べる理由はそれぞれ違った。
そして今日も、イートフード大陸では大量のドラゴンが狩られている。
肉も使う。
内臓も使う。
血液も使う。
海では海洋魔物が狩られ、海水まで利用されるようになった。
食料充足率五百パーセントを超える大陸で、食材の種類まで増え続けていた。
ホルモン豆腐が広がっても、ドラゴンホルモンの魔力煮込みそのものの人気が落ちることはなかった。
ホルモンだけを食べたい者もいる。
豆腐と一緒に食べたい者もいる。
店によって煮込み方も違う。
料理人たちは客の反応を見ながら、それぞれの料理を作り続けた。
イートフード大陸の料理店には、今日も食べ転移で大勢の人々が訪れていた。
「ホルモン豆腐を頼む」
「私も同じものを」
注文を受けた料理人が、大鍋から料理を器へよそう。
湯気が立つ。
ドラゴンホルモンと豆腐。
血液の溶け込んだスープ。
客はまずスープを飲んだ。
続いて豆腐を食べる。
「美味い」
隣では別の客がドラゴンホルモンを食べていた。
海洋魔物料理を注文する者もいる。
何を食べるかは、それぞれが決めればいい。
食べ終えた者は満足して店を出る。
別の店へ向かう者もいれば、そのまま自国へ転移する者もいた。
ホルモン豆腐を食べるためにイートフード大陸へ来る者も珍しくなくなっていた。
一方、アストラル大陸では家庭でもホルモン豆腐が食べられるようになっていた。
食品ギルドが作った豆腐が各地へ運ばれる。
ドラゴンホルモンもすでに広く流通している。
料理店だけの料理ではなかった。
産後の女性がいる家庭では、結婚斡旋ギルドや薬師ギルド、食品ギルドから勧められたホルモン豆腐を用意するところも増えていた。
温かい料理を食べる。
身体が回復する。
そして何より美味い。
それで十分だった。
「もう一杯食べる?」
「ええ、お願い」
そんな会話も聞かれるようになった。
薬師ギルドには、産後の女性たちから回復したという報告が届いていた。
だが、薬師たちは最上級ポーションやエリクサーの生産をやめたわけではない。
必要な者には薬がある。
食事として身体を回復させたい者にはホルモン豆腐がある。
使い道が違うだけだった。
結婚斡旋ギルドも同じである。
ホルモン豆腐を作るわけではない。
出産を終えた女性たちに、こういう料理があると伝える。
食品ギルドは豆腐を作る。
薬師ギルドは回復食として勧める。
料理人は美味しく調理する。
それぞれが自分たちの仕事をしていた。
食品ギルドでは、今日も大豆が大鍋へ運ばれていた。
水に浸す。
柔らかくなった大豆を潰す。
水を加えて煮る。
布で絞る。
取り出した大豆汁へ、海水から食塩を回収したあとに残った液体を加える。
固まったものを取り出す。
豆腐が出来上がる。
最初に作ったときには、職員たちが固まり始めた大豆汁を珍しそうに見ていた。
今では違う。
次々と作る。
料理店から注文が来る。
家庭からも求められる。
必要な量を作って送り出していく。
特別な作業ではなくなっていた。
海辺では食塩を作るため、海水が次々と運ばれている。
海では海洋魔物が狩られている。
陸ではドラゴンが狩られている。
大豆も使われる。
それぞれ別々だったものが、いつの間にか一つの食文化へつながっていた。
始まりは、食品ギルドの職員たちが海水を大鍋へ汲んだことだった。
食塩を取った。
残った液体を捨てなかった。
大豆汁へ入れてみた。
固まった。
その豆腐を、人気だったドラゴンホルモンの魔力煮込みへ入れてみた。
美味かった。
だから広がった。
誰かが普及を命じたわけではない。
食べた者が気に入り、料理人が作り、食品ギルドが必要な量を生産した。
結婚斡旋ギルドと薬師ギルドも、その料理が役に立つことに気づいた。
海水から生まれた新しい食材は、ドラゴンホルモンと出会った。
そしてホルモン豆腐は、アストラル大陸とイートフード大陸のどちらでも、ごく普通に食べられる料理になっていった。




